12 卵粥と漬物と桃缶
風邪を引いた。
朝起きるとものすごい頭痛に襲われ、さらに頭や背中がやたら重かった。そしてうすら寒かった。
体温計で熱を測ってみると三十九度近く、とてもではないが学校に通える状態ではない。という訳で、私はおとなしく自分のベッドにおとなしく横になっていた。
高校生にもなって面倒を見てもらう必要もないので、両親には仕事に出てもらった。
だけど、私はあることを忘れてしまっていた。
そうとても重要なことである。
それは――、
「……ごほっ。頭がふらついててお昼ご飯作れないよ」
そうお昼御飯がないのである。
いつもお弁当があるのだけど、私の風邪でお母さんは完全に作るのを忘れていた。こういう時カップラーメンで済ましたかったけど、残念ながら沸騰器のお湯は切れていた。
「……うぅ……鍋でお湯を温めればいいんだろうけど、そこまで待つ気力がないよ」
先程から意識が朦朧としている。
多分何分も待っていられない。
ならいっそう何も食べなければいいのでは、と思い始めた時だった。玄関に設置されているベルが鳴った。
誰だろうか。
宅配の人ならものすごく間が悪い。向こうはこちらの事情を知ってはいないけど、とてもじゃないが受け取りから、サインまでの過程を潜り抜けることが今の私にはできないと思う。
しかし、そうもいかず私は気力を振り絞り玄関へと向かう。生まれたての仔牛のような足取りでたどり着くと、熱で頭が回らないため誰かも確認せずに玄関の扉を開けた。
「オーッス! 風邪ひいたんだってな。大丈夫か?」
扉を開けるとスーパーの袋を提げたさっちゃん先輩がいた。
「………………は?」
たっぷり間を置いた後、私は間の抜けた声を出した。
何故ここにいるのだろう、という疑問が回らない頭でも浮かぶ。
「あの、え、あ、ま、ちょっちょっと待ってください!」
私は慌てて扉を閉めると、寝癖や汗で額に張り付いた髪の毛を整える。そして深呼吸を数回行ってから、再び扉を開いた。
「い、いらっしゃませ‼」
「何の店だここは!?」
動揺しきった私は完全に空ぶっていた。
さっちゃん先輩ははあ、とため息を吐くとスーパーの袋から何かを取り出し私の額にそれを当てた。
「冷たッ!?」
冷たい何かを額に当てられ私は後ずさる。落ち着きを取り戻し、さっちゃん先輩が持っている物を見ると、それはスポーツドリンクが入ったペットボトルだった。
顔を上げ、さっちゃん先輩の顔を見る。
「落ち着いたか?」
「はい。っていうか、もっと良い方法があるんじゃないんですか」
頬を膨らませ睨みつける。
「はいはい、悪かった。まったく、来てやったのに酷い言われようだな」
私は言葉のあるピクリと肩を震わせた。
そ、そうだ、すっかり聞きたいことを忘れていた。
私は慌てて尋ねる。
「そ、そうですよ! さっちゃん先輩何で来てるんですか? それに学校はどうしたんですか?」
さっちゃん先輩は私の大声が頭に響くのか、耳を押さえながら答える。
「お前のお母さんに昼ご飯作っていくのを忘れたから、作ってくれるよう頼まれたんだよ」
「な、なんで、お母さんが娘の先輩との間にホットライン持ってるんですか!?」
「いや、それは部活の連絡網を携帯に登録してるらしい」
ああ、なるほど。
いや、なるほどじゃない。たとえ登録してあっても、娘が風邪をひいてるけど仕事で時間が作れないから、それを娘の先輩に頼むか。普通は頼むわけがない。
「まあ、そういう訳だから」
その一言でさっちゃん先輩は纏めようとしているようだ。
まとめきれるのかと思ったが、もうこれ以上ツッコミに気力が持たないので、私は折れることにした。
「さてと、中に入っていいか?」
「どうぞ」
もうやけくそ気味に受け応えをする。
私はお客用のスリッパを置き、中に招き入れる。さっちゃん先輩は靴を脱ぎ、スリッパには履き替える。
「んじゃ、ちょっと台所借りるぞー!」
のんびりとした調子でさっちゃん先輩はキッチンへと向かう。私はというと経っていることがいよいよ限界になったので、リビングの椅子に座り込んだ。
「おっと、昼御飯を作る前にお前を部屋に運ばなきゃな。決行ふらついているし」
さっちゃん先輩はわたしの肩に腕を回し立ち上がらせる。そして、私の歩幅に合わせて二階へと向かった。
二階へ上がると、私は自分の部屋を指さす。
さっちゃん先輩は部屋の前まで歩き、戸を開けた。部屋の中へ足を踏み入れ、さっちゃん先輩はゆっくりとベッドの上に寝かせる。
毛布を肩までかけると、さっちゃん先輩は私の部屋を見渡しながら呟く。
「お前も意外ときれいにしてるんだな」
「ごほっ……意外で悪かったですね。私も女の子ですから」
「ははは、すまん。さて、大人しく待ってろすぐに作ってくるからな」
さっちゃん先輩はそう言い残して、一階のキッチンへと向かった。その後ろ姿を私は、頬に風邪とは違う熱を感じながら見送った。
◇◇◇
「ギャグですか、さっちゃん先輩」
私の目の前には湯気が立つ卵粥と漬物、そして缶詰から出した桃がそれぞれ皿に盛りつけられてあった。
「桃って……何かのあてつけですか」
「なんでそうなる!? 風邪ひいた時は缶詰だろ。缶づめと言えば桃缶だろ」
「どういった連想ゲームですか!?」
まあまあ、といさめられ私の言葉を見事に無視された。
私は唇を尖らせ睨みつける。しかし、さっちゃん先輩は苦い笑いを浮かべ、お昼ご飯を進めてくる。
何か言ってやりたい気になったけれど、私は大きくため息を吐いて匙を手に取った。そして両手を合わせる。
「いただきます」
匙を卵粥の中に入れ、掬い上げそれを口に含んだ。温かいおかゆと砥いだ卵の味が、舌の上に広がる。
なんというか、素直なことを言うと美味しかった。
「どうだ?」
窺うように視線を向けるさっちゃん先輩に、私は口を含まらせ睨みつけた。何故睨みつけられるのか分からないさっちゃん先輩は、口の端をひくつかせる。
「えーっと、美味しくなかったか。だから、睨んでんのか!?」
「違います。想像していた以上に美味しかったからです。何でこんなに美味しんですか!?」
「それってかなり理不尽な怒り方だぞ、桃花‼」
だって美味しんだもん。認めたくはないけど、私が作った物よりも。
海に行ったときに作ったお弁当を食べた際、あまりの酷い出来に頭を抱えた。今でもその時のことをはっきりと覚えている。
その時の自分のお弁当とさっちゃん先輩のこの卵粥を比べると、なんだか悔しさが胸の内に湧き上がってくる。
「だーっもう、悔しい! でも、美味しいです!」
「あははは……まあ、お粗末様です」
怒っているのか誉めているのか自分でもよく分からない。ただ、まあ……褒めていると思う。
さっちゃん先輩もそう言う風に受け取ったのか、穏やかな笑みを浮かべた。
◇◇◇
「ごちそうさまでした」
最初の時と同じように手を合わせ呟く。
昼食を終えた私はカップに注がれたお茶で一息をついた。さっちゃん先輩もスーパーで買ってきたのであろう紅茶で休憩している。
私はカップを机に置き、さっちゃん先輩の顔を真っ直ぐと見る。向こうも私の視線に気が付いたのか、紅茶の入ったペットボトルを置いた。
「さっちゃん先輩、美味しかったです。今日はありがとうがとうございます」
「どういたしまして」
気負いもしない言葉に、ほくそ笑む。なんというか、そう言ったところはさっちゃん先輩らしいと思う。
が、私はすぐに表情を変え、さて、と呟く。
「で、本当に何で来たんですか?」
「言い方が酷いぞ。もうチョイやんわりと言えないのかよ」
「で、何で来たんですか?」
「ああ、無視かい」
はい無視です。
さっちゃん先輩は大きなため息を吐いて口を開いた。
「さっき言った通りさ。おばさんに頼まれたから来たんだ」
淡々と語るさっちゃん先輩に、私は窺うように尋ねる。
「でも、学校は?」
そうだ。だってさっちゃん先輩は風とかを引いていないし、だから授業を受けないといけないはずだ。
それなのに私のためにお昼ご飯を作りに来てくれている。
「あー授業は午前中の三限まで受けた。午後の最初は淡島先生だから、訳を話したら言って良いって言われてな。だから来た。まあ、もう少ししたら最後の授業を受けるために戻るけどな」
だから来た、とすがすがしく言われても私は肩を落とすしかない。なぜなら、結局の所お母さんに頼まれただとか、淡島先生に許可を貰ってもここまではするのはどうかと思う。
別に迷惑だったとかそういう訳じゃない。
ただ――、
「さっちゃん先輩は……さっちゃん先輩はどうしてそこまでしてくれるんですか?」
そこまでする義理はないのだ。
どこまでいっても私とさっちゃん先輩は後輩と先輩と言う関係だ。だから、別に助けてくれなくたっていい。
さっちゃん先輩は自分の時間を大切にしてくれればいい。なのに、どうして助けてくれるのかが分からない。
でも、さっちゃん先輩は私の問い答えてくれた。
「何でそこまですか、か。まあ、お前の言うとおりそこまでする必要はないわな。でも、強いて言うなら――」
喉の奥をごくりと鳴らして、耳を傾ける。
「悠姫に皆のことを頼まれたからだな」
いつもの屈託のない顔をして行った。
「――ッ‼」
「でもさ――」
私は続きを言い駆けたさっちゃん先輩の言葉を遮った。
言ってしまった。
反射的に。
「さっちゃん先輩の馬鹿!」
言ってしまったのだ。
また酷いことを。




