日常は地道な努力で作られる
殺し屋家業で重要なのは、優れた暗殺技術でも最新の武器でもない。
予想外の事態に陥っても慌てず騒がずスマートに仕事を片付ける平常心。
だから、日常生活においても些細なことで怒ったり悲しんだりしてはならない。
と、いうのが狩刃家の先週の家訓。
多分明後日には変わっている。
「ふざけんなよ、お前。なんでやってこねぇんだよ」
「俺達のこと舐めてんだろ?なぁ、狩刃のくせに」
投げつけられたノートがフェンスにぶつかって大きな音を立てる。
1冊は避けたけど、2、3冊目は受けてちょっと涙目になってやると、いじめっ子3人組は声を上げて笑った。
横だけ常人の3倍はある肥満体の奴と、痩せてワックスで頭が光っていて昆虫みたいな奴と、男子高校生の平均の2倍は筋肉が付いている脳味噌まで筋肉に侵されていそうな奴。
俺なら10分もかからない。
3人を殺す時間ではなく、殺してから邪魔にならないように解体してスーツケースに綺麗に収納するまで。
邪魔が入らなければ8分かな。
「ほら、狩刃君、最後の1問解いてないだろ?俺達の宿題をやってくれるって言ったのはお前だろ?」
「俺たちの成績が落ちちゃったらどうするんだよ?なぁ?」
「そ、それは……」
それは、教師が冗談で入れた大学入試レベルの問題だから、高2の1学期で既に落ちこぼれているお前に解けるはずないからだよ。
思わず吐き捨てそうになったが、俺はちゃんと黙っていた。
平常心、平常心。
ここで俺がキレたら、せっかくこの高校で得たいじめられっ子の地位が崩れてしまう。
「なぁ、聞いてんのかよ!」
脳筋が俺の肩を掴んで、腹に膝蹴りを入れて来た。
大して痛くないんだけど、昨日の傷が開いた感触があってうんざりする。
昨日、兄貴と間違えて俺に依頼された仕事を片付けたから、それが気に食わなかった兄貴にボールペンで腹を刺された。
いつもペンケースに入っている0.5ミリの黒ボールペンが突然凶器になって胃を直接突く感触が最悪だったけど、狩刃の家では武器が刺身包丁までは微笑ましい兄弟ゲンカに収まってしまう。
「狩刃君、宿題やってこなかったし、慰謝料出してもらおうか」
「慰謝料……って金出せってこと……?」
「そんなこと言ってねぇだろ?気持ちだよ、気持ち!な!わかるだろ!」
「ボッチのお前が金持ってても仕方ねぇし、出せって。な?」
「そんなぁ……」
情けない声を漏らしつつ、財布から札を出して差し出すと、3人は奪い取って山分けし始めた。
気の利く俺は、こいつらは枚数が多い方が喜ぶのを知っていて、ちゃんと万札を崩しておいてあげた。
数千円でこんなに騒げるなんて、幸せな奴らだ。
確か、昨日殺したおっさんは、数億だか一千万だか言っていたような気がする。世界は広い。
それなのに、俺は殺し1件につき10万円と決まっている。
あんまりお金をあげすぎると働かなくなるからって。
「何してるの?」
校舎の影から女子が顔を出した。
三つ編みに分厚い眼鏡。校則を厳守した膝よりも長いスカート。
名前は覚えてないけど、見た目通り俺のクラスの委員長だ。委員長になるべくして生まれて来たような姿形をしている。
大人しそうな見た目なのに、果敢にも俺を庇ってイジメっ子3人に立ち向かう。
「人からお金を取ったらダメだよ」
「うるせぇな!楽しく遊んでただけだよ」
イジメっ子がそう言って、俺に財布を投げ返してきた。
しっかり札は抜かれていたけど、ダミーの財布を買い直すのも面倒くさいから、まぁありがとう。
「余計な事すんじゃねーぞ、委員長!」
捨て台詞を残して、いじめっ子たちが去っていく。
落ちていた宿題のノートもちゃんと回収して行った。
昨日の仕事が終わった後にわざわざやってあげたんだから、持って行ってくれて良かった。俺の時間外労働も報われるというものだ。
「狩刃君、大丈夫?」
「うん、委員長、ありがとう」
言いながら顔を抑えると、ノートを投げつけられた頬が切れて血が出ている。
顔に傷をつけるなんていじめっ子としては三流だ。
「鷹尾君たち、やり過ぎだよね。ノートを投げるなんて酷いよ。放課後に先生のところに相談に行こう」
「あーごめん。放課後、バイトだから」
成績も真ん中、真面目が取り柄の地味ないじめられっ子キャラを確立したのに、教師に相談なんてしたら一気に問題を抱えた生徒として悪目立ちしてしまう。
適当に断ったのに、頭の固い委員長は今度は別の所に突っかかって来る。
「狩刃君。校則でバイトは禁止されてるよ」
「えーっと、バイトっていうか、家業手伝いだよ」
「家業……なら、いいのかな?狩刃君のお家、何のお仕事してるの?」
「何だと思う?」
俺が尋ねると、委員長は真面目な顔で重そうな三つ編みを揺らして首を傾げた。
「なんだか、いっぱい人がいる気がするからお店やってるのかな?それか、人と沢山話す探偵とか……て、それは家業って言わないかも?」
「いっぱい人がいるって……?」
「なんとなく、狩刃君の周囲に沢山の人の気配がするの」
「気配?」
「気配っていうか、雰囲気ていうか。私、霊感みたいなの、あるらしいんだよね」
「へぇ……」
ただの勘で言ってるなら、地方の高校のクラス委員長にしておくのが勿体ない人材だ。
俺は幽霊も呪いも信じていないけれど、少し背中がひんやりした。