婚約破棄のショー
「メルフィナ、ライナード! 今すぐに離れるんだ」
踊っている二人の前に立ち、睨むように見ているダルシオン王太子に気づいたメルフィナとライナードはようやく踊りをやめた。
ダルシオンの大声に驚き、他にダンスをしていた者達が踊るのをやめ、顔を見合わせる。異変を感じた楽団が演奏を辞め、辺りはしんと静まり返った。
「この舞踏会が終わったら話そうと考えていたが、気が変わった。この場でメルフィナ嬢に話すことがある」
「私に、ですか……?」
怯えた様子でメルフィナはダルシオンを見る。そして彼の隣にぴったりと寄り添う可憐なアリシアに視線を移した。アリシアは勝ち誇ったような顔で姉の顔を見ている。
「殿下、この場では……」
「お前は下がっていろ、ライナード」
メルフィナを真っすぐに見据えたまま、ダルシオンはライナードにピシャリと言ってのける。
「失礼いたしました」
ライナードは大人しく二人から離れた。
「陛下。向こうで何か揉めている様子です。ダルシオン殿下に別の場所へ移っていただきましょう」
ダルシオン達の様子に気づいた近衛騎士が、慌ててマルグレイル国王に報告しに来た。
「このままでよい」
「はっ? 今何と?」
近衛騎士は驚いて国王に聞き返した。
「このままでよいと言っている」
マルグレイル国王は、顎に手を当てじっと息子達の様子を見ていた。この後何が起こるのか、知っている顔である。
(宴はここまでね。今のうちにワインを飲めるだけ飲んでおこう。こんな高そうなワイン、もう飲める機会もないだろうし)
飲み物をトレイに乗せたまま、大広間の中央で起こっている揉め事に呆然としている給仕係からワインを勝手に取り、リヴェラはもう一杯急いでワインを飲み干した。
「ウィンドグレース家のメルフィナ嬢! 私は今夜、この場でそなたとの婚約を破棄させてもらう」
「……何故なのでしょう? ダルシオン殿下」
メルフィナが静かに尋ねると、王太子ダルシオンはフンと鼻で笑った。
「その理由はそなたが一番よく知っているはずだ。それなのに、よくもそんな態度でいられるものだな。私はそなたではなく、そなたの妹であるアリシア嬢と結婚する!」
ダルシオンは寄り添うように立つアリシアと目を合わせる。アリシアはダルシオンを見つめた後、冷たい目で姉を見た。
「残念だわ、お姉様。あなたの行いが殿下を傷つけたのよ。悪く思わないでちょうだいね」
「……行い、とは?」
メルフィナは表情を変えず、気丈に二人に聞き返した。その様子に苛立ったダルシオンは顔を歪める。
「まだ認めんというのか? 今ここで、全て話してもいいと言うのだな? ならば望み通りに話してやろうじゃないか」
周囲はダルシオンが突然婚約破棄を言い出したことに驚き、固唾を飲んで事の成り行きを見守っていた。しんと静まり返る中、突然女の声が広間に響き渡る。
「えーと、お取込み中すみません、ちょっといいですか?」
それはリヴェラの声だった。周囲の視線が一斉にリヴェラに集まる。
ダルシオンは眉を吊り上げ、アリシアはリヴェラの顔を睨みつけるように見ている。
「何だ。今我々は大事な話をしている。吟遊詩人は下がっていろ」
「そうよ。ここはあなたのような者が入れる場所じゃないの。今すぐ外に出なさい」
「そうしたいところですが、私も大事な用がございまして」
「下がっていろと言ったのが聞こえなかったか? 無礼な旅芸人め。おい、こいつを外に追い出せ」
ダルシオンが近衛騎士に命令をした所で、ライナードが止めに入った。
「殿下、この吟遊詩人の話を少しは聞いてやってもいいのでは?」
「お前がこの私によく口を出せたな? ライナード。お前にも後でじっくりと聞きたいことがある」
じろりとダルシオンがライナードを睨むと、ライナードは気まずそうな顔で引き下がる。
「ダルシオン殿下、用はすぐに済みますので。殿下とアリシア様の前で、ぜひお祝いに一曲弾かせていただければと」
「ならば話が終わってからでいいだろう」
話の腰を折られ、すっかり不機嫌なダルシオンに構わず、リヴェラはおもむろにその場に座り込み、竪琴を構えた。
「いいえ。メルフィナ様を侮辱する為にこの場を利用し、メルフィナ様に恥をかかせようというその企みは、何としても止めさせていただきます」
リヴェラは先程のへらへらした態度から一変し、強い視線でダルシオンを睨みつけた。
「な……どういうことだ? お前はメルフィナと知り合いなのか……?」
ちらりと上を見上げ、リヴェラはメルフィナと視線を交わした。メルフィナは小さくリヴェラに頷き、リヴェラもメルフィナに頷き返した。
「どういうことよ」
アリシアは気味悪そうな顔でリヴェラを睨んだ。その表情には不安が浮かんでいる。
「この歌を……アリシア様に捧げます」
リヴェラは竪琴に指を添え、撫でるように演奏を始めた。繊細で柔らかな音はとても美しく、どこか物悲しい旋律が流れた。音に合わせてリヴェラの歌が始まる。その場にいた全員が、まるで穏やかな子守唄のような彼女の歌に引きこまれた。
――迷える魂よ
行くべき場所は、空のかなた
迷える命よ
帰るべきは、あなたのふるさと
あなたの命は、あなたのもの
他の誰にも、似ていない――
「まあ……なんて綺麗な歌なの」
「まるで子守唄のよう……なんだか懐かしいわ……」
周囲にいた人々は、リヴェラの歌にすっかり聴き入っていた。だがただ一人、様子がおかしくなった者がいる。
「アリシア? どうした?」
ダルシオンは、隣で真っ青になっているアリシアに尋ねた。アリシアは顔面蒼白で、全身ガタガタと震え、今にも崩れ落ちそうだ。
「アリシア!」
慌ててダルシオンが支えようとするが間に合わず、アリシアはその場にへたり込んだ。
「いや……いやよ……私はこの身体から出て行きたくない……」
涙を流し、頭を振りながらアリシアは呟いた。
「出ていく? アリシア、君は何を言って……」
その時、大広間からどよめきが起こった。アリシアの身体が青白く光ったかと思うと、アリシアから半透明の女がずるり、と出てきたのだ。
(出たわね!)
リヴェラは演奏を続けながら、不敵な笑みを浮かべた。
「な、何なのだ、お前は一体……!?」
驚いて腰を抜かすダルシオン。メルフィナも驚愕の表情でアリシアから出てきた幽霊のような女を見ていた。
「アリシア……!?」
アリシアの父親は、彼女の身体から出てきた半透明の女に呆然としていた。様子を見ていたマルグレイル国王は周囲が慌てふためく中、冷静に事の成り行きを見守っている。
大広間にいた他のゲスト達はすっかり大騒ぎだ。悲鳴を上げて倒れる若い女性や、女性を押しのけて我先にと逃げだす太った男がいて、周囲は騒然としていた。
そんな中、ライナードは父のマルグレイル国王と同様、冷静な表情でアリシアから出てきた女を見ていた。
「リヴェラ。彼女が『転生者』なんだね?」
ライナードがリヴェラに尋ねると、リヴェラは歌をやめた。
「ええ。彼女がアリシア嬢の身体を乗っ取り、彼女に成りすましていた、異世界から来た転生者です」
半透明になった姿の女は、この世界では見かけない服を着ていた。ひらひらとしたシャツ一枚に膝から下がむき出しのスカートを履いている。顔はアリシアよりも老けていて、可憐な彼女とは似ても似つかない。
オロオロしながら周囲を見回している女をリヴェラはじっと見た後、女に語りかける。
「私の役目は『魔法の竪琴』で、身体を乗っ取り人の人生を奪う『転生者の魂』を浄化させること。今歌ったのは『見送りの歌』よ。さあ、空の向こうにお帰りなさい――」
リヴェラは一度手を止め、再び演奏を始めた。
「待って、お願いやめて! ようやく全部手に入ると思ったのに。行きたくない、ここにいたいの!」
「これは一体どういうことなんだ。転生者とは何だ!?」
ダルシオン王太子は事態を飲み込めずに呆然としていた。メルフィナは驚いた顔のまま、事の成り行きを見守っている。
異世界から来てアリシアの魂を乗っ取った女の身体は、次第に強く光り出した。
「あなたの居場所はここじゃない。分かってるでしょ?」
リヴェラは息を吸い、再び歌い始めた。
「アリシアが転生者? 乗っ取られている? 訳が分からない……」
ダルシオンは困惑しながら倒れたままのアリシアを見つめた。
「シオン様、私よ。私がアリシアなのよ……」
半透明の女がにたりと笑いながらダルシオンに近寄ると、ダルシオンは思わず後ずさりした。
「お前は一体、誰なのだ……!?」
「誰? 誰って私はアリシアよ。私達は愛を確かめ合ったじゃない。王宮でも、劇場でも、あの宿でも二人きりで……」
「近寄るな!」
伸ばした手を避けるように、更にダルシオンは後ろに下がった。
「違う! 私はこんな女は知らん! おいアーロン、こいつを早くつまみ出せ!」
ダルシオンは焦って侍従アーロンを呼ぶ。だがアーロンは困惑した顔のまま、その場から動かなかった。
「信じられない……アリシア様の中身が別人……?」
「アーロン様! お願い、なんとかして! シオン様を説得してよ!」
アリシアの手がにゅっとアーロンに伸びると、アーロンは「ひっ」と声を上げて顔を歪めた。アーロンの表情には明らかに嫌悪の感情が浮かんでいる。
大広間に残った人々からは、ダルシオンに軽蔑の視線が注がれていた。
「ダルシオン殿下は元々メルフィナ嬢を裏切っていたのだな。しかも相手がメルフィナ嬢の妹君とは」
「こんな大勢の目の前で婚約破棄しようだなんて。メルフィナ様、お可哀そうに……」
人々は声を潜めながらダルシオンに冷たい視線を送る。好奇の目に晒されているダルシオンに駆け寄り、彼を守ろうとする者はいない。一人その場に立つダルシオンはようやく自分の行いがもたらした結果に気づき、手が細かく震えた。
(……やっぱり、すぐには浄化できないか)
見送りの歌を歌い続けるリヴェラだが、その顔には焦りが浮かんでいた。アリシアの魂は予想以上に頑固で、アリシアから離れようとしない。
それどころか、魂が徐々にアリシアに戻りつつあった。今は歌い続けることでなんとかこの形を保てているが、それもいつまで持つか分からない。
(仕方ない、次の手だ)
リヴェラは歌いながらアリシアの魂に近寄る。彼女の竪琴が魂に呼応するように青白く光り、彼女の弾いている手が見えなくなるほど光は強くなった。
リヴェラの手が竪琴から離れ、アリシアの魂に触れた。すると光が一層強くなり、辺りを包んだ。
――アリシアの魂は、ふと気づくと小さな部屋にいた。そしてアリシアの前に、竪琴を持ち、あぐらをかいて座っているリヴェラがいる。
そこはこの世界とは違っていた。小さなシングルベッドや多くの化粧品が雑然と並んだ棚や、大きな黒い板が置かれていた。
「ごめんね、あなたとゆっくり話がしたいと思って、あなたの心の中に入らせてもらったの。あそこは人が多すぎるから」
リヴェラは竪琴を持ったまま、アリシアの魂に微笑んだ。
オープニングのシーンに戻ってきました。ここから一気にエンディングまで向かいます。




