気まずい演奏会
先にリヴェラ達が待つ部屋に現れたのは、姉のメルフィナだった。
「お待たせいたしました……アリシアはまだのようですね?」
リヴェラ達と挨拶を交わした後、妹がまだ来ていないことにメルフィナはため息交じりに呟いた。
「お気になさらず。それにしても、素晴らしい部屋ですね。観客が我々だけなんてもったいないな」
「祖父は音楽がお好きな方なので、このような部屋を作られたそうですが……父は逆に音楽嫌いなのです。ですからこの部屋は殆ど使われていないのです」
メルフィナは苦笑しながら部屋を見る。部屋の中央が一段高くなっていて、そこに主のいないオルガンがぽつんと置かれていた。
リヴェラはそのステージの上に椅子を置き、座って竪琴を鳴らしていた。竪琴の上で自由に跳ね回る音たちが、いつの間にか整列していき、やがてメロディーとしてまとまっていく。窓から差し込む光がリヴェラの艶のある黒髪をますます輝かせる。
「……ほんとうに、美しい音ですね」
メルフィナがリヴェラを見つめながら、うっとりとした顔で呟いた。
「ええ、美しいですね」
ライナードはメルフィナに頷き、窓から差し込む光に優しく照らされているリヴェラの横顔を見つめた。
しばらくして、ようやく本日の主役が顔を見せた。姉よりも派手なドレスを着て、アクセサリーの数も多い。自信たっぷりな笑みを浮かべ、悠然と現れたアリシア・ウィンドグレースは、ライナードとリヴェラに向かって優雅に挨拶をした。
「アリシア・ウィンドグレースです。お会いできて嬉しいわ」
「ウィンガルド王国騎士団、第二騎士団のライナード・サージャーです。こちらは吟遊詩人のリヴェラ。お会いできて光栄です、アリシア嬢」
「お……お会いできて光栄です、アリシア様。吟遊詩人のリヴェラと申します」
堂々と挨拶を返すライナードと、オドオドしながらそれに続くリヴェラ。アリシアはそんな二人をじろじろと無遠慮に見ていた。
「ライナード様が最近支援しているという噂の吟遊詩人って、あなたなの? ふうん……思ってたよりもずっと若いんで驚いたわ」
「まだまだ修行中の身でございます」
「今いくつなの?」
「十九でございます」
「ふうん……」
無表情で言葉を返すリヴェラの顔を、アリシアはどこか不機嫌そうに見ていた。
「彼女は若いですが、才能は抜群ですよ。きっとアリシア様のお気に召すと思います」
ライナードが口を挟むと、アリシアはライナードには満面の笑顔を返した。
「まあ、ライナード様がそうおっしゃるなら安心ね。では立ち話もなんですから、早速お願いしようかしら? 吟遊詩人さん」
ステージに目をやったアリシアは、顎でリヴェラに指示をした。リヴェラは黙って頷きステージへと向かった。
――むかしむかし、あるところに、美しい娘がいました
娘はある日、素敵な王子様と出会いました
王子は一目見て恋に落ち――
リヴェラは王子と娘の愛の物語を歌い上げた。これは酒場でよく歌っている曲で、貴族と平民の娘が結ばれた実際の話を元にしたものだ。こういう恋物語は客達に受けが良く、リヴェラの持ち歌の一つでもある。アリシアが共感できるように、歌詞を貴族から王子へと変えたが曲はそのままだ。
アリシアはリヴェラの狙い通り、目を輝かせながら歌を聴いていた。恐らく自分とダルシオンのことを歌った曲だと思っているだろう。アリシアの隣に座るメルフィナは、反対に浮かない顔だ。
曲が終わり、リヴェラが頭を下げるとライナードとメルフィナが揃って拍手を送った。
「素晴らしかったよ、リヴェラ」
「今日の曲も素敵でしたわ、リヴェラさん」
アリシアも笑顔でリヴェラに賛辞を贈る。
「さすが、ライナード様が見込んだ吟遊詩人ね。ライナード様の審美眼は素晴らしいわ! お姉様ったら、こんな素晴らしい吟遊詩人を独り占めしようだなんて、ずるいわ。もっと早く教えてくれれば良かったのに」
「……あなたは、吟遊詩人に興味がないと思っていたから」
「そんなこと、私一言も言ったことないでしょ? いじわるなことを言うのね、お姉様は。ねえ、ライナード様とお姉様は以前からのお知り合いだそうだけど、出会いはどこで?」
アリシアはリヴェラの歌にはそれ以上関心を示さなかった。彼女の興味はライナードとメルフィナの関係に移っている。
(私はもう用済みってことね)
リヴェラは黙って竪琴をケースにしまいながら、三人の話を聞いていた。
「どこって……私が以前王宮へ通っていた時、ライナード様に護衛についていただいた縁よ」
メルフィナは困惑しながら返す。メルフィナは王宮に入る者としての心得を学ぶため、何度も王都に滞在しては王宮へと通っていた。その時ここの屋敷から王宮までの護衛の一人だったのが、若きライナードだった。
メルフィナはライナードが王の庶子であることも、彼が好奇の目で周囲から見られていることも知っていた。メルフィナとライナードは顔見知り程度の付き合いでしかなかったが、アリシアと王太子の関係に悩んだメルフィナはライナードに手紙を送った。
彼女の周囲が皆アリシアの魅力に引き込まれていく中、メルフィナが頼らざるを得なかったのが、王の庶子であり信頼のおける騎士であるライナードだったのだ。
「ああ、お姉様の王都通いが頻繁だった頃ね……だとしたら、ライナード様ともよくお会いになってたの?」
アリシアが意味ありげに二人を見る。
「メルフィナ様と顔を合わせることはよくありましたが、それが何か?」
ライナードが笑みを浮かべたまま、アリシアを見つめ返す。
「いえ、ひょっとしてお姉様とライナード様って仲が良かったのかなと……少し思っただけ」
三人の間に妙な間が流れる。そのやり取りを見ていたリヴェラは、口を出すわけにもいかずに気まずい空気の中にいた。
「おっしゃる意味が分かりませんが、メルフィナ様はリヴェラを招待してくださったので感謝してますよ。リヴェラ、お茶をもらおうか? 歌って喉が渇いただろう?」
「あ、はい」
話を逸らし、こちらへ話しかけてきたライナードにリヴェラはハッとなり、慌てて頷いた。
「ライナード様、その吟遊詩人はいったいどこで見つけたんですか? 若い女性を連れ歩くと、変な誤解を生むんじゃないかしら? ほら、先日の観劇の時のように」
「誤解をしたいなら、させておけばいいでしょう。それも宣伝の一つですよ」
さらりとかわすライナードに、アリシアは目を丸くした後、声を上げて笑った。
「ライナード様って面白い方ね! なんだか私と気が合いそう。ねえライナード様、その吟遊詩人を売り出すなら、もっと彼女に『いい恰好』をさせてあげたらどうかしら?」
アリシアはニヤニヤしながらリヴェラの格好に目をやる。
「彼女はこれで十分だと思いますが」
「いいえ、ライナード様が支援する吟遊詩人なら、もっと華やかにした方がいいと思うの! そうだわ、あなた、ちょっと私と一緒に来てくれる?」
「え?」
突然一緒に来るよう言われたリヴェラは戸惑い、視線をライナードに送った。ライナードも少し困ったような顔をしている。
「あなたにお似合いのアクセサリーがあるの。一緒に来て、アクセサリーを合わせてみない?」
「アリシア、リヴェラさんに無理を言ってはいけないわ」
たまらずにメルフィナが助け舟を出した。
「いいじゃない、お姉様。この人だって少しくらい着飾らないと。社交界では目立たないと相手にしてもらえないのよ?」
メルフィナはため息をつき、リヴェラを見た。
「……リヴェラさん、妹がこう言っているのだけど、どうかしら?」
「えーと……そうですね……せっかくアリシア様がそう言ってくださっているので……」
リヴェラはライナードをちらりと見ながら答えた。
「決まりね! じゃあ今すぐ行きましょ」
アリシアは席を立つとリヴェラの返事を待たず、手を取ってぐいぐいと引っ張るようにリヴェラを連れて部屋を出て行く。
ライナードとメルフィナは、二人が出ていくのを不安そうに見送った。