第40話 瑞穂基礎学校
瑞穂暦七年が終わり、八回目の年明けを迎えた。
奈緒美は例によって例のごとく酒造に勤しんでいる。
ちったぁ勇雄ちゃんにかまえよと思わなくもないが、そうすると勇雄ちゃんを負ぶって酒造し兼ねないから言わない。
まあ、俺も有栖、義智、義悠、結音に十分かまえているかと言われると辛いところはある。
それは兎も角として、新春行事が終われば新学年である。
当初は四月入学だと直後にバタバタするから変えようとは考えていた。
しかし、田植え後は暑くて勉強にならないし、欧米では普通である九月や十月だと稲刈りだなんだで状況は変わらない。
それら秋の行事が終わってとなると直ぐに年末になるので、暦の年と学年度を一致させればいいじゃんという事になった。
秋入学ではなく年明け入学なら瑞穂基礎学校の設備がほぼ間に合うというのも好都合だし。
◇
「和広くん、江理さん、有栖さん。入学おめでとうございます」
今年度は予定通りになるかはあれだが、三人を基礎学校に入学させる。
保育園からは卒業して次のステップに入ったことに自覚があるのか三人とも良い顔だ。
「史郎くん、宣幸くん、美恵さんは今日から五年生です」
「はい」
良い返事だ。
下の三人はこの辺りはまだこれから。
「新しい校舎ですから今日は校舎の案内をします。よく覚えてくださいね」
「はい」
おっ、今度は下の三人もいい返事だ。
「では最初に教室から。この窓は紙でできています。態と破いたりしたら直してもらいますからね。紙を漉くところから」
「げぇ」
うん、上の三人は社会学習で紙漉をしたことがあるから大変さが分かっているようだ。
本当は酢酸セルロース製の透明フィルムを使いたかったんだけど、アセチルセルロースは用途が一杯あるけど製造量が限られているので校舎の窓用は後回し。
仕方が無いから明障子を窓に使っている。
実は明障子は家にはあまり使っていない。
理由は簡単で、猫が破くから。
今はまだ出来立てで猫ちゃんもおっかなびっくりという感じで校舎というか造成地を遠巻きにしているけど、やってくるのは時間の問題だからそれまでに何とかフィルム製にしたい。
「次にこの扉ですが、左側の扉は強くぶつかったら真ん中が外れますので注意してください」
引違い戸の扉の中央部は填め込みにして強く叩くと外れるようにしている。
扉が動かなくなった時に脱出できるように内側からも外側からも向かって左側の扉は叩けば外れて出入りできるように作っている。
いずれ避難訓練か何かで外す経験もさせる事を考えている。
一度でもやった事があるのとないのとでは、いざという時に違いがでるし、子供の力で外せるのかの点検にもなる。
◇
この教室は廊下の突き当りにあり、廊下に出ると正面には玄関がある。
この校舎の廊下は中廊下型といって廊下の左右に部屋がある形態をとっていて廊下の左右には二つずつ部屋がある。
「右側の手前は屋内の遊び場です。奥の玄関に近い方は保育室になるからお兄ちゃんお姉ちゃんとしてしっかりね」
南側にあたる二部屋は一つが保育室で、もう一つは予備の教室。
二年後には上の三人は七年生になり前期中等教育になるので――もうそれに相当する事をやっているじゃないかという突っ込みは要らない――流石に他のメンバーにも参画してもらう。
その為の予備の教室。
まあ、当面の間は屋内遊戯室だけど。
「左側は本の部屋です。今はほんの少ししか本がないから面白くも何ともないとは思うけど、ノリちゃんかユヅ姉ちゃんに言ってくれたら入れるからね」
北側の二部屋は……個人的には書庫と言いたい。
言いたいのだが、蔵書がほとんどない状態なので物置というか物品庫にしか見えない。
個人的には二つの八畳間を書籍が詰まった書架で埋め尽くしたい。
だけど、収蔵効率の悪い固定書架でも平米あたり二五〇冊から四〇〇冊ぐらい収蔵できるので、八畳間一つで三,〇〇〇冊から五,〇〇〇冊収蔵できる計算になる。
二部屋だと少なく見積もって六,〇〇〇冊だけど、月に一冊作っても五〇〇年掛かるから無理。
まあ、生きている間に一部屋の一割でも埋めれたらいいなぁ……
「トイレは玄関の脇にありますからね」
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瑞穂基礎学校の校舎は避難所を兼ねているというか出発点は避難所なので、耐震性をはじめとした十分な強度を持たすために矢鱈と壁があるし窓や出入り口といった開口部が小さいし開口部の数も少ない構造になっている。
開口部が少なくて小さいという事は光が入りにくいという事だが、教室には十分な光が入るようにしないといけないので採光との兼ね合いには本当に苦労した。
木造枠組壁工法(ツー・バイ・フォー工法とも)が耐震性などに優れると聞いた事があると思う。
建物を柱と梁という線で支える在来工法とも木造軸組工法とも呼ばれる工法に対して、木造枠組壁工法は構造材で作られた壁や床という面で建物を支えるので(間取りなどに制約はあるが)強度や気密などに優れる。
この事は阪神淡路大震災で多くの木造建築物が倒壊したにも拘らず木造枠組壁工法のほとんどが震度七を耐えた事でも証明されている。
では在来工法では震度七を耐えるのは無理なのかというと実はそうではない。
阪神淡路大震災で倒壊を免れた木造建築物は木造枠組壁工法だけではなく、在来工法の三階建てもその多くは倒壊を免れている。
平屋や二階建てより条件が悪い筈の三階建てが耐え抜いて、周りの条件が良い筈の平屋や二階建てがバタバタと倒壊しているという光景があちらこちらに見られた。
これは三階建てが“実は条件が良かった”というものではなく、構造計算をしていたか否かという事が大きい。
構造計算書などで建てようとしている建築物が必要とする強度を持っている事を示さないと建築確認申請ができないし、それを公的機関が審査して十分な強度があると確認されて初めて建築できるようになる。
これが本則というか建前。
なぜ建前なのかというと、大部分の建築物は一般の二階建て住宅なのでここをショートカットするから。
一般の平屋や二階建ての住宅のような小規模な建築物を四号建築物と言うのだが、慣例的な事情や建築数があまりにも多いとか倒壊したときの影響が小さいことなどから、建築士が設計した四号建築物の建築確認申請では四号特例といってかなり簡略化されている。
要は『四号建築物の設計ができると都道府県(二級建築士や木造建築士など)や国(一級建築士など)が認めた建築士が設計した建築物なんだから簡単なチェックで十分だよね』という理屈。
そして重要なポイントが、手続きが簡素化されている四号特例では構造計算書ではなく壁量計算書でよい事になっている。
実は一般の住宅の規模でも構造計算書を作るとなると紙に出すと二百ページぐらいの冊子になるし費用だって十数万円はかかるのに対して、壁量計算書は極論を言えば図面を見て耐力壁の数を数えるだけの素人でもできる簡単なお仕事で出来上がりも紙一枚だし費用も掛からない。
だから四号特例を使う場合はほとんどが構造計算をせずに壁量計算書で提出される。
四号特例では構造計算書などを使って公的機関が建築物の強度などの審査や確認をするのを省略する代わりに、設計者や建築者が建築物の強度などに責任を持つことになってはいる。
ただ、設計に問題があると裁判などで証明するのはとても難しいし、仮に設計に問題があるとなってもその時には既に廃業していたりして責任の追求先がないとかもざらにある。
しかし、三階建て住宅は四号建築物ではないので四号特例は使えず、構造計算をして建築確認申請をして公的機関の審査を経てから建築されるから阪神淡路大震災の震度七にも耐えられた。
つまり、構造計算をちゃんとやったら在来工法でも十分な耐震性などを持たす事は可能という事。
◇
必要な強度を持っているかは構造計算をする必要があるが、構造計算書は少なくとも一級建築士でないと作成できないし、更に一定以上の規模の建築物になると一級建築士の上位資格である構造設計一級建築士が作成または監修したものでないと構造計算書とは認められないなど、非常に専門性が高く複雑で高度な計算が必要なのが構造計算である。
なので、実は俺も匠もちゃんとした構造計算はできない。
しかし、建築物の強度を出す理屈は知っているので、震度七でも主要構造物に被害がでないような建築物になっているとは考えている。
実は構造計算はどこまでコストを低くおさえて建築できるかという側面が大きい。
鋼鉄のような強度の高い部材を使って、耐力壁という建築物の変形を防ぐ能力を持つ壁をできるだけ多く配置し、建築物の重心と剛心(建物の強度の中心)の隔たりである偏心率を限りなくゼロに近付ければ建築物の強度は出る。
しかし、そういうものは建築コストがかかるし、間取りも制限されるなど利便性も落ちる。
つまり、必要な強度を持ちながら“どこまで建築コストを下げられるか”や“利便性を実現できるか”というのが一級建築士の腕の見せ所という訳だ。
中には“低コストに建築できる設計”を売りにしてゴニョゴニョしちゃったのもいたけど……
正確な構造計算ができない俺や匠では、どこまで削って大丈夫なのかに自信が持てないので、ギリギリは狙わずに“いくら何でもここまでやれば大丈夫”という水準にしている。
だから利便性を犠牲にしてでも耐力壁を配置しているし、建物や部屋の配置や大きさにも注文がついている。
震度七の地震が起きても猛烈な勢力の台風が来てもこの建物だけは無事に残るって事がコンセプトなので、行き届かないところも多々あるとは思うけど勘弁してください。




