第2話 滝野の構想
滝野に建てる建物は二種類ある。一つは俺らが泊まったり物品保管に使う家屋で、もう一つは他集落の人を泊める竪穴住居。
これは高床式という慣れない形態の家屋より現地では一般的な竪穴住居の方が安心できるだろうというのと、場合によっては“倉庫で寝るなんてありえない”と思われる可能性もあるからであって区別や権威付けという訳ではない。
竪穴住居用に掘った土は俺らが泊まる家屋の土壁として有効活用する。
掘った土を篩いに掛けて石礫と土に分け、土に十センチメートルぐらいに切った藁を混ぜて水を加えて練ると土壁が作れる。籾殻や塩を加えると収縮が抑えられてひび割れが少なくなる。
土に枯れ草を混ぜて練って成型して乾かすというのは日乾煉瓦と大して変わらない製法。古今東西で原料確保が容易で製法も簡便で利用価値が高いと評価されていたのだと思う。
日本でも土壁は昔から使われていて、現代でも古民家はもちろんの事として城郭や寺院で見ることができる。お城やお寺の分厚い壁や塀の多くは土壁でできている。土蔵もそうだな。土は燃えないかららしい。
一般家庭でもポルトランドセメントや石膏ボードなどに取って代わられるまでは土壁が普通で祖父世代以前だと普遍的な建材だった。親父世代でも瓦屋根を葺くときには使っていたのでスレート葺きが多用される前は使われていた。
上棟式の後に土壁を練っていたのだが、オリノコ衆が興味津々といった感じで見ている。美浦では醸造所を初め土壁を多用しているけど、これまでオリノコではほとんど見せていなかったからか彼らの食い付きが良かった。
カムサキは板壁なので土壁は使っていない。土壁は寺院では使われるが神社ではあまり使われないから匠のこだわりでカムサキは木の板を壁材にしている。
興味があるならやってみるかと振ったら乗ってきたので土練りをしてもらう。
ただ、これは今日塗るのではなく使うのは次の移動日である十日後を予定している。それぐらい寝かせてから施工する。寝かせても寝かせなくても出来上がりの強度に有意な差は無いという研究結果はあるが“暫く寝かせた方が塗り味が良い気がする”と左官屋さんが言っていたのでそれに倣う。
「十日も置いておいたら固まりません?」
「いい質問ですね、美結さん。固まる固まらないでいえばある程度固まります。しかし、ただ単に乾いて固まっているだけなので塗る直前に水を加えて練り直せば問題ありません。古民家の解体で出た土壁も粉砕して練り直せば土壁に甦ります」
「うーん……泥が乾いてこびり付いているのと大差ないように聞こえますけど」
「その通りです。ですから土壁を水に沈めれば解けてしまいます」
「野晒しだと雨とかで崩れるって事になりません?」
「ええ、崩れますよ。ですから雨が直接当たらないような場所に使ったり、外壁とか塀とかだと油を混ぜ込んだり表面を保護……例えば漆喰を塗るとかしているんです」
「……分かりました。ところでその丁寧口調は何なんですか?」
「先生モードが抜けてないのかな?」
「ノリちゃん先生、講義中に申し訳ありませんが……小舞は外壁からやっとくからな。外からの見栄え優先で内壁は後回しって事で」
「了解、それで頼むわ。壁材が足りなそうなら追加で練っといてくれるか」
「へいへい。竃の分も要るよな」
「そうだな。昨日の今日だから雪月花の耳には入れておいておくんなまし」
今日、壁を塗らないのは棟上したばっかりでまだ小舞(木舞)が組まれていないからというのもある。小舞というのは竹や葦や木の枝などを格子状に編んだ物で壁の芯にするものである。壁材は摩擦力や表面張力で小舞に引っ付き壁を形成するので何もない空間に壁を作る事はできない。塗り重ねる時は“かき落とし”という剣山のような道具で壁面をザラザラにして接着面積を増やせば大丈夫だが、一度目は小舞を壁面に組んでおく必要がある。現代でも場合によってはラス網という金網で形成したところに塗ったり、ラス網をタッカーというステープラーの化け物みたいなもので裏地に縫い止めて塗ったりする。
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滝野の棟上はいわば俺の移動日を使ったわけだから、オリノコからの応援と一緒にオリノコに帰る事になる。ちなみに文昭は残りを明日朝に美浦へ送り届けないといけないから小桜で滝野にとんぼ返りしている。
奈緒美はオリノコに駐在しているから夕食が終わったら雪月花からの宿題を片付ける事にする。
「土塁の補強と緑化に良い樹木?」
「そう。文昭がはっちゃけて築いてしまったんで」
「定番だと樹木じゃなくて芝生だね」
「だよな」
「堤防ならネコヤナギもありだけど……斜め堰には植えてるんだよね?」
「ああ、だけど土塁は乾燥するからなぁ……垣根から考えると柊ってどうだろう。あいつ使い出があるし」
葉っぱがトゲトゲで鬼を払うとして節分に柊の枝に焼いた鰯の頭を刺して門や玄関にという“鰯の頭も信心から”の柊だが、材にすると強度がありつつ適度な粘りもあって金鎚の柄とかに向く。
「乾燥と寒さに弱いからお薦めしない。それならマサキかウツギってのもあるよん」
「なあなあ……いっその事コーデしない?」
「土塁だけ? そんなに選択肢ないよ」
「土塁の内側二十メートルとか壕の外側とかもありじゃないかって思うんだ俺は」
「……色々妄想が捗りそうな餌だね。いいよ。図面見せて」
「ありがと。ただ実行に移す前に将司と雪月花の耳には入れておいてくれな」
「そんな怖い事しないよ」
「した奴がいるんだ」
「誰よそんな馬鹿……あっ! ……そゆ事ね。分かった後で折檻しとく」
「雪月花が一絞りしてるからお手柔らかに」
「分かったよん、手心は加えとく」
是非そうしてやってくれ。勝手に時計の針を進めたのが問題視されたのであって、環壕と土塁は不要な物じゃないからさ。
「ところで滝野は何人ぐらい暮らせそう?」
「住処ならある程度なら都合もつけられるけど食い物をどうするかってのと燃料がな……でもなんで?」
「ベビーラッシュ秒読みなんだよ。近い将来に移民が必要かもってね」
オリノコでは今夏に四人ぐらい産まれるらしい。妊娠適期の八割が妊娠って何? 人口が一割増えますって……
これまで食料でなかった動植物とか畑のイモ類とか弓矢や罠などの猟具、網や筌などの漁具により食糧事情の安定化と風呂をはじめとした衛生環境の向上など人口増加の下地はあった。だからって……まあ言っても詮無き事か。
娯楽が多くなると少子化傾向になる。逆に言えば娯楽が少ないと“やればできる”事が娯楽になるという事と思える。三大欲求の一つに挙げられながらも娯楽に負けるってのはどうよ。
食欲と睡眠欲は個体の生存に不可欠で性欲は種の存続に不可欠という事だとは思うけど、これ人間でなくても多くの動物に当てはまるんじゃない? 三大欲求さんはあまりに野生過ぎませんか?
「そうか……食糧源については開墾必須だな」
「そもそも開墾なしで私らが思うような暮らしは不可能」
「……そうだな。違いね」
狩猟採取のみなんて無理。
“農業万歳!”には農地が要る。
つまり最初は開墾が必要。
うん、間違いない。
「それと燃料って森林は無いの」
「残念ながら……全く無い訳じゃ無いんだけど定住するとなると恐らくあっという間に枯渇する」
「じゃあ、そっちも手配が要るか……マツ・クヌギ・クスノキ・キリあたりの生長の早い奴で雑木林的に考えるか」
いくら生長が早いといっても一年二年で材木や薪炭にできる大きさに育つなんて事はなく、おそらく十五年ぐらいはかかると思うから燃料問題を短期に解決してくれるわけではない。しかし今から手を付けていけば、十五年後には薪炭については根本的な解決が見込める。つまり今の赤ちゃん世代が十五、二十歳になる頃には物になっている筈。
ただ建材については樹齢三十年とか六十年の世界だからなあ……やっぱ森林は気の長い話になる。奈緒美のお祖父さんが“木を植えたり手入れするってのは孫世代のため”って言っていたのが分かる。
「栗が仲間になりたそうにこちらを見ている」
「桃栗は果樹園。雑木林じゃない」
「マロニエが仲間になりたそうにこちらを見ている」
「シャンゼリゼで歌でも口ずさむの? それにマロニエは正確にはトチノキの近縁種のセイヨウトチノキを指すフランス語だからね。樹種の希望とかは計画書を見てからの意見でいいから」
「それじゃあ任せた。それといつでもいいから滝野について何か疑問や要望があったら言ってくれ。できる範囲で応える」
「次行くのは十日後だよね。一度現地を見ておきたい」
「分かった。手配しとく」
小桜以外の移動手段も考えた方が良いかな?
比較的頑丈な焼玉エンジンと言えど、現状の工業レベルだと壊れる事も考えないといけないと思うんだ。