第33話 サマーキャンプ
去年は義智の出生直後の育休でパスしたサマーキャンプだが今年はやる事があるので参加する。
参加者は漆原一族と楠本家、それと東雲家からは有栖ちゃん。
本田家の雄太くんと夢津美ちゃんは御襁褓は取れているので来てもよかったのだけど、弟妹の関係もあって不参加。
有栖ちゃんは義智も行くものと思っていたようだが、まだ一歳になったばかりだから。
つまりは去年のメンバーに恵さんと利勝くんの母子と奈菜さんと千晶ちゃんの母子が加わった形。
俺と匠と文昭の三名が引率という形をとっているが俺は保護者枠でもある。
文昭は船頭なのであれだが、匠は必要があったので出張ってもらっている。
その必要というのは、滝野の溜池(命名:龍神池)に浮き橋を架けないといけないという事。
この浮き橋はムィウェカパで新たに夫婦になった二人が渡って祠にお札を納める儀式のためのものなので、二年前のムィウェカパの後は取り外して乾かして保管していた。
去年のサマーキャンプでは浮き橋渡りが無かったので子供たちが残念がったと聞いている。
文昭の手も借りて倉庫から浮き(筏)を引っ張り出して龍神池のほとりまで運ぶ。
そして匠が浮きの点検をしている間に俺は堰堤の天端(堰堤の頂上部分)を回ってロープを渡しておく。
この渡したロープと最初の浮きを結んで祠側に引っ張り、最初の浮きと次の浮きを連結させて池に入れて次の浮きと……というのを繰り返していけば浮き橋ができあがる。
二年前は七〇センチメートルぐらいだった水深も今年は三メートルを超えているので浮き橋の大部分が水面にあり、地上を引き摺っていた二年前に比べれれば楽に架橋できた。
「ねぇ、渡っていい? 渡っていい?」
「点検がまだ終わってないからもうちょっと待って。その間に史郎兄ちゃんは他の子たちの救命胴衣の点検しておいて」
「はーい」
水深三メートルとなるとライフジャケットを装着させておかないと落水したときが怖い。
「橋はOK」
「キートス。みんな、ちゃんと着れてた?」
「OK!」
「はい。では質問です。池に落ちたらどうしますか? 美恵姉ちゃん」
「あの紐やあの紐に掴まって近い方の岸に向かう!」
「はい。そうですね。では、池から上がるときはどこから上がる? 和兄ちゃん」
「あそことかこことかの段々になってるとこ! 旗が立ってるとこ!」
「はい。大変よくできました」
溜池は自然の湖沼と異なり急斜面になっているし、水面下は泥や藻などで滅茶苦茶滑るので、自力で溜池の岸から上がるのはほぼ不可能といっていい。
溜池の岸から上がるというのは、バラエティー番組などでありそうなローションでヌルヌルにした坂を登るようなもの。
そう想像したら自力で岸から上がるのはかなり無理があるというのが分かってもらえると思う。
岸から滑り落ちたときに岸に這い上がろうとする心理は分からなくもない。
岸から目と鼻の先までは浮力があるので近づけるのだから。
しかし、腰が水面上にでるぐらいまで浅くなると浮力ではなく水底で身体を支えないといけなくなるのだが、その水底はヌルヌルの斜面なので支えられずに滑り落ちてしまう。
そしてそれを繰り返して体力を消耗したり水に体温を奪われたりして……
助けるときも斜面なんだから普通に手を差し伸べると救助者も引きずり込まれて共倒れになる。
だからアスレチックネットのような足場になるものなどを使い、救助者は堰堤の反対側にいって絶対に落ちない状態でそれらを支えないといけない。
点検用などで設置されている階段や梯子があればそこから上がることは可能だとは思うが、それらが常設されていない溜池もあるし、設置されていてもその場所が分からなかったり、たどり着けなかったりする事もあるので『溜池には近づかない』が大原則。
『溜池には近づかない』が大原則ではあるが、龍神池は度胸試しで浮き橋を渡らせるので、自力でも池から上がれるように浮き橋の両岸の橋の左右に一箇所ずつ、合計四箇所に雁木(階段状に石組をしている箇所)を設置している。
この雁木は掻い掘りのときに上り下りする場所でもあるのでオリノコの瓢池にも設置はしている。
龍神池は落水があるものとして考えているから池から上がるための場所でもある雁木の位置が分かるよう目印に天端に旗を立てている。
「それじゃあ、池に落ちたけど紐を掴めなかったり痛いところがあったらどうする? 江理姉ちゃん」
「助けて! って叫ぶ」
「はい。直ぐに助けに行くからね。他にも誰かが危ないと思ったら直ぐに声を上げてね」
「はーい」
「では、いってらっしゃい」
「おー!」
浮き橋渡り初挑戦の有栖ちゃん(前回はまだ小さかったから渡らせなかった)がキャイキャイ奇声を上げながら渡ったのに触発されたのか、二年前は怖くなって途中で渡れなくなった江理ちゃんが気合を入れて渡り切り、対岸で和広くんとハイタッチをしている。
それはいいんだけど、有栖ちゃんが頼ってくれなかったのが少し寂しい。
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今回の食事も宜幸くんが差配するが、今日のお昼は塩焼きそばとチキンソテーだった。
大変美味しくいただきました。ご馳走様。
キャベツの使用量が多い焼きそばは便利なのでそれなりの頻度で供されるのだが、ウスターソースの生産量の関係でソース焼きそばより塩焼きそばの登場回数の方が多い。
そして宜幸くんは塩焼きそば用のオリジナルの塩ダレのレシピを何種類か持っていて、具材や他の料理との相性によってどれを使うかを決めている。
今回選ばれたのは野菜ブイヨンをベースにした塩ダレだが、定番の鶏がらベースだと鶏が被るとか言って美浦で野菜ブイヨンを作って持ち込んでいた。
食材は持ち込みだけでなく現地調達もあって、滝野市場の囲炉裏に林立している串打ちされた鮎は現地調達したもので今晩のおかずになる。
宜幸くんは“明日の朝ご飯かお昼ご飯にうるか茄子を出すから”といって取り出した内臓で即席のうるか(鮎の内臓の塩辛)を作っている。
うるか茄子というのは焼き茄子や揚げ茄子にうるかをベースにしたタレをかけたもので、鮎と茄子の産地の高知県では夏場の郷土料理なのだそうだ。
ただ、ベースとしては塩辛なので子供の受けはあまりよくなく、特に生臭さが駄目な史郎くんにとっては苦行になると思うのだが、逃げ道に茄子の揚げびたしも作るとかなんとか。
もうね、後何年かして体格とか筋力とかが問題無くなったら宜幸くんに厨房を明け渡した方が良いんじゃないかとすら思う。
◇
それはさて置き、晩御飯は流し素麺と鮎の塩焼き、それと摘まむ程度の天婦羅になるとか。
天婦羅は良いのだが、宜幸くんが凝ると物によっては煮物にして一晩寝かせてから天婦羅にするという手間暇がかかった代物が爆誕する。
今回も美浦で煮ていた物を持ち込んでいるけど、わざわざ天婦羅にしなくてもそのまま食べれば良いじゃないとも思ってしまう。
俺がそう思ってしまうのは、煮物の天婦羅の中に俺が受け入れられない品が二つあるから。
それが天婦羅の天婦羅と油揚げの天婦羅。
天々で種の方の天婦羅は、魚のすり身を揚げた物で俺的には“さつま揚げ”になるのだが、九州や四国では“天婦羅”とも呼ぶらしい。
確かに九州で「丸天うどん」というと丸い形のさつま揚げ的なものをトッピングにしたうどんを指すからすり身を揚げたものを天婦羅とも呼ぶというのは間違いないだろう。
何故駄目かというと“油で揚げた物を更に油で揚げる”という違和感が仕事をするから。
そういうと竹輪の天婦羅と何が違うと言われるのだが、竹輪は焼いているなど同じすり身加工品でも竹輪とさつま揚げは違う物。
もう一つの揚げ天の方は、そのままうどんや蕎麦に乗っけたら“きつねうどん(白石さんだと“きつね”)”や“きつね蕎麦(白石さんだと“たぬき”)”になる甘辛く煮た油揚げに衣をつけて揚げた物になる。
こちらも揚げた物を揚げるという違和感もあるが、それ以上に天婦羅種に甘辛いものという違和感も加わってどうにもならない。
天々は“これは竹輪”とか“これは蒲鉾”と唱えれば何とかなりそうな気もするが、揚げ天はどうしても脳がバグるから無理。
ポテトチップスにチョコレートをコーティングした銘菓も脳がバグるから無理なんだけど、揚げ天はそれを上回る。
チョココーティングポテチは長年販売されている定番の土産品だから世間的には好評を博していると言ってもいいと思うけど、俺は駄目で、チョコとポテチは別々に食べたい。
チョコもポテチも好きなのでチョコ食べてポテチ食べてまたチョコ食べてはいいけど、両方を一度に口に入れたくはないってだけ。
俺にとっては受け入れ難い揚げ天なのだが、実は周りの受けはとても良く、特に文昭と政信さんは絶賛と言ってもいいぐらいの好評を得ている。
何でも高松市にランチ営業しかしていない天婦羅が有名なうどん屋さん(この関連性が理解し難い修飾語の時点で俺の頭の中に疑問符が乱舞する)があって、そこの油揚げの天婦羅を彷彿とさせるのが嬉しいらしい。
揚げ天はそのお店の発祥? 独自商品? なのだろうが、他にもそのお店が発祥の天婦羅があって、讃岐うどん系のお店によくある半熟卵の天婦羅もそのお店が発祥とかなんとか。
半熟卵の天婦羅は良いですが、揚げ天は駄目です。
そして、宜幸くんが油揚げを甘辛く煮たお揚げさんを持ち込んでいるのだが、稲荷寿司やきつねうどんの出番が無いという事実に恐れ戦いている。