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文明の濫觴  作者: 烏木
第8章 紡ぎ織る
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第14話 布を織る

美浦の留山には水車小屋がある。


初年度からちまちま掘っていた横井戸だが、横穴の長さが十五メートルぐらいに達した頃に震度三から四ぐらいの地震があった。

美浦もオリノコも滝野も特に被害らしい被害は無かったのだが、横穴の本設や仮設の健全性を確認するまで工事を中止していた。

他の施設の点検の方が優先度が高いので横穴の点検は地震から十日ほどすぎてからになった。そして点検のために横穴に着いた俺が見たものは入り口からざあざあと流れ出る水と水浸しになった穴の中だった。


通常、横井戸というのは降った雨水が地面に浸透していくのをキャッチして利用するもので、水脈にたどり着くまで掘るというものではないから我が目を疑った。

どこから水が湧いているか調査したところ、横穴の掘削していた先端の壁面に亀裂が生じていてそこから水が噴き出していた。下手すると出水事故になるところだったと肝を冷やしたものだ。


この湧いた水は当初の予定通り(?)醸造その他に使うが、余剰水を里川に放流する前に水車で動力を得ることにした。

そのため、段々畑にでもするかと考えていた(掘り出した土の)埋め立て地は将来的には工房のリプレース用地として開発する事になった。水と動力は大事だよね。



そんな水車小屋の中でくるくる回る糸巻き(ボビン)に撚られた木綿糸が巻きつけられていく。

文昭と匠が中心になって進めていた水車動力を使用した自動ミュール紡績機モドキのバージョン・ファイブでの稼動実験が三箇月を超え、実用化の目処が立った。


「もうこれでいいんじゃない?」

「だな。高能力化の余地はあるとは思うが、他との兼ね合いもあるし、紡績機は一旦これで良いかな?」

経糸(たていと)として十分使える強度になってます」

「次は練条機を作るのが先かな? 自動織機は時間がかかるし」


練条機というのは自動カード機とも言われ、繊維を梳いて繊維の向きが揃った塊((しの)、スライバ)を作る梳綿(そめん)とかカーディングと呼ばれる工程を行う機械。

今はエチケットブラシ的なもので梳いて梳綿しているが、練条機は繊維の塊を投入したら何段もの棘がついたローラーを繊維が乗り移っていく事で繊維の向きが揃った板状のスライバになる。

このスライバを糸車や紡錘で紡いだり紡績機にかけると糸になる。


今回はボトルネックになっていた繊維を紡いで糸にする工程を機械化したのだが、そうすると原料のスライバの供給が間に合わなくなる。ボトルネックを一つ解消すると今度は他の箇所が新たなボトルネックになるのは当然の事なのでこれ自体は問題ではない。

ただ、紡績機が稼動すると色々無視できない問題も発生する。


問題その一

美浦の自動ミュール紡績機モドキは、現代の最新式の紡績機はもちろん産業革命期の自動ミュール紡績機よりも性能は落ちると思われるが、それでも十人分は言い過ぎかもしれないが五人分以上の糸が紡げる。

そうすると今まで糸車や紡錘で紡績していた労働力をどうするか。


美浦の余剰労働力はこれまで生産力が足りず後回しにしていた布の需要が満たされるまでは機織(はたおり)に配分して布の生産量を増すでいいとは思う。

需要は果てしないので原料が続く限り幾らでも作ればいいとは思うが、滝野市場で放出したら他の集落の布作りを壊滅させる危険がある事は認識しておくべきだろう。

そうは言っても他集落の糸作り布作りに掛けていた労力を生産性の高い別の事業に振り分けて、糸作り布作りを美浦に巻き取ってしまうというのも必ずしも悪手ではない。


問題その二

創都(キャンプ場)との取り引きで、美浦が創都から購入しているのが梳綿から製糸までの紡績工程そのもの。

そして、手撚り糸は良く言えば“味がある”だけど、悪く言えば“太さがバラバラで切れやすい低品質な糸”という事でもある。

つまり、創都製の糸は少量低品質高価格な糸になってしまうので美浦としては購入する意味がほとんどなくなってしまう。


ジェニー紡績機を作ったジェームズ・ハーグリーヴスは糸相場の下落に怒った製糸業者の襲撃を受け紡績機を破壊され逃亡を余儀なくされた。

取り引きを切ったり値下げしたりしたら同様な事が起きるかもしれないので“企業努力の結果だ。あんたがどうなろうが知ったこっちゃない”とは言えない。


どうすんべ?


問題その三

原料の綿花が不足する。

当面は梳綿工程が滞って稼働日数が限定されるが、練条機ができれば綿花の生産量が足りなくなる。

糸の生産調整をしてもよいが、自動織機などで効率的に機織できるようになれば生産調整もままならず絶対に足りなくなる。

綿は綿入れとか布団とか糸以外にも色々な用途があるので増産したいが、栽培にも収穫にも結構な人手がかかるしそれなりに肥料も喰う。


日本は第二次大戦の前後は木綿の輸出量が世界一であったので産業として成立する栽培自体はやってやれないことはない。


しかし、ワタは元々は熱帯や亜熱帯の植物で日本の気候で産業として成り立つ栽培ができる和綿は繊維が短く、熱帯や亜熱帯地方で栽培されている繊維が長くて機械化に向いている外国産の木綿の台頭や化学繊維などにおされ栽培量が激減し、現代では栽培されていないといっても大過ない状態になっている。

和綿が栽培されている例は知っているが、現代日本の木綿の自給率は〇パーセントで、最盛期の一割にまで減った輸入量と比べてもピクリとも値を変えられない程度の量しか栽培されておらず、産業としては成立していない。


メキシコやインドでは七~八千年前から栽培されていたらしいから、今この瞬間もどこかで長繊維のワタが栽培されているかもしれないが、それが美浦の市場に参入する事はありえないし、化学繊維なんて作れる可能性があるとしたら佐智恵ぐらいだろうから和綿の衰退要因は考えなくてもいいと思う。

和綿の栽培を推奨してもいいのかな?


自分たちが楽に快適に暮らしたいという動機で進めたことではあるが、自分たちの手に負えない色々な問題の火種を作ってしまったかもしれない恐怖も感じる。


一方で目先の話をすると、稼動実験で大量の木綿糸があるのはありがたい。

俺にはそれなりの量の綿布を確保する必要があるのだ。


■■■


幅三十八センチメートルの平織りの布が織れる手織り機に木綿の経糸を張って飛び杼(とびひ)で横糸を渡して織っていく。


幅が三十八センチメートルというのは鯨尺(くじらじゃく)の一尺の長さ(六六分の二五メートル = 三七.()()センチメートル)とニアリー。

鯨尺は呉服尺とともに和裁に使われていた単位で、明治政府が六六分の二五メートルを鯨尺の一尺と定めた。


一尺は三〇.()()センチメートルで大雑把に三十センチメートル強で換算される事が多いが、これは和装以外で一般的に使われた曲尺(かねじゃく)の長さで、幾つかある曲尺の中の折衷尺を基に三三分の一〇メートルを曲尺の一尺とすると明治政府が定めた。

曲尺は色々な長さがあって日本国内でも統一されたものではなかったため、大日本沿海輿地全図で知られる伊能忠敬が代表的な曲尺であった竹尺と鉄尺の中間の長さを一尺としたのが折衷尺と言われている。

曲尺は建築関係や土地に関連が深く、畳や襖の大きさや柱の間隔、尺貫法での土地の面積(一坪 = 一間(六尺)四方など)に名残が見られる。


「もうそんなに織ったん?」

「ん? 辻本さん、何?」

「昼一に経糸巻きから始めて、もう二メーター近く」

「四十番で無柄の平織りだし、こんな物じゃない? 今週中に三反いきたいから」


和装の世界で一反というのは着物を一着作れる布の面積というのが大本の考え方で、(鯨尺で)幅一尺、長さ三丈(= 三〇尺 = 一一.()()メートル)をベースにしている。

まあ実際はそこまでの長さは要らないらしく、幅三十八センチメートル、長さ十メートルで一反としている例が多いそうだ。


一反織るのに掛かる時間は糸の太さ(番手)や織り方に大きく左右される。

今回俺が織っている四十番手(ガーゼに使われている糸ぐらいの太さ)のやや太めの糸で柄も何も無い単純な平織りなら糸さえあれば一日に二反は吹かし過ぎかもしれないけど一反以上は平気で織れる。

何しろ江戸時代の農村で一人前と認められる基準の一つに“男は一反の田植えが一日ででき、女は一日で一反の機織ができる”という物があった場所も少なくないのだから、脂が乗った働き盛りなら一反半ぐらいは織れた筈。


一方で、六十番手ぐらいの細い糸で複雑な織り模様をつけて織ろうとすると熟練者でも一反織るのに十日ぐらいは掛かるらしい。

経糸をかけるのも何十本もの糸を柄を計算しながら一本一本掛ける必要があるし、織る際にも経緯(たてぬき)を柄に合わせて細かい調整をし続けなければならないから、それだけ時間がかかるというのも分からなくもない。この手の工芸品レベルの物は美浦ではまだ織っていないが、やるとすると一反織るのに一箇月は見て欲しいと言っていた。


「ちょろっと来てそんなに速く織られると、いつも織ってるあたいらの立つ瀬が」

「これぐらいやろうと思えば誰でもできると思うけど」

「あのさぁ、天才と凡人を一緒にしないでくれる?」

「……天才? それって誰?」

「あたいが知る限り、ああたが一番の天才なんだけど」

「あのねぇ……仮に俺が天才だとしたら、その天才より上手い辻本さん(ツッチー)は大天才?」

「こっちが年単位の時間かけて習熟したのを一見で物にしておいてその言い草はない。まあいいわ。この話はここまで」

「……了解」

静江さん(おかみさん)が話してくれないから聞くけど、何でああたが機織してるの?」

「それはね……」


俺が織っている綿布はラトくん、ラモくん、ハロくんのムィウェカパの衣装のための布。そしてそれを俺が織る理由(わけ)は先週の第三回染物教室の後にした静江さんとの話に遡る。


――――


「娘衆の衣装は紋付になるのかはアレですが、羽織なのは分かりましたが、ハロくんたち若衆の衣装はどんなのに?」

「……手間もかけられないから半袈裟でいいんじゃない?」

「ハンゲサって何です? お坊さんの袈裟の一種ですか?」

「お袈裟の一種でいいですよ。在家信者がかけるお袈裟で、半分の半と袈裟で半袈裟。こう首からさげて……」


タオルを首にかけるような動作……


「山伏が掛けててここらにぼんぼんが二つずつついてる」

「そうそう。あれは結袈裟の一種で梵天袈裟といって、実は背中側にも垂れていて梵天、ぼんぼんの事ね、そっちにも二つついていて合計六つで六波羅密をあらわしているんだって。半袈裟は背中側はなくて梵天もないけど正面から見たら形としては似ているわね。布もあんまり使わないし」

「えっと……何というか、投げやりじゃないっすか?」

「男物は萌えないから」


女性を飾る方が楽しいというのは分からなくもないですけど、だからって方や鮮やかなオーバーコート、方や布を首にかけるだけって……酷い。酷すぎる。


「ちゃんと外套にしましょうよ。娘衆とお揃いで羽織とか、動くのに邪魔なら大工半纏とかどうでしょう? ね? 悪くないと思うんですけど。 ね? ね?」

「今から? 布を織るのも染めるの大変よ?」

「布は何とかします。染料も何とかします。手描き友禅があれなら染め抜きでもいいじゃないですか。そうしましょう。染めの色は何にします? 藍染もいいですが、揃いの茜染めも捨てがたいですよね? それか、うこん染め。ええ、ターメリックの確保は何とかしますから」

「そこまでいうなら……それじゃ、ノリ兄ちゃん。晒木綿(さらしもめん)を三反。期限は八月一杯」

「……何とかします! よろしく頼んます」


――――


俺はがんばった。がんばった結果、更に物凄くがんばらないといけない事態になったが、それは気にしない方が幸せになれると思う。


「……うん。分かった。頑張って」

「……頑張る」

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