馬術大会で・1
ここは王都ガルシアにある王宮の中である。
王太子ダルシオンは彼の執務室にいた。侍従アーロンは机の上で手を組むダルシオンの前に立っている。
「……で、大事な話とは何なのだ? 人払いまでさせて」
ダルシオンはアーロンに尋ねる。部屋の中にはダルシオンとアーロンしかいない。
「はい、殿下。実はメルフィナ様に関する、ある噂を耳にしました」
「噂? どんな噂だ」
首を捻るダルシオンに、アーロンはメルフィナとライナードが屋敷で密会している、と告げた。
「……それは、本当なのか?」
ダルシオンはメルフィナの思わぬ噂に驚いているようだった。メルフィナは幼い頃から品行方正で異性との噂など全くない令嬢だった。だからこそ、ダルシオンはメルフィナを婚約者として選んだのである。
「ウィンドグレース家の屋敷の者からの情報ですので、間違いないかと。騎士ライナードは何度も足繁く、メルフィナ様を訪ねておられるようです」
「ライナードめ! 父上の情けのおかげで生かされていることも忘れ……騎士団で好きに生きているだけでは飽き足らず、私の婚約者に手を出すとは……!」
ダルシオンは怒りに任せ、机を勢いよく叩いた。
「今日はこの後メルフィナ様と馬術大会に向かわれる予定ですが……いかがいたしましょう? メルフィナ様にはご遠慮いただき、王族席にはご家族だけで座られますか?」
「うーむ……」
顎に手を当ててダルシオンは唸る。馬術大会では国王一家が揃う予定で、婚約者のメルフィナも一緒に行くことになっていた。結婚式に向けて二人の関係が順調であることを知らせる為にも、二人揃っての出席は王命でもある。
「どうされますか? ダルシオン様」
「……いや、予定通りにメルフィナを連れて行く」
「そうですか。メルフィナ様が出られない代わりに、アリシア様に来ていただこうかと思ったのですが……」
「アリシアに? ……いいや、それは駄目だ。今はアリシアとのことをまだ公にはできない」
「ですが、アリシア様を愛人にされるおつもりでしたら、彼女が陛下と王妃様との関係が良いことを周囲にアピールすべきでは」
「だからそれは、今ではない! 私はそのことについて、今色々と考えているところなのだ。お前は口を出すな」
ダルシオンは苛立ち、アーロンを怒鳴りつけた。
「出過ぎた真似をいたしました。それでは、予定通りに進めます」
アーロンは表情を変えず、執務室を出て行った。
足早にアーロンは自分の執務室に入ると、小さな紙に簡単なメッセージを書いた。
『予定変更。闘技場には来ないでください』
書き終わった紙をくるくると丸め、窓際へ向かう。そこには鳥かごが置かれていて、真っ白な鳩が一羽いた。
アーロンは鳥かごを開け、鳩の足に取り付けてある筒にメッセージを入れた。そして窓を開けると、鳩を勢いよく外に放った。
真っ白な鳩は青い空を切るように飛んで行った。
♢♢♢
建国記念祭の期間中は様々な行事も行われている。その中の一つが、ウィンガルド王国騎士団が主催する「馬術大会」である。
騎士団に所属する騎士が出場し、馬術を競う競技をしたり、馬上試合の演技を観客に見せたりして楽しませる。競技で優秀な成績を収めた騎士は、騎士として評価が上がるだけではなく、国王から勲章を賜る名誉も得る。
王国騎士団はいくつかに分かれていて、最も上位が王族の護衛を務める「近衛騎士団」である。その下にライナードが所属する第二騎士団、第三、第四と続いていく。
近衛騎士団は王族に最も近い存在であるが故、彼らの身分は全て貴族階級と決められているが、それ以外は志願して所属する平民も多い。この馬術大会で結果を出すことは、彼らの人生にも影響を及ぼす為、参加する騎士にはこの大会に賭けている者も多いのだ。
今回馬術大会に出場するユアンは、そこまでの野心があるわけではない。彼は馬の扱いが第二騎士団一と呼ばれているので、単純に腕試し的な理由である。
ちなみに、ユアンに馬の扱い方を教えたのは御者のサムだ。サムはユアンとライナードが幼い頃からサージャー家に仕えていて、元々は厩舎で馬の世話をしていた男だ。二人はサムと仲が良く、しょっちゅう彼と一緒に馬に乗っていた。ライナードもそれなりに馬を乗りこなすが、ユアンの才能はサージャー家の子供達の中でも群を抜いていた。
会場は郊外の闘技場で行われる。既に気の早い観客が続々と闘技場に吸い込まれていく。闘技場の外ではここが稼ぎ時だと言わんばかりに、様々な物売りが声を張り上げながらエールやら串焼き肉やらを売っていた。
一方、その頃のリヴェラ。彼女は騎士団の制服に身を包み、困惑した顔をしている。
「……うん! 良く似合っているよ。少し大きかったかな?」
ここは闘技場の中にある物置だ。狭い部屋の中にリヴェラとライナードがいた。着替えが終わったリヴェラの制服姿を見ながら、ライナードは満足そうに微笑んでいる。これが彼の言う『用意した衣装』らしい。確かに闘技場内を自由に歩き回る為に最も適した格好は、騎士団の制服と言うことになるが……。
「服はまあいいとして、顔はどうするんです?」
騎士団には女性の騎士もいるが、数は少なく家柄、能力共に優れた選ばれし女性ばかりだ。体型も華奢で他の騎士より背も低いリヴェラは、どう見ても騎士には見えない。
「顔はこれで隠すから大丈夫」
ライナードはリヴェラにマントのようなコートを上から着せた。そのコートはフードが付いており、頭に被せるとリヴェラの顔がすっぽりと隠れた。
「見づらいです」
「我慢してくれ」
ライナードは笑いを堪えながら、口元しか見えなくなったリヴェラの姿を見ていた。
「さて……僕はそろそろ行かなきゃいけない。君には一つ、お願いしたいことがあるんだ。これを渡しておこう」
「何ですか?」
ライナードがリヴェラに渡したのは、望遠鏡だった。
「望遠鏡ですか……これで何を見ろと? 覗き趣味はないですけど」
リヴェラは望遠鏡を構え、覗き込んだ。
「アリシア嬢が来ているかどうか、観客席を探して欲しいんだ」
「いいですけど、アリシア嬢を見つけたら盗み聞きでもしろってことですか? 私はライナード様と違って、そういうのは得意じゃないですけど」
「その言い方だとまるで、僕に盗み聞きの趣味があるみたいじゃないか。僕はアリシア嬢の動きを知りたいだけだよ。まだ憶測の段階だけど……メルフィナ嬢と僕との噂を流した犯人は、彼女かもしれないと思っているんだ」
「……アリシア嬢が噂を? あり得るとは思いますけど、ならどうして町の人々に噂を流したんでしょうね? 彼女が噂を流すなら、まずは貴族達にではないですか?」
リヴェラは首を捻った。メルフィナを陥れる目的なら、貴族の間に噂を流す方が手っ取り早いのではないだろうか。
「噂はまず、下から流すんだ。その方が広がりやすいし、流した人物を特定しにくい。仮に噂を流したのがアリシア嬢だとすると、彼女は僕が思っているよりもずっと狡猾な人かもしれないな」
「なるほど……アリシア嬢が一体何者なのか、彼女の真実の姿を知っている者はこの世界には誰もいない。つまり、誰も彼女のやり方が読めないというわけですね」
ライナードは天を仰ぎ、大きく息を吐いた。
「そういうことになるね。転生者が悪人だということになると、少しやっかいだな」
♢♢♢
ライナードと一緒に部屋を出たリヴェラは、二人並んで歩いていた。
「本当にばれないですか? これ」
堂々とした姿で歩く隣のライナードに、リヴェラは声を潜めて尋ねる。
「平気だよ。馬術大会には王国中の騎士が集まるんだ。どこの所属の騎士なのか、すれ違う度にいちいち確かめたりはしない。制服を着ている限り、疑われることはないよ」
二人が歩く向こうから、談笑しながらやってくる二人の騎士がライナードとリヴェラに気づき、不思議そうな顔で見た。
「……やっぱり、怪しまれてます!」
「気にしすぎだよ。怪しまれてると思うから、向こうにもその気持ちが伝わるんだ。君は堂々としていればいい」
堂々としていろと言われても、とリヴェラは困惑しながら頷いた。
途中でライナードと別れ、リヴェラは観客席の方へ向かう。闘技場は円形で、階段状に周囲を囲む形で観客席がある。貴族階級の観客が座る席は決まっているとライナードはリヴェラに教えた。一番高く見晴らしのいい席が王族の席で、その周囲が他の貴族の席である。
大会の時間が迫っていることもあり、席は殆どが埋まっていた。貴族席にも多くの貴族がいて、最上段にある王族の特別席には屋根がかけられ、ずらりと王族が並んでいた。
(来ているのはマルグレイル国王、ナイアラ王妃、ダルシオン王太子とメルフィナ様、弟のジョシュア王子、妹のライラ王女か)
早速リヴェラは望遠鏡を使い、こっそり観察する。ジョシュア王子とライラ王女はダルシオンと年の差があり、どちらもまだあどけない子供である。二人は仲が良いようで、闘技場を指さしながら楽しそうに談笑していた。
マルグレイル国王とナイアラ王妃夫妻は、それぞれ自分の席に挨拶にやってきた貴族と話をしているようだ。
そしてダルシオン王子と婚約者メルフィナの二人。二人はじっと前を見たまま、会話を交わすこともない。明らかに二人だけ冷めた様子である。
(元々ダルシオン王太子はあまり社交的な印象はないけど……それにしても、少しは談笑でもすればいいのに……ん?)
リヴェラの望遠鏡がライナードの姿を捉えた。どうやら王族席にライナードが挨拶に来たようだ。先に国王夫妻に挨拶をしているのが見える。国王は特に表情に変化はないが、横の王妃は明らかに嫌そうな表情をしている。ライナードの話では、彼が王の子であることを王妃も知っているとのことだ。自身との結婚前の出来事とは言え、王妃にとってはライナードが複雑な存在であることに間違いはないだろう。
次にライナードはダルシオンとメルフィナの所へ挨拶に向かった。
(何を話してるんだろう)
リヴェラは笑みを浮かべるライナードの横顔をじっと覗いていた。