第7話 ドングリ山(仮)にて……1
ハザードランプを点灯して多目的動力装置の蜘蛛の糸号を止める。
後続のモグちゃん号が停止したのを確認してエンジンを切って蜘蛛の糸号から降り立つ。
「あれが仮称ドングリ山か?」
「そう。あれが人食い熊がいる可能性が高い仮称ドングリ山。そんでもって、あっちに見える丘がホムハル」
ドングリ山(仮)と加古川の間の平原に降り立ったのはSCCの八人全員とオブザーバーの楠本さんの合計九人。
ええ、やってきました熊退治。
橋を架けるのも橋までの道を造るのも舞台を造るのも重機でもなきゃやってられんと言ったら重機を出すからやれと。
そして、それなら熊退治もやってしまおうと。
「それじゃ、念のため段取りの再確認するぞ。今回の目的は仮称ドングリ山及び周辺の安全確保だ。出動期間は五日間とするが状況により変更する。対象地域はあそこに見える仮称ドングリ山。対象鳥獣は推定ツキノワグマ。対策方針は捕殺とする」
「本日午後に情報収集を行う。進発は一三三〇を予定。
アルファリーダーは東雲(義教)。メンバーは天馬(佐智恵)と南部(雪月花)。仮称ドングリ山を時計回りに回ってキルゾーン候補地の選定。
ロミオリーダーは自分、芹沢(将司)が勤める。メンバーは東山(匠)と江戸川(美野里)。仮称ドングリ山を反時計回りに回って対象鳥獣の存在場所の絞込みを行う。
チャーリーリーダーは敷島(文昭)。バディは早乙女(奈緒美)。当所を保持しアルファ、ロミオとの連絡を受け持つ。
楠本殿はチャーリーと一緒にここの保持をお願いします。銃は奈緒美のM700をご使用ください」
「了解した」
「では、準備を整えて一三二五に集合。時計合わせ。一三〇〇で……準備いいか? 五、四、三、二、一、今」
準備といっても大してある訳ではない。役割分担は美浦を出発する前に決めていたし、ある意味では“いつもの”だから装備と銃の最終確認と実包の取り出しぐらい。
「東雲くん、ちょっといいかい?」
「大丈夫です。何でしょうか」
「何でブラボーじゃなくてロミオなんだ?」
初期の音声通信は送受信不良や雑音が多く普通に話すと聞き間違いや抜けが発生してしまうので、アルファベットの各文字に対応する単語を設定してスペルの各文字を一文字ずつその単語を発声することで正しく伝達する事を目的とした対応表が作られた。
この対応表を欧文通話表というのだが、フォネティックコードだとアルファはA、ブラボーはB、チャーリーはC、ロミオはRを表している。
つまり、うちらが設定した呼称はAチーム、Rチーム、Cチームという事になるのだが、普通に考えればAチーム、Bチーム、Cチームじゃないの? というのが楠本さんの疑問。
「偵察のロミオです。ちなみにアルファはアタッカーでチャーリーはコミュニケーションです」
「了解……となると矢面はアルファなのか?」
「射撃成績の上位三名ですので……」
「そういえばそんな事言ってたな」
「うちらは射手なんで勢子よりは危険度は低いです」
「勢子といえば。ヘリで羆狩りの勢子やったって丘珠のが言ってたな」
「うちらは警察となら何度もあるんですが自衛隊との協同は経験ないです。北海道とかの広域になるところだと稀にあると聞いています……あっ、奈緒美、奈緒美! 照準にどっち使った?」
「ユヅに言われたから新型だけど」
「サンキュー。弾はこっちの銅弾を使ってください」
「りょうかい……バーンズ弾?」
「鉛ではなく銅でできている弾丸です。鉛中毒の防止など環境問題対策です」
弾が軽いと威力がでないし空気抵抗などで弾道がひん曲がって予測不能になるので比重が大きい物質で作る。そして鉄砲黎明期からずっと安価で比重が大きく柔らかくて融点も低く加工性がよい鉛が使われてきた。
しかし、鉛は毒性が強い重金属の一つなので環境問題などから世界的な無鉛化の流れをうけて狩猟に使う弾丸や散弾から鉛を無くす動きがあり、日本でも北海道では鉛弾は原則禁止されているし北海道以外でも鉛弾や鉛散弾を禁止している猟場があるなど日本の狩猟界でもリードフリーの動きは着実に進んでいる。
散弾は鉛散弾から軟鉄散弾へ移行しつつあるし、ライフル銃の弾丸も比重の大きい銅で作る事でリードフリーを実現している。もっともバーンズ弾はリードフリーだけが目的ではないけど。
俺らが所属している猟友会でも可及的速やかにリードフリー弾に切り替えるという話もでていた。
しかし、鉛弾とバーンズ弾では初速をはじめ弾道が異なるので鉛弾と同じ照準だとバーンズ弾は当たらない。初速が速くて硬いバーンズ弾は鉛弾と同じ照準だと上振れして目標を飛び越えてしまいがちになる。だからバーンズ弾を使うのなら自らの射撃感覚をバーンズ弾の弾道に修正しないといけない。
来期から全面的にバーンズ弾に切り替える予定だったSCCは、帰った後に参加予定だった射撃研修会にバーンズ弾を山ほど持ち込んで射撃感覚を修正する予定だったのでバーンズ弾のストックはかなりある。
「鉛弾に比べてドロップが少ないので照準は心持ち下目にしてください」
「了解。撃つことはないとは思うが覚えておく」
「バーンズ弾は至近距離でも熊に対して十分威力がありますから遠慮せず撃ってください」
「りょ……すまん。意味わからん。遠距離なら分かるが至近距離?」
「ソフトポイントは柔らかいので至近距離でエネルギー量が多い状態だと熊の体表面で弾が砕け散ってあんまりダメージを与えられない事があるんです。バーンズ弾は硬いので高エネルギー状態でも目標にダメージを与えてくれます」
本来的にはバーンズ弾は大型動物に対する物だそうで、鉛弾のソフトポイントより銅弾のホローポイントの方が熊に対しては優位とも聞いている。
貴金属の銅を使っているので値段が高いっちゃ高いんだけど、俺らは基本的には熊用なので早々に切り替えることにしたんだ。
◇
五分前に集合して装備の相互点検などをしていると出発時刻が近付いてくる。
「SCC心得唱和」
「命大事に安全第一。無事に帰るが最上の手柄。命にスペアはありません。残機ゼロです慎重に」
楠本さんが何とも言い難い顔をしているが、他人を守るには自らを守れないといけない。これがSCCのドクトリンです。
旅客機で酸素マスクが下りてきたときは親が酸素マスクを着けてから子供に着ける。親が動けなくなったら誰が子供を守るのか。
「では、アルファ、ロミオ、進発」
十三時半ピッタリに出発する。
■■■
ドングリ山(仮)を時計回りに一回りして幾つか見繕ったがどこも帯に短し襷に長し。
そこに追い込めれば良い感じに射線がとれる場所も幾つかあるが、そもそもどうやってそこに追い込むのかという根本的な問題があるとか、追い込みはできそうだが今度は射線が取れないとか……
手書きの簡易地図を広げて留守番組の三人に説明しているとロミオの三人が帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりー」
「全員揃ってるな。暗くなる前に打ち合わせしたい」
熊がいるのは確定。
美野里が推定体長一六〇センチメートルという日本にいるツキノワグマとしては大柄というか最大級のサイズの熊を発見した。
体長というのは頭から尻尾の付け根までの長さで、四足でいる熊を横から見たときの横幅と思ってくれれば大過ない。
「体長が百六十だとすると立ち上がったら二メーター近くになるな」
「五尺の体だと絶望的な大きさだな」
「ベルクマンの法則からすると異様にでかい」
「正にヌシ」
ベルクマンの法則というのは、哺乳類や鳥類の多くは同種内や近縁種間で生息地域が寒冷になるほど身体が大きくなり、温暖になるほど小さくなるという物。
日本のツキノワグマはより寒冷な東北地方だと体長一五〇センチメートルぐらいになる個体もあるが、より温暖な西日本だと成獣でも体長一〇〇センチメートルぐらいの個体も多い。
つまり、西日本になるこの地で体長一六〇センチメートルというのは通常の一.五倍から下手すれば二倍近い大きさという事。
「右目といい、異様な大きさといい……まるで赤○ブトみたいですね」
「南部さんは赤○ブトっていうか銀○知ってるの?」
「うちの母が大ファンで家にフィンランド語版と日本語版が既刊の全巻が揃ってました。フィンランド語で銀の矢って意味のタイトルで翻訳されていてソ連やロシアを連想させる赤い熊を倒すというストーリーもフィンランドで受けたようです」
「赤と熊……なるほど」
「じゃあ、赤にちなんでロミオが視認した個体はルージュと呼称する」
「それでルージュのヤサはどの辺りと思う?」
「それなんだがな……あの尾根の向こう側が怪しい」
ここから見える尾根を指差す将司。
つまり南斜面にある谷をルージュが寝床にしている可能性が高いらしい。
俺らアルファがそこを通ったのは昼過ぎだから昼寝中か何かで見つけられなかったという事かな?
「明日はあの谷を重点的に攻めてみたい」
「それなら、ここに陣取って……」
地図を指差しながら策を開陳する雪月花。