【7】
翌日、店を開いてしばらく経った頃。1台の馬車が雑貨屋の前に停まった。
「…あれ、もしかして」
店番していた凛は馬車に見覚えがあった。その通り、降りてきたのは麗だった。彼女がきた瞬間、光が差し込み、神々しくなる。
ーはー。なるほど天も美人には弱いのか。
麗は今日も隙のない美しさで、氷の女王みたいに冷静な表情をしていた。さすが雅巳の元婚約者だと納得する。
「あのー」
麗が店の中に入って来、凛と目が合う。するとその直後、
「その髪はどうしました?」
指摘され、凛は少し恥ずかしそうに答える。
「あの、その、色々あって…」
「そうなんですの? …何だか短くて可哀想な気がするのですけれど…」
「いいんです。気にしないでください」
凛はそう言うと、麗の近くに寄る。
「今日は…?」
用件は分かっているが、一応、聞いてみた。すると麗は持っていた扇をぴしゃりと叩き、真剣に言ってくる。
「ここに啓太がいますわよね?」
「…何故? 確信を持って言うんですか?」
「簡単ですわ。御者がここで停めたと言いましたの」
「なるほど…」
どうりで見たことのある馬車だと思った。御者が申し訳なさそうに、手綱を掴んでおり、散々怒られたのではと推測する。
「啓太! 啓太!」
麗が名前を呼び始めたので、凛が止める。
「ちょ、ちょっと待ってください!! 啓太くんにも言い分があるようで」
「言い分があるなら、私が聞きます。啓太!! 啓太!!」
麗は鋭い声で名前を呼ぶが、啓太のほうは出てくる気がないようだった。麗はじれたのか、
「こうなったら…」
強制的にあがろうとするので、凛が慌てて止める。
「ま、待った!! 待ってください!!」
「邪魔なさらないでください。これ以上、ここにいたらあなた達に迷惑になるでしょう?」
「それはそうですけど…」
凛は困った仕草をし、麗をどうしようかと考える。
ーとりあえず帰ってもらって、また夕方に来てもらったほうがいいのかな?
啓太はもう起きているはずだが、姉の周麗が呼んでも出てこないということは、頑固になっているのかもしれなかった。
ー何で私が考えなきゃいかないのよ、もう!!
ブス呼ばわりされているのが気にくわず、すぐ渡そうと思えば渡せるのだが、雅巳の意見も聞いてみたくなった。だから夕方、また来てもらおうかと思っていたのだが、麗のほうは急いでいるらしい。
「啓太、いい加減にしなさい!! 他人様のうちに迷惑をかけるわけにはいきませんわ」
強い口調に変わり、凛でも抑えられなくなったその時、奥から兄の清が何故かやって来た。
「さっきから誰が啓太を…あれま!! すげえ美人なの!!」
清は今日は市場に遅く行くようで、まだうちにいたのだった。顔がどんどん赤くなっていくということは、麗を前に緊張し始めているようだった。
「り、凛、ちょっと」
「何? お兄ちゃん?」
呼ばれて側に行くと、肩を組まれ小声で言われる。
「誰、あの美人!!」
「周麗さん。啓太のお姉さんよ」
「なるほど。すげえ…」
清は振り返って麗を凝視する。凛の勘違いでなければ、一目惚れしたような様子だった。
「俺、頑張る」
「は? 何を…?」
清が凛から離れ、麗に声をかける。
「これは、おはようございます。凛の兄の葉清と申します」
「あら、お兄様ですの? はじめまして。周麗と申します」
2人とも頭を下げ合うと、清が話し出す。
「啓太くんなら大丈夫ですよ。元気です。昨日から一緒にいますが、弟のように接しています」
「それは、それは、どうもお世話になりまして…。啓太のわがままに付き合わせて申し訳ありません」
「いや、いいんですよ。ちょうど男の子と遊びたかったものですから。男の子はいいですよ、男の子は」
清は自分でも何を言っているのか、分からないようだった。仕方がないので、凛が間に入る。
「お兄ちゃんは黙ってて。今は啓太のことが先なの」
「分かっている。凛こそ邪魔するな」
そう言うと、清はその場に膝をつき、麗の手を取ろうとする。
「あの…?」
「俺と結婚してください!!」
「…は?」
皆、びっくりし、固まる。いきなり求婚するなんて、どういう頭になったのかと凛は慌てて言う。
「お兄ちゃんはあっちに行って!!」
「しかし!!」
「いいから!!」
清を強制的に奥へ戻し、凛はため息を吐く。麗が扇をぱしりと叩いたので、まずかったかと謝る。
「すみません。うちの兄が…」
「いいんですのよ。よくあることですから」
さらりとかわされたが、なるほど、美人になるとよくあることなのかと納得せざるを得なかった。
ーまだ麗さんを見ているし。
奥からの熱い視線に、凛は無視することにした。それよりも啓太のことである。
麗が来ても駄目なものは駄目らしい。心配してくれる家族がいるだけありがたいのだが、彼もまだ子どもらしい。
ー帰って来なくていいって無視されているわけじゃないのに…。
雅巳を思い出し、凛は心を痛める。心の障がいは日々を過ごすうちに少しずつ、本当に少しずつ変わっているが、まだ具合悪い時があるのだった。それでも周りで支えてくれる人達のお陰で前を向くことができるのだった。
ー啓太もありがたみに気づくといいけど…。
しかし彼からすれば、初めてのわがままかもしれなかった。凛はどうしようと迷った結果、麗に言う。
「もし啓太くんが帰りたくなったら、こちらから馬車を向かわせますので、今日は引き下がってもらえないでしょうか?」
「…。そうはいきませんわ。勉強しないといけないのに」
麗が厳しい声で言い、奥を見つめてくる。凛もさすがに一言告げる。
「勉強、勉強ばかりでは、窮屈ですよ。子どもは子どもらしく遊んだほうがいいと思います。昨日から啓太くんは何かに解放されたように、伸び伸びとしていますから」
「…」
麗は扇を広げると、しばし沈黙した。凛も口を閉ざすと、2人の間に冷気が通っていく。
「…本当にご迷惑をかけて」
やっと麗が口を開くと、凛は大きく手を振る。
「い、いいえ!、 いいんですよ。うちは構いませんから」
凛はそう言うと、言葉を選びながら喋る。
「他の家庭はどうかは知りませんが、うちは啓太くんを歓迎しますから。昨日から子どものような表情も見て取れますし。しばらく預けてはどうでしょうか?」
「まあ…。啓太が子どものように…?」
「はい。さっきの兄と一緒に、腕相撲したりしていたんです。本当、負けず嫌いで何度も挑んで…。そういう啓太くんを大事にしてもらえないでしょうか?」
「…」
麗はぴしゃりと扇を閉じると、唇に先を当て、考える。迷っているらしく、凛もどうしようかと困っていると、父親の大雅がやって来る。
「うちは迷惑じゃありませんよ。むしろ啓太くんがいたほうが賑やかというか、明るくていい感じです」
「啓太が賑やか…?」
麗の知る啓太とは違うようで、目を丸くする。大雅はさらに続けて言う。
「ここは私共に任せてください。何、2、3日したらちゃんと送りますから。どうでしょうか?」
「そうですわね…」
麗は天を仰ぎ、考え始める。大雅も急かすことなく、彼女の答えを待つ。
「本当にご迷惑ではありませんか…?」
「はい、大丈夫です」
大雅のしっかりした声に、麗は緊張をわずかにとき、言ってくる。
「分かりました。啓太のこと、よろしくお願いいたします」
「はい。お任せください」
大雅が深くお辞儀したので、凛も真似する。麗は続けて
「しかしお父様とお母様が早く帰って欲しいと言ったら、駄目ですからね。また来させていただきます」
「それは、それは。もちろんでございます」
「ーでは失礼いたします」
麗は踵を返したが、途中で止まり、
「啓太!! いい子にするんですのよ!!」
と念を押したのだった。返答はないが、多分、啓太に伝わったと思う。
「それではー」
麗は馬車に乗り、言ってしまった。その後もしばらくぼうっと見つめていると、大雅が言ってくる。
「少ししたら啓太くんも落ち着くだろう。それまで待ってあげよう」
「…うん。ありがとう、お父さん」
「さあ、寒いから中に入ろう」
背中を支えられ、凛は店の中に入ったのだった。




