第25話 情報収集
瑞穂祭の夜の部は子供を寝かしつけた後の大人の時間という事で酒盛りというか晩餐会になるのが定跡。
元々は『原則としては満二十歳以上とするが満十八歳からハレの日に限り認める』という美浦の飲酒制限にからんで、若年者が酒を飲める場を用意して酒を飲む際の注意点などを実地で学んでもらうという目的で開かれた会食が定番化したもの。
夜の宴会で明かりはどうしているのかというと、日常的には無理だが偶になら投光器で一晩明かりをつける電力をひねり出すことはできると答える。
ただ、いつまでも今あるバッテリーやLEDなどが使えるわけではないので、使えなくなる前に何らかの手段は確保したい。
今回は上の口からの六人も招いている。
お兄ちゃんズは美浦基準なら飲んでもいいけどこっちがどうこうする話ではないので二人が酒を飲むかどうかは向こうに任せる。
飲まなくてもご馳走は用意しているから楽しんでもらえると思う。
「お待たせしました。お寿司です」
「待ってました!」
「上段の桶のものは味が付いてますからそのままお召し上がりください。下段は溜まり醤油でどうぞ。数を食べてもらいたいので女郎寿司にしてますがご勘弁ください」
女郎寿司というのはシャリを少なくして相対的に寿司種が大きく見える寿司を指し、一般には下品な寿司とされることが多い。
持ち帰りや出前はそれ以上の注文はないからそれだけで満足できるようにシャリを多めにし、店内は逆に満腹にさせずバンバン注文してもらえるようにシャリを少なめにしている寿司屋もないではない。
好意的に見れば握りたてを直ぐに口にする店内と違って握ってから喫食までの時間がある持ち帰りや出前は時間がたっても美味しさを維持できるよう握り方を変えているとも言えるが、どこまで本当かは知らない。
「マグロ尽くめや思ったけど色々あんな」
「マグロ多めですけどね。大トロ、中トロ、赤身、それとヅケは柵漬けと湯霜作りの二種類で五貫ありますから。他は一平ちゃんともっくんが頑張ってくれました」
「頑張りました」
「もっくんが手伝ってくれて助かったよ」
寿司にしろ刺身にせよマグロだけというのも寂しいので追加で獲りに行った一平ちゃんとそれに巻き込まれた伊達くんにも感謝。
「これ煮ハマ?」
「ええ、下の桶には赤貝と青柳と赤螺もありますよ」
「おっ本当だ! ……ところでアカニシって栄螺の代用だった奴?」
「さすがですね。密かに栄螺と称して売られていたって話を聞いたことはありますが、それは赤螺が栄螺より安くて知名度が低かったからだと思います。個人的には味は栄螺より上だと思いますよ」
「美浦では結構お馴染みやで? 牡蠣やら浅蜊やら食いよるから間引いて人間が食ってんねん」
津免多貝などのタマガイ科の貝も浅蜊などを食害するが、それらは居たら獲るぐらいで赤螺と違って狙って獲るという事はない。
赤螺は美味い貝だし浅蜊や牡蠣の資源保護という面もあるが、貝紫のためという面も多分にある。
「ん? シャリが変色してるっぽいけど大丈夫?」
「村岡の女将さん、これは別に痛んどるわけやない。美浦の寿司は赤酢使っとるからちょっと色がつくねん。赤酢で作ったシャリは美味いから超高級なお寿司屋さんは赤酢使っとるそうやで」
「そう言えばなんかグルメ番組で見たことある」
「やろ?」
赤酢というのは酒粕から造る粕酢のことで、酒粕の中の糖分とアミノ酸がメイラード反応を起こし、それがお酢に赤みがかった色合いをつけるので赤酢と呼ばれている。
なので赤酢で作った酢飯には赤酢の色素が移ってちょっと茶色めいた感じになる。
この赤酢は他のお酢と違って酒粕の糖分があるので塩を加えるだけで寿司酢にすることができる上、メイラード反応でできた芳香成分や米由来の甘味や旨味が加わるので良い酢飯ができる。
このことは、とある美食家の著書に『寿司酢は尾張半田の山吹に限る』という意味の行があることからも分かると思う。(『山吹』というのは愛知県半田市が創業地で今も本社があるミツカンの赤酢のブランド名のこと)
諸々あって現代日本では赤酢は高級寿司店ぐらいしか使っていないが、ミツカンが赤酢の醸造を開始した化政時代から戦後すぐぐらいまでは寿司酢といえば赤酢といってもいいぐらいだった。
この赤酢だが美浦では寿司酢の為にわざわざ醸造しているのではなく、どちらかと言えば酒粕から酢を醸造すればその分だけ酢の醸造に使うアルコールが減るという奈緒美の執念の産物だったりする。
◇
上の口の者を豪勢に歓待しているのにはちゃんと理由はある。
人間、美味い物を食い美味い酒を飲めば口が軽くなるもので、素面なら絶対に喋らない秘密もペラペラ喋ることもある。
民俗学の学者から聞いた話だが、民間の伝承や信仰、儀式、しきたり、風俗、習慣、歌謡などの中には時として秘密になっている事柄や、不名誉なもの、因習となってしまったものなどもあり、そういった事柄はどうしても口が堅い。
そういう時は、学術調査などおくびにも出さず唯々酒を酌み交わすのだそうだ。
何日も唯々酒を酌み交わし続けて相手も自分もベロベロに酔っ払うとポツポツと断片を口にしてくれるようになる。
但しその時にちょっとでも記録するような素振りを見せると途端に口が堅くなるし二度と話してくれなくなるそうで、ベロベロに酔っ払いながら一生懸命記憶するとか。
民俗学の研究者に必要な能力は誰とでも楽しく酒を酌み交わせる社交性とどれだけ酔っ払っても細大漏らさず覚えられる記憶力と二日酔い三日酔いをものともしない鉄の肝臓とかなんとか。
俺らが上の口の者から聞きたいのは彼らがWCや美浦と今後どの様な関係を持ちたいと思っているのかやWCの現状など。
こういう話だと素面の状態では建前や当たり障りのない話に終始しがちになるから口が軽くなるように仕向けた。
是非はともかくとして、WCとしてはキャンプ場は創造主様に導かれた土地なのだからキャンプ場に固執すること自体は理解できる。
WCが一枚岩で尚且つ生涯に渡ってキャンプ場に固執するのであれば考慮は最小限で済むが、生涯不変や一枚岩というのは基本的には幻想だから個々人やその時々で固執の度合いに濃淡はあるだろうし、理屈と膏薬はどこへでもつくのだからWCが絶対にキャンプ場から出てこないとはいえない。
というか全員ではないだろうがどこかのタイミングで出てくるだろう。
それに現状に我慢ならなくなった構成員が分派や脱会という事も起きうる。
美浦とキャンプ場とは色々な意味で距離があるのでそのあたりは美浦からではよく分からない。
そしてWCの意向と上の口の開拓がどの様な関係なのかも今一つよく分からない。
キャンプ場の食糧確保を目的とした開拓という見方もできるし、不毛の地に固執するWCに愛想が尽きて別れたという見方もできる。
他にも色々あるだろうし日々うつろうものだろうけど、上の口の開拓者がキャンプ場やWCをどう捉えているのか、そしてその上でキャンプ場、WC、美浦とどの様な関係を築いていきたいと思っているのかは知っておきたい。
佐智恵を除くSCCの女性陣はこういった心情的なものを引き出すのに長けているのだが、全員ご懐妊中なのでこの場にはいない。
居ないものは仕方が無いので将司をはじめとした面々に頑張ってもらう。
俺は長岡さんに捕まったので他からの情報収集は任せた。
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長岡さんから内々の話があると誘われたので別室に移っている。
オイルランプを灯しているが大した明るさじゃないくて薄暗いけど会話には問題ない。
「授業を見せてもらったけど、あの歳で本当に中学レベルの内容を理解している。一体全体、どう教えたらああなるの?」
「ある単元を修得したら次の単元ってやっていたらああなっただけで、敢えて挙げるとすると次世代のリーダーという周囲の期待と少人数個別指導ですかね?」
「お抱えの家庭教師をつけて英才教育すればできるって次元じゃないんだけど」
「それは三人がとても優秀という事に尽きるかと」
超難関ではないがそれなりに難関な私大の付属小学校で教育実習をした事があるのだが、そういう学校だから全国平均より上の児童が多かった。
しかし、その児童と比べても美浦の子達は凄く優秀だと思う。
「……今は中学レベルだけど、ぶっちゃけ東雲さんはどの教科をどこまで教えられるの?」
「全教科高校レベルでもやれる自信はありますが、免許的には小学校のみです」
「既に中学レベル教えてるけど」
「いやぁ……中高の免許持ってる奴らに“まだ小学校の学齢だから”と逃げられまして」
そうなのだ。
美浦とオリノコの二校体制のときは教師をしていたにも関わらず美浦一校体制になった途端に逃げやがった。
お陰で一人文科省状態が常態化しつつある。
「上の口の小さい子供たちはこのままだと読み書きも計算もできないままになりそうだけど、上の口にきて子供たちに教えてもらうというのはどういう条件ならできる?」
「……正直に言うと手が回らないので難しいです。教材は融通しますのでそちらで何とかしてくださいとしか」
さすがに往復で十日とかかかるので厳しい。
「やっぱりそうか。美浦で教えてもらうというのはどう? まあ、学費や生活費をどうするかってのもあるけど」
「……可否はともかくとして、美浦は学費はとりません。何なら生活費も。先住者向けの教育訓練も彼らの衣食住を保証した上で受けてもらっています。それらも含めた教育訓練に要するコストは全て美浦全体で負担します。教育訓練は全額公費負担って感じです」
「どうして? 凄いコスト掛かりそうだけど」
「教育訓練に投資するのは凄く効率が良いからです。掛けたコストを遥かに上回る成果をもたらしてくれるんですから投資しない選択肢はありません。ですから受けない理由を潰して“教育訓練を受ける以外の選択肢はない”と思わせるための方策です」
オリノコや川合の教育訓練はそうやってきた。
そして今では貨幣代わりの木札で色々やってくれるようになってきていて美浦としてもその恩恵に与っている。
基本的に美浦は教育を受けたいという人に閉ざす門戸は持っていないが、できる事とできない事はある。
美浦に来て習いたいならホームステイ的な感じで良いなら不可能ではないが、特に理由もなく小学生で親と離れ離れというのもどうかと思うし、それなら一家で美浦に移住の方が手っ取り早いと思ってしまう。
長岡さんには俺の独断で許される範囲の支援策や独断では難しいが了承を得られれば可能と思われる支援策などを説明しつつ、長岡さんがどういう意図でこの話をしているのか探りを入れる。
ただ、俺はこういう腹の探りあいは好きじゃないんだよなぁ。
◇
「どういう話にせよ、一度そちらの皆様でご相談なさってはいかがですか?」
「そうだな。そうさせてもらう。しかしそこまで教育訓練に力を入れられるって本当に“衣食足りて礼節を知る”を実感した。風の噂ではたんまり備蓄があるとか聞いたけど本当なんだね」
「何を基準にたんまりなのかはアレですが、今備蓄している量だと収穫ゼロの場合二年は持つと思いますが三年は難しいので不十分です。最低でももう少し上乗せして三年分は確保したいですし、欲を言えば十年分は欲しいんですけどね」
「十年? 日本政府の備蓄米は一年もなかったと思うけど」
「確か年間消費量の八分の一ぐらいだったかと。基準としては二年連続で不作になっても耐えられる量となっていますが、不作でも全く穫れないわけではなく平年の九割は採れる想定ですし、小麦など他の食糧の輸入もできるので保管コストの兼ね合いを含めてその水準でもいいんですが、ここだと災害があれば収穫がゼロになっても不思議じゃありませんから」
「……けど十年はやりすぎじゃ?」
「そうでもないんですよ。実は現在想定している最大規模の災害だと、復旧までに軽微で三年、激甚で十年かかると算定しています。それなりに可能性がある以上は備えなければ」
「復旧に十年? ……どんな災害? 大地震とか?」
「南海トラフ巨大地震と津波も想定していますが、最悪の想定は鬼界カルデラの破局噴火です」
美浦の大人には過剰と思えるほどの防災倉庫と備蓄米の理由として鬼界カルデラの破局噴火とその影響について説明してある。
「破局噴火って国が滅ぶレベルの大噴火? 何かそういうの小説を読んだ覚えがあるけど、それが起きると?」
「ええ。鬼界カルデラの破局噴火は縄文時代に起きて大量の火山灰が東北地方ぐらいまでの広域に降灰して地層になっています。しかしボーリング調査の結果、その火山灰の地層はここらにはありませんでした」
「ボーリング調査までしたの?」
「井戸を掘ったということです」
「なるほど」
「根拠は他にもあり、私らが生きているうちに起きるかどうかは分かりませんが何れ起きると考えています」
「それが最悪の事態」
「です。実際にここらにどれだけの火山灰が降るかは分かりませんが、私たちがいた日本ではこの辺りに最大二十センチぐらいの降灰があったと考えられています。仮に大して降らなくても巨大噴火の影響で何年かは天候不順になることも十分ありえます。それとどうにもならない量が降ったらここの放棄も選択肢に入れています。どういう選択を採るにせよ数年単位の食糧の備蓄は必要です」
「……必要性は分からなくもないけど」
「なぜ今まで言わなかったのか、ですか?」
「ええ」
「“聞かれなかったから”なんて詐欺師みたいな事は言いませんが、発生頻度は一万年に一回なんですから一生起きない可能性の方が断然高いんですよ? 自分達がそれに備えるのはともかく、他者に備えるのを推奨するのは躊躇います」
二年連続の不作レベルの備蓄ならともかく、極論を言えば杞憂レベルの事に備えるのだし、普通に考えて何十年と空振りを続ける公算が高いのだから信頼関係がなければ無理。
「ああ……大半が無駄な備えになるって事か」
「毎年期限切れの食糧が、それも年単位で消費する量がでますが、それを必要な備えだと割り切れるかどうかですので」
「それに備えるということは“その安きは持し易く、その未だ兆さざるは謀り易し。その脆きは泮かし易く、その微なるは散らし易し。これを未だ有らざるに為し、これを未だ乱れざるに治む”の精神という事か」
「老子ですか。続きは“合抱の木も毫末より生じ、九層の臺も累土より起り、千里の行も足下より始まる”でしたっけ。地道に備蓄を積み増ししてます」
「お見事。中々分かってくれる人が居なくてさぁ。しかし地層か。“智者は未萌に見る”だな」
「そっちは……戦国策ですね」
「良いねぇ良いねぇ」
「まあ、うちらの備蓄は杞憂と笑われても仕方が無い量ですが、老婆心ながら多様な産地と確立した流通網が無い現状では多少は備蓄しておかないと下手すれば台風一発で詰みますから」
「そうだな。一年間収穫が無いもありうるとなると“濡れぬ先の傘”とも言うし、ある程度は貯めておかないと危ないか」
「そう思います」
「……もし……どうしようもない状態になったら」
「その時は迷わず美浦に避難してください。命あっての物種です」
『おーい、お二人さん。そろそろお開きにすんぞ』
「はいよ! 東雲さん、今日はありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。下水処理の設置にお伺いすると思いますからその時はよろしくお願いします」
「こちらこそ」




