第26話 祭の後
瑞穂祭も終わり来賓がお帰りになる。
お土産を載せたり子供を乗せた大八車の車列がオリノコに帰っていくのを見た村井さんが“あったら楽なんだけどなぁ”と呟いた。
「舗装されていない道路だと使い辛いですよ」
「そうか……」
「それとあの大八車は彼らの自作です」
「本当?」
「ええ、作り方やメンテ方法は教えましたが、今では自分達で作って使ってます」
「あれが教育訓練の成果ってやつ?」
「長岡さん。ええ、その通りです。もう一端の職人集団になってますから、今では海産物や鉄製品などと引き換えで色々やってくれます」
「作り方を習って作れるようになるまでどれぐらいかかる?」
「真っ新な状態からだと木工の基礎からになるので……年単位かと」
「それもそうか」
「そちらも荷物は多いですからお気を付けください」
普段の交易品にプラスして道中の食糧も多く要るし、お土産もそれなりにあるから結構な量になっている。
「そうだな。成幸と鎮が戦力外になるのは誤算だった」
長岡さんは、怒り、呆れ、心配、それらが綯交ぜになったような表情を浮かべている。
長岡さんの双子の息子さん達は揃いも揃って二日酔いで物凄く具合が悪そうである。
昨夜は“美味い美味い”とパカパカ盃を空けていたらしい。
「すみませんでした」
「いや、こっちの躾の問題だから。いくらなんでも初めてで二日酔いするほど飲むとは思わなかった」
「こちらもちゃんとケアさせておくべきでした」
「お気になさらないでください」
「そろそろ出ますね。お世話になりました」
「道中つつがなく」
「ナル、マモ、行くぞ」
トボトボと歩き出す二人。
二日酔いは脱水症状になりやすいので経口補水液をお父さんに預けているから適時飲んでね。
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お酒と晩餐に気をよくした面々は色々と喋ってくれたそうだ。
特に場慣れしていないお兄ちゃんズは恰好の的で、将司らの手練手管に陥落して色々吐露していてたとかなんとか。
彼らが二日酔いになった要因だな。
色々と聞いたことを総合した内容だが、WCは斜面に廃棄物を撒いて緑化しようとしているらしい。
有機物のゴミを砂漠に撒いて緑化するというのは実際に行われていて五年ぐらいかけて放牧地になったなど成果も出ている方法だから不可能ではないとは思うが、気候風土に合っている緑化方法かと言われると大いに疑問があるし、仮に何年もかけて緑化できたとしても土石流一発で“ふりだしに戻る”だからなぁ……
更に浄化槽から汲み上げた汚泥も撒いているそうで、酷い悪臭を放っているし虫も大量発生していて緑化計画地区である西側には誰も近寄らないそうだ。
生ゴミや汚泥などを捨てに行かされる人はご愁傷様。
しかし浄化槽を開けたんだ。
そして死人が出なかったので、自分達は正しいと号しているとか。
俺が“下手に開けたら最悪死人がでる可能性がある”と言ったのを否定できたと思っているのかな?
まあ、それで一致団結してくれるならそれでいいさ。
次に上の口から見たWCだが、当初は生活環境整備を率先して行っていたし、キャンプ場のスタッフ陣から身を守るための盾にしていたのもあって、WCに対して恩というか義理というかはあるそうだ。
将司の分析によるとそれはこれまでWCと共同してきた事に対するコンコルド効果だろうとの事。
コンコルド効果というのは、英仏共同で多額のコストを掛け続けて作り上げた超音速旅客機のコンコルドが商業的には大失敗に終わった事になぞらえて、これ以上投資しても損害が増えるだけだと分かっていてもこれまで掛けてきたコストを惜しんで投資を続けてしまう事を指し、埋没費用効果とも言われる。
第三者から見れば“早く損切りしていればよかったのに”となるが、当事者からすれば、損切りして撤退するというのはこれまでの投資自体が誤った判断だった事になるので失敗を認められずズルズルと投資を継続してしまう。
このあたりは面子やら責任問題やらが関わってきて起きる現象という側面もあって、若年層ではあまりコンコルド効果は見受けられないとかなんとか。
WCへの恩や義理はコンコルド効果というのを裏付けるようにお兄ちゃんズのWC評は辛辣であった。
曰く、御託を並べるだけで実践力皆無の口だけ番長。
二人がそう言うのは、WC起案の計画の多くが頓挫しているからで、しかもその頓挫の原因が酷いとのこと。
現代日本なら誰でも容易く安価に入手できるがここには無い道具や材料が必要など、ちょっと考えれば問題があると分かりそうな杜撰な計画が多く、中には中学生でも自然科学法則に反していて無理だと分かるお粗末な計画もあるらしい。
大人はこれまでの経緯もあって思い切れないが、子供世代は覚めているという事かな?
そうなると何れ美浦に移住もありうるのだが、どういう訳か美浦の評判は“軍隊のような厳しさ”とよろしくなく、今のところそういう事は考えていないようだ。
軍隊のような厳しさ?
どういう事?
別に朝六時に起床ラッパが鳴るわけでもないし、六時五分に日朝点呼があるわけでもない。
起床ラッパと言えば、昔のことだが伊達くんのスマホにダウンロードされていた起床ラッパが事件を起こしたことがあった。
自衛官や元自衛官はどんな時でも起床ラッパを聞くと一秒以内に起きるという伝説の真偽を確かめようと昼寝中の楠本夫婦に聞かせたところ、鳴らし始めて〇.三秒ぐらいで飛び起き、そのまま着替えようとして状況に気付いて虚脱したそうだ。
そして伊達くんが仕掛人と気付くやいなや打ち合わせなしにも関わらず抜群のコンビネーションで柔道有段者の伊達くんに何もさせずに取り押さえたとかなんとか。
伊達くんはご両人から“世の中にはやっていい事と悪い事がある”と厳しく叱られ、腕立て伏せ十回(恐らくは数が増えない例のアレだと思うので、へたばるまでやらされたんじゃないかな?)のペナルティを課せられたと聞いた。
起床ラッパは政信さんにとっては世界で二番目に聞きたくない音(一番は非常呼集の号音)、奈菜さんは非常呼集、スタットコールに次いで三番目に聞きたくない音。
それを必要もないのに聞かされたらねぇ……弁護できん。
もしかすると朝の体操を指して軍隊みたいって言ってる?
最初期にエコノミークラス症候群の予防にしていた朝の体操やストレッチは自由参加ながら今も継続している。
でも朝の体操やストレッチは多くの企業でやっているんじゃないの?
それか上の子三人と牧童として雇っている三人の合わせて六人が出し物でレザー・アーマーを着込んで演武してたから?
確かに小学生ぐらいの子が革鎧を纏って六尺棒を振り回して演武する様は奇異に見えたのかもしれないけど、小学校の運動会の出し物としてみれば普通の範囲だと思う。
それに六尺棒といっても素材は檜なので文字通り“ひのきのぼう”でしかない。
普通は棒や仗や木刀は樫などの硬くて重い木を用いるのだが、軽くて柔らかいという武器には不向きな檜を使っているのには理由がある。
それは余計な力を込めなくても振れるので正確な型をなぞれるように練習するのに向いているという事。
檜棒で型がちゃんとできるようになったら樫棒に移し、樫棒でも型がちゃんとできるようになるまで実践はさせないというのが棒術の師匠である文昭の方針で、政信さんもその方針を支持している。
心当たりが全くないとは言わないが、軍隊とは全く異なるし各自の自由意志はかなり尊重している積もりなので“軍隊のように厳しい”と言われるのは心外である。
まあ、それはともかくとして上の口組はWCから疎遠になりつつあるが現時点では美浦よりもWCの方が親密度は高いという感じなのは分かった。
美浦への親密度が低いというより美浦に対して気後れしているのではないかとも思う。
そこらは長岡さんからも感じ取れた。
しかし次世代のWCへの好感度は低く、場合によっては小学生ぐらいから中学生ぐらいの年齢の子供が美浦に留学に来る事もあり得る。
というか今回はその瀬踏みだったんじゃないかな?
あと、余談の域でゴシップっぽい話だが、お兄ちゃんズは牧童をしてくれているオリノコの三人が気になっているという情報もあった。
確か一番上のマキちゃんが十歳を超えたぐらいで一番下のマチちゃんはバリバリの一桁。
……もしかして、炉? おまわりさんあいつらです!
ずっと子供の面倒を見てきたから気になるのだという事にしよう。うん。