第30話 色々な仕込み
多目的施設の生活施設兼休憩所(命名:リンナ)が落成した。
まあ、教室とか居所的なもの、それに食糧や備品を保管する倉庫はこれからだし、何なら造成もまだ終わっていないが、早期にリリースできるものはリリースしておくのが吉。
俺は施設名称に“安全な居所の頭文字”それと仏教で一時的に僧侶が集団で修行することを指す安居から『安居亭』はどうだろうと提案したのだが却下された。
坪井香菜さんは、何でも地元に安居と書いて“やすい”と読む地名があるそうで“やすい亭って語呂的にどうよ”と言っていたし、親父殿からも地元に安居と書いて“あご”と読む地名があって戦国時代には安居城というお城もあったと言われた。
他にも“その読みだと餡子亭”になってしまうとか散々で……
いいんだ。どうせ誰も俺のネーミングセンスに期待していないんだから。
だけど、リンナ(フィンランド語で城砦)ってのも正直どうよと思う。
こんなことなら“安全です”でアンデスでも良かったのかと思う。もっとも多方面から“アンデスメロンのパクリ”と突込みが入ったとは思うけど。(アンデスメロンは“安心ですメロン”からメロンだけに芯を抜いて“安ですメロン”)
◇
リンナには厨房・洗面所・洗濯場・浴場・便所といった水回り施設が集中して設置されており、ここが健在なら十分に生活を維持できるだけの施設が整っている。
そして、特筆すべきはリンナには上水道がある!
瑞穂会館では十分な高低差がある給水塔を用意できなかったが、ここだと十分な高低差がある斜面の上に貯水槽を用意すれば必要な水圧が得られる。
家庭の吐水口(蛇口)のバルブでは〇.〇五メガパスカル(約〇.五気圧)から〇.一〇メガパスカル(約一気圧)程度の水圧がある。
上水道の水道管の本管での水圧はもっと高くて、法令では〇.一五メガパスカル(約一.五気圧)以上(上限は定められておらず、法令上は配管の耐圧限界まで可能)と定められていて、多くの地域では〇.二五から〇.三〇メガパスカル程度ある。
これは多数の需要家(水道使用者)が使用していても二階の高さで十分な水圧が得られる事などからそうされているのであって、家庭で使用するには〇.一五メガパスカルでは高過ぎて色々な装備の寿命を縮めてしまう。
水道管の本管が破損すると下手すると水が二〇メートル以上噴き上がる事もあるけど、家庭で蛇口全開にした水道の水を上に向けても精々十数センチメートル程度、いっても数十センチメートル程度しか上がらず、十メートルも上がらないでしょ?(理論上は〇.一〇メガパスカルで一〇メートル噴き上がる)
家庭用だと本管から引き込む給水バブルで水圧を調整して、更に蛇口でも水圧を下げて使いやすくしている。
蛇口のバルブでの〇.〇五から〇.一〇メガパスカルの水圧を重力で叩き出すには、五メートルから一〇メートルの高さに水を貯めておけばよく、そうすれば現代日本の水道と同じように使える。
しかし、五メートルといえば二階建て、一〇メートルだと四階建ての建物ぐらいの高さになるので、上に貯水槽という重量物を置いたトップヘビーな給水塔を建てるのは現状の資源では怖いし、どうやって給水塔に揚水するのかという問題もあったため、出端屋敷はもちろん瑞穂会館でも諦めて小容量の貯水槽を平屋の屋根際に据えるのが精一杯だった。
一応は、風呂も時間はかかるが蛇口を開けていれば貯まったから在ると無いとは大違いだが、蛇口での水圧は計算上では〇.〇一メガパスカル程度なので出が悪いのは致し方無かったし、大量に使う際には浄水や消毒が微妙という事もあった。
一方、リンナでは地面に貯水槽を据え付けられるので容量も大きくできるし、高低差も配管をどうするかを解決すれば何とでもなる。
加えて揚水については水撃ポンプが使用できるのも大きい。
水流の速度を急速に落とすと圧力が高まる水撃作用を利用して流水の一部を高所に送り出すポンプを水撃ポンプや水槌ポンプという。
水撃ポンプは流水の一割ぐらいの水を元の落差の六倍ぐらいの高さに揚水することができるが、その動力は流水の運動エネルギーなので外部からエネルギーを加える必要がなく、電気などが通ってなくて電動ポンプが使えない場所などで使用されることがある。
ただ、騒音が結構でる。
学校のプールのシャワーの栓を急に閉じたり、昔の洗濯機が水を止めた時に水道管が“カン!”と鳴るのが比較的身近なウォーターハンマーの例になるが、水撃ポンプはウォーターハンマーを断続的に発生させる事で揚水しているから水圧が配管を叩く音が断続的に鳴り続けることになる。
横井戸から二メートルほど低い場所に水撃ポンプを据えて、そこから一二メートルぐらい揚水させて貯水槽に貯めている。
貯水槽はリンナの蛇口からは八メートルぐらい高い位置にあるので、リンナの蛇口での理論上の水圧は約〇.〇八メガパスカルで現代日本の水道に近くかなり使いやすい。
それなりに快適な暮らしができる状況を作り出せたのだが、そうなると“リンナの方が瑞穂会館より暮らしやすいのでは?”という意見がでてくる。
もっとも“寝起きする住居を建てる場所をどうするの? また新たに造成するの?”と言ったら途端に沈静化したけど。
■■■
滝野では、昨夏に開通した織姫橋の他に豊彦橋と烏鵲橋も開通して、今は岩の上に山雲組が橋と橋を結ぶ通路をアーチ式の石橋で造っている真っ最中。
足掛け三年掛かったが、当初の目的である“安全に加古川を渡河できる”は曲がりなりにも実現できており、今秋にあるだろうムィウェカパの懸念が一つ減った。
一昨年のムィウェカパでは仮設で欄干も何もない足場を渡しただけ的なものだったから安心感が全然違うし、橋の高さも高くなったので橋を渡るために上り下りする高低差も小さくなって利便性も上がっている。
滝野を囲っている土塁も芝生に覆われていて、できた当初からは見た目の印象がかなり異なってきている。
その土塁の中に設営しているデモンストレーション畑では薹立ちさせた大根が白い可憐な花を咲かせている。
デモンストレーション畑での栽培は去年はサツマイモだったが今年は大根。
サツマイモをやめて大根にするのではなく、サツマイモの収穫後に大根の種まきをして、大根の収穫後にサツマイモを定植するという、同じ畑で年に二回収穫するサイクルを目指して今年は大根の普及を目論んでいる。
サツマイモの収穫後から来春のサツマイモの定植までの間に収穫を終えられる作物には法蓮草や玉葱など色々な候補はあったが、サツマイモと同じく痩せた土地でも栽培でき、煮ても焼いても生でも食べられ、沢庵漬や切り干し大根など長期保存もしやすい事などから大根を選定した。
ただ、この大根というか美浦の大根は、現代日本では生産量の九割近くを占めていて一般消費者が目にする普通の大根である青首大根ではなく、青首大根に対しての語だと思うが白首大根と言われる物が多くを占める。
大根の主な可食部である根部は純粋な根ではなく根と茎の役割を併せ持っているそうで、根部が地表より上にぐいぐいせりあがる青首大根はせりあがった部分の表面に(他の植物の茎のように)葉緑体ができて首元が青草色になる。
あくまで光に反応して緑化しているので土寄せしたりして日光が当たらないようにしたら全体が真っ白な青首大根も作れるとかなんとか。
他の多くの品種は青首大根ほどには根部がせりあがらなかったり、根部に葉緑体をあまり作らないなど、根部全体が真っ白な大根になりやすい。
それらの根部全体が真っ白な大根になる色々な品種の大根をまとめて白首大根というそうだ。
なぜ一般的な青首大根が無いかというと、先祖にあたる品種が四種類ある四元雑種だし、その親品種も必ずしも固定ではないという辺りが奈緒美のコレクター魂を刺激しなかったから。
だから大根については練馬大根や三浦大根をはじめとした、現代では伝統野菜的な大根の品種が奈緒美の蒐集対象になり、必然的に白首大根がその多くを占めることになる。
もっとも一般的な青首大根の先祖にあたる宮重大根系の物はあるので青首大根が全くないわけではない。
宮重大根は孫品種にあたる一般的な青首大根におされて栽培されなくなり、種子保存会が結成されたぐらいなので奈緒美のコレクター魂を刺激したのだろう。
奈緒美と秋川家の講釈によると現代日本の一般的な青首大根は昭和四九年にタキイ種苗が販売を開始した『耐病総太り』という青首大根の交配種が抜群の成績をおさめたのが契機だそうだ。
『耐病総太り』は、その名の通り病気に強いのはもちろんのこと、栽培難度が低く、生長が早く、鬆が入りにくく、食味も良いという反則級の性能を持つ画期的な品種で、これまで青首大根に馴染みが無かった地域(当時は青首大根は西日本の一部でしか栽培されていなかったとも)でもどんどん栽培されていき、それだけ売れれば改良の研究費も賄えるので品質もどんどん良くなり、世は青首大根の天下となったとかなんとか。
朱音さんが言うには、根部があまり肥大化せず、短めの先細りの形なのも普及の理由の一つだと言っていた。
大根は真ん中あたりが太くなったり地中深くまで根を張るものが結構あって、根部が肥大化して長くて太い大根は一本の重さは大きいのだが、そうなると抜くのに凄く力がいる。
嘘か真か、練馬大根を抜くときは青首大根を五本まとめて抜くぐらいの力が要るとか言われていて、青首大根はそれまでの大根に比べて作業性が優秀なのも高齢化が進む農業従事者にとってはありがたかったそうだ。
しかし、ここにはその便利な青首大根は無いので、先住者への普及には御薗大根という白首大根の一種が主力に据えられている。
御薗大根は宮重大根と練馬大根を掛け合わせた比較的細長い白首大根の品種で、かつては三重県で沢庵漬用に広く栽培されていて第二次大戦中には御薗大根で作った“伊勢たくあん”を国に納めることで米の供出に代えていたとかなんとか。
それが本当なら戦時中に兵隊さんが食べていた沢庵漬は御薗大根だったということになる。
大根の普及が上手くいって欲しいものだが、駄目なら駄目で品種を変えるとか今回は選に漏れた作物に換えるとかもありうる。
それに大根は連作障害もあるので大根の普及が上手くいっても別の作物による二の矢三の矢は必要だ。
食用作物の普及を熱心に行うのは、直接的には人口を増やすため。
人間は従属栄養生物である以上は食わねば死ぬから、取得できる食物の量が人口の上限を決める重要なファクターであるのは間違いない。
先住者たちは彼らの技術での食糧供給量の限界を迎えていて、それによって一集落の人口が制約されていたと考えられるので、集約農業という新技術での食糧生産が軌道に乗れば一集落あたりの人口倍増もありうる。
事実、オリノコの人口は(幼子を含めてだが)ファーストコンタクト時の二倍近くになっている。
集落あたりの人口はその集落の労働力に直結するので集落あたりの人口が増えるとやれる事が増える。
例えば水田を作ろうとしても、圃場はもちろんのこと、用排水路とか(場合によっては)溜池などの水源確保とか考え出すと、現状の集落あたりの就労可能人数だと何時まで経ってもできないと思う。
しかし、集落の人口が増えて労働力を集約できれば、イニシャルコストが高い水田とか、効果が出るまでに数年単位の時間がかかる果樹とかも絵空事ではなくなるし、第二次産業や第三次産業を興す事も可能になる。
第二次産業についてはオリノコと川合では試験的に進めていて、直接的な食糧確保を行う第一次産業の従事者よりも建設建築とか竹細工など第二次産業の従事者の方が多数派になっている。
もちろん、第一次から第三次までの各産業のバランスは大事だが、現状では美浦の第一次産業の生産力が強大なので、美浦が重しになればバランスは何とでもなる。
第二次産業や第三次産業を推進したいが、それを行えるだけの人口がないので、第一次産業に即効性の高い梃入れをして人口増を目指す。
この事が結果として各集落の発展、延いては自分達の生活向上に繋がると思っている。