表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
文明の濫觴  作者: 烏木
第8章 紡ぎ織る
150/288

第20話 どこも辛いか

同じ氏族記号が多すぎて(あぶ)れる参加者がいる“同じ氏族記号多過ぎ事案”の他にも問題があって、それは“帰れない人多過ぎ事案”と名付けた。


姉妹だと姉などが狩場などの財産を継いでいて後を継げない娘衆は一定数発生する。

多産多死なので予備(キープ)という意味での部屋住みの需要が無い訳ではないが、既に十分な質と量のキープをしているとか食糧事情などでキープするのが厳しいケースは発生するので、その場合は外に出すという事になる。


これはある意味では口減らしの棄民でもあるので、例え成婚しても出身集落に帰ることはできない。

もちろん出身集落で別所帯を構える分家みたいな例もないわけではないが、それはその集落の男手が足りないとか断絶などがあったなどで世帯数を増やしたい理由がある特殊なケースで採られる方法。


こういう出身集落に帰る事ができない者が採れる手段は“婿の集落に行く”、“主催地に居を定める”、“新天地を目指して旅立つ”の三つと聞いている。


新天地を目指すとなると新天地を目指せる冒険心と能力を持っていて、更に新天地を目指す事を賛同できる若衆しか相手に選べない。

それに何組かと共同でないと厳しくて、たぶん夫婦一組だと詰む。

これはかなり厳しい条件なので、現実的には“婿の集落に行く”と“主催地に居を定める”のどちらかが多くなる。


この“婿の集落に行く”が、菱形氏族と渦巻氏族と二重丸氏族がほとんどの集落に存在する要因じゃないかと疑っている。

もっとも“婿の集落に行く”が成立するには、受け入れる余力がある集落の若衆が相手である事が条件になる。


相手選びの条件が一番緩いのが“主催地に居を定める”だが、夫婦ともに地縁のない主催地での暮らしになるのでこれはこれでなかなか厳しい生活になる。

そうは言っても、そういう新婚さんはでてくるので長年ムィウェカパを主催してきたホムハルが他所の二倍前後の世帯数なのは、そういった夫婦が主催地(ホムハル)に居を定めた結果らしい。

ムィウェカパを主催するにはそういう余力も必要ということで、(ルージュ)の件と合わせてホムハルもかなりきつかったのかもしれない。


出身集落に帰れない娘衆からみた若衆の選択肢の多さは『主催集落 > 婿集落 > 新天地』で、暮らしやすさは『婿集落 > 成功した新天地 > 主催集落 > 失敗した新天地 = 死』という感じかな?


ともかく、集落の許容世帯数より女性の数が多くなると誰かが集落の外に出ないと共倒れになるからそういう存在が発生する事は理解できる。

そして、そういうケースでは集落の許容世帯数を上げる方向に向うのが正道だとは思うが、それができれば苦労しないというのも分かる。


とある人口社会学者がいうには“原生動物から哺乳類にいたるまでほとんどの動物は、そこに住める個体数の限度(環境収容数キャリングキャパシティ)まで個体数が増えたら、生殖抑制、子殺し、共食いなどで個体数抑制行動を示し、それはキャリングキャパシティの余力が十分にできるまで続けられる”らしい。


人口容量が限界に近づくと人口を増やすには一人あたりのリソース配分を減らすしかなくなり『生活水準を下げて子どもを増やす』か『生活水準を維持して子どもを諦める』かの選択になる。


すでに一定の豊かさを経験している世代は生活水準を落とすことを嫌うから『生活水準を維持して子どもを諦める』が選ばれ易く、結果として少子化という形で個体数抑制が行われる。


現代日本の少子高齢化は日本の人口が人口容量の限界近くまで達した結果であり、百年前ならいざ知らず他の土地を獲得(侵略)して人口容量を増やすなどできないので、単位面積あたりの食糧生産を劇的に増やすなどの人口容量を増やす何らかのブレークスルーが無い限り解決は難しい。


人口が減って経済力が落ちると他所から買える量が減るので人口容量も落ちていき、衰退の一途をたどる。仮に減った日本人の人口を移民などで補って経済力を維持しようとしても、人口容量の限界との差が変わらないので、生活水準を下げられない日本人はどんどん減って、移民がどんどん増えるだけになる。


日本ほど顕著ではないにしても少子高齢化は先進国では珍しい現象ではないが、どこも明確な解決はされていない。


現代の先進国でさえそうなのだから(彼らの技術水準での)人口容量に達した集落が劇的に人口容量を増やすというのは一朝一夕には達成できなくても当然ともいえる。つまり棄民や口減らしなどで人口抑制行動を採ることは不思議でも何でもない。



どう考えても一筋縄ではいかないが、解決策があるわけでもない。

そして無策のままというのもとても怖い。


当面直下の縁組だけをみても全ての条件を満たす縁組は不可能だけど、数学的に最適化した縁組を美浦が主導するというのも違う気がする。


しかし、全員の縁組は無理だから『溢れた者はどうなるのか』と、娘衆の半数以上にあたる八人が出身集落に帰れないそうなのだが『彼女らを受け入れ可能な集落はどこなのか』という二点は腹積もりしておきたいから、この事はとりあえず大人衆にぶん投げてみる。

ぶん投げてもそのまま投げ返される気もするが、その時は滝野に来ているだろう雪月花と相談しよう。そしてできれば雪月花に丸抱えして欲しい。


■■■


「えっと……帰れないって人が八人もいると」

「引率の大人と本人に確認済み」


『縁組に溢れた者をどうするか』と『出身集落に帰れない彼女らをどこが受け入れるか』という二つの課題は予想通りゼロ回答で投げ返されたので、予定通り雪月花にぶん投げるために説明している。


「半分がそうって、今までもそうだったの?」

「いや、滅多にないそうだ」

「じゃあ何でそんなにいるのよ」

「すまん。たぶん俺の所為(せい)


出身集落に帰れない者が大量にでた原因について、蓋然性が高いと考えているのが美浦(俺ら)の存在。


恐らく多くの集落は許容限度に近い状態なのだろう。

しかし、いくら余剰人員とはいえ、本当に二進も三進もいかなくなって共倒れ寸前にでもならない限り、ほぼ野垂れ死にする状況で放り出すほど冷酷でも非情でもなく、できるだけ何とかしようとしていたのだろう。


そうは言っても、外に出してもかなり高い確率で生き残れる希望があるのなら余剰人員には出て行ってもらった方がいいと考えるのはおかしなことではない。


この生き残れる希望を示してしまったのが俺ら……というか俺。


ちょっと欲しいと言われたら集落全員が一箇月食べていけるだけの食糧(玄米)をポンと出した。それも十集落全部に対して。

去年の秋に美浦が供出した米を全部あわせると一集落が一年間ぐらい食べていける量になる。


それぐらい美浦の食糧事情は良いのだから余剰人員を受け入れられると考えて、これを機に余剰人員の一掃を計ったとしても不思議ではない。


若衆は元々出ていくのが前提なので考慮外にするにしても、娘衆の半数以上が“もう帰ってこなくていい”というのはそうとでも考えなければ理解できない。というか“そう考えたら腑に落ちた”とも言える。


つまりは、こうなった原因は米を配る提案をした俺。


外に出すというのはある意味では棄民なのだから、いくらこれまで何とか一緒に暮らしてきたのだとしても、棄民した側とされた側の双方が何の(わだかま)りもなく今までどおり暮らしていけると思うのは脳天気に過ぎる。

当然待遇は変わるだろう。それも悪い方に。


深い山の谷間で耕地面積が充分とれず、人口を制限しなければ共倒れになってしまうので、人口抑制策として次期家長である長男以外の子は戸主に生涯無償で仕えるという風習があった場所がある。


その村落では、長男以外の子は男なら『おじろく』女だと『おばさ』と呼ばれ、人口抑制なのだから結婚なんて論外なのは勿論の事、自発的に何かをすることは無く、無感情のロボットのように延々と言いつけられた仕事をし続けて一生を終える存在にされる。


ここにそういった存在がいるのかどうかは知らないが“社会の輪が小さく外界との接触が少なく可住人口の制約が厳しい”という点は(くだん)の村落と共通しているので、集落に帰ったあとにそういう境遇になるかもしれないというのは杞憂といえるだろうか。

いくら地縁血縁の情があるとしても生きるか死ぬかとなったらどうなるか分からないし、意趣返しを恐れて過激な行動に出る可能性も否定できない。


そこまでの境遇ではないとしても決して居心地が良いわけではない筈で、“針の筵”とか“身の置き場が無い”といった言葉を連想してしまう。


男ならホムハルを軸とした集落群以外の集落群に行けば居場所を作れる可能性が無い訳ではないが、娘衆だと縄張り争いになるので相当厳しい筈。

出身集落に戻らず命をチップに賭けに出るか集落に戻って針の筵に座るか。

去年、米を供出した所為で、彼女らをそういう境遇にしてしまったのかもしれない。


「事前に相談も無く騙まし討ちのように突きつけてきたのですから、こちらは万全の受け皿を用意する義理はありません」

「…………」

「後悔役に立たずです」


余談だがSCCの中では雪月花の言う“後悔役に立たず”は言い間違いではないという事になっている。


間違った選択をしないよう、知りうる限りの事実を基に最善と考える選択をする事は重要ではあるが、神様じゃないんだから時には間違った選択をしてしまう事はある。


もしも間違った選択をしたのなら“(あやま)ちては(あらた)むるに(はばか)ること(なか)れ”で、そこから学んで正しい選択をし直せばよいし、同じ過ちを繰り返さなければそれで十分。


駄目なのは、その選択をした自分を責める事とそこから何も学ばない事。

幾ら後悔してどれだけ自責しても得られるのは“過去の自分は馬鹿だった”という事だけで何の教訓も得られない。結果として同じ過ちを何度も繰り返すので、後悔しても何の役にも立たないという事。


以前、雪月花にそう説明されて“お説ご(もっと)も”と思ってしまった。


本当は小さい頃に覚え間違いをしていて、指摘された時に取り繕ったネタだそうで、枕流漱石(ちんりゅうそうせき)にしては出来が良かったから持ちネタにしたんだと。

でもこれ、欧州人に見える雪月花だからネタにできるんだと思う。そうじゃなかったら聞き間違えか噛んだと思われてスルーされる。


ただ“後悔先に立たず”は過ぎ去ったことを後からくやんでも取り返しがつかないという事なのだが、後悔しても何の役にも立たないから前を向けという意味が元々ある。


「将来哀しい結末になる筈だった人達を救い出せたのですから、何に思い悩んでいるのか分かりません」

「そうは言ってもなぁ」

「こういう事は成る様にしか成らないですから。こちらとしては援助を求められたらその時点で最善と考える決断を下せばよいだけです」

「高確率で来ると思うから何か案をって事で」

「数が少ないなら滝野かオリノコに住まわせる。多いならある程度支援して新たな集落を立ち上げさせるのはどうでしょうか」


人数が多いなら新集落立ち上げのハードルを下げて新天地に向うよう誘導するという訳か。

こっちも丸抱えより出費は少ないし向こうも物心両面での負担も少ないだろう。


「良い案とは思うが場所はどこに?」

「お誂え向きというと語弊がありますが、無くなった集落……ヒサイリでしたっけ? そこの跡地近辺とか。そこは縁起が悪いというなら滝野とオリノコの間のどこか。東雲さん、何箇所か心当たりはありますよね?」

「……よくご存知で」

「東雲さんがその程度の保険を掛けていないなんてあり得ません」

「分散は基本的なリスクヘッジ策の一つなんで」

「ですよね」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ