二人の密会
王宮では『建国記念祭』が開かれている間、貴族や商人を招いてお茶会を開いたり、夜会が開かれたりと毎日沢山の客人が訪れ、賑やかである。
今日は王妃主催のお茶会で、独身の令嬢ばかりが集まっていた。若い女性達だけで交流をしようという目的である。
メルフィナの妹アリシアも、招待されてお茶会に来ていた。メルフィナは前日になって体調が優れないと言ってお茶会へ行くのを断ったので、ここには来ていない。アリシアにとっては、姉がいないのは却って都合が良かった。
ナイアラ王妃はアリシアを笑顔で出迎えた。
「ウィンドグレース領でのあなたの評判を耳にしていてよ。みんなあなたのファッションを真似ているそうね」
「嬉しいです、ナイアラ様。ずっと王妃様にお会いしたかったんです」
アリシアは目を輝かせ、屈託のない笑顔で応える。耳元で揺れるイヤリングも、胸元を飾るネックレスも、指で光る指輪も、どれも彼女が職人に作らせた一点ものだ。繊細な美しさと華やかさが彼女の儚げな美しさを引き立てている。
「今日のドレスも素敵だわ。それにヘアスタイルもアクセサリーも……王都中の女性達があなたを真似するでしょうね。あなたがメルフィナ嬢の妹だなんて、とても信じられないわ……あら、ごめんなさいね。あなたのお姉様なのに私ったら」
ナイアラ王妃は扇子を大げさに広げ、口元を隠しながら笑う仕草をした。
「いいんです、お姉様は目立つのがお好きじゃないみたいですから。姉と私はどうやら好みが違うみたいです」
(男の好みは同じだけどね)
アリシアは含みのある笑顔を浮かべていた。
この後アリシアは、王宮でこっそりとダルシオン王太子と会う予定である。アリシアはお茶会で他の令嬢達と会話を楽しみ、終わった後はすぐに王宮から出ず、王太子の侍従の手引きで別の部屋に向かう手筈となっている。この侍従は王太子と年も近く、王太子が最も信頼を寄せている人物である。
♢♢♢
「アリシア嬢。本当に来てもらえるとは思わなかった」
部屋で先に待っていたダルシオンは、アリシアが現れると嬉しそうに微笑み、椅子から立ち上がった。
「なんだかこういうのって、楽しいわね」
「楽しい? 私は胸が潰れそうなほど緊張していたというのに、アリシア嬢は肝が据わっているね。やはり君は私が思った通り、面白い人だ」
二人の関係を知られてはならない。だからこうして、人目を避けてほんの僅かな時間二人きりで会う為に、ダルシオンは手を尽くしたのだ。
「二人だけの時は、アリシアと呼んでくれる?」
「……そうだな、少し馴れ馴れしい気がするが……君が望むのならばそうしよう、アリシア」
「嬉しい、シオン様」
アリシアは親しい者しか使わない呼び名でダルシオンを呼んだ。メルフィナですら一度も呼んだことがない呼び名だ。
「建国記念祭の間は、ずっと王都にいるのだろう? アリシア」
「そのつもりよ。ねえシオン様、もっとゆっくりと二人で過ごす時間が欲しいわ。せっかく同じ王都にいるんだから……」
ダルシオンは目をキラキラさせて自分を見上げる可愛らしいアリシアの顔を見つめながら、少し戸惑った。
「そうだな……だがメルフィナの目もある所で、私と君が一緒に過ごすのは……」
「駄目?」
目を潤ませるアリシアのお願いに、ダルシオンは目尻を下げる。
「駄目なわけがない。君と一緒に過ごしたい気持ちは、私も同じだよ。何とかしてみよう」
「嬉しい! シオン様。ありがとう」
アリシアはダルシオンに飛びつくように抱き着いた。アリシアの大胆な行動にダルシオンは驚く。
「……君は本当に、変わった人だ」
「あ! ごめんなさい。シオン様に気安く触れちゃいけないって、お姉様にも注意されたんだったわ」
慌ててダルシオンから離れようとするアリシアを、ダルシオンは突然抱きしめた。
「シオン様……」
「今だけだ。君だけがこうして、私を癒してくれる」
アリシアはダルシオンの胸に顔をうずめながら、一瞬笑みを浮かべた後、ダルシオンから身体を離す。
「私を抱きしめたいなら、お姉様との婚約を破棄すると先に約束してくれる?」
動揺でダルシオンの目が泳いだ。
「……勿論、そのことについては考えている。だがその為には我がエヴェリオン家とウィンドグレース家で話し合う必要がある。メルフィナにも納得してもらわなければならない。このことは慎重に進める必要が……」
ダルシオンの表情には迷いがあった。親同士が決めた婚約とは言え、メルフィナには不満がなかった。ダルシオンにあまり心を開かないメルフィナを退屈な女だと思うこともあったが、聡明なメルフィナは未来の王妃として申し分のない女性であったのだ。
「……そう。やっぱりシオン様はお姉様との婚約破棄をするつもりなど、これっぽっちもないってことなのね。じゃあもういいわ」
アリシアはくるりとダルシオンに背を向けて部屋を出ようとした。
「待ってくれ!」
ダルシオンは慌ててアリシアの手を取る。
「離してくれる?」
「すまない、だが信じてくれ。私の心は既に君のものだ」
アリシアはダルシオンに背中を向けたまま、黙っていた。顔に緊張を浮かべ、アリシアが何を言うのかダルシオンはじっと待っている。
ダルシオンにとって、アリシアは今まで出会ったどの女性とも似ていなかった。夜会で出会った時、突然アリシアはダルシオンの目の前で倒れたので、最初は人助けのつもりだった。メルフィナの話では、妹は姉よりも更に大人しく、男性と話すのも苦手だということだったが、実際に話してみるとメルフィナの話とは全然違っていた。
アリシアは明るく、人懐っこい女性だった。少々礼儀知らずで、王太子であるダルシオンにも全く臆することがない。まるで古い友人かのようにアリシアはダルシオンと接する。ダルシオンはアリシアが忘れられず、彼女にこっそり手紙を出した。返事はすぐに返ってきて、それから秘密の文通が続くことになった。
アリシアからの手紙は、ダルシオンが思わず赤面するほど情熱的なものだった。
『早く殿下に会いたい。いつもあなたのことを考えているの』
『殿下の瞳の色と同じネックレスを買ったの。毎晩このネックレスと一緒に眠るわ。こうすればまるで殿下と一緒に眠っているみたいだから』
それは恋を知らないダルシオンには刺激が強すぎた。ダルシオンが、まっすぐに恋心をぶつけてくるアリシアに夢中になるのに時間はかからなかった。
「……私、シオン様のこと信じてるから」
アリシアは一言だけ告げると、するりとダルシオンから離れて部屋を出て行った。ダルシオンはアリシアの後ろ姿を見送りながら、ぐっと拳を強く握った。
部屋を出たアリシアは、扉に目を向けながら大きく息を吐いた。目を廊下に戻すと、そこには王太子の侍従が待っていた。
「アリシア様。逆の道を行きましょう。先ほど通った道は、少々人が多いようです」
「ありがとう、アーロン様」
彼は王太子の侍従、アーロンである。アーロンは公爵家の四男で、ダルシオンと年も近く、幼い頃からダルシオンと一緒に過ごすことも多かった。成長してからアーロンはダルシオンの侍従となり、王太子の全てを知る男として、公私共に行動を共にしている。
アリシアとダルシオンの文通に協力しているのも勿論、アーロンである。今回の密会を手引きしたのもアーロンだ。アーロンはダルシオンの為に、アリシアに全面的に協力しているのである。
「あなたが手伝ってくれるおかげで、助かってるわ」
「ダルシオン様の為ですから」
アーロンは侍従らしく常に冷静で、背がすらりと高く凛々しい顔立ちをしていた。
「殿下はあなたがいなくなったら困るでしょうね。とても有能な人だから」
顔を見上げながら、アリシアは笑顔でアーロンを褒めた。アーロンは平静を装いながら「……恐れ入ります」と答えた。
二人は人の目につかないよう、入り組んだ王宮内を器用に抜け、無事に外に出た。こうしてアーロンの協力もあり、ダルシオンとアリシアの密会が周囲に知られることはなかった。