第12話 ローテクで作るには
「粘土だと出来は今一だな」
「やっぱり海藻糊の方がいいか?」
「混合しやすいから失敗が少ないし、燃焼性能も良い」
「しかしミツモコに作らすなら粘土をバインダーにした方が良くないか?」
何かを固めるときに互いをくっつける役割をする物をバインダーという。
縛るとか固めるという意味のバインドをするものがバインダーなので、一般にはルーズリーフとかを綴じる文房具が身近なものだと思う。
奈緒美や秋川家だと作物の刈り取りと結束を行う農機が思い浮かぶだろう。
俺は接着剤になるし、佐智恵は爆薬表面のコーティング樹脂になる。
粉末を固めるには主に二通りの方法があって、一つは高い圧力をかけるなどして粒子間の空気を押し出して真空接着するというもので、もう一つはバインダーを使って結着させるというもの。
他にも高温高圧をかけたり焼成して溶着させるという方法もあるが、その前段階の形成時にどちらかの方法で固めることが多い。
まあ、何かを固めるには固める物の特性や経済性や取り扱い易さなどでバインダーの要否やバインダーの種類や使用量を選ぶ事になる。
何の話をしているかと言うと、ミツモコに作ってもらうバイオブリケットを固めるのに使うバインダーを何にするのかという検討。
文昭が粘土をバインダーに使ってバイオブリケットを作ってみたけど芳しくない結果になった。
練炭のバインダーにはベンナイトと呼ばれる粘土の一種やセルロース系の水溶性高分子のカルボキシメチルセルロースが使われることが多い。
CMCは安価に入手できるし、作業性が良いし、不燃性鉱物のベンナイトと異なりCMCは可燃物なので灰が残りにくいなどの利点があるので途上国の固形燃料作りに使われることもある。
なので美浦でもバイオブリケットのバインダーにCMCを使って……という訳にはいかなくて、基本的にはフノリやワカメやモズクやホンダワラといった海藻を煮て作る粘液をバインダーにしている。
海藻の細胞壁に豊富にあるアルギン酸などの粘質多糖類が作り出すネバネバがいいのよ。
特にフノリは俺や匠だと土壁や漆喰に昔から使われてきたコンバットプローブンがあるバインダーだけど、漢字で『布糊』とも書くことから分かるように多くは布の糊付けに使われてきた。
美浦でCMCを使わないのはCMCの合成に必要な物質が揃わないからで、佐智恵や春馬くんが言うには少量なら合成できなくもないがブリケットのバインダーなどにバンバン使う量を合成するには施設や器具や基礎化学物質などが色々足りないとの事。
工業的に製造されだしたのは二十世紀前半らしく、現状の美浦である程度の量を合成するのは難しい物質だそうだ。
美浦では海藻抽出物の粘質多糖類をバイオブリケットのバインダーにしているが、ミツモコにバイオブリケットを作ってもらうとするとミツモコで自給できない海藻抽出物をバインダーにするのか自給できる可能性が高い粘土をバインダーにするのかを調整している。
デンプン糊もバインダー候補として挙がったが、基本的には食糧とのトレードオフになるので最終手段という事で検討からは外されている。
「義教はどう思う?」
「……粘土での製法が確立するまでは美浦から海藻か抽出物を乾燥させた物を輸出するのが良いと思う」
練炭を作るのにベンナイトなどの粘土系のバインダーを使うことは現代でも採用されている例も多いが、粘土なら何でも良いという訳ではないし、現状では美浦というか文昭が作っても失敗作が多々でていることを鑑みれば安易に“自給可能な粘土で”とは言いにくい。
「マサの言うことも分からなくもないけど、歩留まりは……敷島さん、幾つでしたっけ」
「七割も無い」
「ありがとう。さすがに七割未満はキツイんじゃないかしら。それと……春馬さん、ブリケットの形成がうまくいかなくて崩れた粉末褐炭が自然発火するリスクは考えられますか?」
「それを防ぐためのブリケット化ですから起きうると思っていただければ。確率は然程高くは無いですけど流通量が増えれば事故件数は増えると思います」
「そうですね。ありがとうございます。という事を勘案すると東雲案の妥当性が高いと考えますが」
事前調整の場に春馬くんがいるのは佐智恵の代わり。
そろそろ臨月なので春馬くんが代われるものは代わってもらっている。
「ユヅもそういう意見なら……ただ、ミツモコが自給できる手段、例えば自力で海藻を得る方法とか粘土バインダーでの製法の確立とかは検討を続けてくれ」
「バインダー問題はそれとして、ブリケットマシンの手配ですが」
「淡路島に設置してたのは引き上げてきたから出そうと思えば出せる。来年までに新たに作る必要はあるがとは思うが。それか……匠、新たに作れるか?」
「メンテや操作難度から見てブリケットマシンの提供には反対する。量産性は劣るが構造が比較的単純なネジ式圧搾機を改造、もしくは梃子式の奴を新造」
美浦では二軸ロール型造粒機といって相対に回転する二本のロールの間に原料を投入して粒状に圧縮成型するブリケットマシンを採用している。
原料供給しながらロールを回転させ続ければ連続して生産できるので量産性に優れており、産業的にブリケットを生産する場合はたいていは二軸ロール型造粒機に分類される機械装置を使用している。
現代の尺度で見れば比較的単純な装置ではあるが、メンテフリーとはいかないし、位置合わせとか原料供給速度とロールの回転速度のバランスなど操作も単純ではない
一方で、匠が言ったネジ式圧搾機というのは、万力で挟み込むような感じで圧力を掛けて圧搾するもので、美浦では油や醤油や酒などの圧搾に使っている。
その起源はワイン用の葡萄を絞るのに作られた物という説もある圧搾機の原点的な存在。
こっちは原料を型にいれて締め付けて固形化してから取り出してまた原料を入れるというバッチ処理になるので連続処理できる二軸ロール型造粒機に比べると生産性に劣る。
ネジという日本では火縄銃が伝わるまで存在しなかった機構を使っているので原始的な器具というわけではないが、使用難度で言えば二軸ロール型造粒機とは雲泥の差がある。
最後にあげた梃子式圧搾機はにんにく絞り器やハンドジューサーみたいな感じの物で梃子の力を利用して圧縮する奴。
これだと製造難度も低いし操作も難しくない。
あと、候補には挙がっていないが、最も単純な圧縮機は型の中に圧縮する物を入れて蓋して重石をのせるという漬物でお馴染みのアレになると思う。
「二軸ロール式、ネジ式、梃子式と案があるが、教えるのは義教だから義教の意見は聞いておきたい。勿論それ以外の方法もあり」
「梃子式かな? 操作も難しくないし」
「みんなの意見は? ……なら梃子式を軸に検討でいいか?」
「幾つか試作するから、テストは文昭にお願いしていいか?」
「承った」
「じゃあ、匠と文昭、頼んだ」
「頼まれた」
ミツモコでのバイオブリケット製造について押っ取り刀で対応しているのは、ミツモコが自力で褐炭を見つけるとは思っていなかったから。
聞けば朝出て昼に着くぐらいの場所にあったそうだ。
彼らのテリトリーの典型は片道二時間以内だから、褐炭はテリトリー外にあったと思われる。
仮に三時間掛かったとしたら通常の勢力範囲の五割り増しぐらい、四時間なら二倍の距離の場所まで捜索の手を広げたという事なので大冒険だった筈。
■■■
「ただいまー」
「おかえりー」
「おかーりー」
家に帰ると佐智恵と有栖ちゃんが居間で出迎えてくれた。
「サッちゃん体調はどう?」
「サッちゃたーちょどう」
「問題ない」
「ない! 赤ちゃんポコポコしてた」
「地味に痛いが元気な証拠」
「じーに痛いけど元気!」
「そうかありがとう」
有栖ちゃんは俺らが話しているとこうやって復唱して入ってくることもある。
これは存在アピールと大人振りたいのが渾然としているんじゃないかと思っている
今まで家族全員の庇護を受ける立場だったが、その立場はもう少しで産まれてくるであろう弟もしくは妹に移る事を感じて自分の立ち位置を確認しようとしているのかもしれない。
子供って本当に空気読むよ。
もしかするとイヤイヤ期の奔りなのかもしれないが、ちょっと前までは「あれしてー」「これしてー」と甘えん坊だった気がしたが、最近では「できるもん」「やるもん」「あっち行って」と手伝われるのを嫌がるようになった。
「ひとりでできるもん」と言われると、できるかな? と思いつつも陰ながら見守ることにしている。
命に関わるような事でなければ幾ら失敗しても問題ない。
むしろ大人がフォローできるうちにどんどん失敗したらいいとさえ。
「みゆちゃはねぇ、牛さんいってる」
「ありがとう」
美結さんは牛が出産しそうなので牛舎に詰めている。
捕獲時に妊娠していた牛が二頭いたらしく、一頭はこの間分娩していて、もう一頭がそろそろ分娩しそうとの事。
ヤギの出産ラッシュもあったし出産の季節という事。
現代では牛は周年繁殖といって年間を通して繁殖可能な生物ではあるが、野生の周年繁殖動物は季節差が少ない低緯度地域を除けばそれほど多くは無い。
馬やヤギ(一部例外あり)は季節繁殖なので家畜化されたら周年繁殖になるわけではないが、家畜化されると生息環境の季節変化が小さくなったり繁殖能力の高い個体が人為的に選抜されるので繁殖行動の季節性は小さくなり繁殖可能期間が長くなる傾向がみられ、中でも牛や豚は繁殖可能な季節が広がって年間通じて繁殖可能になっている。
牛の野生種のオーロックスは絶滅しているのであれだが、同じウシ族の生物では野生種は繁殖時季が決まっている季節繁殖の事が多い事から考えるに季節繁殖だったのだと思う。
家畜の豚は周年繁殖だが、豚の野生種である猪は基本的には季節繁殖で冬に交尾して春に出産するので、温帯ぐらいまで緯度があると基本的に季節繁殖になるのだと思う。
そして季節繁殖動物の多くは餌が豊富になりやすい春から初夏にかけて出産する種が多い。
つまり、この時季は美野里をトップ美結さんをサブに据えた家畜家禽班が大車輪で回している。
「春くんはちゃんとできてた」
「はーちゃできた」
「大丈夫だ」
「だーじょぶ」
「それで結論は?」
「そーでけーろんは」
「圧縮は梃子式を新造、バインダーは海藻、但し、粘土バインダーの製法は追及」
「あーしゅく?」
「圧縮。ぎゅっと固めるの」
「ぎゅっとする……猫? キッテンぎゅっとするの?」
ん? ……あっ、梃子を猫に聞き間違えたのか。
それと“猫が圧縮する”と“猫を圧縮する”では大違い。
前者はほのぼのという感じだが後者はホラーだよ。
ぎゅっとするを抱きしめるという解釈ならどっちもほのぼのでよし。
「猫じゃないよ。梃子」
「てこ?」
「小さい力で大きな力を出す道具のことだよ」
「……どんなの?」
チラッっと佐智恵を見ると“仕方ない。大丈夫”と目で返してくれた。
「じゃあ、晩御飯までの間にやってみる?」
「やってみる!」
もう少しで三歳の子供に科学教室をしてもきっと直ぐに忘れるとは思うけど、子供が好奇心を持ったらそれに応えるのが大人の責務じゃないかとも思う。
今のところ「これ何?」「どうして?」に答えられないものが無いのが救いだけど、そのうち答えられない問いを発するようになるんだろうな。




