咄嗟に手が
馬術大会の開催が迫っている頃、競技に出る為に準備をしているユアンをライナードが訪ねた。
「どうだいユアン? 調子は」
「別に今まで通りだ。陛下の所に挨拶に行って来たのか?」
相棒の馬を撫でながら、ユアンはライナードに尋ねる。
「ついさっき行って来たところだよ」
「またダルシオン殿下に嫌味を言われただろ?」
「まあね」
笑いながら話すユアンに、ライナードは苦笑いで応えた。
「そういや、またリヴェラを連れてきただろ?」
「ああ。ちょっと頼み事があったからね」
ユアンは片方の眉をくいっと上げた。
「少し、あの吟遊詩人を構いすぎじゃないか? 昼夜問わずに連れ回して、お前が気に入っているのは分かるけどな」
「そんなんじゃないよ」
ライナードは目を丸くする。
「見ていれば分かる。だがな、いくら気に入っていたとしても、あの女は所詮旅芸人だ。家もないような女なんだ。俺達とは生きている世界が違う。それを忘れるなよ」
「……分かってるよ」
ライナードは苦笑いをしながらポツリと言った。
♢♢♢
こそこそと貴族席を観察していたリヴェラは、望遠鏡から目を離すとため息をついた。
(アリシア嬢の姿は見えない。ひょっとして彼女はここに来ないのかな。メルフィナ様に聞けばすぐに分かるんだけど、あの状態じゃメルフィナ様に話しかけることすら難しいし……)
メルフィナはダルシオンの隣に座り、まるで人形のように動かない。ダルシオンもライナードと一瞬外に出た後は席に戻り、何事もなかったように前を向いている。やはり二人の間はよそよそしく、視線を交わすようなこともない。
その時、わあっと場内から歓声が上がった。どうやら馬術大会が始まったようである。
(ライナード様、王太子と何を話していたのかな……メルフィナ様のことを聞かれてなければいいんだけど)
ライナードは王太子と席を外した後、そのまま姿が見えなくなった。ライナードのことが気になるが、今のリヴェラにはどうすることもできない。
ふと視線を感じ、リヴェラは振り返った。騎士が二人、何やらこちらをチラチラと気にしているようだ。
(まずい、何か疑われたかも)
リヴェラはそそくさとその場を離れた。
別の観客席に移動し、一番後ろに立ってリヴェラは馬術大会を見ていた。ちょうどユアンが出てきた所で、観客の一部から黄色い歓声が上がる。どうやら彼にはファンのようなものがいるらしい。
ユアンと他の選手が並び、闘技場の中をぐるりと周りながら設置された柵を超え、最も早く戻って来た者が勝ちだ。ルールは単純だが、誰が勝ったか分かりやすいので人気の競技らしく、観客の中には誰が勝つか賭けている者もいる。
競技が始まると、歓声は一層大きくなった。早速コースから外れている馬がいて、観客の笑いを誘う。ユアンは馬とぴったり息が合っていて、まるで馬が自分の身体の一部であるかのように軽やかに駆けていく。勝負はユアンの圧勝で、賭けをしていた観客は「つまらねえ試合だ」とぼやいていた。
ユアンの意外な特技に目を奪われていたリヴェラに、突然一人の騎士が声をかけてきた。
「おい、そこのお前! 手が空いてるなら、ちょっと下に行ってきてくれ」
「え……?」
どきりとしながら返事をすると、騎士は忙しそうな様子でまくし立てた。
「観客が帽子を下に落としたらしい。闘技場に降りて、取ってきてくれ。今すぐ!」
「は、はい」
慌ててリヴェラは闘技場へ降りる為の階段を探した。変に口答えをすれば疑われるし、ここは素直に従うべきだろう。
闘技場内への入り口を見つけ、恐る恐るリヴェラは中に入った。既に次のレースが行われていて、闘技場内は土埃が舞っていた。日差しが直接闘技場内に注がれ、地上はむわっとした熱気に包まれていた。
(ええと……帽子は……)
帽子はすぐに見つかった。ホッとして帽子を拾い上げ、軽く埃を払う。
その時、悲鳴のような声が上がり、リヴェラは声の方角に顔を向けた。
レースに出ていた馬が一頭、騎士の言うことを聞かずに暴れ出し、どうやら騎士を振り落としてしまったようだった。制御する者がいなくなった馬は突然駆け出し、リヴェラの方へ向かって来た。
(まずい……)
早く逃げなきゃ、と思った時だった。彼女の視界に一瞬、ライナードの姿が見えたような気がした。
リヴェラの目の前に、いきなりつむじ風のようなものが現れた。リヴェラは驚いて思わず尻もちをつき、頭上高く伸びる風の塊をあっけに取られたように見た。
馬はつむじ風に驚き、足を止めて怯んだ。その隙に他の騎士達が一斉に馬に飛びかかり、なんとか馬を抑えることに成功したのだった。
つむじ風はやがて消え、ライナードが血相を変えてリヴェラの元に走って来た。
「大丈夫か!? 怪我は!?」
尻もちをついたまま固まっているリヴェラに、ライナードは心配そうな顔で抱き起こした。
「あ……ありがとうございます。私は大丈夫です」
「そうか……良かった」
ホッとしたのか、ライナードは顔をくしゃりとさせて笑った。その後すぐに表情を戻し、馬をなだめている騎士らに声をかける。
「落ちた騎士の容態は!?」
「怪我はあるが、大丈夫だ」
馬から落ちた騎士はもう立ち上がり、腕を押さえながら他の騎士らと話をしているようだ。ライナードはリヴェラから離れ、仲間の元に駆け寄ると馬の様子を確認していた。
「つむじ風が起きたおかげで、他に怪我人が出なくて良かったよ」
「本当だな。あのまま馬が暴れていたら、大変なことになるところだった」
集まって来た騎士達はそんなことを話していた。今日は朝から晴れていて、日差しも強く闘技場内は暑かったので、こういう気象の時につむじ風が起こるのは珍しいことではない。闘技場内では暴れ馬に視線が集中していたので、ライナードが魔法を使ったことに気づいた者もいないようだった。
(ライナード様、私を助ける為に魔法を使ったんだ……危険を冒して……)
リヴェラはライナードの後ろ姿を見ながら、そんなことを思った。
王族席にいるダルシオンは、マルグレイル国王に話しかけた。
「父上、大きな事故にならず良かったですね」
「……そうだな」
一言だけ答えた国王の視線は、遠目に見えるライナードの姿に向いていた。




