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8 整理のつかない思い

 顔を上げ時間を確認すると、時計の短い針は六の数字を示していた。

 今度は視線を窓の外へ向ける。日が暮れるのが早くなってきている所為か、空はもううっすら黒に染まっていた。

 運動部に所属している生徒たちも、部活のために出していた道具の片づけやグラウンドの整備をし始めている。私は隣の木製の机に座っているさっちゃん先輩に声を掛けた。

 そう現段階でも部活の部長である鮫島先輩にではなく、さっちゃん先輩にだ。

 その理由は……まあ、言わなくても分かると思うので割愛させてもらう。


「さっちゃん先輩! もう片付け始めた方が良いんじゃないですか」

「んー……ああ、もうそんな時間か。よーし、キリの良い所で止めて皆片づけを始めよう」


 すっかり慣れた様子でさっちゃん先輩は周りに声を掛け、片づけを指示する。

 その声を聞いた美術部員たちはずっと椅子に座りっぱなしだった体を伸ばしたり、水洗い場が混まない内にそそくさと片付け始めた。私と隣に座る七海も筆やパレットを持って水洗い場へと向かう。

 と、そこでさっちゃん先輩が背に声を掛けてきた。


「おーい、桃花」

「なんですか」

「部活のことで話があるんだけど、ちょっと残ってもらっていいか?」


 別にこれから用事があるわけではないので残っても構わない。昨日のように遅くなることはもないだろうし、私は素直に承諾した。


「別に構いませんよ」

「サンキュー。じゃあ、片づけに入ってくれ」


 私は手に持った筆やパレットを持って、水洗い場にできている行列に並んだ。

 大分時間が掛かってから道具を片づけ、私は七海や他の友達に先に帰ってもらいさっちゃん先輩と面と向かい話し始める。


「で、部活のことでってなんですか? 昨日みたいに遅くなると怒られるので、早く帰りたいんですが」


 表情を歪め、私は話を切り出した。


「昨日のことは、俺も口添えしたからそんなに怒られてないだろ。つーか、何で露骨に嫌そうな顔をするんだよ」


 さっちゃん先輩は眉を上下させ、片方の口の端をひくつかせている。


「まあ、いいか。さてと、話はだな、一年生の方の絵の進み具合はどうだ? 再来週にはコンクールに出さないといけないからな」


 至極当たり前の様にさっちゃん先輩は尋ねてくる。私は面くらったように目を瞬かせ、キョトンと首を傾げる。


「あのう、それって鮫島先輩の仕事じゃないですか。何で私に尋ねるんですか!」

「あの人が働くとでも?」


 あー……そうですよね。

 さっちゃん先輩の一言に私は心の内で納得してしまった。


「まあ、次期副部長で一年生担当であるお前に聞いてんだ」

「はあ……そうですか」


 言い淀みながら私は、記憶を掘り返し始めた。

 副部長に決まったのは昨日の今日だけど、まだ慣れないものの周りの様子は確認している。思い返した私は、最新の様子の記憶を話し始めた。


「皆それなりに完成してきていると思います。多分来週には出来上がるはずです」

「そうか。二、三年生もだいぶ出来上がっているから、その後の微調整も含めてどうにかなりそうだな」

「はい。大丈夫です」


 肯定しつつ私は内心で、

 ――すっかり部長が板についているなあ。

 と心底思った。

 もしこのこと言えば、さっちゃん先輩はきっと押し付けられただとか、誰かがやらないといけないだとか言いながら怒るに違いない。でも、任された以上はきっちりと仕事をこなす人なので大丈夫だ。

 だからこそ、鮫島先輩は頼んだのだろう。

 面倒だとか大変だとか言いつつも、決して投げ出さないさっちゃん先輩に。

 さっちゃん先輩の良い所は――そして私が――。


「おーい、桃花!」

「え、あ、どうしました!?」


 すっかり考え耽っていた私の意識を、さっちゃん先輩は引き戻した。我に返った私は、慌てて返事をする。


「いや、ボーっとしてるからどうしたのかと思ってな」

「すみません。ちょっと考え事してました」


 どんな顔をすればいいのか分からず、伏せたまま答える。


「ふーん……まあ、どうせ俺の悪口だろうけど」

「そ、そんなこと――ッ‼」


 さらりと自嘲気味に言った言葉に、私は立ち上がり大声で否定しようとする。しかし、途中で先の言葉が出なかった。

 そんなことない。

 だってさっちゃん先輩は信頼されているし。

 絵が上手いし。

 それに優しい。

 だから私は――。

 そこまで来て、その先の言葉を口にすることが出来なかった。


「お、おい、どうした?」


 驚いた表情でさっちゃん先輩は私の顔を見上げてきた。


「そんなこと……そんなこと……ありません……」


 ほとんど泣きじゃくった声音で呟く。

 自分でもどうしてなのか分からない。

 どうしてもいいのかも分からない。

 私は喉の奥からまだ出ようとしている言葉を飲み込み、髪を噛みしめて座り込んだ。癖げっけのある自分の髪で表情を隠し、顔を伏せる。

 今の自分がどんな顔をしているか分からない。


「……桃花、お前本当に大丈夫か? ここ最近、様子が可笑しいぞ」

「……最近?」


 顔を伏せたまま尋ね返す。

 最近様子が可笑しいとはどういうことだろうか。

 私はいつも通りだ。

 なのに何が一体可笑しいというのだ。


「最近っていうか近江祭が終わってから可笑しいぞ。何つーか、あんまり張り合ってこなくなったように思う」

「……そうですか」


 それはさっちゃんせんっぱいと悠姫先輩の思いが通じあったからだ。


「おう。特に今日なんかは部活の時から可笑しい。冷めたことばっか言ってる気がする」

 それは昼休みの七海の言葉がずっと気になっているからだ。

 ――私に気があるかもしれない。

 そんなことあるはずはない、と分かっていながらも少しだけ期待する私がい

る。そして封じ込めていたはずの思いが、湧き上がるのを感じる。


「だい……じょう……ぶです」


 何が大丈夫だ。

 さっきから考えていることがめちゃくちゃじゃないか。


「いや、でも……大丈夫じゃないだろ」

「大丈夫です‼」


 語気を強くしてそれ以上の追及を私は拒む。

 さっちゃん先輩は拒まれても何かを口から言おうとしているが、私の迫力に負けたのか、それとも空気を呼んだのか分からない。しかし言おうとしていた言葉を喉の奥に戻し、別のことを口にした。


「そうか、悪かった。あのさ、明後日の日曜家に来られるか? 修や鮫島先輩にはも確認が取れてるんだけど、お前にはまだ訊いてなくてな」

「何があるんですか?」


 無理やりにいつも通りを装い、私は尋ねる。

 無理矢理なのは向こうも同じで、先程から明るい声で話し掛けてきた。


「悠姫から手紙が届いてな。皆の分もあるし、全員集まって読みたいと思ってだな」

「べつ……に良いですよ。あのう、帰って良いですか」

「ああ……そうだ、遅いから送って行くぞ」

 一瞬その言葉に甘えそうになったけど、ぐっと堪える。

 ――駄目だ、甘えちゃ。

 どういった理由でなのか。

 冷静さを欠いた今の私には分からない。

 ただ私は本能に従うまま、バッグを肩に掛け勢いよく立ち上がった。


「結構です」

「そ、そうか」


 素っ気ない。

 そう言われても仕方がない言葉を返して、美術室から出て行った。まるで嫌なことから逃げる様だった。


  ◇◇◇


 気が付いた時には近江公園の中にいた。

 ただそんなことがどうでもよくなるくらい、近江公園から見える星空は綺麗だった。

 一つ一つの星が優しく光り輝いている。

 その光が今の私にはとても眩しく思えた。

 掌でその光を遮りたくなるくらいに。


「私は――」


 一体どうしたいのだろう。

 何を?

 分からない。

 もう滅茶苦茶だ。

 何もかも。

 さっちゃん先輩には酷いことを言ってしまった。

 嫌われたかもしれない。

 嫌だ。

 そんなの嫌だ。

 でも、何もかもわからない。

 いつの間に公園のベンチに座り込んでいた私は、自分の覆って何もかもから目を背けていた。

 情けない。

 素直にそう思った。

 酷い。

 そうだ。


「どうし……たらいい……のぉっ……」


 もう訳が分からなかった。

 どう整理をつければいいのかも。


「どうしたの、宮﨏さん?」

「――ッ!?」


 不意に掛けられ、私は驚いた。

 涙が滲んだ目尻をセーラー服の袖で拭い、声のした方へ振り向く。そこには昨日初めて出会った月島君がスポーツバッグを肩に掛けていた。


「つき……しまくん?」

「うん、月島君だよ。どうしたの、酷い顔してるけど。それに今日は、松原さんはいないの」

「う、うん。さっちゃん先輩はいないよ」


 私は沈んでいる気持ちを必死に奮い立たせ、無理に元気を装う。しかし月島君はすぐに見抜いたのか尋ねてきた。


「やっぱり酷い顔してるよ。風邪でも引いてるの?」

「ううん、そんなことないよ。大丈夫だよ」

「そう。ねえ、隣に座って良い? 今日はそこから写真を撮ろうと思うんだ」


 月島君は肩掛けバッグを軽く叩き、未だ本調子でない私に問いかけてきた。私は数瞬思案すると、私のバッグを膝に置き席を譲る。

 彼はスポーツバッグを地面に降ろしながら、私が作ったスペースに座りこんだ。


「ありがとう」

「うん」


 彼の明るい笑顔につられるように私も頷いた。

 それから数分間、私も月島君も黙りこんだままだった。私は星空を見上げ、月島君はスポーツバッグから機材を取り出して組み立てている。


「あのさ」


 私は沈黙に耐え切れず話し掛けた。

 今は黙っていたいのに、自然と口は開いた。


「なにかな」

「月島君は頭がいっぱいになった時はどうする?」

「ええっと、どういうこと?」


 月島君は少しだけ戸惑ったように言葉を返す。

 私は自分のせっかちさに苦笑いながら、


「考え事をしていたらいろんなことが思い浮かんで、頭がパンクしそうになるの。そんな時はどうする?」

「そう、だね。僕なら少しその問題から離れるかな」

「どうして?」


 私の追及に彼は即答する。


「考えてたってどうせ答えは出ないからさ。落ち着いて物事を考えられるときじゃないと、姫と頭がパンクになるような問題は解決しないよ」

「そっか」

「うん」


 月島君は頷くとカメラのレンズを拭き始める。時々レンズに息を吐きながら、何度も吹く。それを何度か繰り返した後、彼は視線を私に向け何度目にかなるか分からない問いを口にする。


「大丈夫? やっぱり何かあったんだよね?」

「うん、ちょっとね」


 さっちゃん先輩に酷いことを言った。

 そのままにしてしまった。

 そんな罪悪感が体を締め付ける。


「でも、もう大丈夫だよ」


 これは半分本当で半分嘘だ。

 月島君の言葉で少しだけ気が紛れただけだ。

 何の解決にもなっていない。

 でもそれで良い。

 今だけは。


「そう。良かったよ」

「月島君、ありがとう。少し気が楽になった」

「どういたしまして」


 彼はニコリと微笑み、またカメラの機材に視線を移す。

 わたしは彼の浮かべた純粋な笑みに少しだけ頬を赤らめた。


「そ、それじゃあ、私帰るよ。じゃあ、またね」

「うん、またね」


 気恥ずかしさから私は、そそくさとその場を離れた。

 月島君は純粋な笑みを浮かべ、手を振って私を送り出してくれた。

 その姿がどこかさっちゃん先輩に似ているように思えた。


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