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文明の濫觴  作者: 烏木
第8章 紡ぎ織る
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第32話 透明素材

所々白濁しているが、透明な合成樹脂(プラスチック)シートを作る事ができた。

作ったのはセルロースを無水酢酸などでアセチル化すると得られるアセチルセルロース(酢酸セルロース)という物質。

天然繊維を利用しているから狭義の合成樹脂ではないが天然樹脂ではないので広義の合成樹脂になる。


このアセチルセルロースは、昔は写真や映画のフィルムに使われていたし、近年ではアセチルセルロースの一種であるトリ()アセチル()セルロース()を薄膜に形成したTAC(ティーエーシー)フィルムは液晶画面の保護シートとして使われている。

映画のフィルムや液晶画面の保護シートに使われるぐらいなので適切に作れば透明なフィルムにできるのだが、現状の美浦のリソースではそう上手くは作れず、未反応成分や不純物があったり成分の不均一があった場所や加工精度が悪くて気泡ができたり傷が入った場所が白濁している。


アセチルセルロースの基本的な原料はセルロースと無水酢酸なのだが、脱脂綿がかなり純度の高いセルロースなので、もう一つの原料である無水酢酸を得ることができればアセチルセルロースの合成は不可能ではない。


無水酢酸というのは水分を含まない純度が高い酢酸(氷酢酸)とは異なる物質で、合成するのは中々骨が折れた。

工業的に採用されている製法では猛毒の化合物が使われている事が多く、中には第一次大戦で毒ガス(化学兵器)として大量に使用されたホスゲンを用いる製法もある。

あまり毒性が高くない物質から作る方法もあるが、それには相応の触媒が必要で、現状では材料的に無理。たぶん加工精度的にも。


佐智恵が現状に合わせて考案した製法は、木酢液の中にある酢酸を色々やって無水酢酸を得るというもの。


木酢液と水酸化カルシウムを反応させると酢酸カルシウムを作ることができる。

この処理は木酢液から酢酸を分離して揮発油成分を得る工程でもあるので酢酸カルシウムは燃料油を作成するときの副産物でもある。


その酢酸カルシウムに硫酸を反応させてカルシウムを硫酸カルシウム(石膏)にして除去して氷酢酸(純度の高い酢酸)を得る。

そして氷酢酸を加熱してケテンと水に熱分解し、ケテンと氷酢酸を化合させて無水酢酸を合成するというもの。

ケテンと酢酸を反応させて無水酢酸を得るのは工業的に無水酢酸を作るメジャーな製法の一つ。

ただ、ケテンは猛毒の気体なので閉鎖系で反応させないといけないので色々と苦労した。


そうやって作った無水酢酸とセルロースを反応させるとアセチルセルロースが得られる。

適切な脱水触媒を用いれば酢酸でもセルロースのアセチル化は可能らしいが、工業的には無水酢酸を使う製法の方が一般的だし、美浦には適切な脱水触媒がないので無水酢酸でアセチル化する方法が採られた。


洗浄して脱水したアセチルセルロースをアセトン(酢酸カルシウムを乾留すると得られる)に溶かして型に流し込み、後はアセトンが蒸発したらアセチルセルロースのシートが得られる。

ちなみにアセチルセルロースのアセトン溶液を細かい穴から噴出させながら温風乾燥させればアセチルセルロースの繊維であるアセテート繊維ができる。

現代では繊維にしないなら加熱して軟化させたり融解させたアセチルセルロースを押し出し成形する事が多いらしい。


途中も色々危険な物質を使用するが、特に最後のアセトンは蒸発させるため爆発する危険もある。アセトンが消防法の危険物の分類ではガソリンと同じ第一石油類に指定されているのは伊達ではない。


そのため、アセチルセルロースの製造は留山の向こう側の留山追分近辺に建てた工房で行った。

そしてレシピと装置設計は佐智恵だけど秋川春馬さんを中心にして若衆の輪番で製造した。

製造に使用する物質には毒性のあるものも多く中には胎児毒性が強い物質もあるので、念の為に女人禁制にして佐智恵にもご遠慮願った。


そうやって作ったセルロース()アセテート()シートを匠と佐智恵が矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)検分している。


「改良の余地はあるけど、予想以上のできで驚いている。それに添加剤が無いからもっと歩留まりが悪いとも思っていた」

「昔化学部でCAシート作ったことがあったんで。無水酢酸は先生が手配してくれたけど、それ以降は同じ製法でした」

「無水酢酸は工業的に作った方がいいから買うが正解」

「なんでしょうけど、入手できなくて結局顧問の先生にお願いしました」

「特定麻薬向精神薬原料に指定されているから規制が厳しいのは仕方がない」

「へ? 無水酢酸から覚せい剤作れるんですか?!」

「麻薬のヘロインの原料。モルヒネをアセチル化するとできるのがヘロインで、アセチル化するのに使う。規制物質だからホイホイ売る業者があったらその方が怖い」

「……あっ! そういえば使った用途と日時と量を記録させられてたけど、それが原因だったんだ」

「たぶんそう。話を戻して、これなら天窓やルーフに使っても大丈夫な筈。たっくんどう?」

「……枠をちゃんとすればたぶんいける」


今回のCAシートは明かり窓や(ひさし)などを透明なフィルムにして日光が入るようにするためのもの。

それと小規模ではあるが温室(ハウス)を建てて耐寒性に劣る希少植物の育成を考えている。

アセチルセルロースは高温多湿の状態だと加水分解して酢酸とセルロースになるビネガーシンドロームがあるけど、それより前に耐用年数が過ぎると思う。


あとは保護メガネ。

破片などが飛ぶ可能性がある作業の時に目を守る保護メガネは手持ちの物以外になかったので端材のフィルムで保護メガネを作りたい。

ガラスと違って割れないというのもポイントが高い。


透明な素材としては、実はガラスは一部実用化されている。

耐火煉瓦や断熱煉瓦が揃ってきたことと、原料である珪砂(二酸化ケイ素の結晶である石英でできた砂)やソーダ灰が確保できたことでGOサインがでた。


作っているのはソーダガラスという種類のガラスで、最初期から現代にいたるまで主流を担っているガラス。

ソーダガラス以外にもクリスタルガラスや石英ガラスやホウケイ酸ガラスといったガラスもあるが、普通のガラスはだいたいソーダガラス。


ガラスの主成分は二酸化ケイ素だが、二酸化ケイ素単体だと融点やガラス転移点が非常に高く、例えば二酸化ケイ素のみのガラスである石英ガラスを二酸化ケイ素を融解して作る製法だと摂氏二〇〇〇度ぐらいの高温にする必要がある。

そんな高温を作るのもそれに耐えうる耐火物を作るのも大変なのだが、人類はそんな高温にする技術を開発する前にガラスを得ている。


混合物だと組み合わせや割合によって凝固点(融点)が下がる事がある。

例えば飽和食塩水は摂氏マイナス二〇度でも凍らないとか、純鉄の融点は摂氏一五〇〇度を超えるが炭素が四パーセント強含まれる鉄(銑鉄)は摂氏一二〇〇度程度で融けるなどが分かりやすいと思う。

実は青銅などの合金も融点は下がっていて、組成にもよるが銅の融点の摂氏一〇八三度より低い摂氏九〇〇度ぐらいまで下がる。

低融点の金属(錫や鉛など)を融かして液体にして、そこに高融点の金属(鉄や銅など)の固体を入れると接触面で合金ができて高融点の金属が融けていくという事が起きる。


ガラスというか二酸化ケイ素にも融点が下がる組合せがあって、鉛やナトリウムやカリウムなどと組み合わせると融点が下がる。

珪砂(二酸化ケイ素)にソーダ灰(炭酸ナトリウム)を混ぜると融点やガラス転移点が低くなり、融点は摂氏一〇〇〇度ぐらいまで下がるしガラス転移点は摂氏七〇〇度ぐらいになる。

もっともこの二つだけだと水溶性のケイ酸ナトリウム(水ガラス)ができるので石灰岩(炭酸カルシウム)も添加して水ガラスになるのを防止する。

ソーダ灰と石灰を添加するのでソーダガラスはソーダ石灰ガラスとも呼ばれている。


ちなみに添加するのを酸化鉛やカリウム(炭酸カリウムなど)にするとクリスタルガラス、ホウ酸を添加するとホウケイ酸ガラス(耐熱ガラス)になる。


このソーダガラスを型吹きして作ったガラス瓶は瓶詰めや佐智恵の劇薬の保管に使われている。

しかし、強化ガラスにはできないので天窓はもちろんのこと窓ガラスに使うのも怖いので板ガラスは作っていない。

強化ガラスは割れたときに粒状に砕けるから怪我をする率が低いし怪我の度合いも軽いことが多く安全ガラスとも呼ばれるのだが、通常のガラスは大きな破片になって鋭利な刃物の状態になる。

小さい子供が多いのでガラス戸とかは怖すぎて作れない。


一応、技術的には板ガラスも作れるらしい。

佐智恵と雪月花、それと匠と春馬さんもそう言っているので間違いは無いと思う。

匠はともかくとして、なぜ佐智恵、雪月花、春馬さんがガラスの加工技術を持っているのかというと、化学の世界ではちょっとしたガラスの加工は基本だかららしい。


「あのぉ……これを蒸気船(黒潮)の風防にもお願いできませんか?」

「ペラペラだから風防にはきついんじゃ?」

「けど春ちゃん、絶対有ると無いとじゃ全然違うって。寒いんだよぉ……動力船はスピードでるし向かい風もお構いなしだから」

「次のロットで肉厚のをチャレンジしてみるからそれ待ちで」

「春ちゃん頼むよ」


手持ちの材料の量からすると風防と温室の両方は難しいと思う。

温室は来秋までにできれば良しという考えもあるし鰹チャレンジが控えているから風防が先かな?


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― 新着の感想 ―
[良い点] ゴーグルや薬品保存用器が出来れば工業化が進みますね。 光源があれば製図台も。 [気になる点] フィルムを入れるタイプのガラスも行けるかな?
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