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文明の濫觴  作者: 烏木
第9章 濡れぬ先の傘
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第3話 牧童と鰹節

オリノコに人を出してもらって飼料作物の栽培や牛の世話をしてもらう件だが、この度三人が来てくれることになった。

来てくれるのは何れも女性で、マキさんマチちゃんの姉妹とヤヒちゃん。

マチちゃんやヤヒちゃんって最初にオリノコに行ったときに高い高いをねだった幼子だったんだけどなぁ……


三人に共通しているのは彼女らには姉がいて跡継ぎになれないという点。

見方によっては厄介払いに見えるかもしれないが、美浦行きを希望する者が多くて選定に苦慮した村長と黒岩さんが他を納得させるために跡継ぎになれない事を理由にして三人に決めたのだそうだ。


三人には労務を提供してもらうが、その対価として衣食住のかかりは美浦が持つ。具体的には作業着や普段着や靴などを支給して、食事は同じ物を食べ、寝泊りは長屋の空き部屋を使ってもらう。

あと、お小遣い的なものと帰省の送り迎えとお土産は当然考えている。


三人の世話人には美野里が任命されたのだが、世話人就任に伴い鰹チャレンジの駐在員からは自動的に外されたのが甚くご不満のご様子で、出航していく黒潮と春風を恨めしそうに見ている。


「釣ってみたかった……ヒラマサ、カンパチ、鰤もありえるし、ベース付近だと桜鯛も狙えるのに」

「来年もあるし今期は様子見させてると思っておくんなまし」

「(鰹の)へそが……血合いが……折角新レシピ考えてたのに」

「へそは味噌煮にして持って帰ってくれるよう頼んでおいた」

「折角新レシピ考えてたのに!」

「……聞きたくは無いが言ってみ?」

「へそと血合いと沢庵とシェーブルチーズと魚醤のハーモニー炒め」

「臭いの蠱毒(こどく)かよ」

「想像と現実はえてして乖離するもの。人の行く裏に道あり。必要なのはそこに踏み込む勇気。踏み出すその一足が道になりその一足が道である。やってみなければ分からない」

「分からない方が幸せという事も世の中にはある」

「むぅむぅ……考えてみれば世話人はナオでもミユっちでも良かったんじゃん。ミユっちは(オリノコに)常駐してたんだし」

「美結ちゃんは教えるのが下手だから美野里の方が良い」

「ノリさんがサポートすればいいじゃん。何事も経験!」

「それ将司や雪月花に正面から言ったらよかったじゃん」

「ノリさん、私そこまで馬鹿でも無謀でもない」

「知ってた」


鰹チャレンジはもう出発したんだし、少しぐらいなら愚痴も聞くからがんばってくれ。

でも三人の歓迎に創作料理を振る舞おう(おみまいしよう)としたのは全力で止めた。

料理のできについてはいつもの如くエチケットタイムとだけ言っておく。



三人と世話人の美野里の一日は朝の給餌から始まる。

今は干草(主に稲藁)がメインだけど、そのうち青草刈りも加わるだろう。


牛の朝ご飯をあげたら自分たちの朝ご飯。

その後は放牧地に牛を放つのだが、ただ単に草原に放てばそれで終わりとはいかない。

牛は結構水を飲むので放牧地に水飲み場が必要だし、暑さには余り強くないので日陰で休める場所も必要。

日陰については夏場までに建てればいいし一過性なので問題はないが、水飲み場については毎日の事なので水運びが大変。


牛が放牧地で飲む水は夏場は三五リットルぐらいになる。冬場は一五リットルぐらいらしいけどそれでも八頭いるから一二〇リットルになる。そして、それだけの水を放牧地まで運ばなくてはならない。

今は桶に汲んで運んでもらっているけど、夏場は三〇〇リットルぐらいになると思うので近い内に運水車を作ろうと思う。それか、放牧地に水路を通してその水路から給水するか。

……たぶん後者になる予感がする。


放牧に出したら牛舎の掃除。

汚れた敷き藁と糞尿を肥料にすべく運び出し、減った分の敷き藁を継ぎ足す。

他にも仕事はあって、飼料用の畑の耕起や稲藁を切って粗飼料の作成、それと夕方前に放牧地から牛舎に戻して給餌と水遣り。


それらの全て付き合う美野里。

なんだかんだボヤキながらもやるべき事はちゃんとやる奴なのだ。


■■■


半月ぐらい続ける予定だった鰹チャレンジだが、予定期間の半分ぐらいが経過したころに帰ってきた。

事件や事故があった訳ではなく最大目標漁獲量に達したので漁を切り上げたとの事。

獲り過ぎはよくないという事を学習してくれたのはありがたい。


そもそも鰹漁に出られただけで成功といってもよく、一尾でも鰹が獲れたら大成功だと思っていたのだが、美浦の一年分に相当する一六〇本の鰹節を作れる四〇尾を遥かに超えて八〇尾に達したそうだ。

そして七〇尾は(今はまだ焙乾の途中だが)鰹節に加工して、五尾は現地で食し、残りの五尾は丸のまま冷凍して美浦に持ち帰ってきた。


「パヤオ作戦大成功です!」とは一平ちゃんの言。


パヤオというのはアニメ界の巨匠……ではなく浮漁礁のこと。東南アジアのどっかの現地語で浮漁礁をパヤオというらしく、それが一般名詞として使われているらしい。

魚群を求めて大海原を当所なく探すのではなく人工浮遊物(パヤオ)を浮かべておいて、そこに寄って来る魚を狙うというもの。

漂流記などで救命ボートのまわりを魚がぐるぐる泳いでいて獲って食料にしたという記載が結構あるし、そもそもそういう漁法は古今東西あるので浮遊物に魚が寄って来るのはよくある事。


鰹に限らないが肉食魚が群れる状況は幾つか知られていて、肉食魚に追われた小魚が水面近くに逃げてきてそれを狙った海鳥が鳥山を作る『鳥付き』は有名だと思う。

他にも甚平鮫や鯨などの大型の海生生物のそばに群れる『鮫付き』や、流木などの浮遊物のそばに群れる『木付き』などがある。


その木付きの鰹を招きよせるため駄目元で使い捨ての竹製の筏を漂流させるパヤオ作戦がド填まりしてカッタクリ釣りで釣り上げたとの事。


鰹節が確保できそうな事も嬉しいし、全く期待していなかった丸のまま冷凍された鰹も嬉しい。

加えて持ち帰ってきた中に結構な量の心臓(へそ)が冷凍されていて美野里の機嫌が幾分直ったのも嬉しい。



持って帰ってきた鰹節の仕掛かりは一回しか焙乾していないので、なまり節とか生節と呼ばれる状態のもの。

この状態は鰹節というより鰹の燻製といった感じで解して食べたりもできる。

そんな状態だと放っておくと腐るので、焙乾しては休ませ、焙乾しては休ませ、と何度も何度も焙乾することで芯まで水分が抜けてカチカチの鰹節になる。


その鰹節の焙乾方法は大きく三つに分けられる。

一つ目は手火山(てびやま)式と呼ばれるものである意味では一番古い焙乾方法。

竃で薪を燃やしその竃の上に鰹を入れた蒸篭を重ねて乗せて熱と煙を当てて焙乾する。

鰹と火の位置が近いので鰹を焦がしてしまわないよう火力の調整や位置換えなどに注意を要する面倒な手法でもある。

薪の煙をしっかり浴び燻香が強い鰹節ができるのだが、手間はかかるし大量生産には向かないので手火山式で作っている会社はほとんどない。

ただ、ちゃんと作られた手火山式は良質の鰹節としてこだわりの料理人などに人気があるので作られていない訳ではない。


二つ目は急造庫と呼ばれるもので、メジャーな焙乾方法。

手火山式を発展させて大量生産できるよう建物ごと焙乾機にしたと思えばだいたい合っている。

一階で薪を燃やして二階、三階、四階に鰹をのせた蒸篭を重ね置きして上がってくる熱と煙で焙乾する。

火に近い二階で焙乾したら次は三階、四階と上げていくので連続的に作っていける点も工場としては都合がよい。


最後の三つ目は焼津式乾燥機と呼ばれるもので、こちらも鰹節工場での採用例が多い焙乾方法。

鰹節の有力な産地の一つである焼津で発明された方法で、鰹を焙乾室に入れて燻煙と熱をファンで焙乾室に強制的に送り込むことで焙乾する。

常に強制的に熱と煙を当てられるし、送風されているので乾燥効率が大変良い。

その分、焙乾時間は短くなるので燻香は控えめになる。

燻香が弱いというのは鰹本来の旨味を感じやすいとも言えるのでどちらが良いかは料理によるとしか言えない。


二つ目と三つ目を組み合わせて、乾燥効率の良い焼津式乾燥機で水分を飛ばしてから急造庫で燻香を付けるという方法を採る鰹節工場もある。


その中で美浦で採用した方法は……焼津式乾燥機に近い。

これまでも燻製を作ってきたのだが、味付けのための燻製ではなく保存食としての燻製なので冷燻法と言って常温ぐらいの温度の煙で燻していた。

つまり、煙源となる燃焼室と燻される物を納める燻製室が別になっていて、両者の間に煙を冷やす仕組みが挟まっている。

この燻製小屋(もくもく)で煙を冷まさないで燻製室に比較的暖かい燻煙が入るようにすると焼津式乾燥機に近い形になる。


そして、焙乾を繰り返して十分乾燥した鰹節の状態が荒節。

荒節の表面の燻煙成分や脂肪分を削り取ったら裸節。

裸節にカビ付けといってカビの胞子を付けてある程度カビが繁殖したら日干しして更に水分を抜いていく加工を施したものが枯れ節。

そして何回もカビ付けを繰り返したら本枯れ節になる。


本枯れ節にするには通常半年以上かかるのでコストが嵩むため荒節の何倍もの値段になる。だから花かつおなどの削り節に使われるのはほぼ荒節。


美浦ではとりあえず荒節まで作っておいて枯れ節を作るかどうかはその時に考えることにしているが、たぶん枯れ節は作らない。


鰹節に使うカビだが、奈緒美がいうには、昔々は自然に生えるカビを使っていたらしいのだが、どんなカビが繁殖するかは運任せなので当然ながらカビ毒のリスクは付きまとう。

そこでカビ毒の産生がほぼなくて乾燥状態でも繁殖できるカツオブシカビ(学名:アスペルギルス・グラウクス)を使うことでリスクを回避している。

現代では個々の業者がカツオブシカビを自家培養するのではなく焼津鰹節水産加工業協同組合が培養している『純粋鰹節カビ菌』を買ってきて使うことが多いとか。


そしてこの菌は醸造に使われる事はまず無いので奈緒美のコレクションには含まれていない。

カツオブシカビは全世界に遍在している菌の一つらしいので、何本かはカビを生やしてカツオブシカビを探す苗床にするかもしれないが、本格的な枯れ節作りはできないと思っている。


鰹節の焙乾と世話人の兼業は大変かもしれないが、美野里、がんばってくれ。

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