第8話 ドングリ山(仮)にて……2
夜明けとともに野営地を出発した雪月花と佐智恵と俺の射撃チームが東側の尾根を慎重に登り、対象の熊がいる可能性が高い谷の全域を射程に捉えられるここに陣取ったのが午前六時。
谷といっても渓谷ではなく山が凹字型に湾曲しているくぼみみたいな感じで大半は平地といってもいい。
周りに注意を払いながら双眼鏡で谷を捜索すること早五時間。
残りのSCCのメンバーは勢子チームとしてルージュの捜索とキルゾーンへの追い込みのために谷に入っているが、偶に痕跡発見の無線が飛び込んでくるぐらいで、アルファもチャーリーもルージュを発見できていない。一体どこにいるのやら……
「義教、あっちに人がいる」
「……あれ、ホムハルの人達だ。報せたから見に来たのかな?」
全周警戒中の佐智恵が発見した人影を双眼鏡で確認したらハテさんたち。
ドングリ山(仮)はホムハルのテリトリーなので、立ち入って熊を狩る話はホムハルに通している。
「勝手にうろつかれると事故が起きるかもしれませんね」
将司と無線で協議した結果、ここに連れてきて大人しくしていてもらう事となった。
「という事で、東雲さん、ピックアップよろしく」
■■■
『もう少しで着く』
挨拶したあと三人をエスコートして山に入る。山に入ってからは三人は黙ってついてきているが、ハテさんは何か言いたそうな顔をしている。
三人は見に来たとはいっているが、本当の目的は監視というと語弊があるかもしれないが、狩場が荒らされないかと退治されたかどうかを確認する役目だろう。
うろうろされると邪魔だし、いつどこにルージュが現れるか分からないので、とっとと“ぶっぱ”に連れて行く。
“ぶっぱ”というのは“ぶっ放す”の略だとは思うが、射手が待機していて獲物を撃つ場所や射手そのもののことで、先達がそう呼んでいたので俺らもそう呼んでいる。その“ぶっぱ”から撃てる場所に獲物を追い込むのが勢子や猟犬の役目。
ドングリ山(仮)はちゃんと道が整備されていれば一周するのに歩いて三十分もあれば大丈夫なぐらいで、標高も二〇〇メートルあるかないかで登山道というか遊歩道があれば登頂して下りてくるのに一時間はかからないだろう小山。
周りに気を配りつつという条件でも尾根筋を十数分も登ると雪月花と佐智恵が待機している“ぶっぱ”に到着する。
着いたら三人にはそこらで適当にいてもらえるようお願いして状況を確認する。
「どんな塩梅?」
「変化無し」
「そうか。じゃあ交代で飯にするか?」
「いやいい、飴玉頂戴」
「国風文化。雪月花は?」
「私も飴で」
仕方ない。今日のお昼は飴ちゃんだ。三人にも振舞う。
◇
「義教、ユッちゃん、トの十五のギャップの奥側の木の半ば、確認して」
状況が動いたのは飴を舐め終えたあたり。佐智恵が熊を発見した。
ここから二〇〇メートルぐらい離れた場所にあるギャップの傍にある木に登っている熊がいる。
「東雲義教から各局、ルージュを発見。場所はトの十五。現在木登り中。どうぞ」
『こちら芹沢将司、了解した。射撃可能か? どうぞ』
ここからの角度だと木登り中の木が邪魔で致命傷を与えられるバイタルゾーンが見えないから難しい。二人を見るが首を振る。
「アルファ・リーダーからチャーリー・リーダー、現状は射撃困難。登っている木が掩蔽になってる。射線が取れ次第、射撃したい。どうぞ」
『チャーリー・リーダーからアルファ、判断は任せる。変化があれば報せろ。チャ-リー各局、聞いたな? トの十五に向けて包囲網を敷く』
ぶっぱの三人は射撃機会を伺い、勢子は包囲網を敷く事に。
とりあえず、ホムハルの三人に熊を確認してもらうが、例の熊かどうかはそれっぽい気もするが分からないという回答。二、三メートル離れたところにある一円玉ぐらいの大きさだから熊だとは分かるが個体識別は難しいか。
ん? 木登り中だった熊が下りようとしている。
「向こうも気付いた」
「逃げそうか?」
「やる気満々っぽい」
「(バイタルゾーンが)見え次第撃つ」
「分かった。アルファ・リーダーから各局、トの十五に射撃する。留意せよ。終わり」
引き金を固定している安全装置を解除してトリガーを引けばいつでも発射できる状態にする。
薬室に一発、固定弾倉に五発込めているので合計六発撃てる。
ホムハルからの三人には危ないから後ろに下がってもらう。
「雪月花と佐智恵は自分のタイミングで撃て」
「了解」
こちらを見据えたままゆっくり歩いてくる熊。
横からの方がバイタルゾーンは広いんで横向いてくんねぇかな?
実は正面を向いている熊は撃ち所がなかったりする。
脳や脊髄といった重要な神経系はどんな脊椎動物でも致命傷を与えられるので普通なら頭部への攻撃は有効なのだが、熊の頭蓋骨は非常に硬い上に避弾経始のような角度も持っているので頭部に命中させても目・鼻・口など骨がないか薄い場所にピンポイントで当たらないと跳弾したりして碌にダメージを与えられない事も多い。
だから一撃で熊に致命傷を与えられる場所は胸部(心肺)や背骨になるので、正面からだと頭の下の僅かな隙間しかない。
そしてこちらが高所にいる撃ち下ろしだと胸部は全く見えず、敢えて撃ち所を挙げるとすると頭部の上から覗く背骨ぐらい。
ルージュの相手は一旦二人に任せて側方や後方の安全を確認していると、バン! という銃声とガショパンという装填音が響く。
ホムハルの三人は初めて聞く銃声にビクッとしているのは想定内だが、三人の向こう側、二十メートルぐらいのところに生えている木からバサバサっという音と共に黒っぽい塊が落ちてきた。
やべぇ! あんなに近くにいたのに気付かなかったとは!
スコープ付きのライフル銃だと狙って撃てる距離じゃないが撃つしかない。
『座って!』
そう叫んで黒い塊に向かって撃つ。
一発、二発、くそっ! 当たったが急所じゃない。
「義教!」
「撃て撃て撃て!」
異変に気付いた佐智恵の銃撃も含め合計五発の命中弾を受けた黒い塊は十メートルぐらい逃げたところで動かなくなっている。
『チャーリー・リーダーからアルファ、何があった。応答せよ』
「こちらアルファ・リーダー……はぁはぁ……すまん。パニクッてる。ええっと、全員怪我はない。全員無事。ちょっと時間くれ」
『チャーリー・リーダー、了解』
「雪月花、佐智恵、ルージュはどうだ」
「バイタルに合計三発入れたからたぶん仕留めた。そっちは」
「銃声に驚いたのか木から熊が落ちてきたから撃った」
「念のため止めを刺しておきましょう」
「そうだな」
銃を構えながら近付き、首筋に止矢を撃つ。
体長八〇センチメートルほどのツキノワグマは撃たれてもビクとも動かないから死体蹴りだったかもしれないが死んだふりが怖いのでこれでいい。
ギャップにいてこっちを睨んでいた熊は俺が注意を切って後ろを向いたのが気に食わず威嚇しようとしたのか尾根の稜線に隠れて見失ったので探ろうとしたのか、立ち上がったところを二人に撃たれたそうだ。二人が二射ずつ撃って胸部に三発と腹部に一発命中させたとの事。
「アルファ・リーダーから各局、心配かけてすまなかった。トの十五にいたルージュは狙撃した。止矢はまだだがバイタルに三発入れた。その後の銃声はぶっぱの傍にも別の対象がいてパニクッた。こっちは止矢まで終了。全員怪我なく無事。全員無事。以上」
『チャーリー・リーダーからアルファ、よくやった。後で人を寄越す。東山匠と敷島文昭へ、トの十五の止矢を頼む。どうぞ』
『こちらチャーリー・ファイブ、了解』
『同じくチャーリー・スリー、了解』
『チャーリー・リーダーから各局。まだ対象がいるかもしれん。十分留意されたし。以上』
◇
二頭を加古川まで運んで川に浸けたのと、お客さんには熊を仕留めた事をホムハルに報せに帰ってもらった以外にこの日はこれ以降に特段の出来事はなかった。
明日、ホムハルに熊の検分をしてもらうのと、ドングリ山(仮)に他の熊がいないかの確認を行う事にして、問題が無ければ明日の晩は滝野で一泊の予定。
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「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶」
「逝く先を 神にまかせて 帰る霊 道暗からぬ 黄泉津根の国」
将司が心経の真言を唱え、匠が弔歌を詠じ、雪月花が聖句を述べながら十字を描き、文昭と楠本さんは四十五度の敬礼。
仏教、神道、キリスト教などなど統一感もへったくれもなく非常にカオスな状況ではあるが、銘々が死者を悼んで自分なりのやり方で弔意を表している。
他に熊がいないかドングリ山(仮)を調査していたのだが、冬篭りの穴らしき物の近くで一年半ほど前の犠牲者のものと思しき人骨とボロ布を見つけてしまった。
見つけてしまったからには知らん振りはできない。
昨日狩った熊の検分をしていたホムハルの主だった者に確認してもらったところ、例の犠牲者の物だと判明し、一人は遺品のボロ布を握り締めて泣いている。
「懇ろに弔うよう伝えてくれ」
彼らの検分でルージュが件の熊と断定されたので、ある意味ではこれで一件落着ではある。