第7話 来訪者
「ミノ姉ちゃん、これぇ」
「食べられるよ。虫食いがあるから採って虫がいたらポイしてね」
「ねぇねぇ、これ毒?」
「毒ではないけど美味しくないから止めとこ。あっ! 宣幸くん、それまだ早い」
本日の学童保育は山菜採り。留山の山裾を御八津岬の方に回り込む比較的平坦な林道(通称:御八津道)の近くで三人のキッズがおやつならぬ山菜を集めている。
山菜は食べられる物に良く似た毒草もあって、中には生えている状態だと判別できるが採った後だと判別が難しい物もあるので、アドバイザーとして美野里先生に同行いただいている。子供たちには「ちょっとでも“あれ?”って思ったらミノ姉ちゃんを呼ぶんだよ」と言っている。
これは課外授業のようなもので、山菜の見分け方と採取方法は彼らにはきっと有用な技能になるだろうと思っている。別に山菜取りのスペシャリストになる必要も需要もないが、何回かやって“この状態のコレは食べられる”ってのを一つ二つ覚えてくれたらと思ってる。
山菜採りをしている御八津道は当初は粘土などを運ぶのに使っていた林道なのだが、運搬を海運にシフトしたので今では人は歩くが車は通らないようになって久しい。
それでも道があることで日当たりや風通しなどが林の中とは異なるので新たな植生になっている。植えたわけではないが結構食べられる物も生えてきている。
食べられるなどの有用な植物は残して他は根切りしてるからって話もあるけど……
◇
日も傾いてきたしそれなりに満足したっぽいのでそろそろ終わりにしようと思っていたときにイダテンが駆け寄ってきた。イダテンは去年産まれたスコルとレイナの仔で、名前から分かると思うが兄弟の中で一番足が速い……らしい。だって兄弟そろってヨーイドンの駆けっこなんて見たことないし。
「ノリさん、何か出たらしい。こっち来るかも」
「分かった。みんな! 今日はもう帰るよ」
「「「はーい」」」
「美野里、引率頼む」
「うーん……私も残った方が良いと思う。エスコートはイダテンにしてもらうよ。みんな、いい?」
美野里が残ったのは他の狼がアンノウンをトラッキングしているからだそうだ。狼兄弟にこの辺りをパトロールして早期警戒網を張るよう指示していたんだと。子供たちがイダテンのエスコートで美浦に戻っていった後に美野里がそう言った。
◇
二十分ぐらいしてイダテンが戻ってきた。子供たちは無事に着いたようだ。
美野里がイダテンを褒めながらワシャワシャ撫でている姿は某動物王国を思い出す。
「そろそろ来るって」
イダテンが低く唸ってたけど、そういう意味だったのね。
お前さんは狼語を解するんすか? という疑問が湧いたが、微かに悲鳴らしき音が聞こえたので脇に置いておく。
暫くして木立の向こうから現れたのは三つの人影で、キョロキョロと周りをうかがっているように見える。美野里が犬笛を吹き注意を引きつけてから声を掛けると、一瞬ビクッとしたあと少し安堵した模様でこっちに近付いてきた。
カーキ色のパーカーにジーンズの出で立ちの男性、フリースにタイツとスカートの女性、それと紺無地の上下の男性の三人。山歩きの格好という評点なら順に可・良・不可かな。
うん、知ってるというか見たことがある人だ。
「お久し振りですね。村井さんに杉村さん。それとお名前は存じ上げておりませんがお見掛けした事はございます」
「ご丁寧にどうも」
そんなやり取りのさなか、ガサガサという音と共に続々と集まってくる狼兄弟。さっきの犬笛は狼兄弟にした『任務終了・集合せよ』の合図だったようだ。
三人は自分の脇を走り抜けていく狼にうろたえている。
まだ性成熟していないが既に中型犬ぐらいの大きさがあり、足も太いし精悍なマスクは中々迫力がある。そんな狼が五頭も集合し、しかもリーダー格のジョンにいたっては途中で狩ったのか血の滴る兎を咥えている。
三人が狼狽しても仕方がないだろう。狼だけに。
「吃驚させちゃってたらごめんね、狩りの最中だったんだ」
「何かの気配を感じてたんですが狩りでしたか」
「ええ、彼らは兄弟でして、ここらも彼ら一族の縄張りなんですよ」
トラッキングしていた狼の気配を感じて辺りをうかがっていたのか。結構勘が良いのかな?
まあそんな事は置いておいて、彼らに聞かないといけない事がある。
「ところで、こんなところで何してるんですか?」
「え?」
自分達の領域に他所の人間がいたら誰何したり目的を聞いたりするよね?
会社の受付だって入国審査だって何者かと来訪の目的は聞くだろ?
■■■
相談があって来たという事なので三人は使節という事で良いのかな? 教団から北さん、住民から村井さん、そして道案内が杉村さんといったところだろう。
一番大きい話として「塩をおくってほしい」という事なので話し合いの場に塩奉行の五十嵐さんにも同席いただいている。五十嵐さんは製塩作業指揮や在庫管理をはじめ生産計画やそれに伴う施設更新や薪などの資源の必要量の申告など製塩全般を一手に担っているので、塩に関する話は彼女抜きではありえない。
ただ、話が進まない。
必要量とか取引条件といった交渉の俎上に上げるべき内容の提示が一切なされないので“話にならん”って状態。「できるだけおくって欲しい」と言われても困る。要求を明言しない察してちゃんが大嫌いな俺からするとストレスがかかる局面だな。
「今、何人居るんだっけ?」
「昨年の春から増減はありました?」
「いえ」
「なら五十人ですね」
「一人どれぐらい使うんでしたっけ?」
「家庭内消費なら年間でだいたい一キロって感じ」
「年間五十キロか……一月に四キロぐらい?」
「……うん。そんなもんかな」
「まあ色付けて月六キロぐらいなら捻り出せなくはないかな。それなら塩分の必要量は十分満たせると思うし」
仕方が無いから五十嵐さんと需要推測をしている。
五十嵐さんも家庭内消費と食用としての消費の違いも分かって言ってる。直接口に入るかはともかくとして食用用途としてなら日本だと一人年間八~十キロぐらい消費している。実際に口に入るのはその半分ぐらいで残りは捨ててるけど。
ただ、日本人の塩分摂取量(一日一〇グラム)が人体が必要とする量の何倍にもなっているからこんなに多くなっているだけで、もっと少なくても生命維持には問題ない。世界には年齢を重ねても血圧が上がらない集団が幾つもあるが、その中で最も多くの塩分を摂取している集団の摂取量が一日三グラムぐらいらしい。
月に六キログラムだと一日四グラムぐらいの計算になるが、腎臓病患者の減塩食(一日三~六グラム)ぐらいの摂取量だから生きてはいける。
「月に六キロ……ありがとうござ「対価に何がご用意できますか?」 い ま す」
雪月花が相手を遮って喋るのは珍しい。かなり馬鹿らしい話でも基本的には他人の話は最後まできちんと聞く奴なのだが、何か腹に据えかねるものがあるようだ。
「対価に 何が ご用意できますか?」
「対価ですか?」
「ええ、対価です。助け合いとかの寝言は言わないでくださいね。私たちは貸しはあっても借りはありませんから。うちの塩は五十嵐さんをはじめ多くの人の労働の成果なのです。その労働に対しての評価をいただけない事には譲渡しかねます」
「…………」
「そちらにお売りする分をある程度捻出する事は不可能ではない……で、いいですね?」
五十嵐さんが頷く。
「しかしそれはあくまで“月に六キロぐらいなら販売は可能です”と言っているだけです。お幾らでお買い上げいただけます?」
「物が無いってんなら身体で払ってもらえば? 六キロなら製塩作業を二、三日やってくれるならあげてもいいかな?」
五十嵐さん優しい。
「……あの、浅学ではありますが、塩って精々キロ四〇〇円ぐらいでしたよね。六キロなら二,四〇〇円。二、三日働いて三,〇〇〇円にも満たないっておかしくないですか? 仮に物凄く高いのだとするならもっと安価な塩で十分なのです。そちらはありませんか?」
現代日本の塩の小売価格の話であれば北さんの言はそう間違っちゃいない。
俺はスーパーの塩売り場の最下段あたりに置かれているキロ一〇〇円ぐらいの塩を愛用していたが、中段にはキロ三〇〇~四〇〇円の塩が置いてある事が多い。目に付きやすいところにはもっとお高い塩もある。
最安値の塩を愛用していたのは、佐智恵の叔父さんの“高い塩ってのは雰囲気や尖がった個性に対する値段であって、実は安ければ安いほど万能で安全で塩らしい塩になる。まあ安い塩は儲からねぇから目立つところには置かないけどな”という教えに従ったまで。
叔父さんも別に高い塩をディスってる訳じゃなくて、高い塩は料理によって向き不向きがあって、ちゃんと使いこなして持ち味を引き出すには一流のセンスと知識と経験と技能と熱意が必要になる難しい品って感じで言っていた。一流のバイオリニストを目指すわけでもなければストラディバリウスのバイオリンは必要ないってのに近いかな?
俺は塩に人生を掛ける気がないから最安値の塩事業センター謹製やプライベートブランドの塩を使ってたって訳。
ただ、ここは現代日本ではない。諸事情が全く異なるここでは的外れな言である。塩って消耗品よりも戦略物資だった歴史の方が圧倒的に長い。
ホント腹立ってきた。
「塩の値段はピンきり! 粗悪だったり特徴がなかったりしたら生き残れないから高い塩は必然的に何らかの特徴があるってだけで、根本的には塩の値段は品質とか成分とかじゃなくて、生産規模でほぼ決まるの。安いのはキロ一〇〇円ぐらいからあるけど、それは年間二〇万トンも作ってる塩事業センター……昔の専売公社ね、それぐらいの規模だから出せる値段であって、一万トン規模の大手でも三〇〇円ぐらいにはなる。そして一〇〇トン以下の中小だと一,〇〇〇円はまず切れない。少量生産なら桁違いの高値になって一万円超えるのも珍しくない。文字通り桁が一つ二つ違ってくるの。そしてここの製塩能力は年間二トンぐらいしかない。極小もいいとこ。だからどれだけ安く見積もってもキロ一万二千円はくだらない。六キロなら最低でも七万二千円。三日の三人として一人日給八,〇〇〇円以上。バイトとしては悪くないと思うけど?」
「そう言われましても確かめる方法がありません」
「そう? なら、ここでは半月かけて九〇キロぐらいの塩を作ってるから日産に直すと六キロぐらいね。四人掛ける十二日で四十八人日の労働と薪が二〇〇キロぐらいが九〇キロ作るのに必要なランニングコスト。十五で割った……三.二人日と薪が十三、四キロってとこが塩を六キロ作るランニングコストね。ここに施設や装置の作製費や維持費が入る。あたしは無茶言ってるつもりは微塵もないんだけど」
儲け無しの原価で卸すぐらいのサービス価格という五十嵐さんの主張。
そこに雪月花が追い討ちをかける。
「その値段で買う買わないは買う側の自由で、売る売らないは売る側の自由です。値段が折り合わないなら商談は不成立。買えないし売れないというだけです。こちらは別にそちらにお売りしなければならない理由は何一つありません。その値段で買っていただけるところにお売りするだけです」
「どういう事です?」
「元々住んでいる方々もいますから。杉村さんはご存知ですよね? 彼らと定期的に交換会を実施していますが、うちの塩は大人気の目玉商品です。東雲さん、この間のレートはどんな物でしたっけ?」
「えっと……一キロで猪一頭とか同じ重さの宝石とかだったかな」
嘘は言っていない。
瓜坊も猪っちゃ猪だし極僅かに銅を含む綺麗な石も宝石っちゃ宝石だ。
本当の事も言ってないけど。
「相場だと塩六キロの対価は猪六頭とか宝石六キロって事になるのかしら……ご用意できます?」
「そんな無茶な……」
「…………ボッタクリ」
「需要と供給、それとコストを考えてください。山小屋だと飲料水がリッター一,〇〇〇円とかもありえますが、水道水なら一円切りますよ。地域差とかも色々ありますが、だいたい三〇銭ぐらいでしょうか。三,〇〇〇倍以上ですね。ですから買う買わないは自由です」
「そんな意地悪言わないでください!」
「……では、あなた方は我々の敵という事でよろしいですね」
雪月花がお怒りモードになってござる。
更新ペースが取り戻せていません。
年度末とか人事異動とか……




