stage:北部ルクティウスの屋敷
アリベルが孤児院に連れて来られた時、頭の天辺から足の先まで埃だらけで、野良犬と区別が付かないような小汚い子どもだった。
その時、ソフィアは既にその孤児院で暮らしていた。
目が悪くて、外で遊べないくらい体が弱い小さな少女。
しかも、本当の名前を名乗れないくらいの訳アリの身。
でも、誰よりも賢くて、来たばかりで心を閉ざしていたアリベルにも優しくしてくれた。
アリベルは早く1人で生きて行けるように、12歳になるとすぐに孤児院を出て、神王近衛兵の騎士養成校に入った。
生活する場所が変わっても、アリベルは休みの度に孤児院に帰って、いつか自分の稼ぎでソフィアと幸せに暮らすのが幼いアリベルの夢だった。
ソフィアが神王の候補者に選ばれた時、アリベルはソフィアが遠くに行ってしまったような寂しい気持ちになったのは事実だ。
しかし、今まで騎士見習いとして訓練してきたから、ソフィアを守ることができる。
それに、ソフィアが神王になった時に、騎士になれば一番近くにいられる。
それに、今までは孤児院の職員とか他の子がいたから2人きりになれなかったけど、今ならソフィアと2人でずっと一緒に居られる。
家具も好きな物を揃えて、食事も大鍋からよそうのではなくて可愛い食器にカトラリーを揃えて、2人で生活するんだ。
「て、思ってたのに……」
アリベルは、人知れず唇を噛み締めて呻いた。
ソフィアとアリベルの横には、何故か邪魔者が1人いる。
ソフィアが異邦人を招いた時、アリベルは怪我をして寝込んでいたからソフィアが何を企んでいるのは知らなかった。
異邦人を招く時、賢者の石に少しは注文を付けることができる。
何よりも強さを求めるとか、最高峰の知恵を求めるとか。
しかし、望んだ人材が来ても、味方になってくれるかはわからない。
頭のおかしい異邦人にソフィアが殺される可能性だって充分にあった。
事実、招かれた異邦人は即座に18人殺しているから、人畜無害な好青年とは言い難い。
しかし、頑丈なのは確かで、スコルピオンの私兵団から散々殴られて虐め抜かれただろうに、何事も無かったかのように平気な顔をしていた。
「どんなボロかと思ってたけど、案外綺麗な屋敷だなぁ」
「ええ、家具もそのまま買い取ったので、取りあえず住むのに困らないはずですよ」
「へー、ソフィアって金持ちなのか?」
「うふふ、ちょこっとだけ」
荷馬車から下した荷物に腰掛けて、ルカは屋敷をぼけっと見上げている。
アリベルは車椅子に座って休憩しているソフィアをルカから引き離してそっと囁いた。
「ソフィア……本当にあいつと一緒に暮らすの……?」
「大丈夫です。悪い人ではないようです」
「でも……私は、1人でもソフィアを守るのに……」
「わかってますよ、アリベル」
ソフィアは両手を伸ばしてアリベルの頬を包んだ。
ソフィアの不思議な力を持つ小さな掌は、いつでも冷たくて柔らかい。
ピンク色の爪はアリベルが丁寧に手入れしているから、ピンク色につやつやと光っている。
「私はアリベル1人に、危険な目に遭ってほしくないんです」
ソフィアに真面目な口調で言われて、アリベルは楽しい2人新生活の妄想から現実に戻った。
「でも、あんな奴がいたら逆に危ないでしょ」
「いいえ、アリベルとルカ君が協力してくれれば、私も安心です」
「ソフィアがそう言うなら……うぅ、わかったわよ……」
「それよりも、ルカ君は腕を怪我していませんか?」
ソフィアに言われて、アリベルは仕方なくルカの様子を窺った。
荷物に腰掛けて勝手に林檎を食べているルカは、全然元気そうに見える。
「鉄格子折ってたでしょ。放っておいて大丈夫よ」
「そう言わずに、看てあげてください」
ソフィアに言われて、アリベルは渋々ルカに近付いた。
「ちょっと、あんた」
「んー?なんだよ」
アリベルはルカの腕を掴んで持ち上げた。
アリベルは自分の首に掛けた賢者の石の欠片に触れながら、マントの下のルカの腕に集中した。
もし不調があれば、石の力がアリベルの体を通って治してくれる。
「……え?」
その瞬間、石の欠片から大量の力が流れて行った。
石の力が強すぎると、それを伝えるパイプの役割のアリベルの体に負担がかかる。
立っていられなくなって、アリベルはルカに倒れてしまった。
「おっと。どうした?」
ルカが片手でアリベルの体を支える。
しかし、今の使われた力の量から、ルカの腕は骨折くらいはしていたはずだとアリベルは気付いた。
(その腕で鉄格子を折って、治ってすぐに私のことを支えるなんて……)
「大丈夫か?寝不足?馬車、滅茶苦茶揺れたもんな」
「ち、違うわ!でも、あの、あ……ありがと……」
「てか、お前、見た目より重いな」
「死ね!」
アリベルはルカの顔面を殴ろうとしたが、ルカはひらりと身を翻してアリベルから距離を取った。
「違ぇよ。その派手な剣だけじゃなくて色々隠してんな」
「そ、そういう意味ね……あんたには教えないけど」
「刃物は使い慣れてるみたいだし、もっと小振りなナイフが主力か?」
「な……っ」
「胸の横に2本入ってるよな。今固い感触が……」
「さ、触ったのね!変態!スケベ!死ね!」
「そっちが倒れて来たんだろ」
「ソフィア!やっぱりこいつと一緒は無理!」
アリベルはソフィアの膝に縋り付いた。
泣きながらソフィアに訴えつつ、アリベルの腕に収まってしまう細い腰と、ソフィアの柔らかい肌を堪能する。
「あらあら、もう仲良くなったんですか」
「仲良くなってない!ソフィアも危険よ!」
「ケンカはしないで、夜になる前に各自の部屋を作りましょう」
「ソフィア、私と同じ部屋にしましょう」
「あらあら」
「ベッドも2つくっつけて広い所で一緒に寝るの。手を繋いで同じ毛布にくるまって……すてき……夢みたい……」
「まあまあ」
「同じ家にケダモノがいるから、ソフィアの安全のためよ」
「一番のケダモノはお前じゃねーか」
「うるさいわね!異邦人は黙ってなさい!ソフィア、お揃いのパジャマを買いに行きましょう。あと、シーツと枕も新しく買わないと」
「そうですねぇ……」
アリベルはソフィアの膝に抱き着いたまま、輝かしい2人の新生活の展望を語っていたが、ソフィアは笑顔で首を傾げて否定も肯定もしなかった。