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文明の濫觴  作者: 烏木
第9章 濡れぬ先の傘
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第43話 春のある日

春の足音が聞こえてくる三月に入った休日の少し暖かな昼下がりに子供たちを連れてお散歩の真っ最中。


前向き抱っこ紐に座って揺られている結音(ゆいね)ちゃん、おんぶ紐で背負われていて俺の髪の毛を引っ張って遊んでいる義悠(よしひさ)ちゃん、俺の左手に装着した紐の先にある幼児用ハーネスを装着した義智(よしとも)ちゃん、フリーにしている有栖(ありす)ちゃんの四人を引き連れて……いや、義智ちゃんに引き連れられてあっちに行ったりこっちに行ったりしている。


ちなみに美浦に乳母車(ベビー・カー)はない。

ネックは軸受(ベアリング)で、蒸気機関などの回転軸を支える厳ついベアリングは何とか作ったけど、ベビー・カーのような軽量の物に付けられる軽量のベアリングは作れていない。


結音(ゆい)ちゃんも義悠(ひさ)ちゃんもすくすく育ってくれていて体重は十キログラム近くあるし、おんぶ紐や防寒着やらなんやらの重さを足せば二十数キログラムにはなるので、この重さを纏ってのお散歩は『これ何てトレーニング?』状態。


普段持ち運びしている建材やら何やらに比べれば軽いけど、建材は乗り心地の良し悪しに文句を言わないし、揺すったりして楽しませろという要求も言わない。

そして何より建材だったらいざという時には放り出してしまっても構わないが赤子だとそうはいかない。


なぜこんな状態になっているかというと、義智(トモ)ちゃんが“散歩”と言い出したのが発端。


美結は家畜の出産待機で休日も何もない状態で家にいないから佐智恵にトモちゃんの散歩の付き添いを頼んだのよ。

ユイ・ヒサの面倒も見ないといけないから手分けして子守りという意図だったんだけど、手が離せないとか言ってテキパキとトモちゃんにハーネス着けて俺におんぶ紐を二つ装着してユイ・ヒサをセットしやがったし、それを見て有栖ちゃんも“あたしも行く”と……


俺はね、四人同時は無理だって言ったんだよ。

この状態でトモちゃんが歩けなくなったらどうすんのさって。

そしたら、佐智恵は“脇に抱えればいい”と言い放ちやがった。


佐智恵に言いたい事はあるけど、ユイちゃんはお散歩楽しみモードに入ってしまったし、ヒサちゃんは目の前に遊び道具があるモードで俺の髪の毛を引っ張って遊びだすし、ハーネス装着=お外ワクワクモードのトモちゃんと、トモちゃんに靴を履かせるお姉ちゃんモードが炸裂中の有栖ちゃんという図が展開されたら……グダグダ言っていても仕方が無い。

俺は家を空ける事が多いから、俺が子供たちとふれ合う機会を積極的に増やしてくれていると好意的に解釈しよう。


トモちゃんは好奇心旺盛な一歳八箇月の幼児の本領を発揮してあっちにフラフラこっちにフラフラしながらしているが、美浦――というとあれだけど瑞穂会館とかがある中央部――に向かっている。

造成地から里川への下り口のところで暫く逡巡していたトモちゃんがこっちを向いて“ん!”といって両手を挙げる。

これは抱っこして下せって事だろうけど……


「トモちゃ……ん、手!」


有栖ちゃんがトモちゃんに手を差し出す。


有栖ちゃんは“○○ちゃん”の“ちゃん”が“ちゃ”になっていたのだが、これまで特に言い直しをさせる事はしなかった。

これは、言葉や発声の理解は物心がついてから追々やれば良いのであって、幼児の段階で一々訂正して話す事への自信をなくさせる必要を感じなかったから。

最近では周りは“ちゃん”と発声しているのに自分は“ちゃ”と発声している事に気付いて、ちゃんと“ちゃん”と発声しようとしているが、言い慣れた“ちゃ”がでてくる事も多い。


それはともかく、有栖ちゃんはトモちゃんの手を引いて九十九折にしているスロープに誘導していてトモちゃんも素直にスロープを下りようとしてくれている。


造成地の法面の斜度は約一五度(勾配だと約二七パーセント)なので、そのまま坂道にしたらかなりキツイ急坂になる。

そのため、勾配五パーセント(斜度三度弱)のスロープを九十九折にして設けている。

そうじゃないと(勾配一〇〇パーセント(斜度四五度)でも登れる)多目的動力装置のモグちゃん号や蜘蛛の糸号はともかく他の車両は通行するのは不可能ではないにしても少々キツイ。


とはいえ、直線にしても大した長さじゃないので真っ直ぐな道も用意しているし階段も設けている。

徒歩だと九十九折のスロープをグニグニ通るより真っ直ぐ突っ切った方が手っ取り早いので階段の利用率は悪くない。

それと直線の坂道の方は、誰とは言わないが『心臓破りの坂』としてトレーニングに使っているもよう。


ただ、車両だとキツイ斜度一五度の急斜面であっても、これを階段にすると()()()()上り下りがしにくい代物になる。

子供を含む不特定多数の人が利用する公共の階段の多くは利用しやすさと安全面から斜度三〇度から三五度ぐらいで造られている事が多いし、大人しか使う事を想定していない場所や住宅の階段だと四〇度を超えている例も多い。(斜度が大きくなると省スペースになってコストを抑えるというメリットもある)

実は斜度一五度で階段を造ると、自然歩道とかハイキングコースなどに偶にあるような、踏面(ふみづら)(階段の水平になっている部分)が長くて次の一歩で次の段にいけずに片方の足ばっかりで上る羽目になるとか、蹴上(けあげ)(段の高さ)が低くて小刻みにしょうもない高さの段をチマチマ……という感じの階段になる。

使いやすさを考えると階段は斜面より急角度にしないといけないので踊り場を多くとって対処している。


ただ、その“使いやすい”の下限は児童なので、当然ながら幼児の義智には使い辛い。

それを踏まえて自分が普段使う階段ではなくスロープを選んだ有栖ちゃんは偉い。



スロープを下っていると瑞穂会館、各種工房、田畑、牧場、それと解体中の出端屋敷が目に入る。


解体中の出端屋敷は美浦で最初に建てた建物で、出端屋敷を取っ掛かりにして色々やってきたので、ある意味では出端屋敷は美浦の揺り籠だったと思う。そしてその揺り籠は役目を終えて取り壊されている。


次の春分を迎えるとここに拉致られてから七年が経過した事になる。

現代日本での暮らしとは比べるまでもないが、この七年間で多少はそれっぽい真似事まで持ってくる事ができた。


そうはいっても、実際の余命がどれだけあるかは知らないが、人生七十年時代でもその十分の一を費やされてしまったわけで、腹立たしさが無いわけではない。


美浦の活動は当初の『何とか衣食住を確保する』から『衣食住の質を向上させる』を経て、最近では『不測の事態に備える』にまで発展できたとは思う。


転ばぬ先の杖で不測の事態に備える事に関して言えば、他所から見ると杖ではなくて歩行器並みに転倒しないと思われるかもしれないが、いつかは起きるであろう事態である以上は備えるし、その備えが継続するよう努めるのは当然の話。


全てにおいて万全という事はあり得ないが、造成地への移住が完了すれば南海トラフ巨大地震とそれに伴う巨大津波や鬼界カルデラの破局噴火による津波や降灰や数年に及ぶであろう異常気象にもある程度は耐えられると思っている。

後は、この備えを次代以降にも伝えていくという事になるが心配な事はある。


それは医療に関してはどうにもならないという事。

例え知識があっても、物資がそれを許さないし、物によっては技術が伴わない。


例えば、小児にも処方できる一般的な解熱鎮痛剤のアセトアミノフェンは、現代日本で適切な試薬と実験環境があれば佐智恵や雪月花なら合成できるだろうが、美浦で合成しろと言われても現時点では――おそらく俺が生きているうちには――無理だし、技術でいえば外科手術を誰ができると?


現状の美浦で合成や精製ができる医薬品もないではないし効果がある和漢薬の採取や加工もできる物もあるが、現代日本の医療水準はもちろんの事としても明治時代の医療水準と比べてもお粗末に過ぎるレベルでしかない。


この乏しい医療体制のなかでも特に感染症対策は非常に厳しい。


感染症には疫病として歴史に残っているだけでも、天然痘、麻疹(はしか)風疹(三日ばしか)黒死病(ペスト)など枚挙に暇がないし、他にも致命的な感染症や狂暴な感染症はいくらでもある。


感染症への対策は、第一に病原体との接触を防ぐ『封じ込め』がある。

病原体を自分達の活動圏に入れなければ病原体と接触しないので感染もしない。


ヒトからヒトへの伝染性がある感染症の病原体の多くは人の流れによって広がるので活動圏が交わらなければ感染が広がる事は少ない。


大航海時代以前は、南北アメリカ大陸、アフリカ・ユーラシア大陸、オーストラリア大陸の間の人流はほとんど無かったので、それぞれの大陸でのみ流行していた感染症はあったが他の大陸にまで流行が広がる感染症はそれほど多くは無かった。


それと、同じ大陸の中でも交通インフラが発達していない時代だと特定の地域にしか感染が広がらずその地域独特の風土病とされた感染症もある。


これらは自分達の活動圏外の伝染病を自分達の活動圏に入れないという意味では『封じ込め』といえる。


また、既存の活動圏から自分を隔離して流行中の伝染病から逃れるという手もある。

デカメロンはペストから逃れるために引き籠った十人が退屈しのぎに十話ずつ物語を語るという設定(?)の全百話の物語集だが、疫病から逃れるために引き籠るというのも病原体と自分を切り離すという意味では封じ込めと同じ効果がある。


しかし、どんな感染症でも簡単に封じ込められるならこの世に疫病は存在しない。


なので、感染症対策の切り札となるのがワクチン。

ワクチンで流行を抑制できたり根絶できた感染症は存在しても、ワクチンなしで抑制できたり根絶できた感染症は知らない。

もしかしたらあるのかもしれないが、少なくとも俺は知らない。


しかし、ここにはワクチンはない。


一応はね、ワクチンの作り方の概略は知っているよ。

でも、それはロケットの基本的な作動原理とか概略を知っているからといってロケットを作れる訳ではないのと同じで、ワクチンの作り方の概略を知っていてもワクチンは作れない。

そして俺が生きている間に何らかのワクチンが作れるとも思わない。


だから現代日本ではワクチン接種が進んだり治療法が確立したり弱毒化したりして過去の感染症となった感染症も美浦ではというかこの世界では猛威を振るう事だろう。


もうね、公衆衛生や衛生管理をしっかり植え付けるぐらいしか対策がない。

“ぐらいしか対策がない”とは言っても捨てたものではなくて『食事の前とトイレの後は手を洗え』という教義の宗教をでっち上げて広めようかと思う程度には効果はある。


■■■


トモちゃんに連れられてあっちこっち回ったが、一休みできる場所にたどり着いた。


ヒサ・ユイが揃って“あー”と声を出して手足をバタバタさせたその場所は秋川家の住居。


ヒサちゃんは親父殿に、ユイちゃんはお義母さんに抱っこされ、俺は解放された……訳ではなく、トモちゃんに抱きつかれている。


歩き疲れたからヒサ・ユイをどかすためにここに来たんだね。


「そういや、新しい家は台所があるって話やけど飯の用意は各自になるんか?」

「個人的にはそろそろ各自でもいいとは思っていますが、今の形態が良いというのが大勢なら今のままでも。台所を設置するのは今だとお茶を淹れたりミルクを温めるのも“一々会館に行かないと”というのをやめたいからです」

「やが、薪がもったいない気がすんやが」

「火はアルコールコンロの予定です。燃料用アルコールは確保できる見通しが立ちましたし」

「ほうが、春馬がやっとったんが上手くいったか」

「ええ。マジで助かってます」

「……そういやブラジルはガソリン車をアルコールで動かしてなかったか? 上手くいけば動くんか?」

「……難しいです。アルコールはアルミを溶かすんで燃料系にアルミがあるとアウトですし、ガソリンとアルコールだと熱量がかなり違うんで」

「ああ、アルコール用に改造したとかアルコール用に設計したって奴か」

「です」


あっ、トモちゃんが寝てる。

どうしようか……


「夕飯までここで休んでたらいいさ」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」


うん。平和だな。

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