第27話 多目的施設
留山に建築予定の多目的施設の素案ができたから皆の意見を聞きたいと匠が四枚の完成予想図を広げる。
多目的施設は元々は老朽化が激しい出端屋敷に替わる建物を建てる計画からスタートしている。
出端屋敷は突発的に人数が増えたとき――具体的にはキャンプ場や上の口が二進も三進もいかなくなって避難してきたとき――の一時的な居所ということで解体を保留してきたがそろそろ拙いので真面目に代替施設について具体的な検討を始めたのが昨春だった。
何で半年以上掛かったのかというと単なる居所ではなく他の用途での使用が起案されて多目的施設になったため。
留山の横井戸の傍なら水の確保が容易という事で留山を候補地にしたのだが、高台なんだから高潮や津波などに備えた避難所にも使えるという事で留山に建てる事と避難所を兼ねる事が既定路線となった。
実は美浦の標高はさして高くない。
瑞穂会館は周りから比べると微高地とはいえ海抜は四メートルもない。
こう聞くと物凄く低く感じるかもしれないが、平野部の海抜とすれば別に取り立てて低いわけではない。
海に近い沖積平野だと海抜二メートル以下はありふれた存在で、大阪市福島区なんて最高点標高がゼロメートルと区の全域が海抜ゼロメートル地帯だし、同じく大阪市の淀川区、都島区、城東区も最高点標高が二メートル以下、大阪府門真市も最高点標高が三メートルしかない。大阪湾の平均海面が標高の基準の東京湾の平均海面より高いことを思えば海抜だともうちょっと低くなる。
東京二十三区は台地が入り組んでいるので最高点標高はそこそこあるが、いわゆる下町である平野部だとどっこいどっこいで、墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区などは区内の標高の平均が一メートル以下である。
普段は利便性もあって少々の災害ではどうってことはないが、高潮が大潮と合わさる最悪のシナリオとか南海トラフ巨大地震による大津波などの大災害だと瑞穂会館が水没する可能性はあるので高台に避難所が欲しいという事になった。
防災計画のベースになる災害規模の想定だが、最大級の南海トラフ巨大地震の津波の最大波高は五メートルを想定している。
東日本大震災での津波の最大波高は一五メートルから二〇メートルぐらい(最大遡上高は四〇メートルを超える)あったわけだが、それに比べて五メートルは低すぎないかと思うかもしれないが、一応根拠みたいなものはある。
実は東日本大震災での津波被害を目の当たりにして、複数の防災関係機関が南海トラフ巨大地震の最大想定での津波シミュレーションをしている。
そして複数の結果の中から地点々々で最悪の物を抜き出してみると紀淡海峡以南の紀伊半島や四国沿岸それと淡路島の南東側は最大波高十メートルを超える巨大津波に襲われるが、淡路島が防潮堤になるようで大阪湾では最大波高は五メートルぐらいになり、播磨灘では最大波高は四メートル前後という結果になっている。
なので播磨灘に面している美浦での最大波高は割り増しして五メートルと想定している。
最大波高五メートルというと物凄い被害がでる巨大津波(最大波高が三メートルを超える津波が予想されるときは大津波警報が発令される)なので美浦も壊滅的被害を受けることになるだろう。
田畑はもちろん、瑞穂会館も水没ならマシで倒壊・流失する可能性もある。
ただ、美浦の周りには恵森や加古川左岸の氾濫原など留山より低くて広い土地がいくらでもあるので行き場を失った津波が波高をはるかに超えて遡上してくる可能性は著しく低いので標高が九メートル近くある留山の横井戸近辺まで津波が押し寄せる可能性は限りなくゼロと言えるので避難所として使えるという判断になった。
津波で壊滅すると復旧に時間を要するから避難所生活も長期間になるので普通に暮らせる設備を備える必要があるし、そのときは美浦に設置している防災倉庫は全滅するから備蓄倉庫も併設した方が良いという事になり一大防災拠点として整備する方向になった。
更に、建築予定地が横井戸の近くという事は水車動力を利用した工房や移築予定の醸造所などの近辺になるので休憩所を兼ねて欲しいというごもっともな意見があったのでこれも採用された。
まあ、ここまではいい。
そして個人的には解せないが“避難所ってたいてい学校だよね”という一言により学校としても使う事となった。
学校自体は子供の多さからここ数年で整備が必要という意見は出していたが、まさか避難所と併設というか共用というかになるとは思わなかった。
学校が避難所に指定される事が多いのは『(体育館など)多人数を収容できる建物がある』『ヘリコプターが着陸できたり救援物資の搬入に便利なグラウンドがある』『給食室など大量調理が可能である』『地域の認知度が高い』『子供でも歩いて行ける範囲にある』など避難所に求められる機能を学校(特に公立の小中学校)が満たしている事が多いというだけで、学校イコール避難所ではない。
ましてや避難所だから学校にすればいいというのは暴論だと思うのだが、皆の『学校イコール避難所』という固定観念を打破できなかった。
それはともかく、匠が出してきた素案は四案あり、それぞれ一長一短がある。
「AからDの四案を作った。A案は建てるのは楽だが日当たりに難がある。日当たりを優先したのがB案だが、こっちは凄い作業量になる。B案の作業量を抑える物がC案とD案」
斜面に建物を建てるときに等高線に沿う形にすると土地の造成が少なくて済むのだが、留山は南北方向に走っているので等高線に沿って建てると南北方向に長い建物になり日当たりに難がでる。(A案)
(南側から見た断面図 以下同じ)
日当たりを優先して東西方向に長い建物を建てるとなると掘り出す量が半端なくなる。(B案)
掘り出す量を抑えて掘り出した土で盛土すれば廃土も少なくなるのだが、盛土部分はどうしても地盤が弱くなってしまう。(C案)
盛土せずに階段状に造成することで、B案とC案の欠点をクリアできるが、今度は建物が面倒になる。(D案)
個人的にはA案が推しというかA案以外ない。
B案は論外。
下手すれば横井戸の出水層ぐらいまで掘る必要があるし、もしも途中で岩盤にぶち当たったり水が出てきたら詰む。
それと建物を建てる場所だけでなく、そこから南方も掘らないといけないからA案の三十倍で済めば御の字というぐらい工数がかかる。
C案の盛土はどうしても地盤の強度が不足するので『避難所』として適格かと言われると疑問が残るし、D案は建物の形状がトリッキーなので建物の強度や耐震性を確保するのが課題になる。
それにB案ほどではないが、C案とD案もA案の何倍もの工数がかかる。
C案とD案のどちらが良いかと聞かれると難しいが、地盤の安定性を優先してD案かな? とは思うが正直なところ団栗の背比べ。
それと、薄々そうじゃないかと思っていたが、完成予想図を見て確信した。
B案は顕著だが、C案もD案も中世城郭の曲輪と言っても過言じゃない。
特にC案の盛土の法面保護に石垣を使えば近世城郭の曲輪で建物が櫓でも通じる気がする。
『A案にも欠点(日当たりが悪い)はあるが、それを解消するのは物凄く大変(B案)で、知恵を絞ってもここら(C案・D案)が限界。だからA案の欠点には目を瞑ってA案で行きましょう』という流れを予想したし、そう持っていこうとしたのだが……
「D案、凄く格好良くない?」
「同感。こう何と言っていいか……男心というか遊び心というかをくすぐる」
「賛成賛成! いい加減、二階建ても建てようよ」
「D案の一階の山側を掘って地下倉庫にするとか」
「C案の問題は盛土の上に建物建てるってことなら、D案で掘った土をC案みたいに盛土して広場にしたら良くない?」
「それか出た土を使って麓まで棚田か段々畑、それか果樹園とかにすれば」
蓋を開けたらD案が大人気です。
これは匠も思惑が外れたようで顔が引き攣っている。
たぶん、俺の顔も引き攣っていると思う。
「D案に掛かる工数をもう一度よく見て!」
D案の総工数はA案の約八倍。
B案の『三十倍以上。事実上見積もり不可能』に比べるとおとなしいが、それでもA案の八倍もの工数がかかる。
お願い! 夢から覚めて!
「造成に思いっきり工数がかかるな」
「だろ?」
「匠、木材の状況は? 今冬に取り掛かれるのか?」
「今冬はそもそも造成が間に合わん。だが来年に取り掛かれる分はある」
「それなら造成にリソース注ぎ込めばD案でも竣工時期は変わらないのでは?」
「いや、A案なら来春に着工して来秋には竣工するけど、D案だとどんなに急いでも造成におそらく来年の夏までは掛かる。竣工は超特急で再来年の春が願望込みの最短で、夏まではかかると思う。設計してみないと分からないが今冬に伐採する木材も増やす必要があるかもしれない」
「半年から一年遅れるという事でいいか?」
「通常運転のA案と総力を挙げてのD案との比較でならそれぐらい」
「義教の見立ては?」
「匠に同意する。通常体制でD案を実施するなら十年かかっても不思議じゃない」
八倍ぐらい工数があるんだから普通に考えれば八倍の期間がかかる。
それを一.五倍から二倍程度まで期間を短縮するには五倍ぐらいのリソースを投入しないといけないが、そんな人員はいないので建機を使う事になる。
建機の燃料を考えると色々なところに皺寄せが行くと思う。
「つまりは『A案は通常の体制で一年後』『D案は通常体制だと十年後、特別体制を敷いて二年後』でいいな」
匠と頷き合う。
「匠、出端屋敷は後どれぐらい持つ?」
「そろそろ厳しい。持って一年二年ってところだ。実際問題、早いとこ取り壊したい」
『建物の形を保っている』と『建物の目的を全うできる』は別物。
安全に目的を達せられないなら損壊と何も変わらない。
「出端屋敷が持たないから通常体制でD案は無しとして『通常体制でA案』と『特別体制でD案』の二択だな」
「土木部はA案一択」
「建築部もA案一択」
捨て案が採用されるというのはよくある話。
D案の一段はA案より広いので皆がD案の作業量の多さに後悔したらA案に切り替えればいいや。
一段目でA案が建てられるぐらいまでできたら「まだ造成作業の三分の一ぐらいだけど、A案ならこれで建てられるけどどうする」と問い掛けてやる。