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文明の濫觴  作者: 烏木
第10章 百折不撓
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第1話 災いは連れ立ってやってくる

全員の装備を確認して引き戸を開ける。

ゴーグル越しに見える外の世界は空も陸も全てが灰に蓋われている。

視程は五〇〇メートルあるかないかだが、それでも昨日の一〇メートル先も見えない状況に比べればマシになった方。


俺が生きている間には起きないんじゃないかと思っていた事態が起きてしまったようだ。

おそらくは鬼界カルデラ(になるであろう火山)が大噴火して六〇〇キロメートル以上離れた美浦にまで火山灰が到達したのだと思われる。


三日前に地鳴りのような音が聞こえ窓や戸が一斉にバタバタと揺れたのだが、これは噴火の爆音や衝撃波が伝播して起こる空振だったのだろう。


そして一昨日から降り始めた火山灰は大量で、既に一センチメートル近く積もっている。ちなみに、気象庁の降灰予報では一()()メートル以上積もることが予想されると『多量』という表現になるが、その十倍近くというところから如何に多いかが分かってもらえるだろうか。


災害対策の被害想定では、水田は降灰が〇.五()()メートルで一年は収穫が見込めず、畑でも二センチメートル積もったら同じく一年は収穫が見込めないという想定になっている。

だから、一センチメートル近く積もった現状では最低でも一年間は収穫がかなり厳しく最悪だとゼロになると覚悟しておいた方がよいぐらいで、致命傷レベルの大打撃と言っても過言ではない。


森林も一センチメートルを超えると被害がではじめて一〇センチメートルを超えると深刻な被害がではじめるから樹木も色々やられだしていると考えた方がよい。


雨が降っていないのが救いで、降雨中に降灰があると水を含んで重たくなった火山灰が付着するので樹木が火山灰の重みでひん曲がることもあり、一九七七年の有珠山の噴火では豪雨中に噴火したため森林の樹木が軒並みひん曲がる大惨事になり、その樹木の姿が未確認動物の死骸ではないかと話題に上ったニューネッシーに似ていたため、被災した山林を“ネッシー地帯”とも呼んだとか。

防災関係資料でネッシー地帯の写真を見たことがあるが……はじめはこれが樹木だとは理解できなかった。


そしてこれは美浦だけでなくあたり一面に火山灰が降り積もっているのだから先住者集落も似たようなことになるから空前の大ピンチである。


建物はこの程度の火山灰なら余裕で耐えられる。

通常の木造建造物では建物自体は何とか耐えられても火山灰が三〇センチメートルを超えて積もると屋根が抜ける恐れがあるし、湿潤状態の火山灰だと一〇センチメートルを超えると屋根が抜ける恐れがあるが、一センチメートルだったら大丈夫。

防災拠点のリンナや瑞穂学園校舎は特別頑丈に造ってあるので湿潤状態の火山灰が三〇センチメートルぐらい積もっても何とかなる。


しかし、最終的にどこまで積もるか読めないので降灰が小康状態になったから屋根から除灰した方が良いという事になった。

これは防災計画でも都度都度除灰する事になっているし、実際問題として大量に積もった火山灰を屋根から下ろすというのは、その行為自体がとても危険なので、可能なら例え少量でも都度都度下ろした方がよい。


運び出した道具を確認したら二人一組に分かれて担当エリアに向かい、担当エリアの屋根に梯子をかけて支えると息子が登っていく。


上に登った息子が作業を開始する旨の合図をしたけど“待て”とハンドサインを出して命綱を固定するようジェスチャーで伝える。

息子が命綱を固定したのを確認して“作業を開始してよい”と合図を出すと頷いた息子が屋根に積もった灰を掻き落としていく。


掻き落とされた火山灰が濛々(もうもう)と舞って視界が著しく悪化し、もはや梯子の上にいる息子が見えない。


ん? 梯子が叩かれている。

得物の交換か。

防塵マスクをしていて声も通りにくいからハンドサインなどを決めていたのだが、こうも視界不良だと無意味だった。



担当エリアの屋根の灰下ろしが一段落したので撤収。

匠と将司がグラウンドに積もっている火山灰を壺に入れているが、たぶんだけど、あれは『こうせい社――隕鉄を祀った神社っぽいもの――』に奉納して後世に残す積りなのだろう。


道具を片付けて、ブラシをかけたりバタバタして外套についた火山灰を落し、靴をサンダルに履き替えて靴を(はた)いて靴からも火山灰を取り除く。

洗濯場に入って外套を脱いで桶に入れ、ゴーグルを外して洗い、防塵マスクの紙フィルターを捨てて防塵マスク本体を洗う。


「はい、お疲れさん。風呂行くぞ」

「へーい」


風呂には俺らより早く仕事を終えた親父殿が湯舟に浸かっていた。


「お疲れ様です」

「おう、お疲れ」

「仕事早いっすね」

「雪下ろしと似とったからな。昔取った杵柄ってやつな。早う身体洗って入ってこいや」

「はーい」


髪を洗って身体も洗って……

落としたつもりでも結構な量の灰が残っていたな。

こりゃ終末処理場もダメージがあるかな?


「ノリちゃん、まだ降るかな?」

「おそらくは」

「年単位とかあるんけ?」

「自然相手なんであれですけど、何百キロも火山灰を飛ばす噴火はたいていは数日ぐらい、長くて半月程度の事が多いですね」

「ほったらこれで打ち止めっちゅうこともあり得るんか?」

「あり得ますけど、これは先触れで後から本番がくると思っていた方がいいと思います」

「……そうか」


陥没カルデラは大量の噴出物をだす大規模噴火であるプリニー式噴火などでマグマだまりに空間ができたところに岩盤が陥没することでできるのだが、岩盤が陥没するとまだ残っているマグマが陥没した岩盤と残っている岩盤の割目から一斉に噴き出す事がある。


そうなると火口が点状ではなく陥没部の縁のリング状の割目になるので噴出部が大きくなるし、陥没した岩盤がピストンのようにマグマを押し出すので、陥没部の大きさや残っているマグマの量によってはプリニー式噴火をはるかに上回るウルトラプリニー式噴火になる事がある。


ウルトラプリニー式噴火が巨大な陥没カルデラを造るのではなく、巨大な陥没カルデラができる際に時としてウルトラプリニー式噴火が起こると考えた方がよい。


このようにウルトラプリニー式噴火は二段階で起きると考えられていて、十九世紀初頭の『夏のない年』を引き起こしたタンボラ山の大噴火も複数回のプリニー式噴火の後に陥没に伴うウルトラプリニー式噴火が発生したのが記録から読み取れる。


おそらく今回の降灰は第一段階のプリニー式噴火によるものだと思われるから第二段階のウルトラプリニー式噴火が発生すると二〇センチメートルの降灰があっても不思議ではない。


それと、これが鬼界カルデラ噴火だとしたら陥没カルデラに大量の海水が流れ込むから津波も発生する。


もちろん、プリニー式噴火で終わってこれで打ち止めとか、陥没に伴う噴火の火口が少なかったり噴出量が少なくてプリニー式噴火で終わり第二段階に進まなければ似たような規模もしくは若干上回る程度で終わってくれる可能性もあるし、例え第二段階に進んでも風向きによっては降灰が少ないとか無いこともあり得るが、こういうときは最悪に備えておき、そうならなかったら無駄だった(空振り)ではなく訓練できた(素振り)と考えるべき。


「ノーちゃん、ノーちゃん、本番ってこれより酷いの?」

「十倍から二十倍ぐらい来ることを覚悟しておいた方がいい」


うちの子らは俺を『ノーちゃん』と呼ぶ。

ちなみに佐智恵は『さっちゃん』で美結は『みゆち』と呼ばれている。

父さん母さん系はややこしくなるので“まあいいか”ってところ。


俺がノーちゃんと呼ばれるのは一番上の有栖が俺をそう呼んでいたからで、下の子はみんな有栖に倣ってノーちゃんと呼ぶようになった。

しかし、ノーちゃんというのは某放送局の黒色のマスコットキャラを思い出してしまうし、何かしようとすると「ノー」と言う感じも受ける。俺は拒否権を乱発してミスター・ニエットと異名された外相じゃねぇし。

まあ、イントネーションが『(とう)ちゃん』と一緒なのが救いと言えば救い。


「うへぇ……今の段階でも田畑の復旧がご破算で頭痛いのに」

「元々今年は美浦平(みうらだいら)の作付けは大してでけへんのやさかい一緒や。立ち直った直後にこられるよりマシや思おた方がええで」

「……うん。おじぃの言う通りやわ」

「それと生き字引のノリちゃんが健在なうちに起きたんは不幸中の幸いやで。ノリちゃんならこれまでどんな復旧方法が採られたか知っとうやろ?」

「まあ、災害想定と復旧は都市計画の一角ですから。ただ、二〇センチも積もったら五年十年かかりますよ」

「せやから十年以上持つ備蓄があんやろ?」

「まあね」

「ノーちゃんから義智(トモ)兄貴(にぃ)に色々教えたって。僕も頑張るし。そういやおじぃ義悠(ヒサ)兄貴(にぃ)は?」

「もう上がったで。烏の行水やな」


昨秋に壊滅的被害を受けたのにこれだ。

災いは連れ立ってやってくる。

思い返せば異変の前兆は約一年前の夏に起こっていた。


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― 新着の感想 ―
[一言]  何というタイミング! ・・・変な話、トンガの前に発表されていたのは幸いでした。  
[良い点] 盛り上がってきました\(゜ロ\)(/ロ゜)/テンション上がる
[一言] とうとう来ましたか。
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