2 いつものように
さっちゃん先輩のことを今はどう思っているか。
先程まで見ていた夢の内容を友人たちに話せないまま、私は友人たちと一緒にお昼を口にしていた。何度か、どんな夢を見てたの? と尋ねられはしたが適当に誤魔化し答えなかった。
しかし、ある話題をきっかけに思い出すことになる。
「そういえば、もう一ヶ月が経つんだね」
「え、何がかな?」
ちょうどお弁当のプチトマトを食べようとしていた私は、首を傾げ尋ねる。話題の提供者である増田七海は、ニコニコと微笑みながら答えくれた。
「決まってるよー。悠姫先輩が向こうに行って一カ月経ったってことだよ」
「あ、そういえば、そうだったね」
八月の終わり頃に旅立って、今は十月だからもう役一カ月も経つことになる。夏休みが終わってから、体育祭とかの準備があってすっかり忘れてしまっていた。
「元気にやってんだろうか、悠姫先輩」
そう男っぽい口調で呟く佐藤翼に、私はんーと唸りながら答える。
「悠姫先輩のことだからきっと大丈夫だよ。普段はのんびりしてるけど、しっかりしてる人だから」
「それもそうだな。桃と違ってしっかりしてるからな」
「そうだね。桃花ちゃんと違ってしっかりしてるもんね」
「ど、どういう意味なんだよ!?」
思わぬ二人の攻(口)撃に、声を荒上げながら尋ねる。
二人はニタァ、とした性格の悪い笑みを見せ、問いに答えてくれた。
「それは決まってんじゃん。桃がもじもじしてる間にも、ちゃっかりさっちゃん先輩をものにしたってことだ」
「そうそう。本当に悠姫先輩はしっかり者だよね」
と二人は性格の悪い笑みを維持したまま、私の顔を見て淡々と答える。
思わず私は立ち上がり二人に突っかかりそうになった。けれど、腰を椅子から少し浮かせただけに留め、再び椅子に座り込む。そして二人の顔を睨みつけ、教室の窓の外を気を落ち着かせるために眺めた。
七海と翼の二人は中学時代からの付き合いで、私のさっちゃん先輩に対する思いを知っている。口を割って話したわけではないけど、二人からして見れば簡単に見透かすことが出来るらしい。
「……はあ」
先程、突っかかることを戸惑ったわけではない。いや、もちろん突っかかったとしても程度は弁えている。せいぜい脇腹をくすぐるぐらいだ。
ではなぜ私はその程度のことをやらなかったのか。
それは単に事情を知らない友人たちに、自分が押し抑え込んでいる気持ちを知られたくなかった。正直、これ以上背中に重いものを背負い込みたくない。
これは紛れもない私の本心だ。
「まあ、確かに悠姫先輩はしっかり者だよ」
だから私は友人二人に言いたい本音を押さえ、先程の会話の続きを口にした。
何も言い返せないのは悔しい。そしてもっと悔しいのは、悠姫先輩に白旗を上げてしまっていることだ。
あの人にはどう足掻いても勝てないと思う。
あの端正で可愛らしい顔立ちから男子生徒には好奇の目で見られ、女子生徒にもねたまれることなく仲良くする。おまけに勉強も運動もできる。特技は音楽で今は才能を見込まれ、海外の学校で音楽の勉強に勤しんでいる。
それに比べて私はといえば、未だにさっちゃん先輩への思いを抱き続ける未練がましい女だ。
「何やってるんだろう」
もう一度窓の外を眺める。
窓には半透明に映った私がいた。
とても情けない顔をしていた。
「……しっかり者かあ」
多分それも私の敗因の理由だ。
◇◇◇
「でもさ、ウチは桃花なら悠姫先輩と良い勝負できると思うけどな」
昼食を再開した私の耳に、突然翼が目を見開かせるようなことを言ってきた。わたしはどう言葉を返せばいいのか分からず、箸の動きを止めた。
話し掛けてきた翼はというと、コンビニから買ってきたパンを頬張りながら七海に同意を求めるように視線を向けている。
私と同じように弁当派の七海は、かつおだしを使った卵焼きを口の中に入れお茶で喉の奥に流すと口を開いた。
「うん、そうだよね。私も桃花なら良い勝負が出来ると思う。綾乃先輩も綾乃先輩でいい勝負が出来ると思うけど、あの人桃花みたいな感情を抱いているようには見えないしね。だから、勝負をしてたら五分五分だったと思う」
「綾乃先輩かあ……確かにそう言った素振りを見せないからね」
ようやく思考が追いついてきた私は、さりげなく話の矛先をそらす。
綾乃――鮫島綾乃先輩は、中学時代からの先輩で、私と七海が所属している美術部の部長である。飄々(ひょうひょう)とした性格で、翼さっちゃん先輩に対してトラブルを持ち込んだり、トラブルに巻き込まれて慌てている姿を見て楽しんだりする少々捻くれた人だ。音はいい人ではあるのだけど。
そんな私の脇道に逸らす言葉にもめげず、二人は話の軸を元に戻した。
「いやあ、ホントなんで勝負もせず、敵に塩を送るような真似をしたんだ?」
「そうそう、何もしないで負けるなんて情けないよ」
二人にそう言われ、私は表情を曇らせた。
翼と七海が言うことは重々分かっている。そうだ最大の敗因は阻むのではなく、背中を押してしまったことだ。
私の様子に気が付いた二人は顔を見合わせ、慰めるべく口を開いた。
「い、いや、桃花も十分可愛いさ!」
「そ、そうだよ! 特技の絵も上手いよ!」
「絵は別として、顔も特技自体も悠姫先輩には勝てないよ」
残念ながら二人の慰めの言葉も、今の私にとっては開いた傷口に塩を刷り込むようなものだった。そもそも、今の私の傷自体誰にも癒せない。
自分から作った傷なのだから。
逆に傷口を抉ってしまったことに気が付いた二人は、先程までの勢いが嘘だったかのように口を噤ませた。
「良いよ。悠姫先輩と馬鹿で間抜けなさっちゃん先輩の話は――イタァッ!?」
「誰が、馬鹿で間抜けなだって? まったく、人がいないところで好き勝手言いやがって」
聞き慣れた声。
悠姫先輩と思いが通じあった先輩。
そしてそれでも私が今も思い焦がれている先輩。
「……さっちゃん先輩?」
私の背後にさっちゃん先輩が立っていた。
「よっ!」
いつもの笑顔を思い浮かべて。