第20話 住宅事情
先日棟上された建物で壁塗りや建具の施工が行われている。
この建物は出端屋敷の居住以外の機能を引き継ぎ、完成後は瑞穂会館と命名される予定。
地上一階地下一階の建物で、地下部分は既に完成している。というより地下室の上に建物を建てたと言った方が正しいかもしれない。
地下室は三号防災倉庫と呼ばれていた物で、中には備蓄品――主には米――が納められている。
北隣りに土蔵を建てて接続する予定もあるのでこの建物は美浦の米蔵も兼ねていて、その事が美浦会館ではなく瑞穂会館と命名する由縁。
「手前をもうちょい下げろ」
「これでどう?」
「下げ過ぎ、ちょっと戻せ」
A水準器を見ながらカケさんが息子のラトくんに指示をだしている。
建物などで水平を測る器具として馴染みがあるのは気泡が入った透明な管の気泡の位置で傾きの有無や方向が分かるという気泡管水準器だと思う。
手持ちに気泡管水準器はあるが、新たに作るには樹脂でもガラスでも良いが透明(最低でも半透明)な素材が必要になる。
透明な素材の確保とそれを管状にして密封するのが難しいので紀元前から十九世紀ぐらいまで使われていたA水準器を作らせて使わせている。
原理と構造は簡単で、三角形の頂点から錘がついた糸を垂らして糸の位置で傾きを測るという物。
古代エジプトが発明して古代ローマで“リベラ”と呼ばれていた物で、形がアルファベットのAに似ているのでA水準器とも呼ばれる。
二人が水平に据付けようとしているのは上框。
瑞穂会館の上框は匠の指導の下で第一次建築大工見習いのカケさんとラトくんの父子に担当してもらった。
上框というのは玄関の土間と建物の床との段差部の床側の端になる部分で、床材の保護と床下を隠す化粧を目的とした物。
建物の強度に直接は影響しないが、玄関に入って先ず目に付くし、土間と床の境目なので履物を脱いだり履いたりする際に嫌でも目に入るところなので非常に目立つ場所でもある。
これまで匠の下働きとして何棟かの建築に携わってきたが、完成後に目立つ場所を担当するのは今回が初めて。
自分の仕事が来賓含めて多くの人が出入りする建物の非常に目立つ場所に残るというのは緊張もするだろうが喜びもある筈。
◇
出端屋敷の居住以外の機能を引き継ぐという事は、台所と食堂が共同というのが継続されるという事。
当初これらが共同だったのは、分けるとなると色々不都合があったから。
各自で食事の準備をするには、竃や水周りなどの厨房設備が複数必要になり、調理用具や調理の手や薪炭もより多く必要になる。それと誰でも捌けて調理できる訳ではない食材の存在と食材の分配はどうするのかという課題があった。
薪炭については別としてそれ以外はもはや問題ではなくなっているし、特に食材については美浦は現代日本でも一般的な食材が揃ってきている。
個人的にはそろそろ台所を分けても良いのでないかと思うのだが、なぜか“同じ釜派”が大勢を占めている。
分散すると薪炭が多く必要になるというのは何となく分かってもらえると思う。
本当かどうかは分からないが、一箇所で行っていた事をn箇所に分散処理させると一箇所の負荷はルートn分の一になるという経験則があるそうだ。
二箇所に分ければ一箇所の負荷はルート二分の一だから約七割、三箇所だと六割弱、四箇所だと半分になる。一方で全部を合わせた負荷だとそのままルートの値になるので一.四倍、一.七倍、二倍という感じ。
これは裏を返せば二箇所を統合したら負荷は一.四倍になるが全体だと七割で済むという事で、可能な限り集約して処理した方が効率的というスケールメリットを追及する立場での見方。
対して、集約処理は無難な処理しかできず、個々の需要に応えるには不向きというのも確か。
色々な分野で分散処理と集約処理が状況によって行ったり来たりしているのは、リソースが十分にあるなら分散処理の方が細かな需要に応えられるが、限られたリソースで最大のパフォーマンスを得るには集約処理が向くという事なのだろう。
台所と風呂は共同だが、その一方で便所は分散して各戸に付ける方針になっている。
理由としては子供の数。
人数に比してトイレの数が不足気味で、大人なら“ちょっと我慢しろ”が通じる事もあるけど、それを子供に要求するのは酷というもの。
そして現状のバイオトイレ(大鋸屑などの多孔質の物質を撹拌して汚物を吸着分解させるトイレ)だと様々な面で数を揃えるのが難しく、数を揃えるには汲み取り式か下水の整備が必要になる。ちなみにオリノコは定期的に場所を変えつつ穴掘って埋める式。バイオトイレにするには攪拌させる動力が必要で、美浦ではソーラーパネルの電力とEVの予備モーターを使っていたのだが、オリノコにはそれが無いので無理だった。
検討の結果、釉薬を重ねた陶製の管を下水管にして終末処理場(下水処理場)で浄化する方法が採用された。
当初の案では浄化槽的な物だったのだが、現状の美浦において汚水処理の最大の難関が好気性の微生物で浄化するための曝気で、“エアポンプがあれば”という無い物強請りをしていても仕方が無いから曝気方法を色々検討していたら“それってもう浄化槽じゃなくて終末処理場だよね”という状態になっただけ。
作れると思って提案したのが小規模の終末処理場で採用例が多いOD法(酸化溝法)という浅い流れるプール状の曝気槽で汚水をぐるぐる回して曝気する方法なんで、終末処理場と言われて何か納得した。
終末処理場は大川疎水の余剰水を放流している放水路(里帰川)が里川と合流する辺りに設置したので、今後は生活設備や工房などの下水発生源は基本的には終末処理場より標高が高い場所に設置する事になる。
下水道は自然流下が基本だし現状ではそれしかないから終末処理場より低い位置で発生した下水は処理できない。
瑞穂会館(仮)も当然終末処理場より標高が高い場所に作っている。
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初年度に検討していた恒久住居計画は、木材の乾燥・防腐処置などをしていたのと他の喫緊用途で建築が遅れていたが、その遅れている間の情勢変化で完全に破綻した。
当初の計画では一人一室の独身寮や学生寮のような形式を中心として家族向けの離れのような建物――炊事洗濯など共用施設で行う機能を省いた一軒家的な居住空間――を幾つかというものだったのだが、寮形式の入居予定者が激減してしまった。
そこで全戸を複数の部屋があり一通りの家の機能を持つ家族向けの形態にする方向に舵を切った。
一戸建てより集合住宅にした方が資源も工期も節約できるので五戸連なった居住棟を建てている。
既に完成していて“東長屋”と命名された居住棟には漆原家・楠本家・秋川家・本田家・白石さんの五世帯が入居している。
この集合住宅の呼び方なのだが、お洒落に言えばテラスハウスだとは思うのだが、何故か“長屋”という呼称になった。
まあ各戸に玄関があるし平屋なので分類上は長屋だとは思うが、言葉から受けるイメージとして“長屋ってどうよ”とも思う。
古典落語の演目に“長屋の花見(貧乏花見)”とか“粗忽長屋”とか“三軒長屋”とか長屋を題材にした噺はたくさんあるし、登場人物や風景にも長屋は頻繁にでてくる。
だから俺は長屋と言われると、江戸の八百八町の九尺二間の裏長屋(間口が九尺(二.七メートル)で奥行きが二間(三.六メートル)の六畳ほどの広さで、居間が四畳半あって、残りの一畳半は玄関と台所を兼ねた土間というのが多く、店舗の裏や裏通り、横丁、路地裏などにあった家賃の安い賃貸住宅)を思い浮かべてしまう。
ちなみに八百八町は江戸にはたくさんの町があるという意味で、八百八は江戸の八百八町、京都の八百八寺、浪速(大坂)の八百八橋で分かるとおり“とても多い”という意味。実際、江戸には千を超える町があった。
瑞穂会館(仮)の次に建てる居住棟に入居する者も決まっていて、出端屋敷から徐々に退去していく。早ければ来春、遅くとも来年の今頃には退去を完了して取り壊しに入りたい。
廃材は……再利用ではなく薪にして燃料かな?
そうそう、当初計画で“離れ”になる予定だった建物は基礎工事とか木材加工などがある程度進んでいたのでそのまま建てた。
ただ、当初計画で入居予定だった漆原家・楠本家・秋川家は計画修正時に遠慮したい旨の申し入れがあり、離れはゲストハウスとして使っている。
簡易宿泊施設や賃貸型シェアハウスではなく来賓を泊める家屋という方のゲストハウスで、キャンプ場の者を泊めた『入屋』もその一つ。
創都の建物の状況は今のところ特に変わっていないらしい。
木造であってもメンテ無しで十年ぐらいは持つだろうし、騙し々々使えば十五年や二十年は使える筈。鉄筋コンクリート造りだと半世紀とか持つんじゃないかな?
だから今はそれでも良いし今居る人達もたぶんそれで困らないと思うので変わって無くても不思議はないが、建築建設がロストテクノロジーに成りかねないと思うのだが……
ロストテクノロジーになってもよいと思っているとしても“後は野となれ山となれ”精神じゃ無く“児孫の為に美田を買わず”精神だと思いたい。
個人的には“児孫の為に美田を買わず”は“俺は苦労したんだからお前らも苦労しろ”という悪しき伝統を感じてしまう。
子孫は先祖を越えていかねば進歩は無い。子孫が父祖を越えられるよう父祖から受け継いだ土台を大きくして子孫に残して行くのが役目だと思う。
まあ、件の逸話は西郷隆盛という一代の英雄の話だから“凡人が英傑の跡目を継いでも碌な事にならない”という風にも読める。