第34話 ムィウェカパ前夜
八月の交換市に合わせて婚活パーティーの男性参加者五名が滝野にやってきた。
二年前の前回は男女十五名ずつだったが、これは前々回が流会になって四年ぶりだったのと余剰人員の大放出が合わさってこの人数になったのであって、元々はこれぐらいが平常運転らしい。
当面はこれぐらいの人数で落ち着くと思うが、五年後十年後は分からない。
先住者集落では夭逝する子も珍しくないのだが、美浦との交流が生じて『米俵運び』などで(特に冬場の)食糧事情が良くなった事に反比例するように死亡率が下がってきている。
これがどういう影響を及ぼすかというと、これまでは成人するまでに亡くなっていた者が生き残って成人できるということになるので、参加人数は微増していき、美浦との交流後に産まれた世代が成人するころには倍増していてもおかしくはない。
今は参加人数が揃わないから二年ごとの実施だが、どこかで毎年開催になるかもしれない。
今回はプレエントリーでは男性三名・女性五名だったのだが、色々と調整が入って五名ずつという感じ。
この集落間調整は元々ムィウェカパを主催していたホムハルにお任せした。
美浦の役割は、基本的には居留地と狩場の提供というムィウェカパを実施するにあたって必要となるコストの負担をすることでムィウェカパの場を提供することであって、参加者の事前調整など個別の集落や集落間の事情に関与したり取り持ったりといった事は“これまで通り”が通用する間はこれまで通りホムハルに担ってもらう。
それは向こうも分かっているようで、前々回の交換市からホムハルの次期指導者と目されるテミさんの夫であるエクさんを中心にホムハルの男衆の多くが滝野に出張ってあれこれやっていた。
漏れ聞いた話だと、この手の集落間調整をエクさんをはじめとした男衆が仕切るのはお初だそうで、色々と苦労しているようではあった。
これまではホムハルが中心地だから何かあると他集落はホムハルに来て協議するため、ホムハルは指導者が決めればそれで十分で、外交担当としての男衆の出番はなかった。
加えて当代のテウ女史は能力が高く更に長期政権だったため特にそうで、何でもかんでもテウ女史の判断に頼っていたのだと思う。
しかし、成人(既婚)女性が他集落に赴く事がほぼあり得ないという彼らの文化風習からして滝野だとテウ女史が出てきて調整ということは色々な意味でできない。
それに、ホムハル以外の集落では外交や通商は男衆が担っているように今後はホムハルも男衆に外交(集落間調整)などをさせなければならないとテウ女史は考えたのだろう。
次期指導者の夫君であれば名目も立つし、よしんば失敗しても美浦のフォローがあると読み切って、婿殿を千尋の谷に落したとみる。
テウ女史は、他集落を集結させてオリノコに使節団を派遣したことやムィウェカパを滝野開催と言い出したタイミングなどを考えると、詰将棋のように相手に対応せざるを得ない状況に追い込んで対応させるのに長けていると思う。
これらの策謀はちゃんと相手を選ばないと成立しない手法だから、少ない情報から俺や俺らの性格を推測して策を練ったのだろう。中々の策士だと俺は高評価している。
千尋の谷に落とされたエクさんからアドバイスを求められたが、何事も経験だから俺は毒にも薬にもならない事しか言っていない。
それはたぶんテウ女史の意向にも沿うと思う。
エクさんをはじめホムハルの男衆が頑張った甲斐があってか男女五名ずつというこれまで通りの平常運転が実現しているからいいんじゃないかな?
◇
これから一箇月居留する男性参加者の寝床は竪穴住居と滝野市場があるが、彼らは竪穴住居を選んだ。
ですよね。
前回は人数が多くて全員が泊まれる場所が滝野市場だけだったし、オリノコの三人も推奨したから滝野市場になったけど、普通に考えたら住み慣れた形態の家屋の方がいいよね。
五人には便所をはじめとした生活施設の使用方法を案内して後は彼らに任せる。
基本的には寝床や生活施設などのインフラや狩場の提供が主催集落の役目で、後は男性参加者達で何とかするものらしい。
前回は人数が人数だったからこっちもある程度は飲食をはじめ世話焼きしたけど、それは前回が特殊な状況だからであって、今回は甘やかさないで欲しい的な事を各集落から言われている。
慣れない狩場だから十全にはいかないが、慣れない狩場でも何とかできないなら役立たずで婿の資格なしという厳しい掟があるようだ。
そういえば、前回も帰ってこなかったとしても放っておけみたいな事を言われたな。
そうは言っても滝野を好き勝手に使わすわけにはいかないし、維持作業もあるから誰かが留守番というか管理人になる必要がある。
そして前回と同じく通しのお留守番は俺なので、俺も一箇月駐留するという事。
有栖ちゃんと戯れたいよう。
義智によじ登られたいよう。
義悠や結音を抱っこしたいよう。
だけど、お父さん頑張るからね。
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ここ半月ほどはとても仕事が捗っている。
まとまった時間が取れたので、コロワケと滝野もしくは川合を結ぶ舟運計画の課題整理をしている。
世話人なのに時間が取れるというのは、闘竜灘の架橋関連で山雲組が滝野に駐留していて山雲組がほとんどの世話人の実務をやってくれているというのも大きい。
こんなことなら山雲組に全部やらせればよかったような気もするが、美浦の者がいるから山雲組も安心してできるということもあろう。
剛史さんに要望されているコロワケのカオリン質陶石の確保についてだが、陸路は棚上げにして舟運を考えている。
陸路を後回しにするのは“道路を敷設するリソースがない”“敷設しても重量物を大量に運べる輸送機器がない”“輸送機器があったとしても動力がない”と、難題が山積みだから。
その点では河川と舟艇が使えるなら多くの課題がクリアになる。
流石に運河の開削は直ぐにはできないから途中に滝や大規模な瀬などがあったら舟運も無理だが、幸いにしてコロワケの近所までは(蒸気船に改装前の)河川用ポンポン船で配達した事があるので水路の問題は何とかなる。
なので、舟運の課題は大きくは“船をどうするか”と“遡上するときにどうするか”と“船員をどうするか”の三点。
船は美浦で造船するしかないだろうけど、留山の関係もあるから造船に割けるリソースをいつとれるかは確かに頭が痛い部分ではある。
もう一つの遡上方法だが、動力船は先住者に焼玉エンジンや蒸気機関を扱わせるのは時期尚早だと思うし、帆船は操作も問題だし風向きがなぁ……
近世の高瀬舟は帆走も主要な航行手段だったから条件次第では使えるだろうけど、今回はその条件に合わないから正直厳しいと思っている。
やはり、基本は櫓・櫂・棹などを使い、それだと厳しいときは曳舟という人力で何とかするしかないとは思うが、それはそれで何か負けた気がする。
動力船の小桜で曳航するとか船員の訓練をして蒸気機関を扱えるようにするとかかな?
留山の計画と合わせた造船計画と、造船計画に合わせた船乗りの育成も必要だから、計画案や川船の設計案といったプレゼン資料をチマチマ書いている。
◇
半月ほどが過ぎ、そろそろ女性の参加者も来るだろう頃合の今日この頃。
資料作りのとある工程が一段落したところだが、お昼ご飯の準備には早いし次の工程に入るとお昼ご飯が間に合わなくなるという中途半端な時間ができてしまった。
この手の資料作りは関連する事柄が頭の中の直ぐに参照できるところに無いとスムーズに進まないので、思考の海に潜って進めるもの。
そして、一度潜るとその作業が終わるまで浮上することはない。
もし途中で浮上すると、作業再開には息を整えて潜りなおすところ、つまりは関連情報をインプットし直して、中断したところまでどう作業したかを追わないといけない。
例えば、一から十まである作業の内の五で中断したとして、直ぐに六から再開する事はできず、もう一度一から五までをなぞってから六に取り掛かることになる。
中にはその作業を追う工程が大変だったりして、下手すると最初からやり直した方が早かったとか、諦めて最初からやり直すなんてこともありうる。
このあたりはコンピュータのプログラミングをしている人は同意してくれると思っている。
『思考の海に潜る』という表現は情報工学科の奴が言っていたもので、言い得て妙だと思ったので使わせてもらっている。
ちなみに、そいつは“脳内の関連するものを直ぐに参照できる場所”を『キャッシュメモリ』と言っていた。
だからこの手の作業をするにはまとまった時間が必要なのだが、美浦では中断させられることが多々あるので、実質的には子供たちを寝かしつけた後ぐらいしかまとまった時間が取れなかった。
それがここ半月の進捗が進んでいる原因。
次工程に進むとあれなので、隙間時間でトレーニングでもしようとプランクをしていたのだが、タタタという感じの軽い足音がしたと思ったら腰に衝撃が!
「ノーちゃ!」
「……有栖ちゃん、突然は駄目って言ってるでしょ? 一声かけてから」
「えへへ、ノーちゃ、やってやって」
肘立て伏せの姿勢を維持するプランクは場所もとらないし音や振動がでるわけでもないから手軽にできるトレーニングとして家でもよくやっている。
このプランクで運動強度を高める方法に荷重をかけるというものがある。
昔は佐智恵に座ってもらったりしていたのだが、いつ誰がやらせたかは覚えていないが有栖ちゃんを背中に乗せてのプランクをした事がある。
有栖ちゃんを乗せたときは、プランクで暫く耐えた後に普通の腕立て伏せを経由して柔道式の腕立て伏せで終了という流れになる。
有栖ちゃんにとっては遊園地のフライングカーペットとかロデオマシンみたいな感覚なんだろう、キャッキャと奇声を上げるところまでが定跡。
だから俺がプランクをしていると背中に乗ってくるようになった。
そういうサービスをするから乗ってくるんだろうけど、やせ我慢してでも子供の期待には応えるのが親というものだろう。
「いいけど、どうしたの?」
「来ちゃった」
そういうギャグ……ギャグだよな? は、いいから。
「ユヅちゃと来た!」
「なるほど」
そろそろ女性参加者がくる頃合いだからアメケレミメのお出ましという事か。
産褥期は終わっているとはいえ、乳児と引き離して申し訳ない。
そう思っていたら理久くんと嘉偉くんの鳴き声と共に芹沢一家がやってきた。
「来ちゃった。ほら赤ちゃん」
よーし将司、教育に悪い言葉を有栖ちゃんに教えたのはお前でいいんだな。どうしてくれよう。
「東雲さん、大人三人、子供一人の追加は大丈夫ですか?」
「……何とかする」
「頼もしい言葉です。マサは後で締めておきます」
「了解した」
「えっ!?」
「それじゃあ、有栖ちゃん、腕立ていくよ」
「ヨー!」
「……マサはあれできる?」
「無理。他にできるのは楠本政信さんと文昭ぐらいじゃないか?」
「伊達素弘くんも……できると……思うぞ」
「……ああ、確かにできそうだ」
「来訪の……目的は……飯の……後で……聞く……事に……する。ふぅ……有栖ちゃん、ぐるんぐるんいくよ、しっかり掴まって」
「ヨー!」
来訪の目的は予想通りムィウェカパの参加者の出迎えで、顔見せしたら一旦帰って半月後の本番にまた来るとの事。
理久くんと嘉偉くんを連れてきたのは子連れ移動のテストだと。
それと有栖ちゃんは、芹沢家が滝野に行くのを知って連れて行ってとお強請りしたらしい。
佐智恵と美結も考えがあってそれを許したというか推奨したようで、連名の手紙には“有栖ちゃんは頑張ってお姉ちゃんとして振る舞おうとしているけど色々我慢や無理をしているので思いっきり甘えさせてやって欲しい”的な事が書かれていた。
有栖ちゃんはこのまま滝野に滞在するから滞在中はノーちゃ独り占めで甘えてくれ。
サマーキャンプのときは頼ってくれなくて寂しかったからバッチ来い。
それに伴い、舟運計画は現時点で完成している部分までを将司にぶん投げる事にする。
あと、将司が来たのは子守りの他にもう一つ理由があって予言をするんだと。