第30話 川合開拓準備中
冬の気配がそろりそろりと顔を出しつつある晩秋に“ほいさ!”という掛け声が響く川合の雌竹群生地。
「こげん風に伐る。やっちゃあかんのは、あっこみたいに傾がっちょる奴な。踏むと往生しょるけんの。ノリちゃん、なおしやって」
「はい」
「ほったらおめぇしてみ」
親父殿が川合の男衆に雌竹の伐採方法のレクチャーをしている。
お手本として長柄の鉈鎌で雌竹を薙いで見せて、男衆に順番にやらせていく。
鉈鎌というのは鉈の先端部分を鉤爪のように曲げたもので鉈としても使えるし鎌としても使える道具。
草なら大鎌でいいのだが、竹や笹が相手だとさすがに厳しいので重量のある鉈の方が便利。
まとめて薙ぐのではなく一本々々倒していく感じでやっていく。
このとき注意しないといけないのは親父殿もいっているができるだけ水平に伐ることで、斜めに伐ると地面から竹槍が生えている状態になって非常に危険。
全員に下駄――下駄といっても歯がついていない無歯下駄で、鼻緒ではなくバンドだったら突っ掛けという感じの履物――を履かせているのでそうそう踏み抜く事はないとは思うが、転んだときに刺さるとかもあるので斜めに伐れたものは平らになおしておく。
畑を後回しにして雌竹を伐採しているのは定住しているわけではないから畑の面倒を見れないと本職に窘められたから。
それと、竹を伐採するのが一年早いと竹細工を製作できるようになるのも一年早くなる。
伐採した竹笹は直ぐに使える訳では無く、最低でも乾燥や油抜きをして天日に晒してといった工程を経ないといけない。
ここまでなら数箇月もあれば十分だが、実はその後も年単位の保管をした方がよい。
通常は四、五年ぐらい経ったものを使うし、短くても二年は寝かせるのが普通。
雌竹は孟宗竹などに比べれば細いので乾燥なども早く進むが、良い物はやっぱり四年は寝かせた材を使うと聞いている。
今伐採しておけば、来年は練習としても再来年かその翌年にはそれなりの物が作れる筈。
その頃には家も建っているし畑も満足とまではいかなくともある程度の収穫を期待しても罰は当たらないだろう。
全部を自活するのはまだ辛いけど、竹細工を拵えたら食糧は手に入る。
こういう状況を希望している者がいる。
「よっしゃよっしゃ! そん伐り方や、ええでええで」
「ヤー」
「えっと伐ったな。ほったら竹集めるで」
「ダー」
「ほったら川合に持って帰るで」
「ダー」
親父殿は日本語しか話していない。
そしてオリノコの三人は日本語はある程度分かるとしても残りの五人は日本語は分からない筈。
なのに意思疎通ができているようにしか見えない不思議な光景が目の前にある。
“言葉が通じんでも気持ちで通じる。言葉が通じなあかんなら……ベトナム語、クメール語、ビルマ語、ラーオ語、ネパール語、ベンガル語……うららはいったい何ヶ国語マスターせんならんかったか”とは親父殿の言。
教える気と教わる気があるなら言葉の壁は乗り越えられるものだそうだ。
◇
伐採した雌竹は川合にある掘っ立て小屋に運び込む。
この掘っ立て小屋は川合開拓の現場事務所兼飯場的なもの。
現場事務所は、打ち合わせや休憩のための場所ではあるが、道具を保管したり荒天時に避難する場所でもあるので建設建築現場に早期に設けられる。
もっとも、戸建て住宅などの小規模な現場だと必要性は低いし現場事務所を設置する場所の問題もあるので建てられない事も多い。
川合はあたりに何もないので、イの一番で建てた建物だったりする。
そして、ダムやトンネルの建設とか鉱山など人里離れた場所で作業する場合、作業者の往復時間がネックになる事が往々にしてあるし、中には人里から作業現場まで一日以上かかることもありうるから、そういう現場では現場事務所以外にも作業員の飲食と宿泊ができる飯場が用意されてきた。
鉱山のように長期間使い続けられる場合はちょっとした町に発展することもあるが、そういう町は鉱山の採算が取れなくなると鉱山と一緒に町まで放棄されてゴーストタウンになる。軍艦島こと長崎県の端島とかが分かりやすいかな?
これはキャンプ場や川合の開拓でも同じ事が言える。
川合開拓では、滝野で寝泊りしているから朝食後に滝野を出発してお昼までの二、三時間作業して、持ち帰り荷物が多いときはお昼の後にすぐ帰るし、そうでなければあと一、二時間ほど作業してから滝野に帰る。
街灯も何も無いので多少トラブルがあっても日没前に滝野に着けないと危険なので午後の作業時間は制約される。
荒天時は川合で泊まれるようにしているんだから一泊二日コースや泊まりこみにして、もっと作業時間を確保したら早いのにとか考えてしまうが、それは長時間労働が当たり前になっている現代人の発想だと思っている。
彼らの平均労働時間は行き帰りの移動時間も含めて一日三時間ぐらいだという事を思い出して欲しい。
川合での作業時間だけで一日三時間ぐらいはあるから例え泊まりこみにしても大して進捗は変わらない。
キャンプ場の方はある程度泊まりこみにしてガッツリ作業した方が良いとは思う。
「こうやってな、逆さにして立掛けとくんや。ええな?」
「後な、下流にある葦原も色々使えるから春になったら刈るからの」
『鉈鎌使えば大丈夫。雌竹より楽』
竹は硬くて滑るから石器だと労多くして功少なしなので手をださなかったからか雌竹はあまり拒否反応が無かったんだけど、葦原を刈ると聞いて渋面を作る一同。
葦は竪穴住居の屋根部分とかにも使われているので彼らも葦を刈っていたと思うが、石器や棒で葦を採るのは中々骨が折れる作業のようで、葦刈りは難儀な仕事の代名詞らしい。
もっともハロくんのフォローを聞いて渋面が解かれる。
あっ、それなら葦束って売れるんじゃね?
◇
「ただいまー」
「おかえりー」
親父殿がスケッチブック片手にコミュニケーションをとっていたら、ラモくんが帰ってきた。投網を肩にかけ、魚籠には結構な量の魚が見える。
「お昼御飯獲ってきた。ラト兄、火。ハロ兄、米」
てきぱきと昼食の準備を始めるオリノコ三人衆。
どうやら今日の昼食は川魚の塩焼きになるようだ。
捌いているのはウグイかな?
甘露煮とかにすると骨がかなり柔らかくなるからあれだけど、小骨が多いからよく噛み砕いて喉とかに刺さらないように注意してね。
桶を覗くと鮎が三十匹は残っている。
鮎飯にでもすればいいのに……
締めて洗った鮎を塩焼きにし、醤油を加えた米の上にのせて炊き、炊き上がったら鮎を取り出して頭と骨と鰭を除いて御飯に戻して混ぜ込めば鮎飯ができあがる。
そう難しい料理でもないし、ラモくんもオリノコでは何度も作った事がある筈。
後で聞いたら“滝野に持って帰る。ばれると怖い”だってさ。
男衆だけで鮎飯を食べたと知られたら叱られると……
新婚そうそう尻に敷かれてますな。