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文明の濫觴  作者: 烏木
第9章 濡れぬ先の傘
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第8話 石臼

「石臼を普及させたいと思っているんだけど、匠の意見も聞いておきたい」

「良いんじゃないか。石臼はいわば石器だからオーパーツじゃないし、特に反対する理由は無い」


どこでもいいけどどこかに担ってもらいたい殖産興業案の石臼とできれば石工について根回ししておく必要がある。


石臼というのは一般的には下側の固定臼と上側の回転臼があって回転臼を回すことで穀物などを製粉する道具だが、石臼には中々興味深い特徴がある。


石臼は世界的にみると新石器時代には作られていたところもあるのである意味では石臼は立派な石器であるが、これが誕生時からほとんど姿を変えることなく二十一世紀でも現役の道具として使われているので、石臼は道具版生きた化石とも言える。

創成期に完成形が作られ改良の余地がなかったという事なのだろうが、何千年もの長きに渡り古今東西ほぼ変わらない道具というものは中々無い。


ほぼ同じ構造ほぼ同じ使い方というのは歴史的・世界的にみてもそうで、一部例外を除けば回転臼を反時計回りに回転させて使う。(佐渡島など時計回りの石臼が使われてきた地域もあるし、機械動力の都合や配置効率などで時計回りにしている物もある)

これは右利きの人間が右手で回転臼を回しつつ左手で擂り潰す物を入れるという作業を行うには反時計回りに回す方が時計回りに回すより負担が少ないからで、利き手が右という人間が圧倒的に多いので人力で挽く石臼のほとんどが反時計回りに使うというのは納得できる。


基本的な構造は変わらないが個別の造りについては主に二通りの造りがある。

石臼は目(溝)を刻むのだが、一周三六〇度を同じ目の形にしておかないといけない。

だから何個かの組で一周させるので六〇度六組の六分画と四五度八組の八分画という二大潮流がある。(他の分画がないわけではないが少数に留まる)

この潮流には地方色があって日本の中でも六分画と八分画の分布があり、北陸や東海から中国四国にかけては八分画が、関東から東北にかけてや九州では六分画の石臼がよく使われていた。


そういう訳で美浦で使っている石臼は関東文化圏の匠が作るので六分画の石臼になる。俺が作っても師匠が一緒だから六分画になる。


それと石臼の石材は玄武岩や安山岩が良いとされているが、美浦では近辺に普遍的にある溶桔凝灰岩を使っている。

この辺りで採れる石臼に使える大きさの岩石の中で一番向いているというのがその理由。

岩石によってメンテナンス(目立て)の頻度や難度が異なってくるが、最高品質の石材でなくても石臼として使えりゃそれで良いという訳。


「そういや、何で普及止めてたんだっけ」

「保護メガネが無かったから」


石臼は製作でもメンテでも石を削るので、滅多に無いが破片が目に入る危険があって最悪では失明するので保護メガネ無しで伝授するのは二の足を踏んでいた。

親父が手抜きして面防を着けずに(はつ)りして破片が目に入って一箇月ぐらい独眼龍になっていた。

直ぐに眼科に行って適切な治療が行われたのでそれですんだが、直ぐに眼科に行かなかったら、また場所が少しずれていたら永続的な視力低下や失明もあったとか何とか。

近代的な医療体制がない状態でそういうことが起きれば非常に拙い。


美浦ではSCC(俺ら)が持っていた保護メガネがあるのでそれを使っているが、それを配るのは色々な意味で駄目なので頓挫していたが、春馬くんの頑張りでアセチルセルロース製の保護メガネに目処が立ったので真面目に普及を検討する事にした。


「目立てはタタキ一丁でもできるが……新たに作るとなると割って均して……まあ石工道具一式欲しいな。有ったら有ったで石垣や石橋を造るのにも使えるから邪魔にはなんめぇ」


石臼自体は新石器時代からあるらしいので鋼鉄製の道具がなくても作れる筈だが、コヤスケや両刃叩きやビシャンやハツリノミといった石工道具があった方が断然作りやすい。


「本格化は佐智恵が復帰してからの方がいいか」

「それ待ってたら早くても二年後ぐらいになるし、次もあったら下手すりゃ何年も……」

「そりゃ拙いな。どっか一集落に作らすって考えてるから道具一式を二、三セットってきついか?」

「それなら何とかなるかな? あのあたりだとさっちゃんも文句は言わんだろうし」

「なら頼めるか? 秋ぐらいまでにあると助かる」

「何とかやってみるわ。そうそう、石工といやぁ滝野の橋は石橋だったな。オリノコの竪琴橋はもうすぐできるが、滝野はどんな塩梅だ?」

「もう少しで織姫橋と烏鵲橋(うじゃくきょう)の輪石ができあがるから壁石と五郎太石が確保できたら架橋する。時期は夏場から秋口を目論んでいる」

「彦橋は?」

「早くて冬、でも次のムィウェカパに間に合うように遅くても来年の夏までには架けたい。幅員は五メートルだが三つ同時は石の確保がさすがに厳しい」

「そもそも五メーターは広すぎだって。前も言ったが二、三メーターで妥協しなかったノリが悪い」

「本音を言えば車道を八メートル確保するため十メートルぐらい欲しかったんだけど」

「欲張り過ぎ。二車線の橋が必要な交通量になる頃には幾らでも架橋できるインフラが揃ってる。そうそう、岩崎越えからオリノコまでの一車線区間の二車線化工事に取り掛かりたいって黒岩氏が言ってた」

「牛車が現実味を帯びてきたからかな?」

「かもしれん。何にせよ道路は滝野まで伸長したいな。船便か徒歩で人力ってのは不安でな」

「激同」

「ちゅう訳で、測量頼まあ」

「そっちにくるかぁ」

「そろそろ基本図繋げようや。そんでもって十集落プラス・アルファも視野に。何れ必要になる物で、現状ではノリしかできない事だからな」

「話の持って行き方が匠らしくねぇけど」

「ネタバレすれば将司(マサ)から指南されてる」

「……で、あるか」

「よっ! 第六天魔王」

「はいはい。だが断る」


基本図は、美浦、留山追分、オリノコ、滝野、川合の五箇所の物があるが、実は()()を記している基本図は美浦と留山追分の二箇所しかない。

美浦と留山追分は隣接しているので標高の基準を共有できるが、他の三箇所は共有できていないので、それぞれの場所で基点としたものとの高低差で記している。


高さを測るには何をゼロメートルとするのかの基準が必要で、この基準を付近の海岸の平均海面にすると『海抜』になるし、ジオイド(定義としては地球の重力のみで形成される地球単位での平均海面)にすれば『標高』になる。

定義としてはそうだが、現実にジオイドを計測するのは色々課題があるから、どこかの平均海面をジオイドとすることが多く、日本の標高は離島などの例外を除けば東京湾平均海面(T.P.)をジオイドとしている。

だから美浦と留山追分の基本図の『標高』というものは実は星降湾平均海面からの『海抜』ではあるが、星降湾平均海面を統一基準とすれば『標高』といってもいい。


標高と海抜は一見同じように思えるかもしれないが、現実の平均海面は地形や海流や海水温などの影響を受けるので、ジオイドとの差がメートル単位になる海域もあって『海抜』と『標高』が異なるというのは有りうる。というかジオイドとした海域以外は異なるのが普通。


どうして『海抜』と『標高』という異なる高さの表現があるかというと目的が異なるから。


『標高』は統一した高さを示すもの。

富士山の標高(およびT.P.からの海抜)は三七七六.二四メートルだが、大阪湾奥部にある尼崎西宮芦屋港(わけわかめな名称だけど正式名称)の平均海面からの海抜だと(大阪湾の方が海面が高いため)〇.二六二メートル(二六.二センチメートル)低くなる。

同じ地点の高さが異なるって面倒だし、他にも実用的な理由もあって原則として統一した基準を基にした標高が広く使われている。


統一した高さを表す『標高』があるのに、なぜ『海抜』があるのかというと、津波や高潮や洪水などを防ぐには付近の海域や河口での平均海面からの高さである『海抜』が重要になるから。


例えば尼崎西宮芦屋港の付近にある同港の平均海面と同じ高さの土地は『海抜ゼロメートル、標高〇.二六二メートル』となる。

ここに高潮を防ぐ施設を造るばあいに標高を基準に造ると高さが二六.二センチメートル足りなくて期待する防災能力を持たない。

これが逆に平均海面がT.P.より一.二センチメートル低くい名古屋港だと『海抜ゼロメートル、標高マイナス〇.〇一二メートル』なので、標高を基準にするとオーバースペックで、期待する防災能力はもっと安く作れたということになる。


だから『海抜ゼロメートル地帯』という言い方はしても『標高ゼロメートル地帯』という言い方はしない。津波が予想される地域では『ここは海抜○○メートル』という表示があったりするのも同じ理由。


他にも港湾だと船と埠頭の関係もあるから最低潮位を基準とする高さ(大阪湾最低潮位(O.P.)とか名古屋港基準面(N.P.))が使われることもある。

干潮になったら埠頭が高すぎて船から乗り降りできないとか貨物船の荷物にクレーンが届かないとかあったら困るっしょ?


つまりは目的に応じて()()()()()()()からの高さを使っているんです。


同じ地点で異なる高さを列挙されても分かりにくいという素人意見はあって、それに慮って標高に統一するところもあるが、個人的には何か一つに絞るのならその表示の目的に合わせた基準面からの高さにすればいいと思う。

何でもかんでも標高はないだろうと……


それはともかくとして、なぜオリノコや滝野、川合の標高や海抜が分からないのかというと、そこにある三角点や水準点が美浦にある原点と繋がっていないから。

観測地点から遠くの山の山頂までの仰角(水平からの角度)と直線距離は測れるが、それで山の高さが分かる訳では無い。

直線距離をL、仰角をθとして、L×sin(サイン)θで高さが、L×cos(コサイン)θで水平距離が割り出せそうな気がするかもしれないが、地球は丸みを帯びているのでそれで算出した数値は使えない。


波打ち際に立ったときに見える水平線は四から五キロメートルぐらいしか離れていない。

これは逆に言えば、そのとき見えた水平線の地点からこっちを見たら海面に対して水平の位置にこっちの目があるって事でもある。

つまり、仰角ゼロ度の位置にあるから先の三角関数で割り出したら標高ゼロメートルという事になるが、実際はそんなことはなく四キロ先にある物が観測地点の地面と水平の位置に見えたら、それは観測地点より一.三メートルぐらい高いという事。

これが田畑とか家屋とかの百メートルぐらいの範囲なら誤差は一ミリメートルもないから角度と距離で測量することもあるけど、地図となるとたかだか四キロメートルで一メートル以上の誤差が出るから角度と距離で算出した値は意味を成さない。


それじゃあどうやって高さを測っているかというと、例えばA地点とB地点の高低差をだすにはA地点からB地点までの間を数メートル間隔で高低差を測り、その合計がA地点とB地点の高低差という実に原始的というか地道な作業というかをしている。

全部が全部そうやっていたら幾ら時間があっても足りないから高さの基準になる水準点を設置して水準点同士の高さはさっきの方法で測って、それ以外は水準点との角度や距離などで測る事が多い。


要は三角点や水準点といった基準点を山ほど設置して多数の基準点からの角度や距離から測れるようにしなくては実際の緯度や経度や標高を割り出すことはできない。


例えば三角点は日本ではおおよそ二平方キロメートルに一点という感じに設置されていて、総数としては十一万点弱の三角点がある。

実際には三角点だけだと標高の精度が緯度経度に比べて甘いので標高を測るための基準点である水準点も必要になる。


この可能な限り正確に求めた緯度、経度、標高を示す基準点網があって初めて測地できるようになるので、美浦の旭広場に設置した原点とつながる基準点網が到達していないオリノコ、滝野、川合では正確な緯度、経度、標高が測れない。緯度経度については天測である程度割り出してはいるが、標高となるとさすがに無理。

匠の基本図を繋げようというのは、この基準点網を繋げようという事。


でも日本に三角点などの基準点網が整備されたのって明治になってからなんだよね。

しかも設置したら終わりじゃなく、地殻変動などで基準点自体が動くのである意味では測量し続けなければいけない。

大地震や地滑りとか以外でそんなに動くのかという疑問があるかもしれないが、実はそれらがなくても一年で数十センチメートル動く場所もある。

そしてそうやって蓄積された地殻変動の履歴が地下構造の解明などに役立っている。


つまり基準点網を広げるという事はこれまでのように手透きの時間に測量という体制では力不足。

ただでさえ一人文科省に近いことやってんのに更に一人国土地理院もやるって無理。


「もうちょい色々手が離れるか複数の測量チームが編成できないと難しい」

「けど、トータルステーション(TS)は当然として経緯儀(トランシット)測距儀(レンジファインダー)も作れん。(平板測量の)示方規(アリダード)の複製が関の山。それでも気泡式水平儀が必要だけどな」

「それらも含めて時期尚早だと思う」

「やっぱ各集落から準成人集めて職業訓練しようぜ。その方が絶対いいって」

「そっちも俺なんやけど」

運命(さだめ)じゃ」


そういうのはお腹一杯です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 地籍測量では50m、工事や踏査じゃ2~500mが限界ですが現状の平板じゃ50mが限界ですね。 外業より内業が大変です……。
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