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ティッシュ配りの少女

作者: 暮井丈
掲載日:2026/01/14

「ティッシュはいりませんか? ティッシュはいりませんか?」

 通行人に声をかけ続けるが、迷惑そうな目を向けられて全然受け取ってくれない。別にお金を取るわけじゃないし、ティッシュなんていくらあってもいいじゃない。どうして受け取ってくれないの?

「花ちゃん、どう? あら、全然減ってないわね」

 先輩の中村さんが声をかけてきた。寒いのか手をこすり合わせている。

「ティッシュなんてあって困るものでもないのに、どうしてみんな受け取ってくれないんでしょう?」

「きっと家にたくさんティッシュが余っているのよ。日本が豊かな証拠ね」

 中村さんが無意識に言ったその言葉は花の心を傷つけた。母子家庭で育った花は経済的に豊かだったことは1度もなかった。朝から晩まで働きづめの母と小さなアパートで身を寄せ合って暮らして来た。その母は去年、過労が祟って倒れてしまい、それ以来寝たきりだ。

目の前には街の煌びやかイルミネーションに、ニコニコ笑顔で歩いてゆくカップルたち。そうだ、今日はクリスマスイブだった。幸せそうな人たちと対照的に、母の世話とアルバイトに明け暮れる自分がひどく惨めに思えて涙が滲んできた。

「泣かないで花ちゃん。手伝ってあげるから」

 ティッシュが詰まった箱がまだ2つ残っている。中村さんはそのうちの1つを持ち上げた。

「そんな…申し訳ないです。中村さんもう今日のノルマ全部終わってるのに…」

「いいのよ暇だし。ほら笑って。ティッシュを受け取って貰うコツは笑顔よ」

 そう言って中村さんは自分の持ち場へ歩き去っていった。

 中村さんに感謝しつつ、頬を両手でぴしゃりと叩いて気合を入れ直す。いつまでも泣いてちゃダメだ。母さんの為にも頑張らなくちゃ。


「あ、雪」

 通行人の誰かがそう呟いた。花も空を見上げると、雪のかたまりがふわりと頬に着地し、刺すような冷たさを感じた。人々は思いがけぬホワイトクリスマスに顔をほころばせているが、花には全然有難くなかった。笑顔で頑張っているけど、やはりティッシュは減らない。寒さで顔も引きつってきたし、指先の感覚もなくなってきた。それでも必死にやっているのに雪まで降ってくるなんてツイてない。

「くしゅん!」

 寒さのあまりくしゃみが出た。鼻水が垂れてきそうで、思わずティッシュから1枚紙を取り出す。通行人に配る用だけど1個くらい使ってもいいよね。あーあ、この紙がお札だったらいいのに。そう思いながら鼻をかむと、鼻の穴からずるんと何かの塊が飛び出た。びっくりして手元を見ると、鼻水まみれの1万円札が紙の上で丸まっていた。

「え…何これ…」

 花は驚いて思わず路地裏に隠れた。誰にも見られていないのを確かめると、もう一度鼻をかんでみる。ずるん、と再び鼻水まみれの1万円札が飛び出た。花は目の前の光景が信じられず、もう1度鼻をかんだ。ずるん、ずるん、ずるんと次々お札が飛び出て、総額5万円になった。

 これは一体どういう事だろう。どうして私の鼻からこんなものが出てくるの? しばらく呆然としていると、花の頭の中で突如懐かしい記憶が甦った。むかし母によく読んでもらったマッチ売りの少女という絵本。寒空の下でマッチを売る少女。しかし街の人々は目もくれない。少しでも暖まろうと少女がマッチをこすると、炎とともに暖炉や七面鳥のごちそうの幻影が浮かび、最後には少女を可愛がってくれた祖母が現れ、少女と共に天国へ昇っていく。次の朝、街の人々は冷たくなりながらも幸せそうな笑みを浮かべた少女の亡骸を埋葬し、その死を悼んだ。花は幼い頃からこの物語を何度も読み返しては涙したものだ。そして何故だか今、マッチ売りの少女と似たような奇妙なことが起こっている。違いと言えばマッチじゃなくポケットティッシュなのと、出てくるものが全部鼻水まみれであることだけど。

 花は試しにケーキを思い浮かべながら鼻をかんでみた。すると驚いたことに、到底花の鼻の穴に入りきらないほど大きなホールケーキがずるりんと飛び出た。そしてもれなく鼻水まみれでとても食べられる代物ではなかった。

 やはりマッチ売りの少女のように思い浮かべたものが出てくるのだ。花は通りにちらりと目を向けた。幸せそうなカップルたちが歩いている。もし今「彼氏が欲しい」と思いながら鼻をかむとどうなるのだろうか。鼻水まみれの若い男が出てくるのだろうか。「花は可愛いね」「ずっと一緒にいたい」全身べっとべとの男がそんなことを言ってきて、べっとべとの顔を近づけてきてべっとべとのキスとかをしてくるのだろうか。考えただけでゾッとした。ケーキや彼氏はもういいとして、とにかくお金だ。お金さえあれば私と母さんは苦労しないで済む。花は再び1万円札を思い浮かべて鼻をかんだ。しかし鼻水が出なかった。どうやら出し切ってしまったようだ。

 するとその時、1万円札とホールケーキが煙のように消えてしまった。せっかくのお金が消えてしまったことに焦ったが、そういえばマッチ売りの少女もマッチの火が消えると幻影が消えてしまうのを思い出した。ということは私の鼻水がなくなると、出したものも消えてしまうと言う事なのだろうか。

「花ちゃーん、何してるのー?」

 表通りから路地裏を覗き込んでいる中村さんと目が合った。

「あ、えっと、ちょっと場所を変えようと思って…」

「そんなところに人なんかいるわけないじゃない。早く配らないと日付変わっちゃうわよ」

 中村さんに急かされて、仕方なく表通りに戻った。中村さんが目を逸らした隙に、ティッシュを3つ程ポケットにねじ込んだ。


 何とかティッシュを配り終えて帰路についた。アパートの部屋に入ると、布団の上で仰向けに寝ている母が薄っすら目を開けた。

「おかえり、花」

 今にも消え入りそうな声に花の胸が痛んだ。「今ご飯作るからね」と無理に起き上がろうとして母が激しく咳き込んだ。慌てて花は母の背中をさすり、落ち着いた所で布団に再び寝かせた。

「無理しないでお母さん。そんなの私がやるから」

「いつも迷惑かけてごめんね」

「なに弱気なこと言ってるのよ」

 花は母を励ましたが、内心では母はもう長くないのではないかと思っていた。日に日に病状が悪化していき、医者に見せる金も満足にない。このままでは時間の問題だろう。花は意を決して、今日あった出来事を母に伝えることにした。

「お母さん聞いて。今日ね、とても不思議なことが起こったの」

「どうしたの? 急に改まって」

「バイト中にね、鼻をかんだら自分の望む物がなんでも出てきたの」

 一瞬の間の後、「何バカなこと言ってるのよ」と母が言う。信じてもらうために、花は母の目の前で鼻をかんで見せた。野球ボールぐらいの大きさの、そして鼻水まみれのダイヤの塊がずるん、ごろんと畳の上に転がった。それを見た母が驚きのあまり目を見開いた。

「ほら、何でも出せるのよ。こんな何億円もするようなダイヤだって」

 そして再び花は鼻をかんだ。鼻水を出し切らないよう細心の注意を払う。出て来たのは鼻水まみれの錠剤のカプセルだった。

「今ね、「お母さんが元気になる薬」と念じながら鼻をかんだわ。だからこの薬効くと思う。さぁお母さん、これを飲んで」

 錠剤を母の口元に近づけると、母は花の手首を掴んで止めた。とても寝たきりとは思えない力だ。

「ちょっと何してるの。早く飲んでよ」

「いやよ汚い!」

「死ぬよりマシでしょ!」

「いくら娘でもイヤ!」

「いいから飲みなさい!」

「ぐえっ」

 焦って思わず母の鳩尾を殴り、口が開いた瞬間に錠剤を押し込んだ。ごくん、と母の喉が唸った瞬間、寝たきりだったはずの母が勢いよく立ち上がり、凄まじい速さで風呂場に飛び込んだ。「うげー、うげー」と唸り声が風呂場から聞こえてくる。つい焦って鼻水まみれのまま母の口に押し込んでしまったが、よく考えたら水で洗うくらいしても良かった。


「花ちゃん、風邪?」

「ちょっとはだづまりで…」

「鼻かんだ方がいいわよ、ほら」

 中村さんが配る用のポケットティッシュを差し出した。丁重に断るも「1個ぐらい大丈夫よ」と引いてくれない。どうしようかと迷い、結局ティッシュを1枚とって鼻水を出し切らないよう注意しながら鼻をかんだ。その様子を見て中村さんは満足げな表情を浮かべる。

 あの後、母の体調はすっかり良くなり、再び働きに出れるようになった(鼻水まみれのお札はあちこち破れてとても使える状態じゃなかった)。しかし安心したのも束の間、母のパート先から母が倒れたと連絡が入ったのだ。心当たりはあった。直前に花が何気なく鼻を噛んで鼻水を出し切ってしまったからだ。1万円札やケーキが煙のように消えてしまったように、鼻水を出し切ったことで薬の効果も消えてしまったのだろう。 

花は慌てて再び薬を鼻から出して、今度はちゃんと洗って母に飲ませた。再び元気になった母だが、花の方では悩みの種が生まれた。自分が鼻をかみ切ると母が倒れてしまうので、花はうっかり鼻水を出し切らない為に一切鼻をかむことができなくなってしまったのだ。おかげで年中鼻づまりだし、最近鼻の中でイヤな臭いもしてきた。調べたところ、どうやら蓄膿症というらしい。副鼻腔に膿が溜まって鼻づまりやイヤな臭いを発してしまうという。最近はそれが原因らしき頭痛もしてきて困っているが、母の為にも病院には行かずに我慢するしかないと思うと、花は思わずため息をついた。

「そういえば花ちゃん今高3よね? 大学には進学するの?」

「就職する予定だったんでづけど、母が働けるようになっだので奨学金を借りて進学するづもりです」

「あらそう、良かったじゃない。それにしてもひどい鼻づまりね。もっとかんだほうが良いわよ」

 そう言って中村さんは再びティッシュを差し出した。内心困りながら仕方なくもう1枚受け取る。鼻水を出し切らないよう注意しながら、ゆっくり鼻をかんだ。


 鼻うがいキットがずるんと出てしまった。


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