第23話 冬季湛水
十月の交換会が休会なのは稲刈りがあるため。
その美浦総出での稲刈りが終わったあとに、親父殿の呼びかけで主に農業を担っている者を集めて来年度の方針を話し合う場が設けられた。
稲刈りが終わったばかりなのにもう来年の話というのは気が早い気もするが、来年度にどの品種をどれだけ作付けするかを決めないと種籾の確保も覚束ないので別に早いわけではないそうだ。
その席に将司と雪月花と俺も呼ばれている。
三人とも農業は手伝いはするが密接に関わっているかと言われると答はノーなのだが、呼ばれた理由は直ぐに分かるとの事。
「まずは歴代の坪刈帳を見てくれ」
親父殿がそういって今年度を含めて直近三年分の坪刈表を見るように促す。
水田一枚からどれぐらいの収穫があったかを記録に残しているのだが、その残している帳面が坪刈表。
一坪あたりの収穫量を記しているので坪刈表というのだが、これを三百倍すれば一反の収穫量と見做すことができる。
今年度の全体の収穫量は暫定値で約二十四トン。
水田は全部で十二町歩(一二〇反)あるので反収にすると約二〇〇キログラム。
一昨年の一八〇キログラム、去年の一九〇キログラムからみると順調に伸びているように見えるが、そんな単純な話ではない。
「近場はともかく、奥の田んぼの出来はお世辞にもええとは言えん」
三年分の坪刈表から分かる事は、住居に近い水田の反収は順調に伸びていて今年度だと二五〇キログラムを超えている水田も多いが、遠い場所だと低迷していて多くは一五〇キログラムあたりで中に実質的にはゼロと言ってもいいものもある。
平均すれば反収二〇〇キログラムで増えてはいるが、増分は住居に近い水田の伸びであると判断できる。
「個々に見れば病害、虫害、獣害や水管理の不備といった原因らしきもんはあろうが、根本的には人手が足らんのが原因やと思っちょる」
親父殿の言うとおり、目配りしにくく手を掛けづらい遠くの水田だと問題が起きる前に対処する事ができず、問題が起きてから対処することになり、中には問題が他に波及しないよう収穫を諦めて潰した例もある。
「それは分かるけど、頭数がいれば良いという話でもないんでしょ?」
そして美結さんがいうように、ずぶの素人を張り付けたところで解決する話でもない。草取りはまああれとしても、病虫害が蔓延する前に察知したり対処したりとか、生長具合から施肥の要否や必要な肥料の種類を判断するとか状況に応じて水の量を増やしたり減らしたりという繊細な水管理って誰にでもできるわけじゃない。
ずっと湛水していると根張りが悪くなったり土壌が酸欠状態になって稲が吸収しにくい形態になる有効成分もあるので水を抜いて土壌を乾かすという事もするが、時期を間違えるととんでもない事も起きてしまう。
現代日本の米農家さんはちゃんとやっているし検査もしているから問題はないが、出穂時期の前後は湛水しておかないと土壌中のカドミウムを大量に吸収してしまうなど収穫量だけでなく食の安全面でも水田の水管理は大切。
「そうや美結。そやから採れる手ぇゆうたら人手に応じた広さにするちゅうんがある。正直言うと半分の六町歩が限度や思う」
「仮に半分の六町歩として収穫量はどれぐらいになります?」
「半分だけ作付けして残りは無しとしたら今の七割ぐらいが精一杯やな」
なるほど、収穫量が七割になるのを許容できるかという話なら将司や雪月花の意見を聞きたいのも分かる。
「奈緒美の意見は?」
「人手が足りなくて土地の能力を十全に出せていないのは同意する。でも規模を縮小して収穫量が減るというのは受け入れ難い。ノリさん、江戸時代の農村の人数と耕作面積ってどんなだったっけ?」
「確かモデルケースとして、六戸三十人で田んぼが十町歩ってのがある」
寛政年間につくられ江戸時代の地方行政に関する教科書的存在であった『地方凡例録』という書籍があり、その中に農村のモデルケースとして『二三五の法』というものが載っている。
上田が二町歩中田が三町歩下田が五町歩あるので『二三五の法』というらしい。
他にも屋敷地や畑などの面積やそれぞれにどの程度の課税をするかの石盛も定められていて石高は百石になる。
「一戸あたり二町歩ないのか」
「田起こし代掻き畦塗りは農機使ってもそれなりに時間がかかるけど、当時はそれを全部手作業だからな」
「なら真っ当に面倒見れるのは六町歩というのは妥当な線か……でも収穫が減るってのはどこかロジックに誤りがある筈」
手を広げすぎて非効率になっているから改善して実入りが減りましたって改善になっていないので、それなら非効率でもそのまま続けた方が利益がある。
「まあまあ、さっき言った七割は残りを作付けせなんだらの話や。駄目元ぐらいの気持ちでほとんど手ぇ出さんで栽培すれば今と同等以上の収穫が見込めるゆうたらどないや?」
「二十四トンの三割を六十反とすると……平均反収一二〇キロでいいという事か。でも七割を六十反でとなると三〇〇まではいかなくてもそれぐらい要るけど」
「二八〇キロで帳尻が合う。これまでの収量を考えたら十分クリアでける。土も肥えてきたし田起こしの回数も倍にできる。何なら株間三〇センチにしてもええ思うし」
「幾ら手を入れないといっても水田の不耕起栽培は無理がある。陸稲にでもするの? でも陸稲だと連作障害もあるし収量もきついし人手もいる」
「そこでや、冬期湛水を試してみんかって話なんや」
冬期湛水というのはその名の通り通常だと水を抜いて乾かしている冬の間も水田に水を張り続ける農法の事で、稲藁とか米糠などを撒いた水田に水を張り続けていると糸ミミズなどが繁殖してトロトロの泥の層が形成されて雑草が生えにくくなり、耕さなくてもそのまま田植えできるなどの省力化が計れる農法との事。
状況に応じて土壌生物の栄養源となる有機物を供給しないといけないなど技術的な要件もあるが、秋川家では何年も冬期湛水をしていたそうでそれなりにノウハウは持っているとの事。
但し(この世界はともかくとして)ノウハウさえあればどこでも誰でも実施できる訳ではなく技術以外の条件が色々あってその要件を満たす方が難しかったそうだ。
先ず実施する水田に土壌生物が豊富にいないと厳しいので、自身が無農薬栽培をしているのはもちろん、周りからも農薬が入ってこないというのが大きな関門になる。地域全体で無農薬栽培に取り組んでいるとか最上流に立地しているとかでないと中々満たせない。
他にも水利権などでは役所もからんでくるし、水も洩るので地域の合意なども重要になる。
そこらは美浦なら対応できる話ではあるが、この冬期湛水の最大の欠点は収量が落ちる事で、統計によれば慣行農法に比べて二割から四割ぐらい収量が減少するとの事。
雑草が根を張れず浮き上がってしまうぐらいの泥層は稲を支えるには軟弱で倒伏のリスクが大きいし、雑草抑制効果も限定的で言うほど万能なわけではなくトータルでみれば収量は減るらしい。
ただ、平成の日本ではそういう自然農法的・無農薬栽培的な農作物に大きな価値を見出す人達が一定数いるので、極端な例だと通常の十倍の値で売れたとかなんとか。
もし十倍の値段で売れるなら例え収穫量が四割減でも六倍の収入になる訳だからそういうプレミアム的需要があるうちは取り組むインセンティブにはなりうる。
だがしかし、美浦ではそういうインセンティブはない。
化学肥料が貴重だから基本的に有機栽培になるし、化学農薬がなく自ずと無農薬栽培になるから特別感は全くない。実は美浦では化学肥料を使って育てた野菜の方が人気だったりする。
窒素・リン酸・カリの肥料三大要素のうちで窒素だけだが化学的手法で製造しているものがある。農地に撒いたら微々たる量でしかないけど、鶏糞の発酵過程で発生するアンモニアを回収して硫安や塩安を化合しているし、初年度から佐智恵が積極的にすすめてきた硝石丘には硝化菌が育っていて、硝石は花火に使えるぐらいの生産能力になっている。
リン酸は魚や鹿や猪の骨を焼成して砕いた骨粉、カリウムは炉や竃などででてくる草木灰がメインではあるが、基本的に有機肥料はリン酸やカリウムとの比較で窒素分が少ないので化学合成した窒素肥料は畑の野菜の収量増に貢献している。水田に使っていないのは水田の面積が広大なので効果が期待できる量を確保できないから。
もっとも化学合成といいながら本質的には有機物であるタンパク質や尿素や尿酸などの代謝物が開始物質なので、無機物の空気と水を開始物質とするハーバー・ボッシュ法とは異なり、功罪含めて環境に及ぼす影響は軽微というかほぼ無いというか……
「奈緒美、今年の収穫高の上位半分を合計するとどれぐらいになる?」
「ちょっと待って直ぐには出ない」
「だいたい十五トンぐらいや。六割強ちゅうとこやな。プレゼンすんにそこらは押さえちょる」
「それじゃあ九トン減の十五トンとしたらどういう事になる?」
「……食糧番に確認をとらないといけないけど、備蓄できるかはあれだけど単年需要は満たせる筈。もっとも備蓄の古々々米の放出があるからたぶん回る」
備蓄米は美浦の五年分の食米として三十トン備蓄するのを目標としている。
あまり古くなってもあれだから毎年十トンずつ備蓄して新米、古米、古々米で三十トンとして、収穫したら一番古い古々々米は使ってしまうという計画で動いている。
本格的に米作りをしだした一昨年の備蓄米約八トンは来年の収穫があったら備蓄米としてのお役御免で米粉とかデンプン糊とか飼料とかにする予定であった。
新米があるのに態々古々々米を食べる必要ないじゃんって事で人間が炊いて食べる以外の利用を計画しているけど、別に炊いたら炊いたで食べられるので、もし新農法がこけて九トンの収穫減になっても役目を終えた八トンがあるからカバーできるという考えは分かる。
親父殿はそこらも考慮に入れて提案しているんだろうな。
「なら冬期湛水の実験を今冬から始める方向で検討してください。結果の振り返りは三年を目処って感じでいいですか?」
「任せてくれ」
こうして住居から一番遠い里川沿いの一列四町歩と残り二列の最下流の一町歩の計六町歩の田んぼで冬期湛水が実施される事になった。
いくら秋川家が冬期湛水農法をしていたと言っても条件が色々違うから、ここに無い畦板の代わりに畦自体を補強とかで親父殿に扱き使われるのはまた別の話。
勘違いしていたことが分かって修正に時間がかかってしまいました。
それとファクサイの関係で時間がとれませんでした。
言い訳ですがorz