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文明の濫觴  作者: 烏木
第9章 濡れぬ先の傘
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第38話 圃場面積と備蓄

長岡さんの話の続きは必要な水田の面積だった。


昨冬に取水施設と水洗便所、浄化槽を設置した上の口では、水が潤沢に使えるようになったので来年から水田を目論んでいるとの事。

水を汲んでくるのが大変だったから稲作は諦めていたのだが、取水施設と水路によって川と田んぼが繋がった以上は“米が欲しい”となるのは致し方あるまい。

そしてどれぐらいの面積を田んぼにすればいいかを聞きたいらしい。


「元々の考え方として、一人が一年で消費する米の量が一石、一石の米が採れる面積が一反。ただ、それだと時代や場所によって一反の面積が変わるから面積を先に固定して収穫量に応じて上田(じょうでん)中田(ちゅうでん)下田(げでん)など石盛を掛けて石高にする。今の一反、三〇〇坪という面積は太閤検地の物がベース。これで合ってるよね」

「ええ、そうです」

「上の口は十七人だから二〇反もあればいける。これはどう?」

「良い線をついているとは思いますが、それで十分かと言われるとそうは問屋が卸しません。おそらくですが、現状だとその倍、下手すると三倍ぐらいは要るかと。江戸後期のモデルケースですが、一人当たり水田一,〇〇〇坪、約三.三反にプラスして畑ですね。税でどれぐらい取られるのかや、反収がどれぐらいあるのかにも拠りますが、参考になると思います」

「税で三分の一持って行かれるとすると一人二反はないと厳しいという計算か」

「反収が高ければ……昭和の終わりごろ以降の反収五〇〇キロ超えとかなら一人一反でも十分とは思いますが、当時の反収を二〇〇キロと仮定すると妥当な範囲かと。そちらの反収はどれぐらいでした?」

「…………確か一人頭四升だから(うち)の割り当てが二〇升? 何キロになるかは」

「一升が一.五キロぐらいですから一人六キロですね…………単純計算だと反収八〇キロ切ります。一石の玄米の重さが一五〇キロぐらいですから、一人が一年で食べる米を採るだけでも二反程度は要りますね」


確か、当時の水田は四反ほどで住人は五十人ぐらい。

きちんと頭割りされて一人頭六キログラムだと仮定すると総収穫量は掛ける五〇で三〇〇キログラムで、これを四反で割ると反収は七五キログラムでしかない。

奈緒美からの情報だと反収一五〇キログラム程度は見込める筈だから総収穫量は六〇〇キログラムぐらいあっても不思議じゃないのに三〇〇キログラム。

そうなるとWCが半分ガメていた計算になるかな?

好意的に捉えると半分は備蓄したとかあるかもしれないが、まあ、どうでもいい。


「諸々考えると一人当たり三から五反ぐらいか……ここの反収は幾らぐらい?」

「今年は平均すると二五〇キロぐらいです」

「二五〇(キログラム/反)掛ける一二〇(反)……約三〇トン?」

「それぐらいです」


親父殿の提唱した下田(げでん)の冬季湛水は今のところ順調に推移していて最低到達点の反収一二〇キログラムはもとより、親父殿の“今と同等以上の収穫が見込める”という目論見の反収一五〇キログラムさえ超えて、反収一八〇キログラム近くに達した。


また株間を三〇センチメートルに縮めて単位面積当たりの株数を増やした上田(じょうでん)は現代日本の六割ぐらいにあたる反収三三〇キログラムに迫る勢いになっていて、来年からは株間だけでなく条間も三〇センチメートルに縮めて反収を上げる事を検討している。


条間を変えるには田植え()の筒と筒の幅を変更しないといけないから上田と下田で田植え器を分けるか筒と筒の幅(条間)を変更(もしくは交換)できるような改造が必要になる。


「凄いねぇ」

「プロが六年かけて圃場を整備してプロが栽培しましたから。話を戻して栽培面積ですが、全て人力ですから農作業上の限界も考慮しないといけません。その道一筋の江戸時代の農家でも一家で二町歩あたりが限度に近いんですから、欲張らずに先ずは一家族五反から十反ぐらいで様子見する事をお勧めします」

「ああ、そっちのボトルネックがあったか」

「はじめに全体で二〇反を良い線と言ったのは一家族五反なので農作業上の限界からみて妥当だろうという事です。一家族十反、四家族で四町歩までいってちゃんと栽培できれば税はありませんから十中八九大丈夫です」

「なるほど」

「私は農法は専門外なので、どれぐらいまでいけるかは早乙女や秋川の親父さんに聞く事をお勧めします」

「うん、そうさせてもらう。ありがとう」


どこに圃場や用水路を設置するかといった都市計画的な面だったら昨冬に水路整備したときの基本図擬きがあるからアドバイスはできるが、営農方法については奈緒美や秋川家といった専門家に聞く方がよい。


それと奈緒美と文昭は以前にキャンプ場で水田造りの指導をした筈なので水田の造り方もそっちにお聞きください。


■■■


仮に反収一五〇キログラムなら税を取られないなら一家族五反あれば文字通りの主食にしてもお釣りがくるし、一町歩あれば余剰分を丸々備蓄したら年単位で持つ量になる。


中国では隋の時代(日本だと古墳時代末期)には義倉といって非常時に備えて穀類を備蓄する制度があったように、米や麦といった穀類は保存性が非常に高く、食味などは兎も角として食糧にできるという水準なら常温でも数年ぐらいは保存できる。

だから稲作ができるようになると非常事態に対する耐性が高くなる……筈。だといいな。


人類史を見れば、食糧が増えるのと似たような割合で人口が増えてきたようなので、不確実な未来に備えて貯めるよりもあればあるだけ消費してしまうという実態がある。

これらの傍証は古くはマルサスの人口論、現代ではアフリカの人口増など枚挙に暇がない。


なので、実は備蓄を積み立てるというのは簡単ではなく、寛政の改革で諸大名に命じた囲米は一万石ごとに五十石で、これは大雑把に言えば収穫高の〇.五パーセントでしかなく、平年と同じ消費量だと二日分にもならない。

平成米騒動を経た日本政府の備蓄米も平時の一箇月半の分量である一〇〇万トンでしかない。(発足時は一五〇万トン、最大時には二〇〇万トンだったがコストが嵩むので一〇〇万トンに削減されている)


それにちゃんと備蓄できたとしても、備蓄というのは資産でもあるので公的な備蓄は不正の温床でもあるし、時の政権が接収・流用することもある。

明治政府も寛政の改革で作られた七分積金などを運営していた江戸町会(まちかい)所の後身である東京会議所の備蓄(積立金)を接収している。

もっとも接収された積立金は市役所や警察署、商法講習所(一橋大学の前身)など社会インフラの整備に使われているし、備蓄不足で問題が起きたとは聞いていないので接収の是非については難しい。


備蓄と資産の有効活用は相反するものがあり、そういう意味では必要性は理解しつつも長年に渡って安定的に運用するのが難しいのが備蓄制度なのかもしれない。


しかし、そもそも長期保存が厳しい作物だと備蓄も何もないので、稲作が始まれば上の口も不測の事態に備える備蓄のスタートラインには立てることになる。


どの程度を備蓄するかは彼ら次第だが、恐らくは美浦のような数年分の備蓄という正気を疑う量にはならないだろう。


その美浦では備蓄米の入れ替えで今のところ毎年一〇トンの備蓄米がお役御免になる。

もっとも毎年一〇トンを備蓄して三年更新というスタイルは当初の人口で五年分だったのだが、人口も増えているし五年ではなく十年にしたいので十五トン五年更新に修正することが検討されている。


そのお役御免になる一〇トンの備蓄米は現在のところ大部分が肥料や飼料に化けている。


鶏の飼料にもしているので黄身の色が薄くなって……もっとも黄身の色と食味や栄養分はほとんど関係がないのでほぼ見栄えだけの話。

鶏卵の黄身の色は食物由来の色素が大きな影響を与えるのでトウモロコシやパプリカなど黄色や赤色の餌を与えると鮮やかな色になるが、色素に乏しい米だとくすんだ薄黄色になりがちになる。

これは鶏卵に限らず魚卵でもそうで、鮭の卵(イクラ)が赤いのは鮭が海老や蟹などの甲殻類を多く食べて甲殻類の殻の色素が卵に移っているからで、甲殻類が乏しい川で育った鱒の卵は黄色になる。


それと、奈緒美から押し付けられた春馬くんが廃用米や屑米を醸造して燃料用アルコールの作成もしている。

現状では大した規模ではないので使用量は極一部でしかないが、将来的には廃用米の消費先の主力を担う事を期待されている。


佐智恵は乾留して炭化させてから合成ガス(一酸化炭素と水素からなる可燃性ガス:シンガス・水性ガスとも)を作ってフィッシャー()トロプシュ()法で炭化水素(液体燃料)を合成するという野心的な案を出しているが色々と障壁があって具体化はしていない。



米の話題繋がりだが、『籾遺の儀』とその周辺行事について匠が詳細なマニュアル類を作っていて今年はそのマニュアル類に則って執り行われた。

実は詳細な内容の資料がないとあっという間に失伝するのでそうしている。


そんな簡単に失伝するのかと思われるかもしれないが、実例を知っているだけに“あっけなく失伝する”と答える。

諸事情があって二十年以上続いていた子供会の行事が二年連続で中止になったのだが、その間に役員の入れ替わりと口伝部分の失伝でやり方が分からなくなり、社会情勢がどうのこうのと言い訳はしていたそうだけどそれ以降は開催されなくなった。

兄貴や義姉は参加できた行事だが俺や匠や佐智恵の世代以降は行事そのものが無くなってしまったのだ。


この例は“責任も報酬もないことだから”とも言えるが、全国的な知名度がある伝統ある祭事でも檀家や氏子の手弁当で成り立っている事も多いので、“責任も報酬もないことだから”無くなっても良いとは言い難い。


他にも様々な理由で口伝が用いられている局面もあるだろうが、伝授する前に亡くなったりすると簡単に失伝してしまうし、伝言ゲームを思えば代々伝わっているといっても当初と同じであるとは証明できないし、下手すると似ても似つかないものに変容してしまっている可能性だって十分にある。

変わる事は必ずしも否定される事ではなく、世相に合わせて変わっていくのは世の常ではあるが、因習にならない範囲で伝統があっても良いとは思う。


一度途絶えたものを復活させるのはかなり難度が高く、かつて見聞きした事がある者の記憶や僅かな記録に頼って復活させてもそれが以前のものと同じものなのかは検証できず神のみぞ知るという状態になるが、詳細な記録が残っているとそもそも失伝しにくいし、失伝したとしても復活させる難度は詳細記録が無い場合と比較するとかなり低くなる。


そうはいっても詳細を書き記した資料が失われてしまったら同じなので、本来であれば写本や印刷で複製(バックアップ)を作って分散保管するのが適切なのだろうが、現状では原本(オリジナル)を収蔵する図書館もない。


PCのHDDがお亡くなりになりました。

次回の更新はちょっと難しいかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 味を捨てて備蓄米は窒素肥料足しまくって収穫量増やすV字型施肥で、常食米はへの字型施肥で美味さを追求すれば良いんじゃないかとは思う。 江戸時代には肥料足して反収3石もあるので備蓄米は味を捨てて…
[一言] 記録の重要性の話の回で HDD破損の報告とは何という偶然… もしかして破損したからこの回ができたとかではないですよね?
[一言] (‐人‐)壊れたのか……南無南無
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