第4話 食糧政策
「栽培難度が低くて主食になりうる作物を複数?」
「うん、先住者集落に普及させたくてさ」
餅は餅屋で、食糧生産については奈緒美にアドバイスをもらう。
なぜ食糧生産の普及をするかというと、安全保障なのはもちろんなのだが、文化醸成のためでもある。
彼らの食が安定した方が突拍子も無い事をしでかさないし“貧すれば鈍す”や“衣食足りて礼節を知る”が示すとおり物質的な不自由があると精神的にも不自由になる。
今日明日どうやって生き残るかに汲々としている人間には余暇を楽しんで文化を育む余裕なんてないし、“老後の為に”や“未来の子供たちの為に”を考えるなどといった贅沢は許されない。美浦が余裕を持てるのも数年は持つだけの備蓄米があるからとも言える。
だから食糧生産については基本的に全部の集落に普及させる予定ではある。
その食糧にしても単一の作物にするのは避けたいと思っていて、栽培できる作物が一種類しかなかったときでも少なくとも複数の品種は栽培させたいと思っている。
「普及は分からなくもないけど複数となると効率は悪いよ?」
「効率でいえば一番収量の良い奴を専業でやるってのは分かるがジャガイモ飢饉は御免なんだわ」
「ああ……それは良く分かる」
ジャガイモ飢饉というのは一八四五年から一八四九年にかけて欧州のジャガイモにジャガイモ疫病菌が蔓延してジャガイモの多くが枯死してしまったのだが、ジャガイモを主食にしていたアイルランドではその被害が甚大で大飢饉になった事を指す。
小麦などの他の作物は英国が取り上げて飢餓輸出していたから食べる物が無くなったアイルランドでは人口の二割以上が餓死したり病没し、職を失い海外に脱出する者も多く、米国でゴールドラッシュが起きた頃なので百万人以上の渡米者がいたとも言われている。この移民の中にはケネディー大統領の先祖もいたらしい。
アイルランドに対する英国の政策が被害を拡大させているので人災とも取れるが、発端は単一品種の栽培が急速な疫病の蔓延を招いたことだと思う。
「複数のねぇ……単純に考えればサツマイモ、ジャガイモ、蕎麦、稗、粟あたりかな? でも、多大な収量とか食味を気にしないならノリさんが主食になると想像する作物はだいたいいけると思うよ」
「そうなの?」
「考えてもみてよ、栽培が難しい作物が嗜好品ならともかく主食になるぐらい普及すると思う? 栽培難度が低いから主食の地位を占めてきたんだよ?」
「言われてみれば」
「収量とか食味とかを追及していくと高度な栽培技術がいるかもしれないけど、それこそ衣食足りての次段階じゃないかな?」
御説ごもっとも。
「もちろん、気温、日照、降水といった気候条件や土壌や地勢によって向き不向きは当然あるし、どうにもならない不毛の地もあるけど」
「温帯のこの辺りで不毛の地ってありえる?」
「局所的にはありえる。火山や温泉があって強酸性の川があるとか、土壌にアルミニウム分が多くて植物の栄養吸収に難があるとか、しょっちゅう水没するとか水捌けがが悪いとか、逆に水捌けが良すぎるとか……もっともそういうところには集落はできないと思うよ。川合周辺が空白地だったのは水捌けが悪くて食糧に乏しかったからだと思うし」
「そう考えると既存集落は何かしらは栽培できそうという事か」
「そゆこと。米は陸稲はともかく水稲だと田んぼ造んなきゃならないし水利施設も要るから直ぐにってのは難しいけど」
「米の収量は鬼だから何とかしたいけど」
米は保存性が高く収穫倍率も良いので一番普及させたいのは米だったりする。
ただ、奈緒美がいうように水田のインフラを造ってからになるので時間が掛かるというのは同意する。
「“日本人は”になるのかはアレだけど米に格別の思い入れがあって品種改良に品種改良を重ねてきたからあんな多収作物になったんだけどね」
「ん? どゆこと?」
「稗や粟は反収でいえば二〇〇キロはかるく超えるから」
「へ? マジ? 反収二〇〇って江戸時代の米の反収と同じぐらいじゃん。その反収って現代だからじゃ?」
「いやいや、昔っからあんま変わんないって。それに寒冷地に対応した稲ができるまでは東北とか北海道では稗は主食の地位にあったんだよ?」
「それ、いつの話?」
「昭和の話。戦後しばらくまではそうだったって聞いた事がある」
「そしたら江戸時代より前の米の反収が一〇〇ぐらいしかないころでも稗粟は二〇〇あったってこと?」
「たぶんね。そして反収が劣っていても米の方が好きで米作ってたし多収目指して努力し続けたって事。稗や粟より米麦の方が食べやすいのは間違いない」
「米麦の方が食べやすいは認める」
稗原とか稗田など稗がつく地名はあるし、粟津とか粟生など粟がつく地名もたくさんあるから昔は稗や粟が作られていたのだろう。
粟なんて『濡れ手に粟』なんて慣用句もあるぐらいだし。
「ところで、何気にスルーしてたが粟ってあるの? オリノコに稗があるのは見てるけど粟は見てない」
「一応持ってはいる。ただだいぶ経ってるから発芽率が心配だけど」
「何で? できる奴は種子更新してたように思ったけど」
「雑草化フラグがね……エノコログサ」
「ああ、野生種はネコジャラシだったか」
「強靭だし収量も悪くないけど、後が大変な気がしてさぁ……最後の保険に取ってて忘れてた」
「忘れてたんかーい」
「うん。忘れてた。兄嫁さんに頼まれて稗、粟、黍は集めだしてたからストックはある筈」
「なして? グローバル社会で救荒作物ってナンセンスじゃね?」
「昨今の健康ブームで雑穀に良い値が付くようになったんだわ」
「そういう需要ってあるのか。でも輸入に負けるだろう」
「逆にほとんどが輸入だから『国産』に希少価値がついて米の十倍の値が付くこともあるって言ってた。十倍までいかなくてもキロ単価が三倍以上なら米より儲かる目もあるからちーちゃんは早乙女農園の多角化の候補の一つとか言ってた」
「そういうのに金出す人がいるのは知ってるけど、ほとんど信仰だよねぇ」
「ノーコメント。でもお試し栽培した奴は全部鳥に喰われて全滅したから何とか種子を確保できないかって」
「やっぱ鳥は食うんだ」
「そりゃもちろん。防鳥ネットを張る直前に根こそぎやられたって」
「やっぱ防鳥ネットとか無いとヤバイ系?」
「防鳥ネットを架けられるぐらい小規模だとそうなるかな? 人海戦術じゃないけど鳥獣の胃袋以上に作っておけば被害率は下がる」
「それって十の被害を受けるから十以下だったら全滅で、二十だったら五割の損害、百だったら一割で済むって奴?」
「そのとおり。これって米でも一緒で、何で推奨品種を定めて地域一帯で同一品種の栽培を推奨するのかっていったらそれも理由の一つ。皆が晩稲を栽培しているのに一人だけ早稲を栽培すると酷い目にあうから」
「そうだとしたら複数品種ってのは改めた方がいいのか?」
「うーん、どうだろ。全集落同一品種は止めた方がいいのは賛成。それと稗と麻は各集落にあるってんなら在来種を作らせ続けるのはありよりのあり。後、雑穀でブロイラー飼育して鶏肉食うってのは、なしよりのありかと」
なるほどね。これまでの分には手を付けずに現状維持というのは御尤も。
また、鶏も肉用だったら卵用と違ってボレー粉とかのカルシウム源も気にしなくていいから雑穀中心でやれなくもない。
それに飢饉の時は鶏を潰して雑穀で食いつなぐという手も無きにしも非ずとなれば、確かにありっちゃあり。
「じゃあ、これまでの栽培は今までどおり、何ならヒヨコ提供はあり、加えて米麦の新規作付けを検討って線がいいかな?」
「いきなり米麦はどうだろう。私なら先ずはサツマイモだね、窒素固定してくれるし。それと蕎麦も痩せた土地でも育つから候補かな?」
「サツマイモ、ジャガイモ、蕎麦……美浦開拓当初を思い出す」
「道理ですから。それとノリさんは分かってると思うけど、蕎麦は反収が悪いから栽培面積無いとつらいからね」
蕎麦の反収は平均すると三〇から四〇キログラムぐらいだけど、場所や年によっての変動が大きくて二〇キログラムも採れない事もあれば八〇キログラムぐらい採れる事もある。
しかし、仮に大豊作の八〇キログラムとしても主食にするなら一人の半年分でしかない。
米、麦、稗、粟、ジャガイモ、サツマイモは基本的に一反あれば一人が一年食べていけるけど、蕎麦は四倍から六倍ぐらいの栽培面積が必要になるという事。
「ジャガイモは中毒が心配だからとりあえずはサツマイモをばら撒くのがいいか。蕎麦は石臼と同時に」
「無難だと思う。滝野で芽出ししながら畑造りから栽培まで実演してればある程度ノウハウも伝わるんじゃないかな?」
「そんじゃあ、美浦とオリノコ用に芽出ししてる奴を根こそぎ貰って、美浦とオリノコは作り直す……可能かな?」
「一回分の減量なら何とかなるとは思うけど、ノリさんが作り直してくれるなら増量分は芋焼酎にするから推奨!」
「……んじゃ、その線で上げるから」
「お任せあれ」
◇
「で、苗床箱を作っちょると」
「はい」
「……まあ、でけた分はしゃーねーけど、そない要らんぞ」
「へ?」
「苗蔓は先住者集落とキャンプ場にあてて大丈夫なだけこさえとる。農家は何の株植えるか考え続けとるもんやさかい、需要ぐらい自分で考えられんとようやらんわな」
「……なっ」
「はっはっはっ、ナオ姉ちゃんに騙されたな」
「……ぐぬぬ」
「やからな、そんらは川合のプランター栽培に使こうたらええ」
「親父殿……」
「まあ黄金千貫、白豊、ジョイホワイトがあったら芋焼酎用に苗蔓と畑作ったってや。うららも楽しみにしとるけん」




