第2話 幾星霜
説明回なので臨時に投稿です。
時を戻して約一年前。
この世界に拉致されてから幾星霜、もうこの世界に拉致られて以降の方が主観時間が長くなってしまった。
俺らも知命近くなったので、実務の中心も徐々に第二世代――史朗くんを筆頭にした拉致当時の幼児や美浦生まれの子供たち――に移行している。
働き盛りのアラフィフが後進に道を譲るのはどうかという気もしないではないが、拉致当時の成人・準成人と第二世代の間には一回りの世代断絶があるので早めに移行しておかないと第二世代以降が困ることになる。
二十歳前後の若造に権力を委ねるのに全く不安が無いというと嘘になるが、それを言ったらブーメランになる。入植当初の美浦ではよく二十歳そこそこのSCCに権力を行使させてくれていたと思う。
第二世代に権力を移譲中と言っても完全にノータッチになるのではなく一応は後ろ盾として後見しているが、別に院政を敷きたい訳ではないので基本的には好きにさせている。
個人的には第二世代最年長の史朗くんに頭を張ってもらいたかったのだが、本人が漆器作りに専念したいと辞退。
源次郎さんからできる限り技術を引き継ごうと頑張っているし、源次郎さんも九十歳を超えていて、いつお迎えがきてもおかしくないから仕方がない。
史朗くんにお嫁に行った有栖とは上手くいっているようなのでそちらは安心している。
史朗くんの次に年嵩の宣幸くんは美浦の厨房を取り仕切っていて今や押しも押されもせぬナンバー・ワン・シェフになっている。
スーパーに行けばたいていの食材が手に入る現代の先進国ではないので、栽培や肥育の状況や不安定な漁獲などを勘案して献立をつくるのに精一杯だからリーダーなんて無理だそうだ。
宣幸くんの妻の美恵さんはお父さんと窯業に夢中。
その下の和広くん、江理さんのペアだが、和広くんは理容師、江理さんは医療系とそれぞれのお姑さんの職を継ごうと頑張っている。
この様に次世代のリーダーと目されていた瑞穂学園第一期生・第二期生は全員がリーダーになるのを拒んだ。
有栖は何をやっているかって?
音楽に進んでいて『瑞穂の歌姫』をやってるよ。
ムィウェカパでの演奏が楽しかったのか演奏をねだるようになり、鉄琴だけだとあれなので色々な楽器を作ってあげたら三味線――撥ではなく爪なので三線か?――が殊の外気に入って、祭や飲み会などでよく弾き語りをしてくれる。
三線はニシキヘビのような大蛇の皮を使うのが本式だし、三味線は猫の皮が有名だけど、美浦ではヤギの皮を使っている。
年嵩の者が拒否した第二世代のリーダーだが、なぜかは分からないが息子の義智がそのリーダーの一人だったりする。
将司と雪月花の息子の理久くんと嘉偉くんを加えた三人体制で頑張っている。
三人による共同指導体制ということで、俺は三人衆と呼んでいるが、他にもマギ体制、トロイカ体制、三頭体制とか色々言われている。
個人的には理久くんと嘉偉くんは、あの将司と雪月花が育てただけあって義智より優秀でどちらがトップになっても甲乙つけがたいリーダーになれると思っているが、それだけに二人が対立すると碌なことにならない。
だから二人を取り持って利害調整ができる重しとして一つ年上の義智がいるのだと思う。
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キャンプ場の宗教団体とは交流は途絶えていて、美浦から訪ねることもなければ彼らがやってくることもないので、いま現在のキャンプ場やWCがどうなっているかは知らないし、美浦の中でキャンプ場やWCの存在感は息をしていない。
上の口は川俣に移転しており、川俣とは結構密接な交流が続いている。
移転した理由はWCにあるようだが、口が堅くて詳細は知らない。
上の口の子らが所帯を持って独立するので分村という形で川俣に集落を造り、川俣が軌道に乗ったら残りも移住した。
子供たちを先に避難させてフェードアウトって感じだと思う。
実は川俣の開拓には美浦も援助した。
美浦が援助する理由はあって、立派な牛飼いに育ったマキさん、ヤヒさん、マチさんの牧童三人が上の口の子らに嫁いだから。
瑞穂祭などで美浦にくる度に秋波を送り続けて射止めたという感じ?
三人はある意味では美浦の娘な訳で、娘が嫁ぎ先で苦労しないよう尽力するのは当然の話。
新集落を造るにあたって川俣が選ばれたのは、黄鉄鉱の鉱脈が近くにあるのと平地がそれなりにあるという点、そして美浦との間で舟運が使えるという事が決め手となった。
川俣との直行便には美浦にも利益はあって、川俣から辰口にかけて採掘できる黄鉄鉱(硫黄があるので鉄鉱石としては使いづらく硫黄源としても原油から脱硫した硫黄が安価に大量にあるため現代では使いどころが無く二束三文の鉱物だが、現状では硫黄や硫酸の原料として重宝するらしい)が大量に輸送できるようになった。
それと、食肉としての牛。
先住者たちにとっては牛車の動力とか耕運機として役牛の側面が強いのだが、現代人からすると牛というと牛乳と牛肉のイメージが強い。
美浦で繁殖させた牛を川俣に預託して、川俣ではその牛を使って蹄耕法で開墾したり有畜農法をしながら肥育するサイクルができあがっている。
牛肉を使った料理についてはまだ俺に一日の長があるが時間の問題だと思う。
それと、川俣で生まれた子供たちは四年生から五年間美浦に留学するのが定例化している。
これは丁度美浦の子供たちの谷間の年代なのが学校関係者としてもありがたい。
美浦では十年ぐらい前までは毎年それなりに子供が生まれていたが、その後は子供が生まれない月日が流れた。さすがに不惑近くなると中々ね。
そして次のベビーブームは第二世代の子供になるのでこれから。
その谷間に留学に来てくれているので学校が学校として維持できている。
先住者集落からも学びたいという者は遠慮なく来てもらっているが、ややもすれば労働力なのでそれ程の数にはなっていない。
言葉の問題はかなり解消されていて、俺らとの接触後に生まれた人間の方が主軸になっていて、日本語と彼らの言語の混成語を経てクレオール化し、現在では俺らの日本語との差異は少し難解な方言程度になっており意思の疎通に支障をきたす事は少なくなった。
でも、まだまだ学問の価値が浸透しているとは言えない。
美浦で学んだ者が故郷で重宝されるようになればまた変わっていくのではないかと思っている。
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先住者関係は初期の殖産興業策がかなりはまっていて、滝野・ホムハルを中心にした交流網・流通網が確立し、活発に各地の産品がやり取りされている。
そんな中で美浦は原料を購入し製品に仕立てて販売する加工貿易のような立ち位置になっている。
流通を促進するため、塩本位制的な通貨擬きだった木簡を鉄製の硬貨に切り替えた。
穴あき小鉄貨が一円硬貨、小鉄貨が十円硬貨、穴あき中鉄貨が五十円硬貨、中鉄貨が百円硬貨、穴あき大鉄貨が五百円硬貨、大鉄貨が千円硬貨になる。
本当なら銅を使って銅貨にしたかったんだけど硬貨にできるほどの銅を得られていないので比較的豊富にある鉄を使った。
“直ぐに錆びる鉄で硬貨ってどうよ”と思うかもしれないが、古代中国では銅貨を押しのけて鉄貨が使われていた時期や地域もあるし、二十一世紀でも鉄貨を使っていた先進国もあるぐらい長い使用歴がある硬貨だったりする。
美浦製の鉄貨は鋳造した物を赤熱して高温水蒸気で表面に四酸化三鉄のコーティングをしているのである程度の耐食性はある。
鉄の表面を黒くする黒染め加工の一種ではあるが、美浦製硬貨はちゃんと正真正銘の黒錆の被膜を作っているので、鉄とタンニン酸の化合物で表面を黒く染めるお歯黒や黒インクと同じ原理の黒染め加工とは物が違う。
四酸化三鉄で黒染め加工した鉄は、学校や公園にある鉄棒とか道のマンホールの蓋がメンテナンスフリーでもそうそう錆びない事から分かると思うが、多少野外に放置されていても錆びる事は滅多にない。
鉄と四酸化三鉄は熱膨張率が異なるので何百度単位の温度の急変で剥離する事はあるし、研磨剤などでガリガリこすったら剥がれることはあるが、それ以外だと少々荒っぽい扱いをしても黒錆の被膜が剥がれることはまずないから結構な年月を耐えてくれるはず。
この鉄貨は黒っぽいので『黒鉄』とも呼ばれているが、“くろがね”と聞くと某スーパーロボットを思い出してしまうのは俺だけじゃない筈。
ですよね? 楠本さん。
◇
それから、現代の感覚からすれば異様に思うかもしれないが『座』を作った。
特定の者達に産品の製造や販売を独占させて棲み分けをさせる事で産業を保護して育成しようという事。
能動的に『座』を作ったのは第二世代の就職(?)を意識したあたりが切っ掛けだが、初期の殖産興業案の段階で集落毎に棲み分けできるようにしていたから大した手間ではなかった。
日本では、特権的に特定の産業を独占していた組織である『座』は、織田信長が大々的に行った事で有名な楽市楽座で力を失ったが、似たような組織は洋の東西を問わず存在した。
中世末から近世初頭に力を失った日本の座とは異なり、欧州では近代になっても力を維持していたという違いはあるが、一般名詞だとギルドやカルテル、固有名詞だとハンザ同盟などが日本の座と似たような性質の組織だと思っても大過はないだろう。
何故『座』のような組織が洋の東西を問わずにあったかというと、需要が少なかったり黎明期で需要を創生中の産業は“需給関係を統制する特権的な同業組合”である『座』が参入を規制しないとその産業そのものが立ち行かなくなる事もあるからで、逆に言えば『座』がある産業は社会に必須の産業として発展しやすいという側面もある。
例えば一軒のパン屋は二十世帯が買ってくれれば採算が取れるとした場合、百世帯ある街にはパン屋は最大で五軒しか存在できないし、四十世帯未満の街では一軒しか存在できない。
もしも四十世帯未満の街に二軒目のパン屋が開業したらどちらかが潰れるか共倒れになるが、仮に共倒れになりパン屋が無くなった街は、それはそれで困った事になるだろうが、下手すると“この街にパン屋なんか要らない”となりパン屋という産業自体の需要を失う事もありうる。
それが進めばパン屋自体がこの世に存在できなくなる。
だから、そうならないように権力者から特別の許可を得たパン屋ギルドが『当ギルドの構成員以外はパン屋をやってはいけない』とか『当ギルドの構成員以外はパンを焼いてはいけない』と参入を制限しているという事。
このような仕組みは権力者にもメリットはあって、上納金も嬉しいだろうけど、パンという生活必需品の供給が安定するというのも統治する上で絶大なメリットになる。
しかし、人口が増えて産業が発達していけば旺盛な需要ができてくるので、今度は新規参入を制限せずに自由競争で技術革新を競ったり需要を伸ばし合ったりした方が社会総体のメリットが大きくなるので、今度は参入障壁である『座』は悪しき存在になる。
自転車の補助輪は、自転車に乗れない子が練習する際にはこけにくくて怪我もしにくいなど良いことも多いが、自転車に乗れるようになると補助輪はある方が危険になる邪魔な存在になるように、社会や産業が未成熟なときは『座』はあった方がメリットも多いが、社会や産業が成熟するとデメリットの方が多くなる。
いつかは『座』の存在が邪魔になる時期がくるだろうけど、今は『座』があった方がメリットは多い。
◇
これらを支える交流網・流通網の確立には船着場や船舶、道路や荷車に牛車といった色々な苦労もあった。
牛車は牛の繁殖が軌道に乗ったから実現できた面もある。
ミヌエやハクバルが精力的に通常のテリトリー外まで出張って原牛の群れを捜索してくれたお陰でこれまでに六つの群れの捕獲と馴致ができた。
雄牛が六系統あればサイアーラインは維持できる可能性があるし、雌牛は三〇系統あるのでファミリーラインも結構維持できる筈。
まあ、そもそも血族だったという可能性もあるけど、考えないでおく。
陸の荷車や牛車は山雲組で造れるのでいいのだが、船に関しては今のところ美浦でしか造船はしていない。
美浦では『スケルトンファーストコンストラクション』といって竜骨や肋材といった躯体を先に造ってそこに外板を張り付ける造り方をしている。
この方法は様々な大きさや形状の船を造れるし、必要なら鋼鉄や繊維強化プラスチックなど強度の高い素材も使えて必要な強度を持たす事も容易になるので現代ではほぼ全ての船舶は『スケルトンファーストコンストラクション』で造船されている。
この『スケルトンファーストコンストラクション』は欧州では七世紀から十一世紀ぐらいから採られ始めた造船方法で、それまでは『シェルファーストコンストラクション』といって外殻が先に造られて必要に応じて補強材としてフレームが取り付けられる造船方法が採られていた。
『シェルファーストコンストラクション』の分かり易い例をだせば丸木舟で、丸太を削って船の形を造る、つまり外殻が先に造られる形態の造船方法という訳。
基本的に船舶は丸木舟から進化してきたので昔は『シェルファーストコンストラクション』しかなく、後から『スケルトンファーストコンストラクション』がでてきた。
だから沈没船などの船の遺物が『シェルファーストコンストラクション』か『スケルトンファーストコンストラクション』かというのは造船年代を区分けする大きな着眼点の一つだったりする。
ただ、美浦以外には海がないので船舶の必要性が低いという事情と技術的には『スケルトンファーストコンストラクション』の方が難度が高いというのも相まって他集落に技術転移はできていない。
◇
殖産興業の前提であり当初から腐心していた各集落の食糧生産も順調で稲作までこぎつけた。
安定した食糧が得られるようになって人口も増大しているが、今のところ食糧生産力の増大が人口増加を上回っているので『マルサスの罠』には陥っていない。
余剰生産物は備蓄させているのだが、それでも十一月の滝野交換市での米俵運びは健在だったりする。
ただねぇ……各集落から米俵を持ち込んで滝野の周りを練り歩いて米俵を持って帰るという訳が分からない行事になっていたりする。
あと、人口が増えたので元々は婚活パーティーであったムィウェカパは毎年開催になった。
開催場所は滝野で本質的な仕切りがホムハルというのは変わらないが、もはや別物と言っていいぐらい変容してしまった。
別に俺らが変えたわけではなく、ホムハルに任せていたら別物になった。
主な要因は交通インフラの整備によりこれまでと違って気軽に滝野に行き来できるようになったため、婚活当事者に限らず誰でも参加できるお祭りになったという事。
オープニングが『サッキヤルヴェン・ポルッカ』なのは変わらないが、次に演奏されるのは美恵さんが作詞して有栖が作曲した『織姫と豊彦』で、男女の舞が入るから舞曲になるのかな?
これって、元々は瑞穂祭の出し物をという学校の課題として出したやつなんだよな。
そして『織姫と豊彦』から発展して、今では集落ごとに演舞などを披露する場が用意されていたりして、婚活者そっちのけで盛り上がっていたりする。
ムィウェカパは以前は婚活が主で宴が従だったのが宴が主で婚活がついでに……
おまけ扱いに格下げされた婚活の方にも変化があって、男が狩りをして求婚相手に自分が獲った獲物をプレゼントしていたのだが、自分が獲った獲物ではなく美浦で繁殖させたニューハンプシャー種の生きた雌鶏をプレゼントするというものに変わってしまった。
確かに、元々“狩りができる”というアピールのための儀礼的なものではあったのだが、農耕の生産性が高まったため狩猟能力のアピールは完全に形骸化してしまっていて、何れは結納のような実用品より儀礼や縁起が主になる形になるんじゃないかと思っている。
そして、狩猟能力のアピールが不要となったため、男が一箇月間主催集落の狩り場を借りるという事もなくなり、ムィウェカパは米俵運びと合わせて十一月に開催される事に……
つまり、年内最終になる十一月の滝野交換市は、収穫祭であり、年頃の男女の出会いの場であり、冬支度の最終調達の場となった。
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文明というものを如何捉えるかだが、日本語の文明は英語のcivilizationの訳語として創造された物で、civilizationはラテン語の市民や都市に語源がある語なので、文明と都市を切り離すことは難しい。
つまり、都市を有する社会が文明と言ってもいいかもしれない。
それでは都市とは何かとなると、多くの人口を擁するとか人口密集地であるとか政治や経済の中心地とか色々あるだろうけど、根本的には商工業(第二次産業、第三次産業)が産業の主体となっている地域という事が要件になると思う。
そして『所得水準が高くなると労働力の比重が第一次産業で低下して第二次産業、第三次産業で増える』という経験則(ペティ=クラークの法則)と合わせて考えると、都市を擁するには所得水準が高い社会が必要と言える。
つまり『高い所得水準を背景とした豊かな生活を営める』という事が都市の延いては文明の要件とすることができるのではないだろうか。
“都市が発展し、交通網が発達して、科学技術が進歩し、学問や芸術が隆盛する”という比較的分かり易い文明の特徴を成せる社会の前提が『高い所得水準を背景とした豊かな生活を営める社会』という見方ができると思う。
所得水準が高いというのは何に基づけば良いか。
貨幣経済と賃金労働が浸透している現代では所得を物価で割ったものが所得水準になるのだろうが、幾ら鉄貨を使っていると言っても現状はそこまではいかないので、生活水準の指標の一つのエンゲル係数の考え方から見てみよう。
エンゲル係数は支出に占める食費の割合の事で、一般に生活が苦しくなると食費以外の支出ができなくなるのでエンゲル係数は高くなり、娯楽や教養に多く使えばエンゲル係数は低くなるのでエンゲル係数が低い方がゆとりがあり文化度が高いと考える事ができる。
もっとも、食にどれだけ拘るかというあたりも関係してくるし、同じエンゲル係数であっても貧乏人は一食百円以下で大富豪は一食何万円という事もあるから目安の一つにしかならない。
現状の支出を『食糧の消費、消費財や耐久財の取得、娯楽の享受など』としたら……おそらくだが、美浦のエンゲル係数は二割五分ぐらいで、先住者集落でも三割を切ると思う。
更に言えば、産品の製造や田畑の収穫などを収入に、食糧の備蓄を貯金と考えれば、美浦は収入の八割以上、先住者集落でも半分以上を貯金している事になるので十分に裕福な暮らしをしていると考えても良い。
先住者集落でも特産品の製造に専念する者(第二次産業の従事者)や、各地の産品の輸送や保管を生業にする流通業の走りのような事をする者(第三次産業の従事者)も出てきている。
このように考えれば、我々はある程度は文明化ができているのではないかと思うのだが……どうだろうか拉致犯よ。