第29話 米俵と干物
第二回となる『米俵運び』だが、将司の推測に違わず各集落の力自慢二名が二俵背負うし、残りの一俵半組も半俵の上に本俵を載せるという工夫を凝らしており全員が完歩するという乾いた笑いしか出ない状況になった。
背負う荷物を軽い物を下に重い物を上にしてトップヘビーにするのはとても有効な手段。というか人力で荷物を運ぶ人の基本で、実際やってみればびっくりするぐらい感じる重さが異なる。
重たい物が下にあると腰辺りが後ろに引っ張られるが、上にしておくと少し前屈みになると重心軸の延長線上に重い荷物があるので保持が楽だし、トップヘビーは安定性に欠けるというのは逆に言えば機動性に優れるということでもある。
各集落が四二〇キログラムで合計は四.二トンだから将司の懸念は杞憂ではなく俺の計算した四トンしか持ってきてなかったら足りなかった。
目標のある人間の成長と創意工夫を舐めていたと反省する。
だけどね、ちょっと練習したら百二十キログラム背負えるっておかしくない?
一俵半の九十キログラムだっておかしいのに、こんなん予想できる将司の方がおかしいって!
でも、こういうことなら次回からは全員二俵運んで駄目だったら一俵というルールでもいいかも。それなら参加人数の二倍の本俵を持ってきたら済むし……要相談だな。
だって、半俵や四半俵を用意するの面倒なんだもん。
◇
九月のムィウェカパの不成立組も旅立った二人以外は成立したので一息つけた。
氏族の関係で不成立になる者がでてしまうという俺達には一切責任が無いものではあったが、ホスト集落としては棘ではあったので本当によかった。
そうは言っても特定氏族多過ぎ事案は中々解消しないと思われる。
母系氏族が絶えるというのは成人した女子がいないときときいている。
子がいないときはそのまま断絶で、男の子がいるときは婚活パーティーか一本釣りかはケース・バイ・ケースだが嫁取りをすると聞いているが、そのばあいは嫁の母系氏族になるので母系氏族としては断絶になる。
そしてこの辺りで流行っている氏族は多産の血統らしく、帰れない娘の多くを流行氏族が占めるなど盛隆を極めている。
今回発生した帰れない娘の八名の内の七名が流行氏族の菱形か渦巻きか二重丸の何れかの氏族。
まあ、ここらは俺らが口出しする権利はないしするつもりもない。
◇
超々大漁大潮の御裾分けという名目の食べ切れない干物や燻製の大放出だが、良い型の物を集落全員が五食ぐらい食べられる数量を詰めたら軽い物でも三〇キログラムぐらいになってしまった。
米俵を目一杯持って帰るのに邪魔になるかと心配したので、試食会と銘打ったデモンストレーションを打つ。
用意したのは『目刺しの焙り焼き』『調理も何もせずボリボリ食べる煮干』『煮干で出汁を取って煮物(煮干は具にもなります(笑))』そして『焼いた鯖の開き干しの身を解して煎り玄米のお粥に混ぜる混ぜ御飯もどき』の四品。
調理のデモンストレータはヤソくん……と言いたかったけど断られた。
去年のデモンストレーション以降の強烈な“うちの婿に!”攻勢が堪えたようで……正直、すまんかった。
なので今年のデモンストレータはラモくん、君に決めた!
オリノコの若衆の中では一番の腕を持っているし、これまでオリノコで何度も作っていたんだから大丈夫、大丈夫。
『そのままでも食べられる煮干だけど、他の食べ物を美味しくする事もできる。頭とワタを取って水に入れて火にかける。水がこれぐらいなら十匹ぐらい』
『頭とワタ? はどうする』
『栗の木の近くに埋める。畑に埋めてもいいし捨ててもいい。食べてもいいけど苦くて美味しくない。特にワタは苦いからワタだけ食べるのはお勧めしない』
すると“うがぁ!”という声と共に渋面を作っている何名かと、それを見てやらなくてよかったという表情の何名か。
するなと言われるとやってしまうのは人間の性なのだろう。
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『好奇心は猫を殺す』という英国の諺があるが、人間も好奇心を抑えられない傾向が高い。
本当かどうかは知らないが、人間の文明の発展に猫の影響が大きいという説がある。
ネコ科の動物を終宿主とするトキソプラズマという寄生性の原虫がいる。
母親が既に感染したことがあって免疫がある場合は大丈夫だが、妊娠中に初めてトキソプラズマに感染すると母子感染から胎児が先天性トキソプラズマ症を発症して流産や重篤な障害が起こることがあるので、猫を飼っていて妊娠を希望されている人ならトキソプラズマを聞いたことがあるかもしれない。
実際は猫からの感染よりも非加熱の肉からの感染の方がはるかに多いらしいし、トキソプラズマ以外にもリステリア菌のリスクもあるから妊婦さんは芯温が摂氏七〇度ぐらいまで加熱した物を食べる方がリスクは少なくなる。
このトキソプラズマに人間が感染しても普通は数日間ちょっとした体調不良程度の症状しか出ないが、感染者の中には自己防衛本能が抑制されて注意力散漫になる事があって、中には性格が変わったと思えるぐらいの例もあるそうだ。
これは中間宿主に寄生した寄生生物が次の中間宿主や終宿主に捕食されるよう捕食者の前に飛び出すなどの行動をとらせる機構の一つと考えられる。
そして、注意力散漫で危険を危険と思わなくなった者が普通ならやらないような行為をして、その中には運良く新たな地平を切り開く例もでてくる。
それが文明の発展に寄与してきたというのが件の説。
実際、人類の半数から三分の一ぐらいはトキソプラズマ症に感染していると言われている。
猫は文明の発展には不可欠な存在だったのだ!
ネコと和解せよ!
閑話休題
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煮干の頭やワタを畑などに埋めるというのは肥料。
煮干を粉砕したらフィッシュミールと大差ないから肥料として使える。
煮干で出汁を取る際に頭とワタを取った方がスッキリした出汁になるが、面倒なら丸のまま使っても構わない。
丸のままの方が雑味があって味わい深いという人もいるからそこらは好みだと思う。
ただ、美浦とオリノコでは煮干で出汁を取る際は頭とワタを外すのが主流。
その理由は、漆原家の主婦二人と俺が『取る派』だったから。ちなみに奈菜さんは丸のまま派。
他の人は面倒と思っているとは思うけど、この三人が教えると取る事になるので結果として『取る派』がメインストリームになっている。
『うん。出汁がでてる。ちょっと味見して』
『旨い……このお湯、旨い』
『ここに食べ物を入れて煮る。煮ると柔らかくなって食べやすい。それとこの美味しさが染み込んで美味しくなる』
そういって他の集落からお土産としてもらった食材を少量ずつ入れていくラモくん。
彼らは貰うばっかりを良しとしないようで、米俵運びの参加費的な意味なのか、食材を大量に持ってきて納めてくれているので、それを使っている。
煮物といっても煮詰めるわけではないのでどちらかといえば鍋料理に近いのかな?
いや鍋だな。煮えたものを食べたら新たな食材を入れてる。
そして横では玄米が煎られ鯖の開きが焙られている。
予定とは少し違うが『焼いた鯖の開き干しの身をほぐして煎り玄米のお粥に混ぜる混ぜ御飯もどき』は鍋の締めにするのか。いいね。
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今年の例会も無事終わったので、打ち上げして戸締りして帰る……とはならない。
川合開拓組が居住しているから滝野は稼動したまま。
「残りの米はどうしましょう」
「食べていいよ。但し一年分だからね」
「川合の小屋に持っていっても?」
「いいよ。でもそのまま置いておくと虫とか鼠に食べられるかな?」
米俵はどこまでいっても枯れ草を編んだもので隙間だらけ。
滝野には土蔵が建っているので虫や鼠の食害はある程度は防げるが、川合にあるのは全くの無防備な掘っ立て小屋だからそこに置いていたらやられる可能性は高い。
ちなみに、土蔵などの貯蔵施設がある美浦、オリノコ、滝野で食害がゼロかというとそういう事ではなくそれなりにやられてはいる。
貯蔵施設で鼠はほぼシャットアウトできるが虫は難しい。
あいつらは一ミリメートルでも隙間があると侵入できるから防ぎきれない。
低温なら活動しないといっても貯蔵庫を冷蔵庫や定温庫にはできないから、現状では見つけ次第殺すぐらいしか手が無い。
一応、定温倉庫になるのか低温倉庫になるのかは不明だが夏場に冷やす倉庫の計画自体はある。まだまだ限りなく夢想に近い計画ではあるが。
「竹筒に密閉した米を用意して、三日分ぐらいの数を川合に置いておく。滝野から行く時にその日に食べる分の米を入れた竹筒を持っていって、川合では古い方から食べる。こんな感じでどうだ?」
「竹は……」
「あっこの竹だけど、固まってる中から一本ずつなら伐っていいから」
「そうします」
滝野に移植した竹はちゃんと活着したので一株から何本か生えている竹のうちの一本ぐらいなら伐っても大丈夫。
竹を利用するばあいは三年から五年ぐらいは生えている竹を採るのだが、滝野にあるのは今年生えた若い竹。
それに本当は乾燥とか油抜きとかしてから使うものだが、そんな時間はないので青竹の状態で使う事になる。
まあ、長くても一年ぐらいしか使わない間に合わせだからそれで何とかしてくれ。
「あっ、そうそう、川合の近くに雌竹という竹細工に向く細い竹が沢山生えてるんだけど、今度伐り方とか教えるから」
「はい」
「竹細工に加工するのは伐ってから三年ぐらい後になるから今年は伐るだけだけど、今伐っておくと一年早くなる。篭や笊や筌(漁具)とかは売れると思う」
「筌? 鰻獲れます?」
「鰻用の筌だって作れるさ。タレは竹細工と交換な」
「よし! やりますよ」
そういや、ハロくんはオリノコで一番の鰻好きだったのを思い出した。