第26話 遷都計画? ……3
上の口の開発計画ねぇ……開発計画を立てる事自体は楽しいよ。
都市建設シミュレーションゲームが好きな人には分かってもらえると思うが、どんな都市を造ろうかとああでもないこうでもないと妄想に耽るのが愉悦でなくてなんだというのか。
しかし現実は厳しく、現代日本の開発計画における苦労の大部分は役所や地権者との折衝が占める。
土地を購入して開発する場合に付き物なのが地権者との売買交渉なのだが、誰だって利益は大きい方が嬉しいから最終的には売るつもりであっても一度はごねて条件闘争をするのは極々ありふれた光景。
付かず離れずの強かな交渉をする地権者もいるが、そういう地権者は最終的には合意してくれるからいいのだが、地権者間に確執がある場合なんて最悪で“あそこが賛成なら俺は反対”とか“あそこより優遇した条件でないと認めん”といった事をお互いにやりあって収拾がつかなくなる。中にはごねる過程で筋の良くない団体に乗っ取られて引くに引けなくなる者もいる。
民間だと許容できるコストに上限があるからそういった面倒くさい状況になると開発計画自体を諦める事もこれまた珍しくない。
行政の方も縦割り行政なので国や地方自治体の様々な部署に話を通さないと駄目だけど、これがまた面倒くさいんだ。
官庁間や部署間の綱引きや部署内の序列など様々な面子があるので、話を持っていく順番や誰に話を持っていったかで拗れる事も多く、人事異動で担当者が変わるまで話が進まないなんて話もよく聞く。
他にも自分が許可したという責任を負いたくないのか他の組織の許可がないと通さないなんてこともある。
「○○の許可がない案件は△△としては受領できないのでお持ち帰りください」
「◇◇の審査に合格していない案件は○○としては許可を出せない」
「△△の受領なき案件は◇◇の審査対象外です」
これはまだ三つの循環だからましだけど俺の知っている事例では国と県と市をまたがった七つの役所でループした事もある。
こういった官吏の面子や責任云々を突破するのに有効なのが政治家やOBの口利きだったりする。
苦情や要請もただの一市民が上げてきたものは当事者の一方が言っているだけなので、何が正しいかなんて分かるわけがないから事なかれ主義じゃないと生存できない役所は手を出さないが、政治家やOBが口利きすると“○○さんが正しいと判断している”という言い訳ができるし、否定するなら自分が挙証しないといけなくなるから俎上に乗せてもらいやすくなる。
ある意味では本筋でないそういう事から開放されて地形や地質などの自然を相手に持てる限りを尽くして闘いに挑んだ美浦、オリノコ、滝野、川合の都市計画・開発計画は苦労はしたけど楽しかった。
しかし、今回の上の口の開発計画はこれまでとはかなり異なるので大きな懸念点が二つある。
一つは誰が工事を監督するのか。
実際に開拓するのは彼らだけど、作業するだけならともかく、そこにどのような危険があってどう防ぐかといった管理をするのって結構大変で、単に穴を掘るにしても生き埋めとか酸欠とかの事故は起きうる。
何も対策していなくてもそうそう事故は起きないけど、対策していたら防げた事故で損害を被るのは悲しい。
これまでは自分の責任下で工事できたので難度の高い工程でも自分ができる・させられると判断したら組み込むことができたが、そこら辺が分からない。
もう一つは上の口の基本図が無い事。
周辺の地形や標高を記した開発計画を検討できる基本図レベルの地形図は、美浦、留山追分、オリノコ、滝野、川合の五箇所しかなく、あとは大まかな位置関係と移動経路がわかる程度の物でしかないい。
最悪、標高は分から無くてもいいが、最低でも比高が分からないと困る。
比高というのは任意の地点を基準の高さとしてそこからの高低をプラマイ幾らとする物。
なぜ比高という物があるかというと、例えばA地点とB地点をスロープで結ぶとして、その時に必要な情報はA地点とB地点の水平距離と垂直距離。A地点の標高が何メートルなのかは意味が無く、両者の垂直距離である比高が分かる方が大事。
この比高が分からないと困るというのは、水路を掘ったはいいが水が流れないといった事が起こりえるからで、最低でも比高が分かる地形図がないとどこにどう水路を設けるかが決められない。
仕方が無いから上の口辺りの地形を一生懸命思い出しながら、こんな感じだったとメモってるけど、あっこは五回しか通ってないし、開拓する目では見てないからどう書いても釈然としなくて唸ってる。
◇
「義教、素案はガッツリした物じゃなくて開拓心得程度でいいからな」
「……もうちょい具体的に」
「そうだな……事前準備から実作業の流れ、一人あたりの農地面積の目安、必要となる物資の種類と量、取水や排水といった水回りの仕組みと要点、家屋や田畑の配置の考え方といったもの」
「…………おぉおい! それ上の口まるで関係ない! 一生懸命上の口近辺の地形思い出しながら、ああでもないこうでもないと考えてた俺に謝れ!」
「すまんすまん。それも必要だったんだ。ちゅうわけで、そのドラフトはくれ」
凄くいい笑顔を浮かべてやがる。
「……もういい。分かった。持ってけ泥棒」
「俺が何を盗んだって?」
「労力と時間。端っから言ってくれてりゃもっと楽できた」
「敵を騙すにはって事で……借り一つで納得してくれ」
「へいへい」
「心得の方はどれぐらいでできる?」
「そうだな……ドラフトと整合とるから二時間」
「完成したら土嚢袋に入れて会館の下駄箱の一番右の上から二番目に置き忘れといてくれ」
デッド・ドロップかよ。
■■■
自動ミュール紡績機モドキと手織りの機織機の操作講習と分解結合講習を終えた創都一行はばらした自動ミュール紡績機モドキと機織機を持って帰路についた。
彼らが出立したからぶっちゃけトークという訳では無いが、彼らが美浦に住みたいとなった場合の美浦のスタンスについて話し合う。
浄化槽が飛んだのなら白石さんが言うとおり居残っている拠り所である“ある程度の生活基盤が整っている”が大きく毀損するのだから、美浦に来る可能性は否定できない。
「維持を怠って住み難くなったから来るっていうのは釈然としない」
「井っちゃんと岡ぁずはええとしても宗教はなぁ」
親父殿の言う井っちゃんは村井家を、岡ぁずは長岡家、高岡家、村岡家の三家族を指している。要は居残った中で教団とワンゲル以外という事。
「確か五十人ぐらい居るんだよね? その人数を受け入れるのは色々な意味で問題があると思う」
「賛成。さすがに全員は無理がある」
美浦の人口は三十九人。オリノコの黒岩夫婦を含めても四十一人。
それより多い五十人全員を受け入れるのは厳しいという意見が主流。
理由は色々あるが、一つ目はそれだけの人数を収容するのが難しいという事。
生活を営む家屋や付随施設が今の倍必要になるのだが、時間をかけて徐々に増やしていくならともかく、三年掛りで建てたものと同規模以上の施設を一度に建てるのは無理。
次に、彼らがフリーライダーに見えてしまう事。
美浦はほぼ全てを一から創り上げたもので、農地にしても家屋にしても幼児を除けば子供も含めて全員が何らかの貢献をしているが、彼らは何も美浦に貢献していない。
自分たちが応分のコストを負担して造った物の便益に彼らがただ乗りする形にも見える。
彼らも彼らで苦労はしただろうが、外形的には自分たちが維持を怠って使えなくなったから他者が一から作ったものを利用しようとしていると見えてしまう。
最後に、今の構成がほぼ固まってから既に三年が経過していて、美浦の中で社会構造がある程度成立しているから、それを乱されるのは困るというもの。
郷に入れば郷に従えで、美浦の秩序(という程のものではないが)に従ってくれるなら問題ない。
そこまででなくても互いに納得できる落し所が見出せるなら大きな問題にはならない。
しかし、それが期待できない者を受容するのは難しい。
テラアリエナスバルス病を患っているんじゃないかと思える連中が何かをする度に衝突が起きると思うのは杞憂とは言えないと思う。
個人的にはその手の者の相手はしたくない。したくないけど、せざるを得ない場面もあるのが世の儘ならないところ。
「無条件で全員ウェルカムとはいかないのは分かる。しかし今後は誰であろうと断固拒否というのもしっくりしないと思うのだがどうだろうか? ここは一つ、許容と拒否の線引きは何なのか。許容できない要因として、準備期間の問題、コストの問題、人数の問題、その他色々な問題があると思うが、何が障害になっていて、何を解決したら許容できるのか。その辺りをもう少し詰めてみないか?」
将司の言に全員が頷く。
これを受けての論議だが、積極的に受け入れたいという意見は皆無で“どこまで我慢できるか、我慢すべきか”という美浦の受忍限度の確認が論点になっている。
これは受け入れるメリットがほとんど感じられないのが大きい。
人道的に考えてというか建前としては希望者がいれば受け入れるべきだが、受け入れるメリットが無いとなるとデメリットをどこまで我慢できるかが焦点になってしまう。
「もうさ、どの口が言うのかって思うけど、希望者に“私を美浦に住まわせてくれるならこんな良い事あるよ”ってプレゼンしてもらって、それに納得できる人が過半数とか芹沢さんが認めればOKとかでいいんじゃない?」
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将司と雪月花と俺の三人でキャンプ場から美浦に移住を希望してくる可能性を検討したが“キャンプ場組が順境なら可能性は低い”で一致した。
美浦に移住するというのは時機を逸した話で、三年前なら“一緒に頑張りましょう”でいけたかもしれないが今はそれでは無理。
頭を下げてまで来るかと言われると、よっぽど困窮しないと無いと思われる。
それに加えて、教団にとってのキャンプ場は創都と名付けるぐらいある意味では聖地なので、そうそう離れられない。例えどこかに移住しても何人かは残るだろう。
つまり移住してくるとしたら、壊滅して生き残りがやってくるなど二進も三進もいかなくなってからではないかというのが三人の検討結果。
「避難民を追い払うのは物心両面で厳しい。明確で致命的なデメリットでも無い限り物理的排除は不可能でしょう」
「そうなると避難所が必要になる可能性があるか……出端屋敷の取り壊しは延期した方がいいかな?」
「そうだな、一時的な収容能力は維持しておいた方がいい」
出端屋敷は建坪で百坪あるから五十人を収容すると単純計算だと一人あたり二坪となる。もっとも建坪の全部が床という訳ではないし通路もいるから一人一坪ぐらいになるがこれだけあればある程度の期間は凌げる。
避難所の一人あたりの面積には一応の目安がある。
災害発生直後に避難者がとりあえず座れるというのが一平米。
対応初期に雑魚寝状態で眠れるのが二平米。
そして避難生活が長期化して身の回り品などの荷物を置いた上で就寝するのに必要なのが三平米。
思いっきりざっくり言えば、起きて半畳、寝て一畳、荷物を置いても二畳程という感じ。
つまり一人一坪(約三.三平米)あたるなら生活は無理だけど、ある程度の期間は耐えられる。
もっとも、これは避難生活という緊急事態で全員が我慢しながら暮らすという事であり、欲を言えばこの倍は欲しいし、プライベートが確保できる空間も必要になる。
だから一人一坪で耐えている間に家屋の修復をしたり仮設住宅を建てるというのが基本的な災害復旧手順になる。
「出端屋敷もガタがきてるからそう何年もは持たないけど、それまでに何か考えよう。ところで、開拓心得は間に合ったか?」
「一応はな。これ控え。けど、これがあればズブの素人でも開拓できるかと言われると困る」
「当たり前だ。レジュメ一つで開拓できるようになるなら誰も苦労しない。でもあるとないとでは天地ほどの差がある。彼らが上の口を開拓して生き残ることをお祈りしておく」
彼らがどのような決断を下し、どのような結末を迎えるかは分からない。
もちろん俺らがどんな結末を迎えるかも神のみぞ知る。