第16話 料理当番
盛夏の昼前に美浦にお客さんが来た。
前回と同じ村井さん・北さん・杉村さんの三人で、前回言ったからか今回は手土産持参だ。手土産は何かの抜け殻っぽい物がたくさん。杉村さんが“南部さんなら分かると思う”と言うので雪月花に見せたところ良い笑顔を浮かべた。
「これは五倍子ですね」
「合ってますよねぇ?」
「ええ、合っています。ありがとうございます。これだけ集めるのは大変だったでしょう」
五倍子というのは漆の仲間のヌルデという木にヌルデシロアブラムシが寄生してできる異常発達した部分(虫えい)を乾燥させた物の事で、生薬として使えば鎮痛剤になるとの事。
生薬になるのは知らなかったが、五倍子の主な用途はタンニンで、タンニンを高濃度(七割ぐらい)に含むので革の鞣剤はもちろんの事、染料とかお歯黒とかに使われていた筈。没食子から抽出したタンニン酸と硫酸鉄を混ぜ合わせた没食子インクは欧州では二十世紀半ばまで千年以上に渡って使用されていたように、タンニンは鉄イオンと結合すると濃紺色や黒色になる。
「ところで、あれは何ですか?」
村井さんが指差したのは旭広場の真ん中にある燃え殻の山。
「ええっと……」
「答えにくいのなら構いませんが……」
「昨日納涼祭をやってまして……まだ片付けが終わってないんです」
「……そうでしたか」
気まずい。一日早く来ていれば……ってのと、後片付けの真っ最中を見られた気恥ずかしさ。
「ちょっとバタバタしていまして……申し訳ありませんが離れで少しお待ちいただけますか」
「はい」
「岸本さん、離れでお持て成しをお願い」
頷いて“こっち”とアテンドする岸本さん……あの調子でお持て成しできるのだろうか?
「今日の料理当番は東雲さんでしたね。なら話し合いには出なくて大丈夫です」
「そういうもんか?」
「そういうものです。ビストロ東雲のご飯はみんな楽しみにしてます。どうせ大した話にはなりませんからどっちが重要かは比べるまでもありません。そうそう昼食から三人前追加でお願いします。それと今日のおやつの予定は?」
「水羊羹」
「お茶請けに出してください」
「飲み物は緑茶? 麦茶?」
「焙じ茶は可能ですか?」
「面倒だからやだ」
焙じ茶は切らしてるから焙煎からスタートなんで手が回らない。“面倒だから”は立派な理由です。
「では冷やした麦茶で」
「はいな」
麦茶は常備してあるから問題ない。
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今日のおやつを水羊羹にしたのは昨日の納涼祭で使いそびれた寒天が余っていたから。
余った寒天を厨房に出しっ放しにして忘れていた俺が悪いのだが、寒天からゼリーや羊羹ができるのを学習した宣幸くんが水に浸けてしまったので使うしかなくなったのだ。ご丁寧に“水羊羹はこれぐらいだよね?”なんて無邪気に言いやがったもんだから水羊羹をつくるしかなくなった。水羊羹だと餡子を作らないといけないからゼリーとかの方が楽なんだけど仕方が無い。
寒天の戻しは十分なので昼食後に餡作りに取り掛かる。
小豆を煮て漉した物は生餡というのだが、実はこいつは結構足が速い。水分を含んだ澱粉みたいな物なので夏場なら数時間で腐っても不思議ではない。
砂糖を加えて餡子にする手もあるけど、実効性のある防腐処置とするには煉羊羹ぐらいの濃度が必要になる。
さらし餡といって生餡を乾燥させて粉末状の餡にして保存性を確保する方法あるけど、小豆の形で保管しておいて使う直前に餡を作れば済むのでさらし餡は作っていない。
まずは小豆を洗って鍋に入れ、たっぷり目の水を注ぎ、それを三十分ぐらい強火で煮る。そうすると小豆がちょっとぷっくらしてお湯が色付く。
このお湯は小豆の渋味えぐ味が大量に含まれているので、渋抜きといってお湯を捨ててもう一度水から煮直す作業を行う。今回はあんまり時間がないので渋抜きは一回ですますけど二、三回するばあいもある。
本煮は沸騰して幾つかの小豆が割れてくるまでは強火で、それからは火を引いて辛うじて沸いている状態を維持する。ガスコンロなら調整もしやすいんだけど竃だと……凄く面倒。
この面倒な状態を一時間ぐらい維持すると、ほとんどの小豆が割れて芯までふっくら煮上がるのでそうなったら火からおろして蓋をして暫く蒸らす。
ここまでは漉し餡と粒餡で共通の作業で、漉して皮を取り除けば漉し餡になり、ゆっくり水を注いでお湯と水を入れ替えて冷ましてから水を切れば粒餡になる。
今回作る水羊羹は漉し餡なのでこれから漉していく。
煮汁を捨てて裏漉し器で丁寧に漉していく。この時に少し水を加えながら漉すのが地味にポイント。“ごう”と呼ばれる白い部分が全て漉されて無くなるまで徹底的に漉したら小豆の皮は肥料行きにする。
漉された方は茶色い水と餡が混じった状態なのでボウルに入れて餡を沈殿させる。
五分ほどしたらある程度の上澄みを捨ててまた水を入れてかき混ぜて沈殿させるのを繰り返す。
これを何回か繰り返すと上澄みが澄んで餡との境目がはっきり分かるようになるのでしっかり沈殿させて上澄みを全て捨てる。
これを木綿袋で圧搾すると生餡ができあがる。
渋抜きやここでの不純物の除去をしっかりする事で上品な味に仕上がる。
この辺りを手抜きしたら銘店のさらっととける上品な和菓子と粗製乱造の変な味が後を引くか風味もへったくれもない漉し餡との差まではいかなくても食べ比べれば素人でも一発で分かるぐらいの差がでる。
漉し餡は漉す作業が入っているのにアンパンとかで粒餡と同じ値段の事があるが、そういう場合は漉し餡には安価な小豆を使っている事があると佐智恵の叔父さんが言っていた。
粒餡はある程度原型が残るので基本的には形が良く粒が揃った規格品の小豆を使用するが、漉し餡は小豆の原型が残らないので割れ豆や傷豆とか形が悪いとか大きすぎたり小さすぎる規格外の小豆を使っても形にはなる。
粒餡・漉し餡紛争ってのがあるそうだが、個人的な意見では“良い漉し餡”、“良い粒餡”、“悪い粒餡”、“悪い漉し餡”の順になる。
戻していた寒天を(腐る心配があったので入れていた)冷蔵庫から取り出して絞って鍋に入れる。
ここからの工程は計量しておいた方が楽なので、生餡の重さを測って砂糖と鍋に入れる水の量を決める。
最終的には煮詰めていった結果の量にはなるのだが、水が多過ぎると煮詰めるのに時間が掛かるし、少な過ぎると材料が混ざり切らず焦げたり部分的に固まらなかったりダマができたりと上手く作れない。
寒天を溶かすために火にかけたら流し型(固めるための器)として湯呑みや経木を用意する。この後は手を止められる箇所がなく付きっ切りの作業になるので今しか準備できない。
木箆でかき混ぜながら寒天の溶け具合をみて、完全に溶け切ったら漉し器に通す。稀に透明な小さな粒が溶け残っていて舌触りが悪くなる事があるので俺は漉すようにしている。漉し器の方に残ったりへばり付いたゲルなどは物理的に除去した後に煮沸すれば綺麗さっぱり取れる。
漉した方の寒天液を再び火にかけたら砂糖をぶっこんで溶かし切る。砂糖の量は水羊羹なら生餡の半量ぐらいが目安だが今日の気温・湿度から考えて心持ち少なめにして塩をちょびっと入れる。
ここに生餡を半量ずつ入れて馴染ませるのだが、馴染ませ足りないと型に入れた際に餡子が分離して沈殿するのでシャバシャバだった液がとろみを帯びてくるまでしっかり煉り込む。ちなみに木箆で混ぜると鍋の底が見えるぐらいの粘度になるまで煉り込んでから流し型に入れれば煉羊羹になる。
とろみが付いた液を流し型に注いで冷えて固まれば一応は完成。
寒天を使うと常温でも結構速く固まる。特に少量なら固まるのが凄く速いので、クッキー型などを利用する場合はちょろっとだけ入れて底が固まったら残りを注ぐなんて手法が使える。
反面、手早くやらないと表面とか鍋や玉杓子の縁とかで硬化が始まるので流し型に注ぐ作業は時間との闘い。
このまま常温で放置しても固められるが、まどろっこしいので粗熱がとれたら冷蔵庫に入れて冷やす。粗熱がとれている段階で八割方硬化しているし常温でも美味しくいただけるのだが、やはり水羊羹は冷やした方がより一層美味しく感じる……と思っている。特に夏場は。
おやつをやっつけたら後片付けしてそのまま夕食の準備に取り掛かる。
「ノリちゃんできたぁ?」
「もうちょっとでおやつの時間だから待ちなさい」
小麦粉にイースト菌と塩を混ぜ、白絞り胡麻油(本当はオリーブオイルだけど無いから代用)とぬるま湯を加えて練っていたら子供たちが乱入してきた。
水羊羹ができあがるのを狙ったのだとしたらタイミングはバッチリだけど、もう少しでおやつの時間なので待つように言うとブーたれながらも諦める辺りは聞き分けが良い部類だと思う。
「ノリちゃんそれ今日の晩御飯?」
「気が早いなぁ……そうだよ、夏野菜スペシャルピザ」
「やったー! ピザだピザだ! 今日のご飯はピザ、ピザ、ピザ~」
ピザを喜ぶ歌を歌いながらピザの舞(その時の気分で創作される模様)を踊る様は和む。
別に子供たちに阿附してピザにした訳じゃなく、昨晩の余りのエールもどき(奈緒美は古式エールと言っていた)の消費のため。
ホップが無いのでホップ独特の風味が無く、エールもどきは正直なところ代用品的な物足りなさを感じた。そう思ったのは俺だけじゃなかったようでエールもどきは結構余った。
歴史的にもホップ有りを「ビール」ホップ無しを「エール」と呼称していた地域もエールにホップを使うのを解禁するとほとんどのエールにホップが使われるようになった事からもホップ有りの方が美味いし色々と都合がいいのだろう。
ホップ入りを知らないオリノコ民には好評だったのでそれなりの量をお土産に持って帰ってもらったが、それでも残った余りは早めにやっつける必要があるのでエールもどきが進みやすいメニューにした。ホップは地味に防腐剤の役割も担っているので、夏場ということもありさっさと消費するに越したことはない。
ピザの舞を視界に収めつつ生地を打ち付けて練るを繰り返す。
ピザの舞が終わった頃には生地が良い塩梅になったのでボウルに濡れ布巾で蓋をして発酵させる。一次発酵は四十度弱で小一時間が基本だけど、夏場だから乾燥しないようにだけすればそこらに放置で大丈夫だろう。
ピザもパンと同じく一次発酵・二次発酵を経て作る。まあ、二次発酵を省略するレシピもあるし、酵母を入れず一次発酵も省略して薄くのばしたらクリスピー生地だから絶対では無いけど……
生地の発酵中は特に何もする必要は無いからトマトソースを作るためにトマトの水煮を作る。
水を張った鍋に調理用トマトを入れたら火にかけるが、暫く茹でっぱなしだからこの時間に入屋に差し入れに行こう。
「お客さんに持っていったらおやつの時間だけど、お客さんに持っていくのを手伝ってくれる人!」
「はい! はい! はい!」
「ありがとう。じゃあ、史朗くんはこれ、宣幸くんはこれ、美恵ちゃんはこれをお願い」
「はーい」
◇
差し入れに行ったが特に何も無かったので問題なしと判断しておやつを振舞った後はピザ作りに邁進する。
生地の次に時間がかかるトマトソースだが、トマトソースは水煮したトマトを裏漉しして煮込んで水分を飛ばすというのに近い製法で作る。香辛料や香味野菜が使えるなら色々工夫のし甲斐もあるのだがこれまでの研究では代用品は見つかっていない。精々オリーブオイルの代用に白絞り胡麻油を加える程度。
「ノリ兄さん、秋川の小父さんが石窯の予熱やっとくって」
「ありがとう」
石窯の予熱は地味に時間がかかるからありがたい。ありがたいのだが親父殿は話し合いをぶっちしたのか?
「何か手伝えることありますか?」
「じゃあトマトソース見ててもらえる?」
「はーい」
「ありがとう」
大林さんが来てくれたのはありがたい。
トマトソースを任せている間にピザ生地の具合を確かめる。粉をつけた指を生地にぶっ刺して穴が開いたままで生地が萎まなければ一次発酵完了というフィンガーチェック。うん、問題ない。
ガス抜きして一枚分に切り分けして丸めたら濡れ布巾を被せておく。二次発酵が進みすぎるようなら冷蔵庫にでも入れるけどたぶん大丈夫だろう。
生地の目処がついたのでトッピングに取り掛かる。夏野菜のナスビ、トマト、ピーマン、トウモロコシ、枝豆。それとベーコンとジャガイモに今日の漁果次第という出たとこ勝負の魚介類を予定している。
「南瓜は使わないんですか?」
「夏野菜の代表みたいにいわれてるけど、あれ、単に夏に収穫するってだけだから。カボチャは最低でも一箇月は熟成させないと大して美味しくないよ。だから早くてお盆過ぎ、実質秋以降が旬と言ってもいいぐらい」
「そうなんですか?」
「奈緒美はそう言っていたよ。論より証拠で昔試食させてもらったけど追熟させた方が明らかに美味かった」
「なるほど……あっ枝豆茹でる準備しますね」
話ししながらでも互いに手は止まってない。
魚介類はアオリイカが入荷()したので刺身にしようかどうしようか迷ったけどトッピングにした。捌くのは安藤ちゃんがやってくれた。
■■■
「今日のご飯はピザ、ピザ、ピザ~」
場所を旭広場脇の石窯に移し、江理ちゃんと和広ちゃんも加わった五人バージョンでのピザを喜ぶ歌をBGMに最終工程に入る。
木製ピールに円形にのばした生地を載せ、トマトソースを塗ってトッピングをちりばめて山羊乳チーズを塗したら石窯で焼く。焼きあがったら大葉(青紫蘇の葉)の千切りを振りかけて八等分に切り分ければ完成。
「順番に食べていってねー」
「慌てなくてもまだまだあるからねー」
「ぬるぅなる前にエールも飲んだってや」
俺が生地をのばし、大林さんがトッピングして、親父殿が焼き、匠が仕上げる。
一枚焼くのに五分ぐらいかかるけど、流れ作業で石窯の中には常時二、三枚入っているから二分に一枚ぐらいのペースででき上がっていく。
順々に食べて、ある程度行き渡ったら調理組も交代でありつく。
「ラストのエール! 欲しい人!」
二大飲兵衛がオリノコだから心配したけどエールも捌けたようだ。
……何気に村井さんが笊だった。
話し合いの結論を聞いたが、当面は製糸で行くとの事。
それと大した量ではないだろうが黄鉄鉱と褐鉄鉱を納品してくれると。そういえば辰口あたりで安藤ちゃんが黄鉄鉱見つけてきょどってたなぁ……