第22話 新集落の予定
新集落を立ち上げる場所は滝野から八キロメートルほど南に東からの支流が加古川に合流している場所があって、その支流をちょっと遡ると高台の麓があるのでこの高台に設定した。
オリノコからもミツモコからもホムハルからも適度な距離があって何でここに集落が無いのか不思議に思う立地なのだが、集落が無い理由は食糧源が無いから。
この時代の集落が作られる主な条件は『定住に足る食糧源がある事』『河川や湧き水などの水の手がある事』『河川の氾濫や高潮などで浸水しない場所=高台』の三つ。
特に高台というのは大昔から現代まで重宝されていて、例えば大阪の中心部にある高台を上にある町、上町というのだが、大阪城あたりを北限に南北十キロメートル以上の長さの細長い上町台地には難波宮跡地があって、少なくとも古墳時代から大阪の中枢を担ってきた場所となっている。
高台は行政府だけでなく住宅地としても人気があって低地に比べて地価が高いところも多い。
高台にある市街地を山手ともいうのだが、横浜や神戸の山手というとお金持ちの街の趣きがある。
山手の対語の低地にある市街地を指す下町と比べてどうだろうか?
そういう人気がある高台ではあるが、喰わにゃ死ぬんだから食糧源として機能する何か(通常は森林)が無い以上は集落は成立しない。
現代なら都市部はそもそも他所から食糧を持ってくるから食糧源なんて無くても問題ないし、水の手も水道が整備されていれば問題ないが、ここではそうはいかない。
この場所の周りに森林は無くはないが、滝野と同様燃料林としても少々心許無い程度で、とてもじゃないが食糧源になるほどの豊穣は期待できない。
これがこの場所が空白地だった要因。
狩猟採取・粗放農業なら食糧源がないから無理だけど、集約農業なら余裕のよっちゃん。
集落の名前は川が合流する場所という意味から『川合』と名付けられた。現地語のナクウェではなく、日本語の『川合』と付けたのはハロさん。
滝野は俺らが付けたからアレだけど、これっていわゆる外来語由来の地名だよね?
現代日本でいうなら富山県小矢部市メルヘンランドとか神奈川県横須賀市グリーンハイツといった地名に通じるものを感じる。
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川合に住めるようになるまでは滝野に留まってもらう。
滝野から川合はゆっくり目でも三時間もあれば着くから通いで問題ないと思う。
冬が来る前に棲家を建てて食糧を確保して薪柴や防寒具などの耐寒装備を用意しないといけないのだが、それを要求するのは現実的ではない。
当面は集落を建てる場所と畑を造る場所を切り開くことになる。
そのときに伐り出した樹木だが、この時季の樹木は基本的に水分をたっぷり含んでいるから、かなり念入りに乾燥させないと建材としてはおろか薪としても使えない。冬場と違い含水率が高いので、乾燥しやすい薪の形状で乾燥させても使えるようになるには天日乾燥だと一年では少し心配で、一年半から二年ぐらいかかると思う。
まあ、一年でも待てないだろうから、伐り出した樹木などを薪柴の形にしてくれたら、滝野に備蓄している乾燥済みの薪柴と交換して使ってくれればいい。
たぶん使う量より伐り出す量の方が多いと思うけど、それは滞在費という事で。
集落の場所を確保したらその次は畑の開墾。
順番が違うんじゃないかって思えるかもしれないけど、早めに開墾できれば秋植えのジャガイモが間に合うかもしれない。もし間に合えば冬前に収穫できるし、ジャガイモが間に合わなくても麦には間に合うと思う。
ちなみに水田は灌漑施設がないから直ぐには難しい。
何を栽培するのかは最終的には奈緒美を交えて開拓者と相談して決めるが、麦(大麦・小麦)と芋(サツマイモ・ジャガイモ)になるんじゃないかな?
そして、冬の間は建材用の樹木の伐採。
含水率が低い冬場に伐採しても半年から一年ぐらい乾燥させないと歪んだり割れたりと良い事は無い。美浦の出端屋敷も匠の言っていたように床が反り返ったり壁が歪んだりと色々とヤバイ箇所がぼちぼち出だした。
そうは言っても一年以上も滝野に滞在という訳にもいかないから、伐採した木材と美浦や滝野で乾燥させている木材を交換してそれで家を建ててもらう。
こうなったのは開拓者たちが竪穴住居ではなく高床住居を希望しているからで、高床住居は柱や梁はもちろんだが床に大量の木材を使うので竪穴住居と比べて桁違いの量の木材が必要になるので木材の確保からはじめないといけなくなった。
産まれたときから住んでいた竪穴住居ではなく、高床住居というのはオリノコの三人が提案して他の婿たちも同調したのがきっかけ。
俺らが歓迎しているというのもあるが、オリノコの子供や少年少女は自宅より快適とカムサキに入り浸っている。
若衆は滝野市場ですごした経験もあって賛同している。
彼らに建てられるのかと言えば大工見習いをしていたラトさんがいるから建てられる。
二級建築大工技能士が取れるぐらいの腕には仕込んだと匠が太鼓判を押している。
“新しい酒は新しい革袋に”ではないが、狩猟採取生活・粗放農業から農耕生活・集約農業へと食の根源を大きく変えるのだから住まいが変わってもおかしくは無いという理屈らしい。彼らが瑞穂文化のアーリーアダプターという事になるのか。
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川合予定地の近辺を流れる支流は南北に伸びる台地の北端部を切り裂いて流れているようで、川合予定地は侵食を免れて北側に残った台地の端ともいえる場所にある。
対岸側(南側)の台地の方が高くて大きいのだが、北側でも高さも広さも問題ないのと、渡河しないと滝野との連絡がつかないので南側は敬遠した。
その川合予定地の南側を流れる支流の上流方向(東側)の川原には藪が広がっている。
高台に挟まれて水が滞留しやすいから湿潤地に適応した種が繁殖していると思われる。
でもこの藪が結構な浄水機能を持っているようで水質は悪くない。
稲刈り直前ではあるが奈緒美に出張ってもらって開墾適地や各種資源の見極めを確認してもらっているが、川合予定地の南東麓にある藪をみてにんまりしている。
「なかなか見事な篠竹だね。ここまで立派なのは中々無いよ」
「稈鞘が付いてるから篠笹と思うけど」
「植物学の分類ではノリさんの言うとおりササであってる」
植物学上の分類では生長にともなって稈鞘が外れて稈だけになるのがタケで、生長しても稈鞘が付いたままのものがササなので、稈鞘が稈に引っ付いているからこいつはササ。
その頭につく篠だが、篠という字には“群がり生えるタケやササ”という意味がある。つまり、竹が群がり生えていれば篠竹で笹が群がり生えていたら篠笹。
紡績の中間工程で不純物を除いた繊維の向きや長さを揃えたものも『篠』というが、竹冠が付いているので元々は群生するタケ類を指していて、繊維の向きや長さを揃えたものを群生するタケ類に見立てて篠というようになったと思っている。
「でもね、こいつは雌竹だから篠竹が正解」
「高いから竹ってか」
「一応はそゆこと。日本のタケササの命名法は見た目重視。背が高く大型ならタケで低くて小型ならササ。植物学の分類ではタケのオカメザサとか、同じくササのヤダケとかね」
慣例的分類だと生物学的な系統よりも似た様な生態や大きさとかで分けるの事がままある。
クジラとイルカは成体の大きさで分けていて、成体の体長が三メートルから五メートルを超える種をクジラといったりする。英語のホエールとドルフィンの使い分けも成体の大きさ準拠。その分類に従うとマイルカ科のシャチはクジラになる。
蝶と蛾の違いも慣例的で生態や形態といった生物学的な定義ができない。
乱暴な言い方をするなら鱗粉を持つ翅のある昆虫(鱗翅目・チョウ目・ガ目)の中で“こいつは蝶”というのを決めて、それ以外を蛾としている。
『昼に飛ぶのが蝶で夜行性が蛾』『触覚の先端が棍棒状もしくは鉤爪状なのが蝶』『胴体が細いのが蝶で太いのが蛾』『止まった時に翅を畳んでいるのが蝶で広げているのが蛾』
これらも大部分では当て嵌まるが、夜行性の蝶や昼行性の蛾、触覚の先端が櫛状の蝶や棍棒状の蛾、胴体が太い蝶や細い蛾などもいる。翅を畳むか広げるかは太陽光を浴びて体温を上げる必要があれば広げるしそうでなければ畳むという感じで昼行性は畳む種が多く夜行性は広げる種が多いというだけ。
敢えて学術的な分け方をしようとすると鱗翅目のうちでセセリチョウ科、アゲハチョウ科、シロチョウ科、シジミチョウ科、シジミタテハ科、タテハチョウ科の昆虫が蝶で、それ以外が蛾という感じ。
「こいつの筍というか笹の子って食えるんだっけ?」
「食べられるけど苦味があるから。別名の苦竹は伊達じゃない」
「苦竹って真竹の別名という覚えがあるが」
「“ニガダケ”は真竹と雌竹の両方を表していて、大きい方の真竹は雄竹ともいうんだ。そんでもって小さい方が雌竹。同じ字を書くけど“クチク”と呼ぶとほぼ真竹だけどね」
「“メダケ”は聞いても“オダケ”を聞かない訳だ」
「最初に戻るけど、雄竹が真竹を指すように雌竹が篠竹を指している事もあるんだ。ただ単に卵と言ったら通常は鶏卵を指すように篠竹と言ったら雌竹……とまでは言い過ぎだけどそれに近い感はあるんだよ。雌竹で作った笛は竹笛でも笹笛でも雌竹笛でもなく篠笛だしね」
「分かった。篠竹でございます。で、篠竹見てにんまりしてたのは?」
「それはね、雌竹って他のタケ類に比べて加工しやすいから、こんだけの群生地があるなら竹製品を一手に担ってもらうのもありだなっと」
「そういう事なら川合じゃなくて笹塚にした方がよかったかな?」
「魔王さま?」
「六畳一間風呂無しのアパートに住むアルバイターってか? 俺は笹塚は危険物取扱者」
危険物取扱者と消防設備士の試験の実施機関である消防試験研究センターの本部と東京都での試験会場の最寄り駅が笹塚駅。
危険物取扱者は丙種と乙種は特に受験資格は要らないのだが、甲種は相応の受験資格が必要で、四年制大学の化学系の学科の卒業や乙種での実務経験などがないと受けられない。
甲種は消防法が定める全ての危険物の取り扱いができるが、それは第一類から第六類まである乙種を全制覇しても取り扱い自体は可能になるので全種類取った。(乙種全制覇より甲種の方が上位だけど)
実は実務経験がなくても乙種を四種類以上(第三類と第五類は必須で、第一類か第六類の何れかと第二類か第四類の何れか)持っていたら甲種の受験資格が得られるのに気付いたのは第一類から第五類まで取ったあとで、免状の全項目を埋めるために第六類も取ったから乙種だけで六回受験した。
それと丙種と甲種があるから危険物取扱者だけで八回受験したことになる。
受験者が多い丙種や乙種第四類は各都道府県で年に何回も試験があるが、他の類はあまり受験者がいないので受験できる機会が少ない。そこでそれらの開催頻度が高い東京会場で何回も受験した。東京会場は合否判定が即日なので便利っちゃ便利。
危険物取扱者の試験は全国統一で誰がどこの会場で受験しても構わないから東京都と縁も所縁もなくても東京会場で受験できる。その場合は交付者が東京都知事になるけど、どの都道府県知事が交付しようが効力は一緒。
「まあ冗談は置いておいて、集落内で自給自足が完結するのはよろしくない。モデルケースとして竹製品特化もありじゃないかってね」
現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスと絶滅したネアンデルタール人は、ともにヘルト人(ホモ・サピエンス・イダルトゥ)を先祖とするので種としてみれば兄弟ともいえる。
しかし、片や絶滅し片や支配種となった分水嶺は幾つか挙げられているが、その中の一つに“現生人類は交換ができる”というものがある。
贈呈は色々な生物が行っているが、交換をできる生物は現生人類だけとも言われている。
ネアンデルタール人の遺跡ではみられないが、現生人類の遺跡からは何百キロメートル何千キロメートルも離れた場所で産出された物品が、中には海を渡ってきた物品が当り前のような顔をして出土する。
何かしてもらったらお返ししようとする返報性というものが交換を成立させ、交換が成立するので広範囲での分業が成立し、そのネットワークは社会といえる。
延々と石器を作っていても交換によって食糧を得られて食べていけるなら石器を作りつつ狩りもしてという者に比べて石器作りが上手くなるのは当然であり、石器職人が作る良い石器を集団の全員が使える。
独立独歩の自給自足のネアンデルタール人は個人の力で、高度な社会を形成した現生人類は集団の力で発展していくとすると現生人類が勝つのは当然と言える。
この事は何度も話し合っている。
美浦も美浦という集落の単位では自給自足ができるが、それを良しとは思っていない。技術移転とかをして美浦以外でも製造できるようにならないと、そして美浦はそこから購買と言う名の交換で入手するようにしていきたい。
人間は結構保守的だから今の暮らしを変えるというのは何らかのショックが必要だが、新集落なら“はじめからそうだ”という事でいけるのではないか。
奈緒美はそう言っている。
「なるほどな。俺は賛成する」




