リヴェラの過去
アリシアと別れた後、一人でライナードとメルフィナが待つ部屋に戻ったリヴェラは、何事もなかったように笑顔を浮かべていた。
「あれ? アリシア嬢は?」
リヴェラが一人なことにライナードは不思議そうな顔を浮かべる。
「後でいらっしゃるかと思います」
「アリシアからどんなアクセサリーをもらったの? リヴェラさん」
見た所、何の変化もないリヴェラの姿に、メルフィナもライナードと同じような顔をしていた。
「どれも私にはもったいないものでしたので、遠慮いたしました」
リヴェラは笑顔を浮かべたままで答える。
「なんだ、せっかくだからいただいておけばいいのに」
「そうよ、アリシアの申し出なのだから、あなたが遠慮することはないのよ?」
「いいんです。私にはメルフィナ様にいただいたイヤリングがありますから」
リヴェラは耳元に光るイヤリングを指して見せた。メルフィナはそれを見て思わず笑みを浮かべる。
「それでは、アリシアが戻った所でお茶にいたしましょう。今日はいい天気ですから、せっかくですし裏庭の庭園でお茶にしませんか?」
「それはいいですね。ね? リヴェラ」
ライナードは窓の外を見た後、リヴェラに笑顔を向けた。今日は朝から晴れていて、春の陽気に包まれている。外でお茶をするにはぴったりの天気だ。
「ぜひご一緒させていただきます……でも、アリシア様、まだいらっしゃいませんね」
リヴェラは扉にちらりと目をやった。
「そうね……どうしたのかしら。まさか衣装替えなんてしていないとは思うのだけど」
アリシアはなかなか現れなかった。メルフィナがメイドに頼んでアリシアを呼びに行かせたが、急に気分が悪くなったと言ってとうとう戻ってこなかった。結局外の庭園でのお茶は、アリシア抜きで楽しむことになったのだった。
♢♢♢
ウィンドグレース邸から戻る馬車の中で、ライナードはまるで尋問するようにリヴェラの顔を覗き込んだ。
「さっき、アリシア嬢と二人で話していた時に何があった?」
ふう、と小さく息を吐いたリヴェラは、顔を上げてライナードをじっと見つめ、口を開いた。
「ライナード様。アリシア嬢は転生者です」
リヴェラがそう言い切る表情には、自信が浮かんでいた。ライナードはリヴェラから告げられた思わぬ言葉に目を大きく見開いた。
「間違いないのか?」
「少し、アリシア嬢に揺さぶりをかけました。案の定彼女は動揺していましたよ。ウィンドグレース以前の生まれはどこかと尋ねたんです」
「ハ……ハハ! 転生者にしか伝わらない質問だ。それで、彼女は何と?」
ライナードは笑いをこらえながら、更に身を乗り出す。
「答えませんでした。それが彼女の答えです。転生者でなければ、何故そんなおかしな質問をするのかと私を問い詰めるはずです。でも彼女はごまかした」
「なるほどね。やはりメルフィナ嬢の考えは正しかった。後はアリシア嬢から魂を引き出すだけだ……」
リヴェラは遠くを見ながらため息をつく。
「二人で話した時、アリシア嬢は本性が現れていたと思います。でも、竪琴を持っていなくて……魂を引き出す絶好の機会だったのに」
「仕方ないよ。あの状況で竪琴を持っていくのは不自然だ。後でメルフィナ嬢とも相談して、アリシア嬢の魂を引き出すいい方法を探してみよう。とにかく、今日はご苦労だった」
「いいえ。これが私に課せられた、ただ一つの使命ですから」
何気なく発したリヴェラの一言に、何故かライナードは少し眉をひそめた。
「……君は、一人でずっと生きていくつもりなのか?」
「どういう意味ですか?」
視線を落とし、少し言い淀んだライナードは再び、しっかりとリヴェラに視線を戻した。
「転生者の魂を浄化する為に、ウィンガルド中を旅しているんだろう? たった一人で、これからもずっと……」
「そうですよ。今までも師匠と二人だけでしたし、一人になっても大して変わらないです」
「でも二人と一人では、全然違うだろう?」
ライナードは更に食い下がって来た。リヴェラはライナードの様子に戸惑いながら答える。
「色んな町に知り合いがいますし、そう寂しい旅でもないですよ。今回だってこうしてライナード様やユアン様と知り合いになれましたし」
「それはそうだけど……リヴェラ、この際だから尋ねるけど、君は何故トリヴィアスの弟子になったんだ? 君に家族はいないのか?」
リヴェラはじっとライナードを見た後、口元を緩めた。
「私は孤児院出身です。家族はいません」
「そうか……すまない。嫌なことを聞いたね」
ライナードは気まずそうに目を伏せた。この世界で孤児は珍しい存在ではないが、孤児院で育った子供の人生は、決して楽なものではない。孤児院は貴族の支援で運営されているものの、決して豊かな環境ではない。大人になって外で暮らすことになっても、ちゃんとした仕事をして暮らせる者は一握りだ。殆どが僅かな日銭を稼いで貧しい暮らしに追われ、犯罪に手を染める者も少なくない。
「謝らないでください。孤児院にいた時、私は何度も家出をする問題児でした。ある時孤児院に慰問の為にやってきた師匠が、私を見て引き取ると言ったんです」
リヴェラは馬車の外を流れる景色を見つめながら、ライナードに昔話を始めた。
――吟遊詩人トリヴィアスは、ある小さな孤児院を慰問に訪れていた。トリヴィアスはこれまでにも何度かここを訪れていて、院長とも長いつきあいである。
中年の女院長はトリヴィアスにある子どもの話をしていた。
「本当にリヴェラには手を焼いていて……先日も家出をして、ようやく今朝連れ戻した所なんですよ」
「ふむ」
二人の目には、広場で遊んでいる子供たちから少し離れた場所で、一人座っている幼い少女が映っていた。
ぼさぼさの長い黒髪に、紫色の瞳。つぎはぎだらけの服を着て、広場の片隅でじっとしているこの少女が、当時まだ七歳だった頃のリヴェラである。
「他の子どもたちとも馴染もうとせず……このままでは、あの子の将来が心配で」
「あの子が何故家出をするのか、理由を尋ねたことは?」
女院長は力なく首を振る。
「初めの頃は家に帰りたいと話していたようですが、帰る家がないと分かると黙り込むようになってしまって……ここにはいたくない、と話すだけになってしまいました」
「少し、あの子と話をしてもいいかね?」
「ええ、勿論です」
トリヴィアスはゆっくりとリヴェラに近づいた。リヴェラが顔を上げると、そこには長いあごひげを蓄えた老人の男が立っていた。
「君がリヴェラだね。私は吟遊詩人のトリヴィアスだ」
リヴェラはじっとトリヴィアスを睨むように見ていた。
「院長に聞いたよ。君は何故、何度も家出をするんだ?」
「……ここにいたいなんて思う子どもはいないでしょ?」
リヴェラは吐き捨てるように言い、トリヴィアスからぷいと顔を背けた。
「全くだ、リヴェラの言う通りだよ」
トリヴィアスは低い声で笑った。リヴェラは奇妙な老人を不思議そうに見る。
「だがリヴェラ、このままここで世話になるつもりなら、院長に迷惑をかけるべきではない。君がもし、外で暮らしたいというなら、君の行いは改める必要がある。ここまでは分かるかね?」
リヴェラは無言でトリヴィアスに頷く。
「ふむ、君は賢い子だ。私は年老いた吟遊詩人でね、弟子もいないから私の竪琴を受け継ぐものがおらんのだ。もしもリヴェラが私の跡を継いで吟遊詩人になると言うなら、私が君を引き取ろう」
「……ほんと?」
トリヴィアスが突然言い出したことにリヴェラは驚き、口をぽかんと開けていた。
「ただし、吟遊詩人の人生は楽ではない。国中を旅して歌を届けるのだ。家を持たず、家族も持てない暮らしだ。それでも私に着いてくると言うのなら、私はお前を一人前の吟遊詩人に育ててやろう」
「やります」
リヴェラは迷いなく答えた。どこでもいい、ここから外に出られるのなら。彼女の瞳がそう語っていた。
トリヴィアスはその足で院長に掛け合い、その日のうちにリヴェラはトリヴィアスと一緒に孤児院を出ることになったのだった――
「……なるほど、それでトリヴィアスと一緒に旅をしていたのか」
リヴェラから話を聞いたライナードは、顎に手を当てながら呟いた。
「師匠は私を救ってくれて、私に生きる為の芸を仕込んでくれた人です。私は師匠の為に、受け継いだこの竪琴を使って、師匠がしてきたことを続けていくつもりです」
リヴェラの言葉には少しも迷いがなかった。ライナードは納得したように頷く。リヴェラの覚悟に軽々しく口を出してはならないと、彼はそう感じたのだった。




