第24話 遷都計画? ……1
「時間とコストをかけていいという条件ならあの斜面を農地にするのはできるできないで言えばできる?」
「そりゃ期間とコストを度外視していいならたいていの事はできる。碌に草も生えていない不毛の地だから土壌を何とかしないと駄目だけど、客土すりゃたぶんなんとかなる。労力をあまり掛けずにやるなら砂漠緑化の手法もありかな? 生ゴミとか排泄物とか落ち葉といった有機物をぶち撒けておけばそのうち草木が生えてきて土壌にはなるとは思う。まあ臭いとか虫の大量発生とかあるだろうからあまりやりたくないけど。それかここでできるかどうかは奈緒美に聞かんと分からんけど、色んな植物の種を肥料入りの粘土に混ぜて団子を作って撒くとかでもいける可能性はある。ただ水田にしたいなら石垣組んで客土して棚田だな。水は掘りさえすれば自噴するだろうからあまり気にしなくてもいい」
「なるほどな。お勧め度は?」
「積極的に諌める。土壌だけの問題なら何とかなるかもしれないけど、例え農地ができたとしても土石流一発で吹っ飛びかねん。草木がほどんと生えていないのは数年から数十年単位で繰り返し土石流が起きていると考えるのが自然」
「土石流をコントロール……できりゃ世話無いか」
「砂防堰堤や導流堤といった防災対策は現状のリソースでは無理。治山治水されてないから土石流は平成の世のものより凶悪だと思っていた方がいい」
「抵抗は無意味だから同じ労力を費やすなら安全な土地で」
「そう。絶対に安全な場所なんてないけど、毎年サイコロ一個振って一の目がでたらボッシュートって感じだから止めた方が無難。せめて三つ振ってピンゾロだったらあたりが許容範囲かな?」
「三つでいいのか? チンチロリンで考えると出なくも無い気がするが」
「そりゃ単に試行回数の問題。それかフィクションかイカサマ。六の三乗は二一六。二百年に一度の災害にやられたのなら運が悪かったと思ってまだ諦めもつく」
「……せやな」
拉致られた当初に将司とこんな会話を交わした覚えがある。
何でそんな事を思い出したかというと、目の前にあの斜面を農地にできるかと質問している人がいるから。
質問しているのはキャンプ場に居残った教団の渉外担当と思われる北氏。
今回は手織りの機織機と自動ミュール紡績機モドキをお買い上げいただけるとの事で、普段より増し増しで黄鉄鉱(佐智恵がルンルンしながら硫黄や硫酸を作っている)や黄鉄鉱(二硫化鉄)が酸化した褐鉄鉱(オキシ水酸化鉄)を持参してきている。
俺は先住者方面のフロントで創都関連はお役御免になっているから概要しか聞いていないが、自動ミュール紡績機モドキが完成したときの懸念事項だった創都との関係については、先方が希望するなら紡績機を売って製糸を続けてもらうのも悪くないという事になり、販売を打診していたようだ。
それはそれでいいのだが、北氏に呼ばれての質問(?)が創都近辺の砂礫の斜面で農業ができるかというものだった。
あの斜面を農地化させられると想像したときの俺の第一印象は“流刑地で延々重労働をさせられる系の刑罰”だった。
本来の流刑は島流しに代表される追放刑の一種で、通常なら死刑だけど王侯貴族とか僧侶など社会的地位のある方々は死刑にしづらいから追放という感じなので、通常は流刑地で軟禁される事はあっても懲役のように強制的に働かされる事は無い。
だから本来の流刑とは異なるが、まあ、あれだ。
“シベリア送り二十五ルーブル”
そして苦労に苦労を重ねて農地にできたとしても土石流一発で元の木阿弥なので、穴掘って埋める系の辛さも兼ね備える最凶の修行。
とりあえず、割に合わないから止めた方がいいとは答えておいたけど……
◇
「創都の周りの斜面を農地にできると聞いたけど本当?」
「へ?」
「北さんがそう言ってるんだけど」
北氏と話した翌日に村井さんに物陰に誘われて聞かれたのが北氏の言説の裏取りだった。
「昨日農地にできるかって聞かれたので割に合わないからやめた方がいいとは答えましたが……もしかしてあの人、あの斜面を農地にしようって派閥の人ですか?」
「知っていたんですか?」
「あるとは知りませんでしたが、牽強付会が酷くて話が通じないからあの斜面を農地にできる事にしないといけない事情があるとは思いましたよ」
『斜面を農地にするのは割が合わない』を『採算度外視なら農地化は可能』と解釈し『土石流の被害を受ける可能性がある』を『必ず罹災する訳では無い』と受け取るような感じ。
たぶん今頃は『採算度外視』とか『必ず』とかを省いて『農地化は可能で罹災する訳では無い』と記憶改変しているんじゃないかな?
結論ありきで都合の悪いものは無視して都合の良いものがでるまで探して誇大に取り上げ、都合がいいものがなければ大意を無視して切り貼りしたり捏造したりする人間は古今東西貴賎貧富老若男女を問わずそれなりに存在する。
イデオロギーとかカルトとかマスメディアとか宗教とか経営層に多くいるように見えるが、それは彼らがある種の権力を持っているか志向していて声がでかいから目立つだけの話。見たいものを見たいようにしか見ないのは人間の性ではあるが、程度を超えられると持て余す。
「色々綻びがでてきてまして」
鹿を狩って食糧の足しにしていたのだが、鹿だって馬鹿じゃないから狩猟圧が高い場所から逃げるので、だんだんと狩れなくなってきたそうだ。
キャンプ場には五十人ぐらいはいた筈だから、狩猟採取で支えるには最低でも半径四キロメートルの狩場が要る。あそこはキャンプ場から一キロメートル以内は不毛の地だし下流側の扇端は五キロメートルは不毛の地が続くからそれらを除外すると……砂礫の斜面を一キロメートル越えた先の森林の奥行き六キロメートルぐらいを勢力圏としても不安が残る。
キャンプ場の中に田畑を造ってはいるが、生産力が足りずジリ貧だから外に田畑を造るという対策がでてきたのだが、そこで問題になったのがどこに農地を造るかという事だそうだ。
近傍の砂礫の斜面という派閥と扇端部やその先の林など常識的に見て農地にしやすい安全な場所という派閥に分かれたそうだ。
これの何がもめるのかというと、キャンプ場から離れた場所に田畑を造るならキャンプ場から通うよりもそこに住む方が楽なのは明白だから遠くに造るという事はキャンプ場を捨てて移住するという考え方も成立するという事。
つまり扇状地を農地にしたいというのは、キャンプ場に住み続けたいという事とほぼ同義で、教団は基本的にこの派閥。
「そういう事になっているんですか。村井さんはどうお考えですか?」
「徐々に苦しくなってくる圧迫感はあるんですが、飛び出す勇気が中々……そう思うとよくあなた方は翌日にスパッと飛び出せたと思います」
「それは単に自分たちは何とかする自信があっただけです。例えが適切かはあれですが、徐々に沈んでいく船から脱出するとして、泳げない人は岸が直ぐそこに見えていても水に飛び込むには多大な勇気が必要です。一方泳げる人は泳げない人ほど勇気を振り絞る必要はありません」
「それでも翌日というのは」
「あそこに居たのは老若男女合わせて一〇八人……まあこれは後で答え合わせした数ですが、その人数が居続けたら恐らく半年ぐらいで食糧不足に陥り詰んだ筈です。ならば、自活可能な者はできるだけ早くキャンプ場を離れ、キャンプ場の負担を少しでも減らす事が生き残れる人数を最大にする方法です」
「……後知恵なら分かるけど、よく割り切れるね」
「一般ではないという自覚はありますが、そういう性分なんです。話を戻して……その状況でしたら、あくまで仮説ですがキャンプ場は当初のキャパオーバーの状態が今もまだ続いているのではないかと思います。人数が減って一番最初の状態だと半年ぐらいしかなかった破綻までの猶予期間が数年単位に延びているだけで、本質的にはキャパオーバーの状態が続いていて、今の人数でもこのままだと何れ破綻する状態なのかもしれません。そう考えると全員がキャンプ場に残るというのは拙いのかも」
「それは……」
「緩慢な破綻だけでなく土石流がキャンプ場を襲ったらその時点でも詰みになります。なので一番安全性が高い案は“全員がキャンプ場を捨てて鹿追か上の口あたりに移住する”なんですが、それを受け入れるのは難しいでしょう。天災は忘れた頃にやってくるではないですが、何れ起きると思ってはいても切迫性がないのでどこか他人事みたいに感じるしょうし、ある程度生活基盤が整っているキャンプ場から出るというのは抵抗がありますよね」
「続けて」
「それらを勘案すると、移民を考える人には援助を出しながら移民してもらい、残る人達は潰れてもダメージが無い程度の労力で斜面で農業を始めるというのが無責任な部外者の戯言です。土石流対策は砂防堰堤とか渓流保全工とかの土木工学に基づく対策はリソース的に無理なので、現状では“お祈りする”しかないです」
「お祈りね」
「お祈りです。二十年間無事な確率は好意的に見積もって五パー、脳ミソお花畑レベルの楽天的に見積もっても二十五パーって感じでしょうか。四回から二十回に一回を引き当てたらOKですから十分起こり得る範囲です。年末ジャンボを一枚だけ買って一等を当てるより五十三万倍ぐらい容易いです」
「それ、二十年じゃなく五十年百年だと?」
「年末ジャンボを一枚だけ買って一等を当てる確率の二千万分の一よりは断然高いと思いますが」
「あのねぇ」
「そもそもの話ですが、二十年間の罹災確率が九十五パーって、どうしてもそこを使用しないといけない理由がない限り利用なんて考えないレベルです。治山治水されてないから土石流はかなり凶悪ですよ。たぶん」
土石混じりの水流だから威力もあるし、土砂に埋もれると復旧も大変になる。
なので、砂防堰堤で土石を食い止めて水だけを流下させるという固液分離が土石流対策の基本となる。
治山堰堤で河床勾配を緩やかにして発生を抑制したり河床や河岸を強化して土石の供給を抑えたりする渓流保全工や、流下先を限定する導流堤といった対策と一体で施されるが、肝になるのはやはり砂防堰堤になる。
ここでは渓流保全工がされていないので土石流が発生すると河床や河岸を削り取り勢力を増しながら下ってくるし、そうやって削られた渓谷は崩れやすく次の土石流の卵にもなる。
「今まで大丈夫だったのは運が良かったということかな?」
「そう思います。あそこに木が生えてない斜面があるんですが見えますか? あれ最初の年の秋にきた台風で崩れた場所です。鉄砲水が発生して二十人近い人命が失われ、取水施設も破壊されました。あれがキャンプ場の上流で起きていたら……」
「どんな被害になる?」
「仮に直撃したらキャンプ場は土砂に埋まると思います。管理棟は鉄筋コンクリートなので多少は耐えられるかもしれませんが、コテージは基本的にやられると思ってください。川の出口の扇頂から一キロぐらいしか離れていないので直撃を受ける確率は高いです。それと土石流は麓の平坦地に達するまで止まりません。流路上にあるものは流されるか土砂に埋まると思ってください」
「うむ。ありがとう。ところで、もう一つ聞きたいのだが……ここの下水処理ってどうやってるの?」