おかしな観劇・2
それはメルフィナが劇場に出かける前のことだった。
当然ながら、観劇には二人で行くものだと思っていたメルフィナは、アリシアは別の誰かと一緒に劇場に行くのだと思い込んでいた。王宮から迎えに来た馬車を出迎えたメルフィナは、当たり前のように一緒に馬車に乗ろうとしているアリシアを思わずたしなめる。
「アリシア、これは私を迎えに来た馬車よ?」
「分かってるわよ、お姉様。私も一緒に行くんだから」
「どういうこと?」
メルフィナは怪訝な顔をした。すると馬車の中から下りてきたダルシオンが、驚いたような顔で二人を見ていた。
「メルフィナ、体調はもういいのか? ……てっきり、今日も屋敷で休むものかと思っていた」
ダルシオンは明らかに慌て、ニコニコしているアリシアと侍従のアーロンの顔を交互に見比べている。
「体調はもう平気です……これは一体、どういうことでしょう?」
メルフィナも困惑していた。隣のアリシアは笑顔を崩さず、平然と立っている。代わりにアーロンが口を開いた。
「メルフィナ様の体調が優れないとのことでしたので、ダルシオン様のパートナーがいらっしゃらないと困ると思い、アリシア様に代役をお願いしたのです」
アリシアはアーロンの話を聞き、大げさに驚いたような仕草をした。
「やだ……そういうことだったの? 私はただ、アーロン様から劇場へ行くようにと頼まれただけだったのよ。ごめんなさい、お姉様。私はどうやらお邪魔なようだから、観劇は諦めるわ」
ダルシオンは慌ててアリシアに話しかける。
「すまない、アリシア嬢。どこかで行き違いがあったようだ」
「……いいんです。私はただ、お芝居を楽しみたかっただけですから。どうぞお二人で行ってください」
悲しそうな笑顔で、アリシアはダルシオンとメルフィナを見る。アリシアの格好は、朝から気合を入れてオシャレしたと思われるものだった。彼女が観劇を楽しみにしていたのは一目瞭然だ。
「そういうわけにはいかない。せっかく支度をしたのだから、アリシア嬢も良ければ一緒にお芝居を観に行こう。席には余裕があるはずだ、そうだろう? アーロン」
「ええ、余裕はございます」
「だそうだ。アリシア嬢、私達と一緒に劇場へ行こう」
「そんな……お二人のお邪魔じゃないかしら……ねえ? お姉様」
嫌な笑顔を浮かべ、アリシアはメルフィナに視線を送る。メルフィナの表情はますます暗くなった。王太子と婚約者が二人で観劇に出かけるというのは公の仕事のようなものだが、周囲を気にせずに二人だけで芝居を楽しむのは、二人の仲を深める絶好の機会でもある。
ダルシオンが他の女性に心惹かれるのは仕方のないことだと、メルフィナは思っていた。二人の婚約は家同士で決めたもので、愛し合っているわけではない。だがダルシオンの婚約者はメルフィナなのだ。婚約者である限り、ダルシオンが大切にしなければならないのは自分だと、メルフィナは考えている。
それなのに、アリシアを含めて三人で観劇をするというのは、メルフィナにとって許しがたいことだった。彼女はこの提案に、簡単に頷くわけにはいかないのである。
「で……でも、アリシア。他のご友人をお誘いしたらどうかしら?」
「今から? お姉様は無茶を言うのね。今から一緒に行ってくれる方なんて、見つかるわけがないでしょ?」
「その通りだ、メルフィナ。今からでは他のパートナーを見つけるのは不可能だよ。まさかアリシア嬢に一人で観劇に行けと言うつもりじゃないだろうね? そなたがそんなに冷たい女性だったとはな」
冷たい目でメルフィナを見るダルシオンと、悲しそうな顔をしているアリシアに挟まれ、メルフィナは渋々アリシアと一緒に行くことを承諾してしまったのだった。
――その結果が、今のこの状態だ。ダルシオン王太子とメルフィナ、そして妹のアリシアの三人が仲良く三人並んで広い劇場を見下ろしている。
三人は両隣を壁で仕切られた個室にいた。前はぽっかりと空いて舞台の正面が良く見える。小部屋の外には護衛の近衛騎士と侍従のアーロンが立っていて、警備は厳重である。劇場の座席は半円形になっていて、二階から上は仕切られた小部屋ばかりが並ぶ。
真ん中にダルシオンが座り、メルフィナとアリシアが彼を挟む形で三人は席に着いた。
「凄いわ! こんないい席でお芝居を観られるなんて、信じられない!」
「喜んでもらえて良かったよ、アリシア嬢」
アリシアはメルフィナがいようと構わずに、ダルシオンに話しかけていた。ダルシオンの顔はずっとアリシアを向いていて、メルフィナのことは見ようともしない。
芝居はまだ始まっていないが、既に帰りたい気持ちでいっぱいのメルフィナであった。
一方、リヴェラとライナードはメルフィナ達がいる席から斜め向かい側にある席にいた。もちろんここも個室だが、メルフィナ達の席よりだいぶ狭く二人しか座ることができない。
「このまま三人を見張っていよう。ひょっとしたらメルフィナ嬢が途中で席を外すかもしれない。そうしたら王太子とアリシア嬢が二人きりになる」
小さな望遠鏡を向け、王太子達の様子を伺いながらライナードは呟く。
「それ、本当に遠くまで見えるんですか?」
リヴェラは三人のことよりも、ライナードが持っている望遠鏡に興味があった。
「見てみるかい?」
笑いながらライナードはリヴェラに望遠鏡を手渡した。早速リヴェラは望遠鏡を覗き込む。
「わ! ……うーん? 何でしょう、これ。三人がちっとも見えません。ぼやけて真っ暗で……」
「それはきっと、違う所を見ているんだよ。多分君は今壁を見てる」
あちこち望遠鏡をぐるぐる動かしているリヴェラ。ライナードは笑いながら、彼女の手から望遠鏡を取り上げた。
「まだ見てたのに……でもライナード様、ここで見ていても何を話してるのかまでは分からないですよね?」
望遠鏡を取り上げられ、不満そうな顔のリヴェラにライナードは意味深な笑みを見せた。
「だから、ここで僕の魔法の出番というわけさ」
ライナードは手のひらを上にしてメルフィナ達がいる席の方向へ向けた。彼の手からそっと風が起こり、それは一筋の道のようになってメルフィナ達の席まで繋がる。
『今日のお芝居はどんなものなのかしら?』
『知らずに来たのかい? アリシア嬢』
アリシアとダルシオン王太子が楽しげに話している声が、ライナードの耳に届いた。リヴェラは隣でわくわくした顔をしている。
「聞こえました?」
手を下ろし、ライナードはニヤリと笑った。
「完璧だ」
「凄い……」
リヴェラはライナードと初めて会った時のことを思い出していた。リヴェラを信用させる為に使った彼の魔法は、今まで彼女が見たことも聞いたこともないものだ。
「……あの、失礼だったらすみません。その魔法は、ひょっとしてお母様から受け継いだものですか?」
リヴェラが発した言葉に、ライナードの動きが止まった。
「……その通り。僕の母は魔法使いだ」
やっぱり、と思いながらリヴェラは頷いた。
「陛下は……僕の父は婚約者がいながら、魔法使いの僕の母と子供を作った。それが僕だ」
「……ダルシオン王太子は、このことを知ってるんですか?」
ライナードは首を振る。
「いいや、知らない。僕のことは、どこかの平民との間に生まれた子供だと思っている。知っているのは陛下と王妃、それと一部の側近だけだ」
「そうですか……魔法はお母様から習ったんですか?」
「母上からは習ってないよ。習ったのは別の魔法使いだ。母上と知り合いで、僕のことも知っている人だった。魔法の扱い方は全てその人に学んだんだ」
懐かしそうにどこか遠くを見ながらライナードは話した。
「その魔法使いとは今も付き合いがあるんですか?」
「いや、その人はもう王都にはいない。王都は騒がしいから嫌だと言って、生まれ故郷に帰ったよ」
「……随分、あっさりと秘密を話してくれるんですね」
「君が聞いたんじゃないか」
ライナードは吹き出すように笑った。
「私みたいな人間に、秘密を話してしまっていいんですか?」
「そうだねえ、君は吟遊詩人だ。明日には僕のことを歌にして、王都中に広めようとするかもね」
「だったらどうして……」
「君は話さないよ」
ライナードはじっとリヴェラを見つめた。その視線の強さに、リヴェラは思わず息を飲む。
「……だって、君はこの仕事が終わったら大金貨が手に入るんだからね。君は僕を怒らせるような真似をする愚かな人間じゃない」
「よく分かってますね」
二人は目を合わせ、お互いに微笑んだ。
「僕と君は秘密を共有する仲間だ。それを忘れないでね」
ライナードはリヴェラに手を差し出した。リヴェラは微笑みながらライナードと握手をした。




