魔法使いの立場
劇場での出来事があった数日後。ウィンドグレース家のメルフィナと妹のアリシアは一緒に朝食を食べていた。
最近では珍しい光景だ。アリシアは夜遅くまで夜会に顔を出して社交に励んでいるので、起きるのが遅く朝食は取らないことが多い。アリシアが『別人』のようになる前は、二人で一緒に朝食を食べながら昨日の出来事を報告しあったりしたものだ。アリシアは刺繍が全体に入ったワンピースを作ることを目標にしていて、毎朝メルフィナに作業の進み具合を話していた。それを聞くのも、メルフィナにとって楽しみだったのだ。
特に会話が弾むこともないまま、二人が淡々と食事をしていたその時、アリシアは突然メルフィナに話しかけた。
「そう言えばお姉様、先日このお屋敷に吟遊詩人を招いたそうね? 第二騎士団のライナード様も一緒に来たみたいだけど」
「……ええ。確かに招いたけれど、それが何か?」
メルフィナは平静を装いながらアリシアに答える。
「ライナード様って、陛下の愛人の子って言われてる人でしょ? どんな人だったの?」
「どんなって……騎士らしく、立派な方よ。何故急にそんなことを聞くの?」
アリシアは意味ありげに微笑み、頬杖をついた。
「昨日出かけたお茶会でちょっと耳にしたの。この間のお芝居に、ライナード様が吟遊詩人を伴って現れたんですって。ほら、私達が観に行ったお芝居よ」
「……まあ、そうなの。気づかなかったわ」
「ライナード様が支援してるって噂の吟遊詩人、私も歌を聴いてみたいのよね。お姉様ならその吟遊詩人を呼べるでしょ? お願いできない?」
メルフィナは一瞬迷う様子を見せた。
「それは……お願いすれば来ていただけるとは思うけれど……でもあなたが音楽に興味を示すなんて、珍しいこともあるのね」
「この間のお芝居で、私は音楽に興味が湧いたの。ね、お願いお姉様。愛人の子だっていうライナード様にも会ってみたいし」
「……あまり愛人の子、などと大きな声で言ってはいけないわ」
メルフィナは眉をひそめて妹をたしなめる。
「あら、ごめんなさい。王家の人達はライナード様の話をしたがらないんだもの。知りたくなるのは当然じゃない?」
「エヴェリオン家の事情に、他の家の者が詮索するのは感心しないわ」
「どうして? 私達は他の貴族とは違うのよ? お姉様は王太子殿下の婚約者で、私は婚約者の妹。私達はいわば身内のようなものなんだから、王家の事情は知っておかないと」
「私達はウィンドグレース家の人間よ、勘違いをしては駄目」
「朝からお説教? お姉様ってほんと、頭が固いんだから……分かったわよ。余計なことは言わないから、二人をうちの屋敷に招待してちょうだい。お願いね? お姉様」
「……ええ」
アリシアは言いたいことを言い終わると、満足したように水を飲み干した。メルフィナは困惑しながら目の前の料理に目を落とした。
♢♢♢
今日も朝から城下町の広場は沢山の人で賑わい、多くの人だかりができていた。だがこれはただ人が集まっているだけではない。人だかりの中心にいたのは一人の中年の男で、男の腕を乱暴に掴んでいるのは第二騎士団の騎士である。
人だかりをかき分けるように入って来たのは、知らせを受けて駆け付けたライナードとユアンだった。
「どうしたんだい、この騒ぎは?」
ライナードの登場に、周囲にいた女性達がざわめく。
「ライナード、ユアン。この男は魔法使いだ。占い師だと言って旅芸人ギルドに登録していたが、ここで怪しい物を売っていたのだ」
「だから違うって言ってるだろ! これはただの木彫りの鳥で、俺の地方で伝わる魔除けなんだよ! 呪物なんかじゃないんだ!」
占い師だというその男は、手のひらに乗せた小さな木彫りの鳥をライナードに差し出した。騎士は慌てて男とライナードの間に入る。
「ライナード、迂闊に触れては駄目だ。この置物をもらったという者が、階段を踏み外して大怪我をしたそうだ。この男は、呪いをかけた置物をここで売っていたのだろう」
「言いがかりだよ! たまたま怪我をしたくらいで、何でも俺のせいにされたらたまったもんじゃない!」
「まだ言うか! この王都に呪いの置物を持ち込もうなどとは、随分と肝の据わった奴だ。本部に連行してじっくりと話を聞いてやる!」
「離せ! 俺は何もしてないんだ! いてててて! 何をする!」
騎士は占い師の腕をひねりあげ、占い師は痛みに顔を歪めた。
「乱暴はやめたまえ。とにかくここで話していても、埒が明かない。占い師の君、申し訳ないが僕と一緒に来てくれるだろうか?」
ライナードはヒートアップしている騎士と占い師の間に入った。
「騎士団だかなんだか知らないが、何もしてないのに何故俺が捕まらなきゃならないんだ!」
「あなたを捕まえる為に僕はここへ来たわけじゃない。あなたの木彫りの鳥を少し、調べさせてもらいたいだけだ。何もなければお帰りいただいて構わない。それよりも、この広場で騒ぎを起こされては他の芸人達にも迷惑だ。それは分かっていただけるだろう?」
占い師は周囲を見回す。好奇心の目や迷惑そうな目が輪の中心に集まっていることに、占い師は怯んだ。そこへライナードが顔を占い師に寄せた。
「安心しなさい。あなたが魔法使いでないことは分かっている。この場をひとまず治める為に、私と一緒に来て欲しい。あなたを傷つけることはしないよ」
ライナードは占い師から顔を離すと、にっこりと微笑んだ。
「さあ、僕と一緒に来ていただけますね?」
「……分かったよ。仕方ない」
「彼は僕が直接連れて行こう。後のことはよろしく頼むよ」
「了解した」
騎士はライナードに敬礼した。
やり取りを見ていたユアンはホッとした顔を浮かべ、周囲に声を張り上げた。
「さあ、みんな元に戻れ。問題は解決した」
張りのあるユアンの声が広場に響き渡り、人々はようやく散開していく。
占い師を連れ、騎士団本部へ向かうライナードの表情は浮かないものだった。王都ガルシアでは、魔法使いは怪しい魔術で人々の心を惑わせ、呪いで人を殺す恐ろしい存在と思われている。こうして時々魔法使いと疑われる者が現れると、第二騎士団が捕まえることもある。殆どは王都から追放されるくらいで済むが、過去には王都に不利益をもたらすと思われる魔法使いに関しては裁判が開かれ、処刑されたという記録もある。今後そういう事態が起きないとは限らない。
ライナードの後ろを歩いていたユアンは、彼の背中を心配そうに見ていた。ユアンはライナードの秘密を知る数少ない者の一人である。ライナードが魔法使いであることを知りながら、ユアンは彼を見守っていた。王の庶子であり魔法使いの血を者であるライナードを守る、それが自分に課せられた使命だと、ユアンはそう思って生きていた。
第二騎士団本部に占い師を連れて行き、とりあえず事情を聞くふりをしたライナードは約束通りに占い師を返した。
何度もお礼を言いながら帰っていく占い師の背中を、ライナードはぼんやりと見つめていた。
「あまり魔法使いに肩入れするなよ」
声がして振り返ると、そこにユアンが立っていた。
「別に、肩入れなんてしてないよ。彼はただの占い師だ」
ごまかすように笑うライナードの隣にユアンが立った。
「あの占い師の正体がなんであれ、お前が関わるべきじゃない。変な同情はお前の首を絞めるぞ」
ライナードはフッと微笑んだ。
「ご忠告ありがとう」
「俺は本気で言ってるんだ、ライナード」
「分かってるよ」
ユアンの肩を軽く叩き、ライナードは本部に戻って行った。
「本当に分かってるのかねえ」
首を振りながら、ユアンもライナードの後を追った。




