令嬢に会いに行く
今日はウィンドグレース家のメルフィナ嬢と会う約束の日である。ライナードとユアンは二人で朝食を食べていた。
「あの吟遊詩人、お前は本物だと思ってるのか?」
食事中にふと、ユアンがライナードに尋ねた。
「僕は、本物だと思っているよ」
「あの女が本当に『吟遊詩人トリヴィアスの弟子』ならばな。お前、ちゃんと確認したんだろうな? 俺にはあの女が特別な力を持つようには見えないが。ニーナが話していたぞ。あの女、自分で着たものを自分で洗濯をすると言って、使用人と洗濯物の奪い合いの大喧嘩になったらしいじゃないか」
「ハハハ、彼女は自分のことは自分でやってきたんだ。人に洗濯をされたのは初めてで戸惑ったんだろうね」
「他にもテーブルで食べるのが面倒だと言って、調理場で立ったまま食べようとしたらしい。信じられない、調理場だぞ?」
ライナードは口元に笑みを浮かべたまま、こんがりと焼けたベーコンをナイフで切るとそれをゆっくりと口に運んだ。
「リヴェラがどんな人間だろうと、トリヴィアスの弟子なのは間違いない。トリヴィアスが亡くなり、彼女が跡を継いだことも確認してるよ」
「俺にはどうにも信じられん。酔客相手に小銭を稼いでいる女にしか見えないが」
訝し気な顔でライナードを見るユアンに、ライナードはにっこりと微笑んだ。
「ユアンは彼女の歌をまだ聴いたことがないだろ? 一度聴いてみるといい。彼女の歌も、竪琴の音もどちらも素晴らしくて、僕は思わず引き込まれた。詩人の時のリヴェラは、まるで別人のようだったよ」
「……なるほどね、お前の耳が証拠ってわけか」
ユアンは、どこか惚けたように話すライナードを呆れたように見た。
「――だから、これは自分でやりますってば!」
「いいえ、これは私の仕事です! それをお渡しくださいませ!」
ライナードとユアンが朝食を食べている頃、リヴェラの部屋では洗濯物を抱えるリヴェラと、それを奪おうとするメイドが睨み合っていた。
「これくらい、自分で洗えます!」
「だから、洗濯は私の役目だと申したではありませんか! なぜそんなに嫌がるのです!?」
リヴェラは自分の服を人に洗ってもらった経験がなく、昨日洗濯物を持って行かれそうになってメイドと激しい言い合いをした。昨日は結局メイドの方が諦めたが、今日こそは洗濯をしようとメイドの方も一歩も引かない。
「だって、いつも自分で洗ってるし……」
「はっきり申し上げて、洗濯場をあなたにウロウロされたら迷惑なんですよ! こっちも仕事が山積みなんです。いいから早く渡してくださいませ!」
眉を吊り上げて怒るメイドの迫力に怯んだリヴェラは、しぶしぶ頷いて洗濯物を渡したのだった。
洗濯は自分でするものだという意識がしみついているリヴェラにとっては、人に洗ってもらうというのがどうも慣れない。慣れないが、この屋敷でお世話になっている間はこれを受け入れなければならないのだろう。
着るものも、ちゃんとした食事も用意されている。喜ぶべき好待遇なのだが、気ままに旅をしてきたリヴェラにとっては窮屈に感じるものでもあった。
♢♢♢
ユアンはメルフィナ嬢との面会に同行しないとのことで、朝食を食べた後すぐに騎士団本部へ向かった。約束の時間が近づき、リヴェラは買ったばかりの服を着て玄関に向かう。髪はニーナがハーフアップに仕上げてくれたので、いつもより上品な印象になった。竪琴の入ったケースももちろん、大事そうに持っている。
「お待たせ、それでは出発しようか」
ライナードがゆっくりと階段を下りてきた。騎士団の制服を身に着け、腰に剣を携えている。
先に待っていたリヴェラの隣に立ち、ライナードはリヴェラの服装に目を細めた。
「それが新しく買った服? よく似合ってるね」
「あ……ありがとうございます」
「髪型も素敵だ」
「ニーナさんにやってもらったんです」
「いいね。メルフィナ嬢と会ったら、どちらが令嬢か分からなくなりそうだ」
(心にもないことを言っちゃって)
歯の浮くようなお世辞を言うライナードに、リヴェラは曖昧な笑顔で返した。
リヴェラとライナードは揃って馬車に乗り、メルフィナが滞在している屋敷へと向かった。ウィンドグレース家の別邸はサージャー家の別邸からは少し離れているものの、同じ貴族街の中にある。
ウィンドグレース家の屋敷は、サージャー家の屋敷よりも更に大きく、門も立派だった。王都に滞在する為の別邸というには、余りにも贅沢な造りである。
馬車の中から屋敷を見て、その豪華さに圧倒されたリヴェラの顔に緊張が浮かぶ。
「君はいつも通りにしていればいいよ。話は僕がする」
「あ……はい。アリシア嬢は今日、屋敷にはいらっしゃるんですか? いくら広い屋敷とは言え、もしも鉢合わせしたらまずいと思うんですけど」
「いいや。アリシア嬢は今日、王宮を訪ねている。ここにはいないよ」
「えっ? 何でアリシア嬢が王宮に?」
リヴェラは驚き、ライナードに聞き返した。
「今日は王宮で、王妃主催の茶会が開かれているんだ。アリシア嬢は招待されているから、今頃王宮で楽しんでいるだろう。もちろんメルフィナ嬢も招待されているけど、彼女は体調が優れないという理由で断っている。だから今日は絶対にアリシア嬢と鉢合わせる心配がないということさ」
「なるほど……でも、それって王宮で王太子とアリシア嬢が会うかもしれないってことですよね」
ライナードは屋敷を見つめながらため息をつく。
「メルフィナ嬢の心中を察すると、辛いものがあるね。メルフィナ嬢は絶対に妹君と顔を合わせない日を敢えて選んだんだ……さあ、行こうか」
「は、はい」
先を歩くライナードをリヴェラは慌てて追いかけた。
♢♢♢
二人は屋敷の中へと案内された。中は更に豪華で、多くの調度品や絵画が飾られている。
表向きはメルフィナが吟遊詩人を招待し、ライナードが付き添いで来たという形にしてある。ここでのリヴェラはライナードが支援している吟遊詩人という設定だ。ライナードはその為に、わざわざリヴェラに新しい服を用意したのだ。
リヴェラとライナードは応接室に通され、二人はしばらくの間、出された紅茶を飲みながら部屋で待っていた。
扉が開き、ようやくメルフィナが姿を現した。上品なワンピースに身を包み、細い首にネックレスを着け、耳元には白く輝く宝石のイヤリングが揺れ、背筋を伸ばしてゆっくりと歩いてくるその姿は、さすが上位貴族の令嬢らしい品があった。
「お久しぶりです、メルフィナ嬢」
「ライナード様、今日は来ていただいてありがとうございます。それで、こちらの方が例の……?」
メルフィナがそわそわした顔でリヴェラを見ると、慌ててリヴェラは挨拶をする。
「お招きいただきありがとうございます。吟遊詩人のリヴェラと申します」
メルフィナはリヴェラに微笑んだ。
「メルフィナ・ウィンドグレースです。あなたが不思議な竪琴を持つ吟遊詩人なのですね、お会いできて嬉しいわ。今日は三人だけで話をしましょう。今、人払いをさせますから」
そう言って、メルフィナは部屋の中で紅茶の用意をしている侍女に視線を送る。侍女は全て心得ているのかメルフィナに紅茶を置いた後、素早く部屋を出て行った。
「お気遣い感謝します、メルフィナ嬢」
「気になさらないで、ライナード様。私もこの話は内密にしておきたいのです。ここは三人だけですから、どうぞ楽になさってね。リヴェラさん、あなたも」
メルフィナの優しい視線がリヴェラに向き、リヴェラは驚きながら「……はい」と答えた。
(この人は、私が緊張しないように気遣ってくれている?)
リヴェラはメルフィナの細やかな気遣いに気づいた。
「……それで、メルフィナ様。アリシア嬢の変化の話から聞かせていただけますか?」
ライナードが話を向けると、メルフィナは目を伏せながら小さく頷いた。