【18】
どれくらい経ったただろうか。寒いはずなのに、凛の額には汗が浮かんでいた。外は雪が降っているのか、室内は薄暗かった。
ー喉が渇いた。
唾液を飲み込み、何とか口の中を潤す。他の人達も緊張からか、襟元を構ったり、体勢を変えたりしている。
ー啓太のことが心配なのに…!!
何とかできないかと考えているのだが、麗が人質では下手に動くことができなかった。麗と見つめ合っても、「よせ」と合図が返ってくる。しかし誰がが何かしない限り、状況は変わりそうになかった。
ーお役人さん達が取り囲んでいるはず。
誰かが訴えたのか、外は騒がしかった。崇大も分かっているのか、
「ちっ。うるさくなってきた」
そう言うと、麗の首に包丁を当てる。白い肌から赤い血が流れ、まるで美酒のような美しさがあった。
ーせめて、隙ができれば…。
一生懸命、考えているのは凛だけじゃなく、麗も同じようだった。
「お茶を飲みませんこと?」
突然、彼女が喋り出したので、崇大が驚いたように怒鳴る。
「それより早く金を用意しろ!! 死にたいのか!!」
「まあ! 怖い。少しくらい休憩したっていいじゃありませんか?」
包丁を突き立てられているとは感じられないほど、のどかな声だった。崇大は一瞬、怯んだのだが、少し考えてから言ってくる。
「…確かに喉が渇いた」
「でしょう? 今すぐ、お茶をいれますわ」
「変な真似はするなよ」
「しませんよ。ただ、お茶をいれるだけですもの」
そう言うと、麗は包丁を持つ手をゆっくりどけると、動き出す。
「何を作る気だ?」
「不眠のお茶なのですが…」
「不眠!! 俺は眠たくないぞ」
「そうではなく…苛々して気分が高揚する時に飲むお茶ですの」
麗は喋りながら流れる動きを見せる。
「菊花茶に疲れすぎて眠れないないなら、ナツメを足して」
「菊花茶ってなんだ?」
「爽やかな菊の香りがして、心を静めてくれますの」
「へえ…」
崇大も少し興味を持ったようだった。グラスに茶が注がれると、
「はい、どうぞ」
麗ができた茶を崇大に渡す。崇大は香りを嗅いだり、グラスの周りを眺めたりして慎重だった。
「じゃあ一口だけ…」
ごくりと飲む音が部屋に響いた。それくらい室内はしんと静まり返っていた。凛達が固唾を飲む中、崇大は気に入ったのか、どんどん飲んでいく。
「ぷはっ。全部飲んだぞ」
「そうですか。ありがとうございます」
麗は頭を下げると、崇大に質問する。
「何故、立てこもりを…?」
「うるせえ!! 黙っていろ!!」
「…これは、これは失礼いたしましたわ。でも聞いてみたくなって」
麗がしなだれかかると、崇大は悪い気がしないのか、唇を舐めたり、包丁を持つ手をくっつけたり、離したりしてもて遊び始めた。
ーここは麗さんに任せよう。
凛はいつでも動けるように、身構える。ただ殺気は出さないように注意する。
「しょうがない。答えてやる」
「ま。ありがとうございます」
ほほ、っと笑った後、崇大の頬に口づけする。麗さん、やり過ぎじゃ…と思うのだが、美女の贈り物に気をよくしたらしい。
「全てを手に入れるためさ。あとは家族に復讐するためだ」
「復讐…? 何故ですの?」
「貧乏で苦労したんだよ。お嬢様のあんたには分からないかもしれないけれど。そのせいで人生、全然、上手くいかない。だから事件を起こして名を残せば、親を困らせることができるし、罪人の家として有名になるかなと思ってな。最後は思いっきり、目立ってやろうと思って」
「まあ!! そうですの…」
麗は刺激しない程度に声をかける。崇大の頬に触れると、意外と気持ちがいいのか、彼がまだ喋る。
「俺なんか死んでもいいんだよ。生きているだけ邪魔だしな」
「…馬鹿だ」
唇だけで凛はぼそりと告げた。家族のお陰で、生きてこられてきたはずなのに、その家族を困らすようにしたら、本当に生きる場所がなくなるのに全然気づいていない。事件を起こすことどういうことか、どんなことを引き出すのか、分かっていないようだった。
ーこの前の無差別殺人と似ているようで、少し違う。
無差別殺人の犯人のほうが、絶望的が大きかったが、この男は死ぬと言いつつも自分だけは助かるとでも思っているような余裕がある。本当に家族にだけ迷惑をかけたいだけに思え、馬鹿馬鹿しかった。
ーどうなるか分かっていないから、できるのよ。
凛は親指の爪を噛む。いい年してこの後、どうなるか分からないなんて、稚拙だった。巻き込まれたほうがいい迷惑である。
ー皆、心配しているかもしれないのに!!
時間が惜しかった。ここに留まれば、留まるほど、崇大のわがままに付き合うしかないなんて、あんまりだった。
ー何か機会があれば…。
麗もそう思っているのか、髪に触れたりと色仕掛けではないが、動いている。しかし崇大も馬鹿ではないらしい。
「お前らには分からないだろうな、俺の苦労は」
「あら。そんなことはありませんことよ」
「嘘つけ。女が主人になる自体、あり得ないんだよ。お嬢様のどうせ遊びだろう?」
「まあ! 遊び!!」
さすがに麗も声を抑えたが、心外だと伝わってきた。凛も崇大が何を言っているのか、理解不能だった。
ーそんなに目立ちたいなら、努力すればいいのに。
しかし崇大からすると、何の努力をすればいいのか、分からないのかもしれない。色々と試してみて、駄目だったのかもしれない。同情はしないが、愚かな男だと思う。
ー家族まで巻き込んで…!!
1番の応援者は家族なのに、地に落とすようなことをして、この後、どうなるのか、考えていないだけ最悪だった。もしかしたら、家が襲われ、家人が自殺するまで追い込まれるかもしれないのに、と悔しくなる。
ーこの男、嫌いだわ!!
凛が立ち上がろうとした途端、ガシャンと大きな音がした。皆、視線を向ければ、矢が窓を貫通している。
ー今だ!!
凛は自分を鼓舞すると、崇大へ突っ込んでいく。崇大がぼうっと隙を見せたので、包丁を掴もうとする。麗も同じことを考えていたらしく、一緒に行動する。
「とれた!!」
包丁を奪い取ると、凛は麗に包丁を渡す。麗は先程とは打って変わり、冷酷な表情を浮かべる。
「もう人質はいなくてよ? どうなさいます?」
「くそっ!! 動くな!!」
「お断りしますわ。私、誰かに命令されるのは嫌いですの」
「今です!! 皆さん、力を貸してください!!」
凛は大声で叫ぶと、つられるように客や女給達が崇大に向かっていく。崇大は押しつぶされ、「うげっ」と声をあげる。
「麗さん、縄!! 縄!!」
「その必要はありませんわ」
そう言うと、外で待機していた役人達が、どっと入り込んできた。崇大はあっという間に捕まえられ、立てこもりの終わりを知る。
ー何とかなった…。
ふうと息を吐くと、今頃になって足がもつれる。「あ」と思った瞬間、大きな手が支えてくれる。
「大丈夫か! おい!」
「ま、雅巳さん…!! どうして」
「どうしては今はいい。怪我は?」
手足を見られ、凛は素直にじっとする。大丈夫だと分かった途端、抱きしめられる。
「良かった…。またお前は…!!」
「…ごめん。ごめんなさい」
するりと口から謝罪の言葉が出てきた。別に凛は悪くないのだが、何となく申し訳なかった。
「麗さん、大丈夫か!!」
「…お兄ちゃん!!」
清の姿を見、何故ここにと思う。清はちらりと凛を見、無事なことを確認してから、麗へ向かう。
「大丈夫ですわ、これくらい」
「強がるな。えっと、怪我は…あ!! 何だ、この首!! 切られているじゃないか!!」
「放っておけば治りますわ」
麗の声は普通の穏やかなものに変わっていた。しかし清が許さない。
「こいつは…おら!!」
崇大を1発殴ると、清は麗の前に立つ。捕まった崇大は俯き、悔しがっているようだった。
ー自分のしたことがどれだけ大きいか、この後、分かるはず。
凛は連れられていく崇大をじっと見つめ、静かに目を開閉する。すると、今度は妙に場に合わない男の声が聞こえて来る。
「姉御!! 大丈夫っすか?」
「…。この声は」
凛は雅巳から手を離すと、声の主ー春徳を凝視する。
「何でここに…?」
「噂になっているっす。だから皆、集まったっす」
「そう…。それはそうよね」
清のところまで噂が届いたということは、犯人が捕まったということも、広い範囲で伝わるはずである。
「皆に迷惑をかけて申し訳ないです」
しゅんとして反省するが、雅巳は春徳を問いただす。
「お前、何者だ?」
「はい? 何っすか、兄貴。急に?」
「とぼけるな。弓矢を射たのは、お前だろう?」
「…へ?」
場に間抜けな声が広がった。喧嘩の弱い春徳が、まさかきっかけを作った弓矢の放った人物とは思えなかった。
「本当に? 雅巳さん、本当に!?」
「…こいつ、何か隠しているな」
「さあ? 俺は俺っすから。姉御、さよなら」
口早に言うと、手を振り、春徳は去って言った。まるで風のような存在だと凝視していると、雅巳が凛の頭を軽く叩く。
「おい! おい! 現実を見ろ、現実を!!」
「あ…う、うん。大丈夫。何とかなったから」
「何とかなったって…あのな」
はあと大きくため息を吐くと、雅巳は厳しく言ってくる。
「命を粗末にするな。天から与えられた寿命を全うしろ。途中で自分から投げ出すようなことはするな!! 何があっても生きろ!! 分かったな?」
「は、はい…!!」
「…怪しい。何でも首を突っ込む奴だからな…」
べしぺしと、凛の頬を軽く叩いてくる。凛は徐々に現実感が増してきた。
ー犯人に刺されなくて良かった。
ふうと息を吐き出すと、急に体に力が入らなくなった。
「あ、ほら!! みろ、怖かったんじゃないか!!」
「そんなことは…」
雅巳にされるまま、凛は大人しくする。彼の香りに新緑の中の陽だまりのようなものを感じ、心地よかった。
「お前、女なんだぞ? ちゃんと守られる側にいろ」
「守られる側…」
雅巳の言葉にぴんとこず、目を瞬かせていると、顔を指で弾かれる。
「子どもでも分かることだぞ? 女は男に守られるものなんだよ、普通は」
「…普通は…。そうなの?」
「お前、意味が分からないのか?」
素直にうなずくと、雅巳が少し苛ついたようだった。
「お前はどういう教育を受けたんだ? 男でもあるまいし。犯人に突進していくなんて、お前くらいだぞ?」
「!! 見てたの!!」
「いや、ただ、お前ならやりそうだなと思っただけだ」
「…すみません」
ようやく雅巳の言っていることを飲み込み、凛は素直に詫びた。
ー自分が男だったらな…。
ちらりと思い、雅巳の腕や体を見る。彼みたいに強固なものだったら、どんなことをしてもいいから欲しいと思ってしまった。
「他人のことを考えるのはいいことだが、自分が女だという自覚だけは忘れるな。約束しろ」
小指を出され、凛はのろのろと指を差し出す。すると強引に指をとられ、指切りさせられた。
「これでよし。さ、帰るぞ」
「あ、でも麗さんが…」
麗を見ると、清が甲斐甲斐しく世話しているようだった。これではおじゃま虫になると思い、雅巳へ視線を戻す。
「立てるか? それとも背負ってやるか?」
「た、立てるから大丈夫!!」
雅巳の協力を得て、立ち上がると、凛は麗に一言だけ告げる。
「麗さん、また後で」
彼女は綺麗にお辞儀してきたので、凛は雅巳とともに部屋を出たのだった。




