我が家へようこそ
リヴェラはライナードとユアンに続いて部屋を出る。二人は階段を下りると、店の方ではなく裏口の方へ向かった。
裏口の扉を開けて、裏通りに出る。表の大通りは建物に壁掛けランプがあるので少しは明るいが、裏通りは建物から漏れる明かりが僅かに通りを照らすだけだ。空に浮かぶ大きな月の光を頼りに、ライナードとユアンは慣れた足取りでどんどん先へ進む。でこぼこした石畳に足を取られそうになりながら、リヴェラは二人の後に続いて歩いた。
しばらく歩き、細い路地裏を抜けて別の通りに抜けると、そこには立派な馬車が一台停まっていた。御者台で足を放り出して寝ていた御者がライナード達に気づき、慌てて御者台から下りて駆け寄って来た。
「お帰りなさいませ。話はもう終わったので?」
「サム、寝ていただろう? これでも結構長居をしたんだけどね」
「ああー……もうそんなに経ちましたか」
サムと呼ばれた初老の男は、ライナードと親しげに話しながら馬車の扉を開ける。
「さあ、どうぞ」
ライナードが微笑みながらリヴェラに手を差し出した。リヴェラは一瞬戸惑いながらも冷静に「どうも」と返して、ライナードの手を借りながら馬車に乗り込んだ。
馬車の中は広く、三人が乗っても十分な広さがあった。馬車が走り出すとライナードはマフラーと帽子を外した。
「ふう、ようやく外せたよ」
「お前の見た目は目立つからな」
ユアンはライナードの髪を見ながら話す。輝くような銀色の髪と透き通るようなグレーの瞳は確かに目立つだろうな、とリヴェラは二人の話を聞きながら思った。
「なんだか喉が渇いたなあ」
「さっき酒場で散々飲んだんじゃないのか?」
「リヴェラが僕の誘いに乗ってくれるか心配で、エールが喉を通らなかったんだよ」
「どうせエールが口に合わなかったんだろ。帰ったらニーナに何か出してもらえ」
「そうしよう。リヴェラはお腹空いてる?」
「え? いいえ」
突然話しかけられ、リヴェラはキョトンとしながら答えた。
「そうか、ならニーナに頼むのは飲み物だけでいいかな」
リヴェラの頭の中に疑問が浮かぶ。
「あの、私の宿ってどこにあるんです?」
「どこって、君の宿は僕の家だよ」
あまりにも当然のような顔で話すライナードに、リヴェラは何か言いかけたまま口を開けていた。
「……い、家?」
「そうだよ。部屋は余ってるし食事も出る。外で宿を取るよりいいだろ? ちなみにユアンも一緒に住んでるんだ」
ライナードが視線を向けると、ユアンは彼の話を受けて頷いた。
「それほど広い家じゃないが、騎士団本部にも近いし環境も悪くない」
「はあ……まあ私は寝る所と食事があれば、どこでもいいですけど……」
宿がライナードとユアンの家というのは予想外だったが、各地を旅するリヴェラにとっては、寝泊まりできる場所が確保できればそれでいい。
(貴族様の家に泊まるのは、初めてだからさすがにちょっと緊張するな……)
リヴェラは目の前に座る二人の男を見ながら、そんなことを思った。
♢♢♢
それほど広い家じゃない、というユアンの言葉は、嘘だった。
城下町の賑やかな通りを抜けた先にある一軒の大きな屋敷が、ライナードとユアンが暮らす家だった。
「どこが『広い家じゃない』ですか。凄く広い家の間違いでしょ?」
リヴェラは馬車を降りた後、屋敷を見上げながら言った。
「広く見えるかい? これでもこの辺りじゃ狭い方だよ」
ユアンに続いて最後に降りたライナードが笑いながら話した。
屋敷の中に入ったリヴェラはまた驚く。ピカピカに磨かれた玄関の床にはゴミ一つ落ちていない。あちこちにつけられた壁掛けランプのおかげで屋敷の中も良く見える。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。ニーナ、例の彼女を連れてきたから、よろしくね」
リヴェラは三人を出迎えたメイドの視線に気づくとハッとなり、慌てて背筋を伸ばした。
「吟遊詩人のリヴェラと申します。しばらくお世話になります」
「お話は伺っております。メイドのニーナと申します」
礼儀正しく挨拶をしたニーナは白髪交じりの髪を後ろで一つにまとめ、白いエプロンを着け、足首まであるロングスカートを履き、背筋をピンと伸ばした品のある女性だった。
(このメイドは私が来ることを知っていた。つまり最初から私を連れて来るつもりだったのね)
「早速だけどニーナ、何か飲み物を持ってきてくれる? リヴェラの分もね。ユアンはどうする?」
「俺はいい。先に部屋に戻る」
「そうか、分かったよ。お休み」
「お前も早く休めよ」
ユアンは一人、階段を上がって行った。
「それじゃニーナ、二人分お願い」
「かしこまりました」
ニーナは頷くと、キビキビとした歩き方で屋敷の奥へと消えていった。
「用意ができるまでの間、リヴェラの部屋を案内しよう」
ライナードはリヴェラを連れ、屋敷の二階へと向かう。広くてゆったりした階段を上がり、二階の長い廊下を歩いた先にリヴェラの部屋があった。
「先にニーナが部屋を整えてくれているから、もう使えるよ。さあ、どうぞ」
ライナードは扉を開けてリヴェラに中へ入るよう促した。
「ありがとう……」
遠慮がちに中に入ったリヴェラは、天井が高くて清潔な部屋を見て思わず目を輝かせた。
「うわあ……綺麗!」
部屋自体はそれほど大きくはないが、大人二人が寝られそうな大きさのベッドには洗い立てのシーツが敷かれ、ふかふかの布団がかけられている。どこも綺麗に掃除されていて、居心地の良さそうな部屋だ。おまけになんだか花のいい香りまでする。
「狭い部屋で悪いね」
「とんでもない! 普段私が泊まってる部屋と大違い! 昨日泊まった部屋なんて酷くて、壁に穴が開いてたんですよ。おまけにネズミが一晩中天井裏を走り回ってて、ちっとも眠れなくて……」
ふと気づくとライナードが明らかに引いている顔をしていた。リヴェラは「わ、わあー、天井高いですね!」とごまかした。
「……気に入ってくれたなら、良かったよ。ここでは好きに過ごしてくれていいから」
ライナードは苦笑いしながら、リヴェラの鞄をそっと床に下ろした。
「ありがとうございます。ああそうだ、竪琴の練習をしたいんですけど、ここでやっても構わないですか?」
「もちろん、構わないよ。ここの住人は僕とユアンだけだから、昼間は使用人しかいないんだ。自由に練習してくれ」
「良かったー! 竪琴弾いてたら他の客に怒鳴りこまれたりするから、結構気を使うんですよね」
リヴェラは竪琴が入ったケースを大事そうに抱え、微笑んだ。
♢♢♢
部屋を案内された後、リヴェラはライナードと一緒に一階に下り、広いリビングルームのような部屋の前に立った。
ライナードはごく自然に、先に扉を開けてリヴェラに中に入るよう促す。
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
ライナードが完璧な笑顔で応える。
部屋の中には大きなソファが暖炉の前に置かれ、中央には大きなテーブルもあった。暖炉の暖かなオレンジ色の炎が、部屋を優しく照らしている。ライナードはリヴェラに、暖炉の前のソファに座るように言った。オドオドしながらソファに沈み込むリヴェラに笑みを浮かべながら、ライナードは彼女の向かい側に座った。
テーブルの上には小さな鉢植えがあり、そこに黄色い小花が咲いていた。それを見たリヴェラは思わず目を輝かせる。
「プリム草だ!」
「良く知っているね。花に詳しいの?」
「そういうわけじゃないんですけど、この花は好きです」
可愛らしい小花を笑顔で見つめるリヴェラの姿に、ライナードは目を細めた。
「そんなに気に入ったのなら、この花はあげるよ」
「いいんですか!? 嬉しい」
その時リヴェラは、ライナードが想像もしなかった行動を取った。リヴェラはおもむろに花を掴み、ポキッともぎ取るとそのままぽいと口に放り込んだのだ。
「食べるの!?」
ライナードが目を丸くしている顔を見て、リヴェラは慌てた。
(しまった、食べちゃ駄目だった)
「……すみません。プリム草は小さい頃からよく食べてたので……」
リヴェラの顔がみるみる真っ赤になる。
「そうだったんだ。この花が食べられるとは知らなかったよ」
ライナードは笑いながら、リヴェラの真似をして花を一つ優しく手折ると、自身の口に放り込んだ。
「あ!」
リヴェラはライナードの行動に驚き、思わず身を乗り出した。ライナードは口をもぐもぐと動かし、飲み込むとにっこりと微笑む。
「本当だ、初めて食べる味だけど、悪くないね。一つ勉強になった」
リヴェラは気まずそうに笑顔を返した。ライナードはリヴェラを気遣って花を食べたに違いない。
(私に恥をかかせないようにしてくれたのかな……)
プリム草を見ながら、リヴェラはそんなことを思った。
扉が開く音がして、紅茶が乗ったトレイを持ったニーナが部屋にやってきた。二人の前にカップを置き、慣れた仕草でカップに紅茶を注ぐと、ふわりといい香りが立ち昇る。
「ありがとう、ニーナ」
ライナードがニーナにお礼を言うと、ニーナは「ごゆっくり」と返して部屋を出て行った。
「さあ、いただこうか。明日話そうと思ってたけど、お茶を飲むついでに、リヴェラに今回の仕事について、説明しよう」
「あ……はい」
カップに手を伸ばしていたリヴェラは、慌てて頷いた。
「僕がある人から受けた依頼について、君に聞いて欲しい」
ライナードはリヴェラに話し始めた。