第15話 炭の算段
「とれふぁくしょん……ですか?」
「そう、トレファクション」
「……何ですか? それ」
佐智恵の説明によると、トレファクションというのは摂氏三〇〇度以下で乾留して低度の炭化をさせた亜木炭のことで、木炭にすると木に含まれていた炭素の半分以上が何らかの形で出て行くのだがトレファクションだと一割から二割程度の損失で済むとの事。
重量あたりの熱量は木炭には及ばないが薪よりは良く、みかけ体積が小さい(=みかけ密度が高い)ので貯蔵や輸送にも便利なのだそうだ。
「そんなに便利なら何で普及してないんですか?」
榊原くんの疑問は当然だろう。俺もそう思う。
「昔は二〇〇~三〇〇度の温度に保つのが面倒だったから木炭にする方が楽だった。手間を考えれば薪と木炭で住み分けした方が合理的。それと二十一世紀の日本だと木炭自体が嗜好品に近い」
「まあ……木炭の使用量って最盛期の二パーセントぐらいでしたっけ?」
「もう少し低いけどそれ位。木炭の種類も備長炭はブランド品だからメジャーだけど、他は愛好家や専門家じゃなければ十把一絡げで炭、木炭だから」
「そういう事ですか」
「燃料としてのトレファクションは木質ペレットの上位互換で石炭の下位互換って感じと思ってくれればいい……ところで義教は何で初耳みたいな顔で聞いてるの?」
「初耳だと思うんだけど……」
「……半炭化チップ舗装」
「ん? それがどうした?」
半炭化チップ舗装というのはウッドチップを少し炭化させて舗装に用いる方法で、アスファルト舗装の砂利を半炭化チップに替えた物と思えば大過ない。
可塑剤を使って流動性を確保しているからアスファルト舗装のように百数十度まで熱する必要がないなど大掛かりな機材がなくても施工できる。コンクリート舗装やアスファルト舗装よりクッション性が良く、施工し辛い場所とか遊歩道とかの舗装に使えないかと実証実験していた。
ウッドチップだと案外速く朽ちたりするのだが半炭化させたチップは二十年ぐらい持つらしい。舗装して五年目ぐらいの歩道を見学したことがあるが劣化は見当たらなかった。比較の為に隣にウッドチップ舗装がしてあったがそっちは結構劣化が見られた。案内してくれた方は“たぶん数年もしないうちに草むらになる”と言っていた。
「はぁ……半炭化チップの製法は?」
「ウッドチップを低温炭化処理して作る。確か二五〇度で乾留……あっ」
「トレファクションその物なんだけど? というかトレファクションの和訳は半炭化とか低温炭化」
「……そうですね」
半炭化チップはウッドチップの防腐処置や耐久性・耐候性を向上させるという観点で見ていたから燃料としての視点では見ていなかった。
「石炭の方が便利だから石炭があったら石炭使うけど、それまではトレファクションも重要な燃料候補。木炭でもOKだけどエネルギー収支を考えたらトレファクションは有りだと思う」
「トレファクション? の可能性は探ろう。佐智恵は概要をまとめておいてくれ。薪・トレファクション・木炭の判断はそれからでいいだろう」
尤もだな。将司の判断を支持する。
「どの道大量の樹木がいるか……森林保持も考えておかないといけないな。近くに石油や石炭ってありそうか?」
「石油は難しい。静岡とか新潟になるし分留施設も必要。狭義の石炭も近くだと山口になるかな? ちょっと遠いと思う。亜炭でいいなら近くにある可能性はあるし確か淡路島に露天であったと思う。もっとも今は海の底かもしれないけど」
「狭義の石炭?」
「石炭は大まかに言うと炭素含有率の高い順で『無煙炭』『半無煙炭』『瀝青炭』『亜瀝青炭』『褐炭』『泥炭』となる。このうち使い勝手がいい無煙炭と瀝青炭を高品位炭と言って最も狭い定義だとこれ。高品位炭に半無煙炭と亜瀝青炭を加えたものを一般炭とも言って、狭義の石炭はこの一般炭を指す事が多い。ここまでは石炭と言われて思い浮かべる真っ黒な石で、褐炭や泥炭はそういったイメージからはかなり外れる」
「亜炭ってのは?」
「学術用語じゃないので結構面倒。狭義の石炭でも泥炭でもないものという感じになる。ただ何を狭義の石炭とするかで変わってくるので何を指しているのかはまちまち。行政からすると資源価値や産業価値の高低で分けて価値が高いのが石炭で低いのが亜炭って感じかな? 褐炭はだいたいにおいて亜炭になるんだけど褐炭の中でも石炭化度が低いなど質の悪いものを亜炭という事もある。まあ使い勝手が悪い石炭っぽい物という認識でも構わない」
「それ……燃料として使えるのか?」
「使える。“使い勝手が悪い”は“使い方次第では使える”という意味。露天掘りなら採算は何とかなると思う。褐炭の露天掘りが盛んな東欧だと、扱いやすいようにブリケット加工……豆炭とか練炭にして使っている」
「分かった。けど淡路島か……春風完成後じゃないと難しいか」
「うん。難しい。それと可能性は探るけど期待はしないで。仮にあったとしても褐炭だと思う。それと先住者が居ない保証もない」
「そうだな」
「佐智恵姉さん、木の形した石……珪化木でしたっけ? あれっていわば木の化石ですよね?」
榊原くんがふと思いついたような感じで聞いてきた。
「そう」
「石炭も木の化石みたいな物ですよね?」
「そう……あっ」
「そう言われると……琥珀も樹液の化石よね? 三木城見に行く途中でだけど知り合いが“ここらで昔は琥珀が採れた”って言ってた覚えがあるんだけど」
白石さんって城ガールか歴女だったの?
「三木城……琥珀……ああっ! 福寿炭鉱があった。うーん……地図あった? ちょっと見して。ええっと……若干距離はあるけどミツモコが近いかな? 義教、今度それとなく聞いてみて」
「……後でレクチャー頼む」
話の流れから考えて、あったとしても褐炭だろうな。それと露天でもなさそうだからどうだろう。
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委員会の終了後に石炭探しの解説会に移行した。
ここで佐智恵と将司が口を揃えて耳に胼胝ができるぐらい繰り返したのが“絶対に現地で燃やしてみようとしない事”であった。
それっぽい物があったら採取して安全な場所に移動して適切な処理をしてから確認する。現地や地面にある状態で燃やしてみようなど以ての外、間違ってもしないようにと。
木炭もそうだが石炭も軽く炙った程度ではそうそう着火するものではない。
あると思われる褐炭は含水率が高い事が多いので通常は乾燥させてからでないと着火しにくい。もっとも褐炭は乾燥中や保管中に自然発火する事もあるので炭鉱の近隣に火力発電所などの消費施設を建てる事が多いらしい。
現地で着火しなかったからといって石炭じゃないとは言えないから現地で火を付けてみて確認するのはそもそも意味が無い。そして無意味なだけならまだ良いが、万々が一着火してしまうと取り返しのつかない事態になるかもしれないとの事。
「まあ山火事にでもなったら確かに大事だな」
「義教、甘過ぎ。下手すると山火事が些事と思えるぐらいの大惨事になる」
「そうだぞ、地獄の門が開くかもしれん」
石炭の鉱脈に火が回って鉱脈が燃え出すのを炭層火災というのだそうだが、その炭層火災は消火が難しく鉱脈全てが燃え尽きるまで消しようがなくなる事があるそうだ。
そうなると鎮火までの時間は燃焼速度と埋蔵量次第になる。そしてその燃え尽きるまでの期間は百年で済めばマシな部類で何百年何千年かかっても不思議ではないそうだ。
炭鉱の坑内火災が鎮火できずゴーストタウンとなった米国ペンシルバニア州のセントラリアは五〇年以上燃え続けているし、夕張の炭鉱の坑内火災も発生から百年近く経っているが鎮火していない。
炭鉱ではないがゲーテも訪れた事があるドイツのブレンネンダー・ベルク――和訳すれば“燃える山”――は一六八八年の発生から三〇〇年以上経っているがまだ燻っている。さすがに火勢は衰えてきているそうだが……
極めつけはオーストラリアのバーニング・マウンテン――こちらも和訳すると“燃える山――ともいわれるウィンジェン山で、ここの炭層が燃え出したのは五五〇〇年前とも六〇〇〇年前とも言われている。
ちなみに、将司が言った『地獄の門』はトルクメニスタンにある天然ガスが燃え続けている場所の事だそうだ。
ただ燃えるだけなら“資源が勿体無い”で済むのだが、二酸化炭素は当然だが、他にも一酸化炭素や硫黄酸化物などの有毒・有害ガスが噴出したり、地温が異常に高くなったり、燃え跡が空洞になって陥没とか山体崩壊が起きたりとか、色々怖い事が起きる可能性があると。
確かに山火事なんて可愛い物と言うのが分かる。
ブレンネンダー・ベルクの炭層火災の原因は諸説あるがその中に焚き火という物があるそうで、確認のための火が炭層火災の原因になる可能性は無視できないのだそうだ。
もし現地で確認のために付けた火が炭層火災に発展したら……
うん、神話になるな。
どんな神話でどんな教訓を伝えるものになるかは分からんが。
利益が何も無い無意味な行為だが、行った場合は確率は物凄く低いが大惨事になる。
そしてその無意味な行為は誰かがやりそうな行為でもあるから先住者に調査を頼むとやりかねない。
失敗する可能性があれば何れ誰かが失敗する。
「なあ……何か神話を捏造して禁忌にできないかな?」
説明して理解してもらうのって凄い面倒じゃん?
次回はちょっと間が空くと思います。