第3話 職人を育てるには
「鏝板をこうゆう風に持って鍬で壁材をこんな感じで載せます。こっちは後で使いますからちょっと手前に載せてくださいね。それと慣れるまでは載せる量は少な目にしてください。多過ぎたときはこうやって戻してください。はい、では順番にやってみましょう」
滝野でオリノコ有志相手に左官入門講習会を開いている。興味津々だったのだから最後までやってもらおうという訳だ。
匠に講師を頼んだのだが“俺が教えられる水準までの育成は任せた”と押し付けられた。保育園・小学校・学童保育に加えて職業能力開発校も加わるとは……お役御免になるためにとっとと育成しよう。
「できましたね。では、さっき空けておいた鏝板のこの辺で一回で塗る量を鏝で練ります。押し広げるようにしながらこんな感じで……難しいので繰り返し練習してください」
材料を均一にする、空気を抜く、余分な水を蒸発させて硬さを調整する、鏝に載せやすい形状に整えるなどの理由で塗る直前に練るのだそうだ。
「あっ」「わっ」「んー」
壁材を鏝板から落としたり飛ばしたりする者もいれば撫でているだけで全然練れてない者も……ここらは左官仕事の基礎中の基礎なのでがんばって習得して欲しい。
とある左官屋さんの自称だから真偽の程はアレだけど、建築関係で会得するのが一番難しいのが左官だそうだ。
木材を切る、木材に穴を開ける、釘を打つといった大工の基本作業はスピードや精度を問わなければ素人でもたいていはできる。中には中学校の技術の授業で習った人もいるだろう。
それに対して左官だと壁を塗るという基本作業自体の難度が高い。
フネで材料を練るのはできなくも無いが、鏝板にモルタルなどを載せて持つだけでも俄かにはできない。さらに鏝板の上で一回で塗る分を小分けして鏝で練るのはかなりの慣れが必要だ。練っている材料も載せている材料も落とさないように鏝板を自在に動かしながらそれに合わせて鏝を操る。左官屋さんは見もせずに息をするようにちゃちゃっとやっているが、それは何千回何万回と繰り返して身体が覚えているからできる技だ。俺は見ながらでないとできない。
その上、鏝板から鏝に載せるのもコツが要るし、適切な量と練り具合を見極めて鏝に載せられるようになるには時間がかかる。そしてここまでは壁を塗る前段階に過ぎず“いろはのい”の手前でこの難度である。
いざ塗る段になっても、床面ならともかく垂直な壁や重力に逆らう天井に塗るのは塗る方と塗られる方の具合や塗る厚みはもちろんのこと、押し付ける力加減とか鏝の角度が物を言ってくる。それだからか左官屋さんは“塗る”ではなく“押える”とか“打つ”という事がある。
難しいのでオリノコの有志が悪戦苦闘しながらも遅々として進まないのもやむを得ない。現状で壁塗りで戦力になるのは、本職と比べれば半人前だろうけど匠と俺の二人。美浦の建築で二人ともある程度は慣れたがまだまだ本職には及ばない。ただ本職に劣るスピードと出来栄えでいいなら半人前でもできない訳じゃない。俺が講師役をしているので今壁塗りをしているのは匠一人。
今後を考えれば大工や左官といった職人を育成したい。そこらは史朗くん達が手に職を考える頃、だいたい十年後ぐらいでもいいかと思っていたんだけど、人材育成も手をつけた方がいい気がしてきた。
しかし、どうやって恒常的に仕事を作るかからスタートになるから悩ましい。毎日仕事があるならば二年か三年あれば一人前の職人を育成できるんだが……
二、三年で職人になれるのかと聞かれると、ちゃんと教えてもらえればなれる。
習得するのに何十年も掛かるような技術は社会に必要不可欠とはされておらず、社会が本当に必要としているのは見習いが結婚するまでに身につけられる程度の技術だと師匠達が言っていた。
まあ何となく分かる。仮に十五歳から三十年掛けて一人前になるなら一人前になる頃には四十五歳になっている。その三十年間の飯の種はどうするのかってのと、そこから直ぐに後進を育てたとして弟子が一人前になる頃には古来稀れなりの古希を超えて喜寿間近になっている。そんな継承が危うい技術を必須にする社会なんか早晩行き詰る。
それに昔は住み込みの修行が普通だったんだから所帯を持つまでに修了できないと生涯独身が前提な職でもなければ困った事態になる。祖父世代だと中学校を出た十五歳ぐらいから修行を始めて十八歳から二十歳ごろに独り立ちするのが一般的だったとなんとか。
師匠達に言わせれば、普通の庶民が必要とする水準の物を作れれば十分に一人前で、それは一年か二年の修行で十分習得できるものであり、何年もやっているのに物にならないならそれは師匠が悪いんだと。
“技は見て盗むって言われるけど”との疑問に対して勝爺は“見て盗めってのが無いとは言わんが、それは見て盗める腕前まで仕込んだ後の話や。一人前にするんに教えられんから見せて盗ますようなもんはまあ無いわ。せやから二年で弟子を一人前に仕込めんってのは、仕事を取って来れん盆暗やから数をこなせんのか、基礎がなっとらん下手糞やからよう教えんのか、教える気がのうて弟子を下働きの奴隷やと勘違いしとる恥知らずかのどれかやろな。まあ簡単に弟子に抜かれる程度の腕しかないやっちゃは、えてしてそういう偉ぶりや出し惜しみをようしよるわ。腕に自信がありゃ見盗らす様になっても、ちゃんと見せてちゃんと盗ますもんや。はよう儂のおるとこまで来いってな”とちょっと毒舌が入った答えをくれた。
二年で一人前の職人ってのは俄かには信じられなかったが、師匠達の教え子はみんな三年目か遅くても四年目には“中級の技能者が通常有すべき技能及びこれに関する知識を持つ”とされる二級技能士の資格を得ているのでそう外れた話ではない。
もっとも“一人前の職人”と“腕のいい職人”と“名工”と“第一人者”のそれぞれの間には何年何十年と研鑽がいるし境遇と運と才能も要るとも言っていた。
職人と言われると名工や第一人者クラスをイメージするから職人になるには長年の修行云々となるのかもしれない。職人芸とか職人技って真似できない超絶技法を指す事が多いしね。もっともそういうと勝爺は“んなもんやり方知っとるかと、ちょっとしたコツや慣れってのが大半や。儂らからすりゃスマホをひょいひょい撫でて字ぃ打てるって超絶技法やで”って笑っていた。
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「それは公共事業だな」
「ええ、公共事業ですね」
継続した仕事がないと職人は育たない。
だから恒常的に工事現場がないと建設建築関係の職人を育成できない。
そこで継続した工事を用意して欲しい。
委員会でそう伝えた時の将司と雪月花の反応である。
「公共事業と言えば箱物と年度末の道路工事! 蔵建てて道路造りましょう! 文明ゲームでも穀物倉庫と道路は基本です!」
「ママ……それはちょっと……いや間違っちゃいないんだが……何というか」
公共事業は別に箱物と道路だけじゃないけど、身体の半分以上が箱物と道路の公共事業でできている建設会社の息子としては何も言えない。なにせ箱物と道路は公共事業の半分ぐらいを占めているんだもの。
奈菜さんがいう箱物と道路は分かり易い公共事業だし現状で可能なものというのは正しいとは思うが、政信さんの言うとおりシミュレーションゲームと現実をごっちゃにしないでというのは同感。
「悪くないと思います。そうすると原資をどれぐらい捻出できるかですね。佐智恵さん、備蓄から供出できるお米の量はどれぐらいありますか? 備蓄として確保しておく分を除いて」
「直感だと籾で百五十俵ぐらい。正確には精査しないと答えられない」
玄米に換算すると半分になるから七十五俵……四五〇〇キログラムだからだいたい三十石……三十人の一年分の消費量って事か。
美浦の共有財産から拠出するというのは、みんなの役に立つのだから掛かる費用はみんなが負担するというのが根本にある。
現代だと事業ごとに一々徴収なんて現実的でないから税金を使う。近代以前だと賦役とか租庸調の庸という感じで労働奉仕も多かったようだけど賦役も庸も税の一部なので、税を使って行っていたのは変わらない。公平な税負担と受益になっていたかはあれだけど……
公共事業というと無駄使いや万年赤字みたいに言われる事もあるけど、それは民間では難しい(要は儲からない)けど公共の利益や福祉のためには必要な事業の事だから公共事業って時点で端っから大赤字前提なんだ。まあいくら赤字前提とは言っても湯水の如く赤字を垂れ流されるのは困るけど。
逆に公共の利益や福祉のためには必要不可欠な事業でも儲かる事業なら民間に任せて行政は民業を圧迫しないのが大原則になっている。電気・水道・ガスのライフラインの内、水道だけが公共事業になっているのは電気やガスは儲かるけど水道は儲からないから公共事業のままになっているという事。
理由は色々あるけど、俺が最大の要因と思っているのが品質問題。飲用するのだから品質に対する要求がとても厳しくて民間だと割に合わないと思う。
「では精査してもらえますか? その上での話ですが、美浦とオリノコと滝野を結ぶ一号線を設定しましょう。それと長らく店晒しになっている留山の井戸掘りの再開と土蔵の新築。これで工事の確保はできるでしょう。どうですか」
「そうしてもらえるとありがたい」
「育成する職人候補はリストアップしておいてください」
「了解した」
「なあなあ、アケさんとカエさんとハロくんの三人に陶芸をさせたい。三人は無理だとしてもせめてハロくん一人でも」
「漆工はどうや」
「服飾だって欲しいですわよ」
色々とでてきたので基本的には当人の希望を優先しつつも職業別に上限と下限の人数を設けようという事になった。でもこれって考えようによっては織田信長が楽市楽座で既得権をぶっ壊した事で有名な「座」だよね。